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1983年の横浜商
Redfox /
2016-02-02 21:31:00
No.1312
ミラクル3さん、こんばんは。
私が今まで最も肩入れしたチームは、1983年の横浜商でした。当時福島県の小学生でしたが、横浜商の試合は欠かさず見ていました。
どれほど熱烈に応援していたかは、夏の横浜商−学法石川戦で横浜商を応援していたといえば理解していただけるでしょうか。
春の決勝で池田に負けたときは、あまり悔しくなかったのですよ。当時の池田は無敵でしたし、池田も好きなチームでしたから、負けても仕方ないと割り切りることができました。
しかし、夏の決勝は本当に勝たせたかった。正直勝てる気はしていなかったのですが、それでも勝ってほしかった。
決勝は、3点ともチャンスを逃したその裏にとられました。とくにショートイレギュラーヒットで取られた2点目があまりにも痛かった。セカンドの信賀選手がうまくバックアップしたのですが、打球を処理する際に体勢を崩してバックホームが遅れたのが不運でした。それでもホームは微妙なタイミングでしたが、森屋捕手がボールをこぼしてしまいましたね。
それでも、三浦投手の3度の甲子園ですべてベスト4以上、12勝3敗は立派な記録です。しかも池田とPL以外には負けなかったのですから。
ちなみに、清原選手の甲子園第1号が三浦投手からというのは有名ですが、たしか三浦投手にとっても甲子園で初めて打たれたホームランだったと思います。
Re:1983年の横浜商はいいチームでしたね
ミラクル3 /
2016-02-02 22:45:00
No.1317
こんばんは、Redfoxさん。
1983年の横浜商はいいチームでしたね。カーブの切れ味は全国一と言われたエース三浦、大会随一の1・2番コンビの西村・信賀、強打の3番・高井、巧打の5番・中村。
強豪がくつわを並べた83年の夏の大会で朝日新聞が、「戦力が最も安定しているのは横は商」と評したのも尤もな好チームでした。
1つのチームに惚れ込むというのは、高校野球ファンには、よくあることです。83年でいえば、ベタですけど、池田に惚れ込んでいました。
横浜商−学法石川は、大差がついてしまいましたね。4番の松井選手が大会を通して不発だったのを覚えています。
83年の横は商は、時代に恵まれませんでした。春も夏も、相手が悪かったです。
夏の決勝戦は、熱狂的に横浜商を応援していました。ただ、私の場合は、PLに絶対に勝てせたくなかったからですけど。
PL戦は、初回のワンアウト3塁で高井選手が三振したのが痛かったですね。先取点を取っていれば、違った展開になったはずです。それと、リリーフに出た藤本投手を打てなかったのが残念でした。
あの2点目は効きました。ホームでのプレーは見た目はアウトだったのですが…。
あの試合は、郷司球審のPL寄りのジャッジに、父嫌と弟と私の3人で怒りまくっていました。
三浦投手の成績は、荒木大輔以上ですからね。負けた相手は全て優勝した高校ですし、1度もKOされたこともなかったですから、立派の一言に尽きます。
三浦投手にとって、清原選手の甲子園第1号は、甲子園で初めて打たれたホームランだったですね。そのホームランよりも、8回の加藤選手にカーブをホームランされた方がショックだったそうです。
それでは、この辺で失礼します。83年夏は、まさに伝説の夏ですね。
Re: 1983年の横浜商
杜都 /
2016-02-03 13:56:00
No.1318
横レス失礼します 私も横浜商は強いチームだと思いました
一回戦に選抜で池田に対抗する一番手と目された広島商が完全に負けたのをみて横浜商の強さを認識しました。
なんといってもコントロールが良くカーブが切れまくる三浦投手 ホームランを放った高井選手や巧打の信賀選手 守備が上手かった西村選手 など思い出深い好選手が多かったです。
広島商戦よりもさらに印象に残ったのは 東海大一戦です
当時話題になったスラッガー藤王選手擁する愛知の亨栄を退けた、杉本投手をどう攻略するか が注目されていました
東海大一に、西村選手のファインプレーで流れを引き寄せて完勝したときには 横浜商の戦力は最も安定していると感じました。
決勝戦でずっと1−0で試合が動かなくなった時 蔦監督がそのときの心境を 冷や汗を流しながらインタビューに答えいました。
Re: 選抜の初戦は幸運でした
Redfox /
2016-02-03 16:32:00
No.1319
杜都さん、こんばんは。
選抜の開幕戦、横浜商にとって幸運だったのは、広島商のエース・沖元投手がケガで先発を回避したことです。沖元投手が万全の状態で先発していたら、あそこまでの快勝劇はなかったと思います。
準決勝の東海大一戦は、三浦投手が制球に苦しみ、2回戦・準々決勝のような完璧なピッチングではありませんでしたので、西村選手の超ファインプレーは本当に大きかったです。
東海大一も強いチームでしたね。双子投手の杉本康徳・尚彦投手(顔はそっくりでも、投手の実力は弟の尚彦投手が数段上でしたね)、主軸の大田代選手や羽山選手もいいバッターでした。
西村選手に捕られた打球を打ったのは、羽山選手でしたかね。
Re: 1983年の横浜商
杜都 /
2016-02-03 20:57:00
No.1324
こんばんは 83年当時の映像は名勝負と言われている試合以外はもうほとんど残っていないですね ミラクル3さんのサイトが最も確信が持てる情報源です。沖元投手が8回から登板して横浜商を寄せ付けなかったということですから 怪我がなければおそらく横浜商もかなり苦戦を強いられていたでしょう。この試合は開幕試合の好カードだったから見たのですが・・試合結果が意外に大差だったのでちょっとがっかりしました。広島商の技と足 対 三浦投手 の僅差のゲームに期待していました。東海大一も強いチームでしたね。ベスト4に残ったチームの中では、最も地味なチームかと思いました。双子の投手は当時は話題になりました。四番の羽山選手のことは覚えていないのですが 西村選手のファインプレーは覚えています。流れが東海大一に行きかけていたのを横浜商に引き寄せたのですから・・・野球はひとつのプレーを機に分からないものです。
池田対明徳がすごい試合だったので、東海大一は知名度では四国では低いです。
Re:洗練されたチームでしたね
ミラクル3 /
2016-02-03 21:39:00
No.1328
こんばんは、杜都さん。
83年の横浜商は洗練されたチームでした。83年選抜の広島商との対戦は開幕試合でしたね。初戦で当たるには、あまりももったいないカードでした。私は、広島商が有利と思っていました。
83年の横浜商は、個性の強い選手が多かったですね。杜都さんが挙げられた選手は、皆、思い出深いです。
東海大一戦での西村選手のファインプレーを覚えています。ジャンプ一番のナイスキャッチでしたね。あのプレーが勝利を引き寄せました。高井選手がタイムリーを打ったように思います。
残念ながら、その蔦監督のインタビューは覚えていないです。8回に2点取って、3−0になったような記憶があります。
それでは、この辺で失礼します。83年の選抜も懐かしい思い出です。
Re:沖元投手の怪我が惜しまれます
ミラクル3 /
2016-02-03 21:51:00
No.1329
こんばんは、Redfoxさん。
沖元投手は、秋の中国大会の決勝戦で宇部商をノーヒットノーランに封じました。また、打線も秋村投手に力負けしないで、3点取りました。ですので、広島商は、打倒・池田の一番手に目されていたのですが…。
横浜商戦は、沖元投手の怪我が惜しまれます。沖元投手が万全でしたら、試合はもつれたと思います。
東海大一戦では三浦投手が不調でしたので、西村選手のファインプレーがなければ、負けていた可能性もありました。西村選手に捕られた打球を打った選手は失念しました。
東海大一の杉本尚彦投手は素晴らしい投手でした。肘痛でPL戦での先発を回避したのが惜しまれます。6回から登板し、PL打線を完璧に封じましたから…。
それでは、この辺で失礼します。当時の大会の盛り上がりは凄かったですね。
Re:池田対明徳はすごい試合でしたね
ミラクル3 /
2016-02-03 21:59:00
No.1330
こんばんは、杜都さん。
有難いお言葉をいただきまして、嬉しい限りです。
横浜商−広島商は、立ち上がりのピンチを三浦投手が切り抜けたことも大きかったです。
試合の途中で点差が開いたことで、広島商は、得意の細かい野球ができませんでした。森屋捕手の肩が弱っただけに、起動力が使えなかったのは、広島商としては痛かったですね。
83年の選抜のベスト4は、横浜商、東海大一、池田、明徳でした。私も、東海大一が一番地味に思えました。
ただ、横浜商戦は紙一重でした。あのファインプレーで、試合の流れが変わったのは確かです。
池田対明徳はすごい試合でしたね。1点があれほど大きな試合も、滅多になかったですから。
それでは、この辺で失礼します。池田対明徳は、83年選抜のベストバウトだと思います。
Re: 1983年の横浜商
杜都 /
2016-02-04 12:58:00
No.1332
こんにちは お昼休みに
いえいえ当時の映像はほとんど残っていなく 懐かしい気分で毎回読み返しています。古き良き時代を高校野球ファンにもぜひ知ってもらいたいです。
83年の広島商のことはよく覚えています。前年に準優勝だったメンバーのうち 正路がキャプテンになり3番でサード ショートを守っていた豊田選手が2番 センターの相島選手が1番に抜擢され(彼らは2年生だった時 国体で大活躍し、畠山、水野が打たれて池田が決勝で敗れた時には広島県史上最強の打線だと感じました。私は崇徳を知らないので83年の広島商打線が最強だと思えています。)
さらに4番はファーストの西川選手 5番はライトの欅選手と
上位打線には隙がなく 下位打線はやや弱いですが・・翌年の夏の広島県大会はぶっちぎりの優勝 秋の中国大会では宇部商の145?の秋村投手を簡単に攻略し 宇部商打線はかなり評価が高かったのですが、沖元投手がシャットアウトしたときにはまさに中国では無敵のチームだと感じました。ところが高校野球はそうはいかないのが怪我 それに おっしゃる通り横浜商の森屋捕手の強肩は広島商にとって脅威だと感じました。なにせ相島選手 豊田選手の俊足1、2番が封じられたのが広島商としては痛かったです。
明徳戦は 蔦監督としては山本賢投手が池田打線が嫌うタイプの投手だっただけに先取点を取り水野の剛腕で逃げ切るという展開に持って行きたかったと思います。池田にとってこの勝負がこの選抜大会の天王山だったことは誰の目にも間違いなかったと思えましたが・・・言い方を変えれば (明徳としては) 時の学校 池田に勝って一気に名をあげたかったところだと思います。井上選手はあそこで良くも打てたものです。彼は肝心なところでヒットを打っていましたが、あの緊張した場面でよく打てるものです。そして、水野投手はしたたかでしたね。9回の投球を安心して見ていられました。 決勝戦も 蔦監督は1−0から全然点が動かなかったことで冷や汗をかいていたそうです。池田が前人未到の3連覇をするのではないかと思えたのが、決勝戦で水野が最後の打者を内野フライに打ち取った時でした。(確信したのは夏の大会で中京戦に勝った時ですが…)
しかし 勝負事というものは分からないものです。
Re: 広島商・沖元投手と明徳・山本賢投手
Redfox /
2016-02-04 17:07:00
No.1333
広島商の沖元投手は、結局甲子園で本来の姿を見せることはなかったですね。
夏の初戦は格下の中越に終盤追い上げられて大苦戦。興南戦は先発せず、リリーフ登板でした。ちなみに2試合ともヒット数では負けていました。
沖元投手は多くのファンには水野投手の頭にぶつけた投手として記憶されているのでしょうね。
あのデッドボールで水野投手が本来の投球が出来なくなったという声は多いですが、その前から選抜の時の水野投手にはほど遠かったように思います。
明徳の山本賢投手は安定感が抜群だったですね。83年春、84年春と7試合に登板しましたが、2点取られたのは83年春の池田戦だけでした。
ケガで84年夏の甲子園で登板できなかったのが残念でした。後輩の山本誠投手ががんばりましたが、賢投手がいればもっと勝ち進めたかもしれません。
Re:83年の広島商
ミラクル3 /
2016-02-04 21:19:00
No.1336
こんばんは、杜都さん。
高校野球のページをお読み下さり、ありがとうございます。なんだかんだで、85年を書けていないのがハガいです。
83年の広島商は、打線が強力でしたね。豊田、相島、正路の3選手が1〜3番に並び、4番に巨漢の2年生・西川、5番に左の強打者・欅、6番に4割バッターの捕手・中村と続く打線は、広島県勢では、76年の崇徳に次ぐ打線だったと、今でも思っています。
秋村投手の宇部商を寄せ付けなかった広島商は、83年選抜では、池田に次ぐ優勝候補でした。横浜商戦も、広島商が有利との下馬評でしたが、沖元投手が先発できなかったのは、広島商には痛恨でした。足を封じられたのも、広島商には計算外だったでしょうね。
蔦監督が明徳の山本賢投手を警戒していたのは、秋の練習試合で、8回まで打線が0点に封じられて、9回にやっと1点を取ったからだと思います。試合前に、「この試合は1点で決まる」と言っていたのは、山本賢投手とは相性が悪いと思っていたからでしょうね。
明徳は、池田に勝っていれば、一気に名前を上げられたでしょう。横浜商−明徳の決勝戦は、かなりもつれた試合になっていたと思われますけど。
井上選手は、低めの完全なボール球を右中間に引っ張りましたからね。まさに乾坤一擲の打撃でした。指を怪我をしているにもかかわらず井上選手を起用したのは、そのバッティングを買っていたからだそうです。
水野投手は、安定感抜群でしたね。明徳戦、横浜商戦は、西大立目氏が球審を務めたのですが、その投球に舌を巻いていました。
私は、選抜での池田の戦いぶりで、池田の3連覇を確信しました。ところが、夏の大会に参集した顔ぶれが凄かったので、夏の大会前は、「3連覇は難しいかも」と思いました。
大会前は、箕島、中京、興南が厄介な相手と見ていましたが、大会の途中からPLが最も怖いチームだと感じるようになりました。当時は、勘が働いたんですね。
勝負事というものは分からないと思ったのは、84年の選抜の決勝戦です。岩倉が勝つとは、微塵にも思ってませんでした。
それでは、この辺で失礼します。当時の熱狂ぶりが懐かしです。
Re:安定感では、山本賢投手が」上でしたね
ミラクル3 /
2016-02-04 21:31:00
No.1337
こんばんは、Redfoxさん。
夏の大会前、広島商の沖元投手のことを、朝日新聞は、「沖元は外角にスライダーを決め、逞しくなった」、「広島商は投稿手走のバランスが実にいい」、「心配された投手力が沖元の成長で不安がなくなった」と評したのですが…。
中越戦は、広島商の楽勝と思いました。それが沖元投手の不調で、5−4という接戦になりました。興南戦も、沖元投手が先発していたら負けていたかもしれません。
あのデッドボールは、今でも語り草ですね。とはいえ、水野投手は、高鍋戦を除いて、選抜の出来からは程遠かったですけど。
山本賢投手は、先輩の弘田投手同様、打てそうで打てないピッチャーの典型でした。池田戦の2失点もエラーからでした。エラーがなければ、あのまま完封していたと思います。
84年の夏は、打撃を買われて3番でしたね。山本誠投手との2枚看板だったら、大きく勝ち進んでいたでしょうね。
それでは、この辺で失礼します。沖元投手と山本賢投手は、安定感では、山本賢投手が上でしたね。
Re: 1983年の横浜商
杜都 /
2016-02-04 22:28:00
No.1340
こんばんは Redfox さん 沖元投手は たしかに中越戦はあまりぱっとしませんでした。沖元投手は広島県大会は 外角低めにスライダーを決めてきて凡打の山と鉄壁の守備力で、ほとんどランナーを出さないのですがら… 県大会での失点はわずか5点 防御率は0.83ですから・・・準決勝以降は、毎年もつれる広島県大会があまりもつれなかったのが83年ぐらいです。それだけ広島商の力は傑出していたのだと思います。83年の興南戦は 途中出場の小柄なセカンドの選手(名前は忘れましたが)の一打が効いたと思います。広島商は、興南戦に勝ったのは82年も同じようなに 安打数で下回りながらも競り勝つ野球 コツコツとバントをしたり終盤に思わぬ長打が出たり、スリーバントスクイズを決めたりするのは、何か箕島の野球と似ているとも思えます。(どちらが本家か判りませんが…)こういうチームが最近少なくなたのは残念な気もします。
沖元投手は 学校の先生になり広島工を率いて2012年甲子園に出てきましたし 現在も県立高校で野球部の監督をしているそうです。
山本賢投手は どうしてプロに行かなかったのか?不思議なぐらいいい投手でしたね。山本投手は制球力の恐ろしく良い投手だったと思います。83年の春の池田戦もさることながら、翌年の選抜での福大大濠戦や佐世保実戦では素晴らしい投球を見せていました。そういえば82年の弘田投手も制球力の恐ろしく良い投手だったと思います。
Re: 1983年の横浜商
杜都 /
2016-02-04 23:11:00
No.1341
こんばんは ミラクル3さん
今話題になっている清原選手が 興南の仲田投手の投げる球を1年生の招待試合で見て絶句したのは有名な話です。絶句したというのは凄すぎて絶句したという意味で、のちに橋本清が書いた著書の中でその話は出てきます。
井上選手はここぞという時に 打ってくれますらかね 恐怖の9番バッターとはまさに彼のこと、去年の山口選手もそうでしたが池田はなぜか9番に怖いバッターが座っていますね。中京戦は7番の高橋選手のホームランで決着がついたと思ったのではなく、井上選手の3点目を見て決着がついたと思いました。
私はミラクル3さんと違いPLはあまり怖いと思っていませんでした。正直なところ1年生の投手に池田打線が抑えられる訳がない。というのが正直な感想でした。
83年の夏に一番話題なったのは 池田をどこが倒すか ということでしたが・・・ 友人たちのとの話の中では
池田が負けるとすると 中京が一番手でした。野中投手との投げ合いになって僅差で負けるだろう というのが最も多かったのです。次は箕島でした。箕島の勝負強さは言うまでもないのですが、箕島は尾藤監督が指示を出してくる訳ですから… 三番手は横浜商がそれに続きました。三浦投手の経験を勝ったものと思います。さらに四番手は山本賢投手の明徳に勝った高知商でした。
Re: まさに伝説の夏でした
Redfox /
2016-02-05 18:52:00
No.1342
杜都さん、ミラクル3さん、こんばんは。
83年の興南戦で決勝打を打った小柄な広島商の選手は、立川選手でしたね。ライナーで左中間に運んだ鮮やかな一打でした。
興南は同じような試合展開で広島商に2年連続敗退しました。肝心なところでフォアボールを連発し、痛打されてしまう仲田投手の欠点をつかれました。広島商にとっては、仲田投手のようなタイプは与し易かったのでしょうね。
それにしても、1983年夏は、池田の3季連続優勝の偉業なるかという焦点があって、しかもライバル校が粒ぞろいという本当に素晴らしい大会でした。この大会を見ていなかったら、今まで高校野球ファンをやっていなかったかもしれません。
私が応援していたのは横浜商でしたが、池田の偉業も見たいという気持ちも正直ありました。
私もミラクル3さんと同じで、PLを驚異に感じていました。なにしろ、荒木大輔投手がきっかけで高校野球を見始めたので、それまでPLが甲子園で負けたのを一度も見たことがなく、「PL=強い」が無条件で心の中にすり込まれていたのですね。
なので、当時小学生だった私にしてみれば、PLの前評判の低さが不思議で仕方なかったわけです。
「勝ち続けるチームこそ最強」。そう思っていた私にとって、池田とPLがぶつかるのは、まさに矛と盾でした。もっとも、当時、矛と盾に関する故事は知りませんでしたけど。
それにしても池田−PL戦の衝撃は・・・。あまりの衝撃に、大好きだった横浜商が大勝した第2試合の内容をほとんど覚えていないくらいです。
とにかく、桑田投手のホームランが効きましたね。後年、この試合に関するインタビュー記事を読んで、PLが深い守備位置をとるなど工夫していたことを知りました。
Re:83年夏の顔ぶれは凄かったですね
ミラクル3 /
2016-02-05 22:30:00
No.1346
こんばんは、杜都さん。
沖元投手は、広島大会では出来が良かったのですね。確か、1−0という試合もあったと思います。
沖元投手は、広島大会がピークだったのかもしれません。甲子園に来てから調子を落としたのでしょうね。
82年と83年の興南戦は、如何にも広島商らしい勝ち方でしたね。内容では圧倒されましたが、しぶとく点を取り、投手陣が踏ん張りました。
沖元投手の近況、ありがとうございます。記憶に残る球児が今も活躍中なのは嬉しい話です。
山本投手のその後の活躍は聞きませんでした。それは弘田投手もです。2人とも安定感抜群の投手だったのですが…。
興南とPLは83年の春に招待試合で対戦していて、スコアは、興南の9−8だったと聞きました
清原選手が仲田投手の投げる球に絶句したのですか。中村監督の話では、「誰も打てないなか、清原がツーベースを打った」と言っていたのですが、それだと、清原選手の絶句と9−8というスコアが解せないですね。
山口選手と井上選手は、とても9番バッターとは思えませんでした。2年連続で9番に強打者が居た高校は記憶にないです。
中京戦では、井上選手が大活躍しましたね。3本とも痛烈なヒットでした。
私の場合、PLに対する恐怖心があったのでしょうね。桑田投手の東海大一戦のピッチングを見て、池田打線が打てるか、不安になりました。
なるほど、1位・中京、2位・箕島、3位・横浜商、4位・高知商でしたか。私は、池田が負けるとすれば、箕島の尾藤監督のうまさの前に、3−4くらいのスコアと思っていました。
池田の選手達は、中京を意識していたそうです。高知商のことは、新チーム結成以来、4連勝していたので、飲んでいたようです。
それでは、この辺で失礼します。こうしてみましても、83年夏の顔ぶれは凄かったですね。
Re:もう、あんな大会はないでしょうね
ミラクル3 /
2016-02-05 22:46:00
No.1347
こんばんは、Redfoxさん。
立川選手は、守備要員として途中からの出場でしたね。小柄なバッターということもあり、仲田投手が気を抜いたのかもしれません。しかも、ツーアウト1塁でしたからね。
仲田投手は好投しながらも。四球で不用意にランナーを出し、ストライクを取りに言った球を痛打されるということがプロでも多かったですね。
広島商相手に、四球でランナーをためたら厳しいです。そのランナーを快打で返した広島商はしたたかでした。
83年の夏は、最高の大会だったと思っています。打倒・池田のスローガンのもと、強豪が集結しました。もう、あんな大会はないでしょうね。
池田と横浜商の再戦も見たかったですね。ロースコアの接戦になったことは間違いないです。
中村監督になってから、PLは甲子園で負けてなかったでしたからね。それもあって、PLに恐怖心を抱いていました。
PLは、毎日新聞では、「5年前のチームを彷彿とさせる」と、高い評価を得ていました。ただ、朝日新聞は、大会前は、全くPLを評価していませんでした。それは疑問に思ったものです。
池田−PL戦が矛と盾とは、言い得て妙ですね。どちらかが負ける運命だったわけですか。
私は池田の大敗に大ショックを受け、次の試合を見られませんでした。それでは、高校野球ファン失格ですね。
桑田投手のホームランで、池田ナインの心が折れたように思います。あまりに衝撃的な一発でしたからね。
PLが深い守備位置を取っていたことは知りませんでした。如何にも、中村監督らしい指示ですね。
それでは、この辺で失礼します。83年8月の朝日新聞の縮刷版を読むと面白いですよ。
Re: 1983年の横浜商
杜都 /
2016-02-05 22:56:00
No.1348
こんばんは Redfoxさん どうも盛り上がりだしたので、昔の雑誌とかを探したのですが 報知高校野球の83年版 とアサヒグラフの増刊号を探しましたが ありませんでした。あれをヤフオクで買うと高いです。ということはそれだけ 83年は高校野球が盛り上がった年だったかが分かります。 それにしても豪華絢爛 各地区の代表校の名前がまた凄い。今のように新興勢力ではなく、昔からある強豪高校や地域の代表ともいえる学校がズラリと
立川さんでしたか?ずいぶんと小柄な選手だと思っていました。仲田投手が清原選手が舌を巻くほど凄い球を投げていましたので・・・興南有利だと思っていました。足の速い選手がズラリとそろっていたし、おまけに強力打線 投攻に隙なし という感じでした。興南は報知高校野球も高く評価していたと思います。
それを二年続けて破る広島商も渋いチームではあるとは思います。フォアボールが一番負ける要因だと思います。 これは蔦監督が中京戦の前のインタビューでも言っていました。
私は池田を応援していました。常勝軍団の池田にPLはまず勝てないと、いくらデットボールを受けたとはいえ、水野を打てる訳がないとタカをくくっていました。私も凄い衝撃でした テレビをつけた瞬間 池田が7−0で大勝しているのではないかと思いましたが反対でした。(PL対取手二のときもそうでしたが・・・) 本当に懐かしいですね。
Re: 1983年の横浜商
杜都 /
2016-02-05 23:33:00
No.1350
こんばんはミラクル3さん
沖元投手は甲子園に再び監督としてやってきたというのは何とも嬉しい気がします。
興南とPLは83年の春に大阪遠征をしたときのスコアは3−1とスポニチの記事にはあります。9−8というのはおそらく橋本清の本に書かれている場面ではない場面で清原選手が仲田選手を打った試合だと想像します。
HPを参照ください
橋本清の本には 清原のが次のように回想しています
一年生の最初のころは三年生の投げるボールを見て驚いたね。練習試合で仲田幸司さん(興南)のボールを見たときは衝撃を受けた。
とあります。彼は母親の実家が奈良だったので、天理に行くことが決まりかけていたそうなのですが、PLのスカウトが熱心に毎日来てくれて 練習を見てから天理かPLかを決めることになったそうです。天理は一年生がみんな球拾いをしてたのにPLは一年生でもバッティング練習をしていてそれでPLに決めた。と書かれてあります。
確かに9番でこれだけ怖いバッターがいる高校は 私もあまり記憶にないです。というよりも 当時1番から9番まで全員気の抜けない打者が揃っていた高校は 池田以外にほとんどないでしょう。
中京戦は凄くいい試合でしたね。朝から超満員でした。私も 箕島の尾藤監督のうまさの前に僅差で負けるというのは十分ありうると思っていました。吉井投手と旨みのある打線なら十分考えられます。私はPLが高知商に敗れると思って見ていましたので、中京に勝ったら 高知商に負けたことがないのだから負けるはずがないと思っていました。 中京戦がおそらく事実上の決勝戦だろうと・・・それだけにPL戦の敗戦は何とも受け入れがたいものでした。池田の吉田選手ではないですが、私も高知商に苦戦した1年生投手を打てない訳がないと思っていましたし、PLを退けるとあとは横浜商と宇部商は 横浜が勝つだろうなと思っていましたので 順当に春と同じ池田対横浜商の決勝になるのではと思っていました。確かに83年夏の顔ぶれは豪華絢爛 凄かったですね。
Re: 1983年の横浜商
杜都 /
2016-02-06 21:19:00
No.1352
こんばんは ミラクル3さん
いろいろ探していたら 清原に仲田が打たれた時のことを語っているコラムがありました。
参照ください
5月にPL学園と招待試合のことですから・・・9回に清原が代打で出てきて打たれたと書かれてあります。やはり橋本清が書いている本の中で出てくる試合と 9−8の試合とは別の試合ではと思います。 それにしても中村監督も清原 桑田 仲田がプロに行くことをもうこの時点で見抜いていたのですね。
Re:3−1だったのですか
ミラクル3 /
2016-02-06 23:43:00
No.1355
こんばんは、杜都さん。
報知高校野球の83年版とアサヒグラフの増刊号が高いのは尤もだと思います。83年の夏ほど盛り上がった大会はなかったですからね。出場した高校の顔ぶれだけで興奮しました。
興南−広島商は、朝日新聞も、「広島商は3点以上失うようだと苦しい」と、興南有利と目していました。その勝者との対戦が決まっていた池田の蔦監督も、興南が次の相手と思っていたでしょうね。
橋本清氏の本の記述の紹介、ありがとうございます。橋本清氏の本を読みたくなりました。
9−8というスコアは、第2試合だったのでしょうね。3−1というスコアとお聞きして、合点が行きました。
当時としては、1番から9番まで全員気の抜けない打者が揃っていた高校は池田だけだったですね。特に82年のチームは凄かったです。
池田−中京戦も伝説ですね。朝から超満員のあの熱気は、今でも覚えています。
池田が負けるとすれば、箕島だと思っていました。蔦監督も、箕島のことを嫌がっていましたし。
私は、PL−高知商は、PLが勝つと思っていました。東海大一戦での桑田投手の投球に度肝を抜かれたからです。ですので、第1試合が終わった後での抽選で、池田の相手がPL−高知商の勝者と決まった時に嫌な予感がしたのです。
PLを飲んで掛かっていたのは、吉田選手だと、私も記憶しています。
PLに勝てば、決勝戦の相手は横浜商だと見ていました。こうしてみますと、7−0というスコアは本当に衝撃的だったんですね。
83年の夏ほど、豪華絢爛な面々が揃った大会は記憶にないです。名前と実力が一致しましたし。
9回に清原選手が代打で出てきたのですか。当時は、まだ先発ではなかったのでしょう。中村監督は、まさに慧眼ですね。
それでは、この辺で失礼します。83年夏は、朝日新聞の記者座談会が読ませます。
Re: 1983年の横浜商
杜都 /
2016-02-07 21:20:00
No.1358
こんばんは ミラクル3さん
橋本清氏の本は PL学園OBはなぜプロ野球で成功するのか
というタイトルです。HPを参照ください。
文庫は100円未満で売られています。橋本清氏は文章力もあるし 内容も80年代の高校野球に対して予備知識がある人は非常に楽しめる内容です。
ミラクル3さんに予備知識がどうこう ということを言うのは
ほとんど愚問でしたね・・・(笑)
もともとこのスレッドは横浜商からスタートしたもので、なぜか最後にはPLのほうに引き寄せられてしまったということは
いかに高校野球界においてPLが強大であったことが分かります。
Re:橋本氏の本を買います
ミラクル3 /
2016-02-07 21:47:00
No.1361
こんばんは、杜都さん。
橋本氏の本を買います。読むのは、ちょっと先になりますけど。
橋本氏の高校時代の話は、ゲンダイにちょくちょく掲載されました。興味深い話ばかりでした。
80年代の高校野球は、本当に面白かったですね。その中心がPLでした。
このスレッドがPLに引き寄せられたとは、必然のような気がします。PLは、80年代の高校野球の象徴でしたからね。
それでは、この辺で失礼します。PLの現状が悲しいです。
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私が今まで最も肩入れしたチームは、1983年の横浜商でした。当時福島県の小学生でしたが、横浜商の試合は欠かさず見ていました。
どれほど熱烈に応援していたかは、夏の横浜商−学法石川戦で横浜商を応援していたといえば理解していただけるでしょうか。
春の決勝で池田に負けたときは、あまり悔しくなかったのですよ。当時の池田は無敵でしたし、池田も好きなチームでしたから、負けても仕方ないと割り切りることができました。
しかし、夏の決勝は本当に勝たせたかった。正直勝てる気はしていなかったのですが、それでも勝ってほしかった。
決勝は、3点ともチャンスを逃したその裏にとられました。とくにショートイレギュラーヒットで取られた2点目があまりにも痛かった。セカンドの信賀選手がうまくバックアップしたのですが、打球を処理する際に体勢を崩してバックホームが遅れたのが不運でした。それでもホームは微妙なタイミングでしたが、森屋捕手がボールをこぼしてしまいましたね。
それでも、三浦投手の3度の甲子園ですべてベスト4以上、12勝3敗は立派な記録です。しかも池田とPL以外には負けなかったのですから。
ちなみに、清原選手の甲子園第1号が三浦投手からというのは有名ですが、たしか三浦投手にとっても甲子園で初めて打たれたホームランだったと思います。