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82年の池田が最強という説が地元では
杜都 /
2015-06-01 13:00:00
No.155
こんにちは 暑いですね。 夏と言えばどうしても
四国では 昭和50年代の池田 がどうしても思い出されま
すね
1982年の夏の池田と 83年の春の池田とはよく比較されます
82年の池田には ひとつ不思議だった事があります
ライトを守っている江上がなぜ背番号7 そしてレフトを
守っている水野がなぜ背番号9だったのか? 初めは江上
がレフト 水野がライトを守っていたのか? それとも
蔦監督が間違えて登録してしまったのか?それは今一つ分
かりませんが・・・
さて どちらが強いかということは いろいろな意見があ
ります。
その2
杜都 /
2015-06-01 13:02:00
No.156
やや難があると言われた守備 特に三遊間 も 夏の中京戦
でみせた守備力 中盤で 難しいダブルプレーをショー
トが成功させた 打者は野中 9回には最後の打者のサード
ゴロを緊張する場面でキャプテンが難なく裁いたところか
ら こんな 投攻守がそろったチームはおそらくもう10年
は出ないと確信しました。
しかし・・・ ミラクル3さんが書かれているように
>ただ、2番の金山と8番の松村が昨年度の2番・多田、8番
>木下よりもある程度見劣りした分、昨年のチームの方が打
>線に切れ目がなかったといえよう。
その3
杜都 /
2015-06-01 13:03:00
No.157
とあるように 打線のつながりという点では82年の池田かと
も思います。82年の夏の試合は全試合危なげなく勝ったのに
対して 83年の選抜の明徳戦 打線が湿ってしまいましたし
池田にしては危ない試合だった思います。
確かに82年の池田のほうが打力は上のような気がします。
5試合で85安打 40得点は驚異的ですし
2番と8番の力に加えて1番の窪選手が全試合でヒットを打っ
ていることや 9番の山口選手のお祭り男的なここ一番で
の長打力を買って 82年の池田を最強とする意見は地元では
あります。もちろん83年の1番の坂本選手や9番の井上選手も
引けを優劣つけられない選手であるとは思いますが…
もうひとつは
82年 83年ともにエースと双璧となるような控え投手は存在
しませんでしたが、83年は控え投手がまだ1年だったのに対
して、82年の夏は2年の水野投手が 早実戦に途中で
レフト から投手としてでてきて またレフトに戻ったと
いう記憶があります。
控え投手の力で 82年という説もあります。
禁止文字に引っかかってしまい3つに分けました
長文失礼しました。
Re: 私は、83年派です
ミラクル3 /
2015-06-01 22:01:00
No.163
こんばんは、杜都さん。
今日は東京も暑かったです。紫外線が強かったですね。
私も、1982年の夏の池田と83年の春の池田のどちらが強かったかに興味があります。
私は、83年派です。その最大の理由は、水野投手の方が畠山投手より安定感が上だったからです。
蔦監督が、「畠山は、ファールとかでニューボールになると、その初球は必ずボールになる」と、畠山投手の制球難を嘆いていました。その点、水野投手は、制球には、そんなに不安はありませんでした。
また、杜都さんが書かれているように、82年の池田は、外野守備に不安がありました。82年の夏の大会では破綻はなかったですけど。
打線は、82年の方が上だと思われます。私の記述を引用されて恐縮ですが、83年の打線は、2番と8番が前年のチームより弱かったです。
82年の池田打線も、83年の池田打線も、明徳の山本賢投手のような「打てそうで打てないピッチャー」を苦手としていました。82年の池田打線は、毎試合、山本賢投手と似たタイプの明徳の弘田投手に抑え込まれました。
打撃に関しての個人的な採点では…。
82年 1番・窪:90点
2番・多田・90点
3番・江上・90点
4番・畠山・90点
5番・水野・95点
6番・宮本:85点
7番・山下・85点
8番・木下・85点
9番・山口・90点
※1番の窪選手は旧チームで3番。同じく山口選手は5番を打っていたそうです。
83年 1番・坂本:85点
2番・金山・75点
3番・江上・90点
4番・水野・95点
5番・吉田・90点
6番・山田:85点
7番・高橋・85点
8番・松村・70点
9番・井上・90点
控え投手では、断然、82年の池田の方が上ですね。なんといっても、水野投手が控えでしたから。
83年は、1年生の片山投手が控えでした。広島商戦のあのデッドボールで水野投手が退いていたら、間違いなく逆転されていたでしょう。
地元で、82年の方が上というのは、83年のチームのPL戦での敗戦のイメージが強いからかもしれませんね。
それでは、この辺で失礼します。禁止文字、ご迷惑をお掛けましした。
Re: 安定感と破壊力
杜都 /
2015-06-02 09:05:00
No.164
こんにちは 丁寧なレスありがとうございます
82年の池田 打力 総得点 810点
83年の池田 打力 総得点 765点
ということですね
打力 82年
投手力 83年
守備力 83年
控え投手 82年
というところですか いい勝負をしそうですね
82年の池田の破壊力は83年夏のPL打線にも肩を並
べるとも思いますが…清原がまだ1年でそれほど打力が
なかったとしてもその周りは恐ろしいほど完成された打
者が揃っていましたからね
Re: 安定感と破壊力
杜都 /
2015-06-02 09:07:00
No.165
弘田投手といえば 82年の春の 明徳対箕島の延長戦の
好試合を覚えています。あの時の弘田投手の投球も流石
でしたね 横浜商の三浦投手ほどインパクトはないので
すが キレのあるカーブが印象に残る投手です。低めに
決まるカ−ブと直球のコンビネ−ションで勝負していた
投手だという記憶があります
改めてミラクル3さんの82年夏の大会を読み返すと
日大二戦は苦戦していたのですね。
正直83年の春は明徳戦で負けたと思いました。しかし
この明徳戦を突破すると間違いなく優勝できるとも
思いました。82年は一回戦の静岡戦は快勝だったので
少なくともベスト8までは難なく勝てるとも思いました
そしておそらく今大会の最大の難関は 早実か中京だろう
と しかし
二回戦の日大ニでで苦戦していたとは…
Re: 両者はいい勝負になるでしょうね
ミラクル3 /
2015-06-02 21:42:00
No.166
こんばんは、杜都さん。
こちらこそ、いつもありがとうございます。
総得点では、82年の池田打線の方がけっこう上になるのですね。82年の池田打線は穴になる打者がいませんでしたから、そうなったのでしょう。
私は、83年夏のPL打線が恐ろしかったです。3番・加藤、5番・朝山、7番・小島、8番・桑田、9番。住田と、清原の未完成を補って余りあるメンバーでした。
確かに、両者はいい勝負になるでしょうね。メンバーが重なる対決になりますが、スコアは3−2くらいでしょうか? そんなに大量点は入らないと思います。
弘田投手は、ストレートとカーブを低めに集める好投手で、池田と3回対戦して、0点、0点、2点に封じて、明徳が3連勝しています(池田の0−3、0−1、2−4)。
弘田投手は、82年選抜では、殺人打線と言われた箕島打線を9回まで4安打無失点に抑えました。結局は負けましたけど。
池田は、日大にに大苦戦しました。試合後のインタビューで、蔦監督は大汗を掻いてましたよ。
早実と3度対戦した経験がある日大二ナインは、池田戦後、「池田と早実では、どちらが強いと思う?」の問いに、異口同音に「早実」と答えたそうです。
私も、83年の明徳戦は負けたと思いました。蔦監督も、「負けを覚悟した」と言っていました。井上選手のボール珠を打っての同点3塁打は強烈な一撃でしたね。
私は、池田が早実の最大の敵だと、最初から最後まで思っていました。大勝はしていなかったですけど、各打者の迫力、畠山投手のここぞのピッチングは脅威でした。
それでは、この辺で失礼します。懐かしい話ができて楽しかったです。
夢の対決が
杜都 /
2015-06-03 21:20:00
No.169
こんばんは
対戦したら おっしゃるように3−2 か 2−1で 83年だと思います。
選抜の5試合で水野投手の失点はたったの2点 大社高校戦は2塁さえ踏ませぬ好投で 明徳戦でさえそれほど打たれたという印象はないのです。82年の夏の大会の日大二戦
は見ていませんが 蔦監督が大汗をかいたのは初めて知りました。
某サイトには 夢の対決 が書かれていますが
82年池田 対 83年池田は ありません
ミラクル3さんが取り上げられている
84年PL 対 85年PLも 残念ながらありません
朝日新聞は84年を推しているようですが・・
なんといっても盛り上がっているのが
技と力の対決 79年箕島対83年の池田
先輩後輩対決 85年PL対87年PL
です。コメントとして多いのが 接戦になって箕島が勝つというものでした。
>箕島が強いと言うよりは負けない野球をするので接戦に持ち込んで箕島だと思う。
>池田は強いがもろさもあり
しかし
>粘る箕島、9回に追いつくものの、その裏、池田の江上のさよならホームランで振
>り切り、真紅の優勝旗は四国へ!
という意見もありました。
また85年PLと87年PLは意見が双方に分かれます。
清原の豪快さ 立浪の堅実さ に象徴される パワーで85年 総合力で87年 という意見が最も多く 読んでいて面白いです。立浪 片岡 橋本 野村のPLのほうが強いという意見も結構あります。
>井上選手のボール球を打っての同点3塁打は
明徳の山本賢投手は 前の松村選手をエラーで出してしまった
という悪い流れに 飲み込まれていった感じですね。
蔦監督が 井上選手に送らせずに勝負したことが勝因でしょう。中京戦でも井上選手には期待していたようですね。
こちらこそ 昔の思い出が懐かしくよみがえってきます。
それでは この辺で失礼します。
Re: 私は池田、85年のPL派です
ミラクル3 /
2015-06-03 22:45:00
No.172
こんばんは、杜都さん。
杜都さんも接戦を予想されますか。最後にエラーが出た方が負けるような気がします。
明徳戦の水野投手の被安打は4でした。岐阜一戦と明徳戦の1失点は、ともに自責点でないところが凄いです。しかも、タイムリーヒットによる失点ではありませんでした。」
蔦監督が大汗を掻いたのは、圧勝できる展開だったのが逆転され、田辺投手の連続暴投でようやく同点に追いついた試合だったからでしょう。
流れが変わったのは、4回か5回だったでしょうか、2−0でリードしていた池田がノーアウト1、3塁のチャンスをサードランナーが牽制で刺されてからです。
朝日新聞は、85年にPLが優勝した記事の中で、「パワーでは、抜群の優勝候補と言われた昨年のチームの方が上だった」と書いています。中村監督は、「85年のチームが歴代?1」と言っていますが…。
79年箕島対83年の池田は興味深いですね。チームカラーがあまりにも対照的ですからね。
私は、83年の池田のパワーが箕島の技を上回ると思います。ただ、不用意な四球やエラーのランナーが出したら、箕島に掻き回されてる可能性が考えられます。
85年PLと87年PLは、先発の野村投手が85年のPL打線に打ち込まれると予想します。むろん、橋本投手がリリーフに出るでしょうが、その失点が致命傷になるのではないでしょうか?
松村選手をエラーで出してしまった場面ですが、あれはファーストでアウトだったように見えました。当時は、審判も池田びいきだったですからね。」
蔦監督は、井上選手に全幅の信頼を置いていました。選抜で井上選手が怪我をしたのですが、「控え捕手とではバッティングが違う」と言って、無理を押して井上選手を起用しました。ですから、送るなんて考えは微塵にもなかったでしょうね。
中京戦も、同点の9回に井上選手に、「山田か高橋が出たら、松村で送って、おまえで勝負させるからな」と発破を掛けたそうです。
それでは、この辺で失礼します。こちらこそ、ありがとうございました。当時の朝日新聞の縮刷版を読むと面白いですよ。
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四国では 昭和50年代の池田 がどうしても思い出されま
すね
1982年の夏の池田と 83年の春の池田とはよく比較されます
82年の池田には ひとつ不思議だった事があります
ライトを守っている江上がなぜ背番号7 そしてレフトを
守っている水野がなぜ背番号9だったのか? 初めは江上
がレフト 水野がライトを守っていたのか? それとも
蔦監督が間違えて登録してしまったのか?それは今一つ分
かりませんが・・・
さて どちらが強いかということは いろいろな意見があ
ります。