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美濃加茂高校
杜都 / 2015-06-07 09:06:00 No.178
こんにちは
昨日の阪神 対 日本ハム戦を見ていて思ったのですが
やはり 上本選手は 天才ですね
大谷投手から打ったライト前の渋いヒットをみて そう思いました。両軍ともに恐ろしいほどヒットが出ない投手戦でしたが、こういう選手を持っているチームは強いですね 

この試合 こんなに僅差のロースコアになるとは思いませんでした。守備を鍛えて1点差で競り勝つといえば やはり 箕島高校の野球ではないかと思います。典型的な技の野球は 池田の力の野球と おっしゃるようにチームカラーを異にしていますね

その中で私は 星稜戦や吉田戦とともに もう一つ 思い出深いのが 美濃加茂高校戦です。 美濃加茂高校はまったくの無名でノーマーク おそらく聞いたことがなかったので初出場だと思います。圧倒的に箕島が有利だと思っていましたが 意外なことに・・・2回にスクイズで同点に追いついたときは
すごいなと思いました。 4回に森川さんが2塁打を放って 6回にも追加点を挙げてじりじりと離していき
8回を終わって4−1で勝負あったと思いましたが、8回の裏に反撃2点とって4−3になったときには またもや延長戦かと思いました。

ローカル放送でやっていましたが、若い監督さんが9回の攻撃に 円陣を組み最後の攻撃に選手に望みを託しているところが放映されていました。9回も粘ってランナーを出しましたが 箕島の内野手のうまい守備(おそらくショートかサードがバックハンドで取って遠投 ファーストが掬いあげてアウトだったような?)に阻まれゲームセット  横浜−八重山商工のような感じだったとかすかに記憶しています。やはりここぞというときの守備力や 決定打を打つ力は 流石だな と感じました。 

80年は宮本投手だったと思いますが、このチームも次の横浜戦で敗れましたが十分優勝を狙える力があったチームだと思いました。

美濃加茂はその後はあまり聞かないのですが・・・おそらくですが選手集めをしていないと思われる田舎のこういった学校が活躍すると 一気に盛り上がるので 私は好きな方です。  もともと池田も田舎の弱小校でしたので、蔦監督が率いて46年(私は生まれていない)に登場したときは地元は盛り上がったようです。  
 
  
 
  


 


Re: 美濃加茂戦、覚えています
ミラクル3 / 2015-06-07 21:14:00 No.179
 こんばんは、杜都さん。

 昨日は、犬の世話で阪神対日ハム戦は見られませんでした。

 昨日の試合は、プロでもめったに見られない投手戦だったようですね。

 上本選手のタイムリーは、スポーツニュースで見ました。大谷投手からすれば、阪神で最も嫌なバッターだったでしょうね。

 上本選手は2年の春から3期連続で甲子園に出場し、03年選抜の優勝に大きく貢献しました。

 私は、その選抜よりも、同じ年の夏での活躍が印象に残ってます。朝日新聞にも、「2年生ながら職人の域にある」と書いいました。

 守備を鍛えて1点差で勝つというのは、箕島の真骨頂でした。79年の決勝戦で敗れた池田の岡田主将が監督として甲子園に出場した時、「箕島のうまさにやられた」と言っていたそうです。79年の池田打線も朝日新聞が、「全員が振り切るバッティングをミ身につけている」と評した程の強打戦でした。

 80年の美濃加茂戦は覚えています。美濃加茂の強打に箕島がタジタジになりました。残念ながら最後のシーンは記憶にないですが…。

 80年の美濃加茂打線は左バッターが多かったのに、左腕の宮本投手をよく打ちました。ヒット数では美濃加茂の方が多かったかもしれません

 80年の箕島は、「前年のチームと比較して、投打とも大きく見劣りする」と言われていました。高知商戦の朝日新聞の戦前の予想も、「高知商が意外な大差で勝つかもしれない」と書いていました。

 それでも、尾藤監督はチームにある程度の手応えを感じていたようで、「横浜か高知商に当たれば終わりですが…」と言っていました。

 高知商戦は、スクイズやタイムリーなど硬軟織り交ぜた箕島らしい野球で、5−0で完勝しました。横浜にはさすがに通用しませんでしたが、かなりの力を秘めていたのは確かです。

 地元の選手だけの田舎のチームが活躍すると、地元は盛り上がるでしょうね。今選抜の松山東がそうでした。

 池田の初出場の際の記憶は一切ないです。あんな山あいの町ですから、地元が盛り上がったのはわかります。

 それでは、この辺で失礼します。今日も懐かしいお話、ありがとうございました。

Re: 美濃加茂高校
杜都 / 2015-06-07 23:49:00 No.180
こんばんは 犬を飼っていらっしゃるんですね 犬は孤独をいやしてくれる存在ですから いいですね 私の実家の母親は拾ってきた中型の雑種犬をもう8年以上飼っています。

上本選手は 今日も好走塁を見せていました。走塁が上手くいぶし銀の選手で川相選手とタイプがよく似ているかとも思います。
美濃加茂高校がそんなに打っていたのですか それは知らなかったです。箕島が高知商に勝ったのは 実は私はフロックではなく 順当だと思いました。当時はどうしても箕島のイメージは負けないチーム 相手がどこであろうと僅差で競り勝つ というイメージがありましたので3−2ぐらいで勝つだろうと思っていました。 80年の横浜は強かったですね。監督が初めから優勝宣言をしていましたらね しかし 98年と違い80年のチームは盤石の力を持つチームではなかったらしく、監督が優勝宣言をしたことがチームに発破をかけたらしいのです。
特にトップの安西選手がよい働きをしていましたね





 




Re:80年の横浜高校
ミラクル3 / 2015-06-08 22:47:00 No.181
 こんばんは、杜都さん。日記をお読み下さり、ありがとうございます。

 先週の土曜から犬を飼い始めました。孤独を癒してくれます。

 雑種は長生きするそうですね。私の犬にも長生きして欲しいです。

 職人芸という点では、上本選手と川相選手はタイプが似ていますね。アンチからの側面では、川相選手が最も嫌な選手でした。その川相選手が岡山南で5番・ピッチャーだったのは意外です。

 年末の朝日放送の特番で朝日新聞の記者が、「打力では、箕島より美濃加茂の方が全然上でした」と言っていました。「さすがに、それはない」と思いましたが…。

 当時の箕島のイメージは、どことやっても負けないというイメージでしたね。それが相手には不気味でした。戦力的には上回っていた高知商が箕島に負けたのは、名前負けによるところが大きかったと思います。

 横浜でなければ、しぶと過ぎる箕島に勝てなかったでしょうね。その横浜も安打数で遥かに上回りながら、結果的には辛勝でした。

 渡辺監督の暗示は見事でしたね。80年のチームはヤンチャな面々が揃っていたので、優勝宣言がいい刺激になったのではないでしょうか?で

 安西選手がいきりヒットを打った試合を何度も見ました。まさに、かっこうの1番バッターでしたね。彼もヤンチャでした。

 それでは、この辺で失礼します。私は、98年の横浜よりも、80年の横浜の方が好きです。

Re: 美濃加茂高校
杜都 / 2015-06-09 22:01:00 No.182
こんばんは どうも会社での人間関係に疲れていまして
このサイトへの投稿が心の癒しになっています。

高校野球の話題で 昭和50年代から60年代にかけての話題についていける人は少ないです。 薬の営業マンが訪ねてくるのですが、その人は岩国高校の野球部に所属していて広陵が岩国に負けた時に 同野球部の1年生だった人で、その営業マンは甲子園の出場経験こそないものの、大伴投手とは今でも交流があるらしいです。しかし、昭和50年代のことに関してはほとんど知らないですね。清原 桑田 水野 荒木は知っていましたが 石井 嶋田 野中 江上 小沢は知りませんでした。  

雑種犬は長生きするらしいです。玉ねぎやチョコレートやブドウを食べさせてはいけないらしいです。

川相投手は80年に荒木大輔投手と投げ合っているのを覚えています。あの時は投球内容は荒木投手と互角でしたが、やはり巧さで荒木さんに軍配が上がったかとも思います。

国立と高知商がスコアが5−0に対して美濃加茂は箕島に  5−3と善戦したということで大きく取り上げられただと思います。

渡辺監督は98年のチームには逆に優勝宣言はしていなかったのです。98年のチームは 選抜であれだけ活躍しているのですから 初めから優勝候補に上がっていましたから 監督としては 優勝宣言をするとプレッシャーから実力が発揮できないことを知っていて、控え目な発言をしていました。

監督は 松坂投手の控え投手に 川戸投手のような実績のある投手がいないということから PL戦の後に久保投手を攻略した明徳とは、できれば当りたくないというのが本音だったと思います。

渡辺監督は久保投手を高く評価し、明徳打線を最も警戒していたことを後に著書に書いています。

ではこの辺で失礼します。

  




Re: なんなりと書き込んで下さいね
ミラクル3 / 2015-06-09 22:38:00 No.183
 こんばんは、杜都さん。

 それは大変ですね。過分なお言葉をいただいて、嬉しい限りです。ここへの書き込みが癒しになるのでしたら、なんなりと書き込んで下さい。

 確かに、昭和50年代から60年代にかけての話題についていける人は少ないですね。弟や友人、元同僚は、私と同世代または年配ですでので、石井 嶋田 野中 江上 小沢は余裕で知っています。

 薬の営業マンの人は、今年で28歳でしょうか。元球児であっても、28歳の人は、石井 嶋田 野中 江上 小沢は知らないでしょうね。

 清原 桑田 水野 荒木は、いずれもスーパースターでしたからね。NHKの高校野球の映像フィルムでも、彼らは何度も出てきますし。

 雑種は、両親のいいとこ取りをするんでしょうね。無理に掛け合わた雑種でなければ長生きすると聞きました。

 玉ねぎやチョコレートやブドウに関しては、購入の際に注意されました。特に玉ねぎは厳禁だそうです。

 荒木大輔と川相投手の投げ合いを、大学の入学式を欠席して見ていました。第1試合にPLが登場し、第2試合が箕島−明徳、第3試合が早実−岡山南では、入学式どころの騒ぎではありませんでした。

 早実−岡山南は、早実が3−0で勝ちました。荒木が丁寧なピッチングで、横谷、本間、川相がクリーンアップの岡山南打線を4安打に封じました。

 スコアからしても、美濃加茂は大善戦でした。宮本投手も冷や冷やのピッチングだったです。

 渡辺監督の手綱さばきは抜群ですね。98年のチームは野球エリートばかりでしたので、逆にプレッシャーに弱かったのかもしれません。

 渡辺監督は、試合直後の抽選で準決勝の相手が明徳義塾−関大一の勝者になった時は、明徳義塾が相手だと思い、嫌だったでしょうね。案の定、明徳義塾打線は久保投手を攻略しました。

 準決勝の組み合わせが決まった時は、場内が騒然としました。観衆は、横浜−明徳義塾を予想したんでしょうね。

 渡辺監督が明徳打線を最も警戒していたことは知りませんでした。むしろ寺本投手を警戒していたと思っていました。

 あの横浜の伝説の3日間は、高校野球史に永久に刻まれるでしょうね。ビデオを友人に貸したままです。

 それでは、この辺で失礼します。また大いに語り合いましょう、

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