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背番号2は鬼門?
Cancan / 2015-06-18 22:09:00 No.190
確かに私も俄かに思い出せませんね。

例えば、有名な近鉄バファローズは1は鈴木啓示投手、3は土井正博さんと容易に出てきます。

また、阪急ブレーブスだと1は山口選手〜ウィリアムス選手、3が有名な長池徳士さんは凄く有名です。

けれども2番となると、とんと思い出せません。

意外にも即、背番号2の選手で思い浮かぶのが、大洋ホエールズの中塚政幸さんなんです。オレンジ色のユニフォームがまるで似合っていなかった職人バッター!

Re: 確かに鬼門ですね
ミラクル3 / 2015-06-18 22:57:00 No.191
 こんばんは、Cancanさん。

 日記をお読み下さり、ありがとうございます。

 そうなんですよねぇ。2番の好選手って、日本ではほとんど思い出せません。

 メジャーでは、ジーターの2番が有名です。永久欠番になることが確実視されていますが、2番が永久欠番になると、ヤンキースの一桁の背番号は、全て永久欠番になってしまいます。

 中塚選手は、レフトへの巧打を再三見せました。江尻選手と組んだ左の1、2番は、当時、セ・リーグ随一の1、2番と言われました。

 阪急ブレーブスが消滅したことで、長池選手の3番、福本選手の7番、加藤選手の10番、山田投手の17番が永久欠番でなくなったことが残念です。

 それでは、この辺で失礼します。返信が遅れて、すいませんでした。

Re: 読売だからか!?
Cancan / 2015-06-19 22:29:00 No.192
上の投稿には後半があります。

話は私が大阪へ越した後の出来事。クラスメートが私に言う。

『あの上田でさえ、ただ読○と言うだけでグラブ無償供与されてんだぜ!?許されるのかこんなこと』と彼。

驚いた私はこう答えました。『プロってそもそもそんなもんじゃないの?』。

『違う、違う。阪急の大橋さんや南海の広瀬さんといった一流選手も皆自分でグラブを買っている。不公平と思わんか?』

『まあでも、大手メーカーから無償貸与されている選手など所詮知れたものでは?だって王さんや長島さんも職人さんに特注したグラブを使っているでしょ?』

ただそのクラスメートの話している内容が真実であれば、問題ですね。
上田と大橋さんや広瀬さんの守備力は比較できないほどの差があるのですから。
にもかかわらず、ただ読○というだけでそこまで優遇されるのはおかしいでしょう。

Re:同感ですね
ミラクル3 / 2015-06-19 23:55:00 No.193
 こんばんは、Cancanさん。

 上田でさえグラブを無償供与されていたのですか。その話は本当だと思いますよ。

 やはり読売の選手は恵まれていますね。しかし、その優遇のされ方はおかしいです。

 グラブの無償供与に関しての話は、「さらば桑田、さらば巨人」という本に詳しく書かれています。

 王さんや長島さんは、さすがプロですね。職人さんにバットを特注しているのは、イチローもそうだと思います。

 広瀬選手の守備は見たことがないですが、大橋選手の守備は職人芸だったですね。ダイヤモンドグラブ賞の常連でした。

 上田は、打っても守っても冴えなかったですね。本当に、あれで2番という背番号だったのがナゾです。

 それでは、この辺で失礼します。ユニクなエピソード、ありがとうございました。

Re: 数字のマジック
Cancan / 2015-06-20 21:44:00 No.194
上田が1974年に残した打率266というのがやけに頭にこびり付いています。

少々大袈裟ですが、『266と言えば上田!』と即座に出てきます。同じく1974年では中日の木俣捕手の記録した・322も特徴的で、何かの折に322と見れば木俣さんを連想します。

勿論389の組み合わせでは、ランディ・バース氏を思い出す人も多いでしょう。まあ、数字の語呂はさて措き、・322や・389なら良いですが、『266=上田』はカッコ悪い。しかもあれが自己ベストとは…。

たてかべ和也さんのご不幸は、個人的に非常に残念です。自分の中では本当に大門大吾が消えてしまったかのように思えます。伊達直人と大門とでは直人の方が大分年下なのに、『呼び捨て』が自然に見えました。ああいう間柄ってアニメでも成立させるには、意外と難しいのですよね。

上田が富田さんに一喝された事実が皮肉に見えます(笑)

一方直人がケンを呼ぶ時は『キミ』だったので、描く側も結構気を遣っていることがわかりました。

Re: キャリアハイは打率.266だったのですか
ミラクル3 / 2015-06-20 22:42:00 No.195
 こんばんは、Cancanさん。

 上田のキャリアハイは打率.266だったのですか。なるほど、上田の活躍が記憶に残っていないはずです。
 
 捕手で打率・322とは大したもんですね。私は、木俣氏の歯切れの良い解説が好きです。

 打率・389は驚異的ですね。ピッチャーの質が上がった現在、その記録が破れられることはないでしょう。

 私も、たてかべ和也さんのご不幸は、大門がいなくなったように感じました。本当に素晴らしい声優でした。

 伊達直人と大門とで、直人の方が10歳くらい年下に見えますね。実際には、5歳くらいの違いという設定でしょうけど。

 その『呼び捨て』の関係は、星飛雄馬と伴宙太と同じですね。これも自然に見ました。

 ともに名作アニメである理由には、そういう関係の男達の存在も挙げられると思います。

 上田が富田氏を呼び捨てにしたのは論外です。あんな小物に呼び捨てにされて富田氏も切れたのでしょう。

 言われてみれば、ケンを呼ぶ時は『キミ』ですね。ディティールに拘っていることに、製作者側の意欲を感じます。

 それでは、この辺で失礼します。伊達直人と大門の関係は、友人以上のものがありますね。

Re: 『上田』は『上田』でも…
Cancan / 2015-06-22 22:16:00 No.202
以前に『ビー』⇒『何だ』ネタを書かせて頂きました。実はあれは当初1973年阪神対読売最終戦(読売V9決定試合)を基にしようとしていたのです。つまりこうです。

『ビー』『何だ』『阪神対読売最終戦の結果が判明いたしました』『それで(邪魔くさそうに)、上田は完膚なきまでに打ち込まれたのか?』『ハイっ』

これでは面白くも何ともありません。かといってボス/ミラクル3が『で、高橋一三は打ち込まれたのか?』と訊くのもやや無理がありますよね?

上田二朗(二郎)さんは緊張のあまり力を出し切れなかったように思いました。勿論80年代になってから、体調が悪かったとの話を聞きました。上田さんの投球術はあんなものではありませんでした。

ただ、最後なのだから早めに江夏さんに交代してもらうこともできたはずです。もっとも、江夏さんに任せるにしても長い回は無理で、せいぜい悪い流れを断ち切るくらいだったでしょう。2点先取された時点で交代していれば逆転の可能性もあったと思うのです。

あの試合、私は終始見ていましたが、やっぱり川東のダメダメぶりが頭に焼き付いています(打撃&守備)。『あんな大事な試合に川東なんぞ出して、しかも背番号4なんてカッコいいのを付けている…』と。あれが後年打撃コーチをしていたくらいですから、まさに暗黒時代と言われても仕方ないでしょう。

まあ、仮病を装い国会を欠席して、総理の座を投げ捨てた人物がまことしやかに復帰するのだから、別に阪神だけが特別悪い訳ではありませんが(笑)

Re: 私も見ていました
ミラクル3 / 2015-06-23 22:42:00 No.203
 こんばんは、Cancanさん。

 『ビー』⇒『何だ』は、いろいろと使えますね。ボスのドスの効いた声がいかしていました。

 私も、あの試合は見ていました。ヤクルトファンクラブに入っていたので、何の感慨もありませんでしたが…。
 
 阪神としては、「その前の中日戦で上田二朗投手を、最終戦の読売戦で江夏投手を使っておけば良かった」という声が今もあります。

 有名な名古屋球場の中日−阪神ですが、中日の星野投手がど真ん中に投げてやったのに、田渕選手らがガチガチで全く打てなかったそうです。

 あの0−9の試合は、初めから阪神に勝目はなかったように思います。しかし、川藤選手がそんなすっとこどっこいなプレーをしたとは知りませんでした。

 川藤氏はコーチとしてもダメだったでしょうけど、解説もダメダメです。ただ単なる阪神の応援団ですから。

 安倍の復帰は、まさに悪夢です。今、日本は暗黒時代といえましょう。

 それでは、この辺で失礼します。0−9の試合、高橋一三が勝利した瞬間、一目散にベンチに帰ったのが印象に残っています。

Re: 大事な人を忘れていました
Cancan / 2015-07-02 21:58:00 No.226
背番号2で有名な日本人選手では、広岡達朗氏が居られます。
残念ながら氏の現役時代は見ていません(私自身生まれてはいました)。だから、デレク・ジーター選手に匹敵するかどうかはとても私の口からは言えません。

実は私は子供の頃から山下達郎さんの大ファンで、これまで47回コンサートに行っています。

そんなことはともかく、山下さんと広岡さんではそれぞれ名前(ギヴン・ネーム)の漢字が異なり、前者が『郎』、後者が『朗』です。それをはっきり意識したのは広岡さんの方でした。

勿論、監督としてはよ〜く存知ています。ただ、後年大スポ(東京にいた頃は東スポ)での評論を読んでいると、監督時代のスパルタぶりは意識して取り組んでいた(つまり行き過ぎは承知の上)ようで、何となく憎めなくなってきました。

また、書いている雑誌も笑えます。確か週刊大衆か週刊実話(名前からして皮肉!)でしたからね。

広岡さんの2番を思い出せなかったのは、選手としてより名監督としての方が印象深かったからかもしれません。でも野村克也さんの場合はすぐに19番が出てくるんですよね。

考えてみたら、野村さんは選手としても文句なしのホームラン・バッターでしたから。一方、広岡さんは新人の時しか3割を打てず、『後はどんなに努力してもダメだった。なぜだかいまだにわからない』と自伝で回想しておられました。

Re: 広岡達朗氏がいましたね
ミラクル3 / 2015-07-02 23:54:00 No.228
 こんばんは、Cancanさん。

 背番号2では、広岡達朗氏がいましたね。私も、氏のプレーは見たことがないです。

 さすがにデレク・ジーター選手には及ばないと思われます。デレク・ジーター選手は3000本安打していますし。

 私は音楽に全く疎いですので山下達郎さんについてはコメントできないですが、『郎』と『朗』の違いは結構あるみたいですね。

 西武の監督時代は選手に、「酒を飲むな」と言っていたのですが、自身が痛風になって、田淵選手が、「自分は飲んでいるじゃないか」と怒っていたそうです。

 広岡氏の雑談は、その解説ぶりからしても、面白いのが想像できます。広岡氏の解説は、嫌味、皮肉の金太郎アメでしたからね。

 野村克也氏の19番は、あまりにも有名ですね。南海が消滅したことで、永久欠番そのものがなくなったのが残念です。

 ホームランを打つには素質が第一と聞いたことがあります。それからしますと、広岡氏には素質がなかったのかもしれませんね。

 それでは、この辺で失礼します。私も、広岡氏の自伝を読んだことがあります。

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