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継投は回が変わる時が
杜都 /
2016-05-26 22:08:00
No.2135
こんばんは
9回に 連打で2アウト1・2塁になったとき レフトにいたダルビッシュは投球フォームをしたりして 投げさせてくれ という感じのそぶりを監督に見せていたような気がします。
動画の10:00 あたりからご覧ください。
セカンドの選手が落球 甘井選手のライト前 そして小松選手の三遊間の連打で 完璧に流れは済美です。
そこで当時のダルビッシュが変わっても果たして抑えれたかどうかは分からないですが 若生監督はこうなる前に先手先手を打たないと不味いと思いました。
9回に入る地点ですぐにダルビッシュに交代していればいくらなんでも4点差を逆転されることはなかったでしょう
これは高校野球では良く言われていることですが 大きな試合での終盤の4点差なんてセーフティリードではない というのは相手に流れを渡した後だと思えます。
流れを渡す前に何とかする うまい継投をしたのは
早稲田実対横浜 の決勝戦 愛甲投手から川戸投手
PL対常総学院戦 の決勝戦 野村投手から岩崎投手
広陵対松商学園 の決勝戦 塩崎投手から小土居投手
どれも投手交代は相手に流れを渡してからではなく 渡す
前の 回の変わり目の継投が当たっています。
中田投手(龍谷大平安)は特殊な例と言えるでしょう。
満塁でノーツーから三振を奪える投手は本当に凄いです。
決勝戦に限って言えば継投を失敗したと思うのは
佐賀北 広陵戦ではなく むしろ 中京 日本文理戦です
中京の日本文理戦は正直言って 継投失敗だと思います。
森本投手に変えるのが遅すぎます。高橋選手に打たれたすぐ
直後に森本投手に変えるべきでした。流れが完全に変わった
後に投手を任されても 球場全体は日本文理を応援していてその時のプレッシャーはしんどかったでしょうね。
Re: 継投は回が変わる時が
ミラクル3 /
2016-05-26 23:48:00
No.2137
こんばんは、杜都さん。
確かに、ダルビッシュ投手は投げたがっていましたね。若生監督は、頭が真っ白になっていて、それに気がつかなったのでしょうか?
セカンドの島選手の落球が、東北には痛かったですね。それで生き返った甘井選手がヒットした時点で交代だったように思います。遅くとも小松選手のヒットで、1、2塁になったところで交代でした。もっとも、イニングの途中での交代は難しいものがありますが…。
9回は、左3人が続く打順でしたからね。サイドハンドの真壁投手には鬼門だったですね。
杜都さんが挙げられた3試合は、いずれも絶妙な投手リレーで流れを変えましたね。
中田投手は、あの場面でよく抑えたものです。原田監督は、祈るような気分だったでしょうね。
堂林投手は、明らかに動揺していましたからね。河合選手がファールフライを取れなかったのも、球場の雰囲気に飲まれていたことによると思われます。
それでは、この辺で失礼します。高校野球にセーフティーリードはないですね。
投手の継投は本当に難しいですね
杜都 /
2016-05-27 12:03:00
No.2138
こんにちは ミラクル3さん お昼休みです
どうですかね 私もよくそのあたりは分からないところですが
若生監督としてはダルビッシュを高校でつぶしたくなかったのか?それとも真壁投手に経験を積ませたかったのか? 頭が
真っ白になって気がつかなかったのか? そのあたりの真実は
分からないところです。 若生監督は東北初の紫紺の優勝旗がかかった大一番だっただけにダルビッシュを9回から投入というのも考えたと思います。 ところがせっかく真壁君がここまでいい投球をしているのだから・・・という 若生監督の人の良さが出たような気もします。
2009年の 帝京対九州国際の試合でも 納富投手をかなり引っ張っていましたから。納富投手は7回までいいピッチングをしていましたし その気持ちは分からないでもないのですが…8回裏に入る時点で2点差 しかし 九州国際の選手が勝利へのプレッシャーからエラーが続けて出てしまいます。 三塁手の悪送球とエラーで1・3塁 この時点で完全に流れは帝京に さらに捕手の後逸で1点目 その後も捕手のスクイズを外したあとの牽制球がそれて 同点に これでは流れが悪すぎます。
9回も納富投手がマウンドにいた時点でヤバいと思いました。
もちろん結果論ですが 9回に入った時点 もしくは8回に入った時点(これは少し難しいものがあるかもしれませんが)帝京打線と疲れの見え始めていた納富投手の球威の兼ね合いから 前の試合の樟南高校戦に好投した吉岡投手にスイッチというのもアリだったかな と思います。
横浜−早稲田実の試合は 川戸投手に継投したきっかけが愛甲投手が肩が重く投球練習をしていた川戸投手の球威の方が勝っていたからだ と聞いています。渡辺監督は川戸投手に全面の信頼を置いていたもの交代に繋がったとも思いますが…
帝京は前田監督の継投策はすべて当たっていました。鈴木投手を先発 3回の表にエース平原投入 そして 驚いたのはホームランが出た後 一年生の伊藤拓郎投手をエースに変えて登板させたところです。これには本当に驚きましたが 当たっていました。
Re:投手の交代は、本当に難しいですね
ミラクル3 /
2016-05-27 20:45:00
No.2140
こんばんは、杜都さん。お仕事、お疲れ様でした。
あの時の若生監督の真意はわからないですねぇ。1つ言えるのは、杜都さんが言われますように、若生監督の人の良さが裏目に出たことですね。
私は、ツーアウト1、2塁になった時は居ても立ってもいられなくなり、「ダルビッシュに交代だ」と叫んでいました。
帝京対九州国際では、納富投手がチェンジアップで帝京打線を翻弄していました。ですが、8回裏は、あまりに点の取られ方が悪かったです。しかも、9回表は、ノーアウトからツーベースで出た槙本選手が牽制でアウトになりました。ですので、私も嫌な予感がしました。
吉岡投手と納富投手は、タイプが全く違いましからからね。目先を変える意味でも、交代が妥当だったように思います。
横浜−早実では、愛甲投手が限界でしたね。川戸投手も好投手と聞いていましたが、抑えられると思いませんでした。
前田監督としては、1人のピッチャーでは九州国際打線を抑えられないと読んでいたのでしょうね。それにしましても、1年生の伊藤投手の投入には驚かされました。
それでは、この辺で失礼します。投手の交代は、本当に難しいですね。
Re: 継投は回が変わる時が
杜都 /
2016-05-28 17:13:00
No.2146
こんにちは ねぎらいの言葉ありがとうございます
投球の継投は本当に難しいですね 早めに交代しないとならないのか?今投げている投手と心中するべきなのか?これは経験豊富な監督でさえ失敗しますから
継投失敗だと思ったのは 山ほどあります。愛媛県大会で経験の少ない監督が失敗する例などは珍しくもないのですが…
経験豊富な横浜の渡辺監督でさえ失敗したことがあります( 対 智弁学園戦 )
それだけ継投というのは難しいということだと思います。
柳投手を変えたのが裏目に出ましたが…その後2番手が2アウトを取ったあとに崩れていくとは予想できなかったとも思えます。2番手投手もまずまずの投手だと聞いていましたが…
横浜高校という看板を背負って2年生の投手が9回を投げるのは少し荷が重すぎましたね。
逆に2011年 準決勝第一試合 報徳学園 対 興南戦 は大西投手の交代が遅すぎると思いました。確かに5回にサードの送球エラーから気の毒な失点がありましたが5回の投球を見ていると もう いっぱいいっぱいでしたので 6回に入った時点(遅くても7回に入った時点)で二番手投手(田村投手)
に交代しても良かったと思います。
また好投手が多く存在しているのも難しいですね。2014年の東海大相模 対盛岡大附がそうでしたね。
もちろん試合が終わってからの結果論ですが…
Re:継投は本当に難しいです
ミラクル3 /
2016-05-28 21:21:00
No.2148
こんばんは、杜都さん。こちらこそ、書き込み、ありがとうございます。
継投は本当に難しいです。名将でも失敗した例はあります。84年の取手二戦の箕島がそうでした。杉本投手を同点になったから投入したのですが、うまくいきませんでした。
継投が完璧に決まったのは、87年選抜の帝京戦のPLですね。野村→橋本→岩崎というリレーは見事でした。
智弁学園戦の渡辺監督は、守備のタイムを使い切っていたのも、継投の失敗に繋がったと思います。いずれにしましても、柳投手と心中するには厳しい場面でしたね。
2番手投手は、左腕の斎藤投手だったでしょうか? 最近は、その辺の記録力が落ちてしまいまして…。
大西投手は、興南打線相手に初回から全力投球でしたからね。6回の時点で精神的なスタミナが切れていたように思います。
2014年の東海大相模は、好投手が4人もいましたからね。見ていて、吉田投手や小笠原投手が宝の持ち腐れに思えました。
それでは、この辺で失礼します。私は、結果論ばかりです…。
Re: 2番手投手
杜都 /
2016-05-29 14:30:00
No.2152
こんにちは
私も記憶になかったので調べましたら 二番手は相馬投手という二年の投手です。打順も智弁は三番の青山選手からでした。おまけに智弁は2アウトを取った後凄く粘りました。 三番手が右のサイドスローの向井投手でした。
神奈川県大会は柳ー相馬投手のリレーで勝ち進んできたらしいのですが・・・決勝の桐光学園戦もこのパターンだったので渡辺監督としては 相馬投手でいけるという感じだったのかもしれません。 しかし 智弁打線は一枚上手でした。
2014年の東海大相模は監督さんは投手リレーの失敗で滅茶苦茶に叩かれていました。 一方 実家のある地元(尾三地区)で賞賛されていたのが 2011年の 夏の大会の 関商工戦と東大阪大柏戦それに能代戦 如水館は二番手投手を先発させて 序盤(2回か3回ぐらい)で 浜田投手にスイッチする 野球をあまり知らない人が見ると 何だこれ? という感じですが… 実は当たっているんですね 浜田投手はスタミナにやや心配があってそれを計算した上での選手起用だったらしく しかも三試合連続延長サヨナラ勝ち 冴えない投手交代をする迫田監督にしては当たっていました。
箕島の杉本投手投入の場面は覚えていないのです。こういったケースは珍しいですね なんといっても試合をうまく運ぶのは尾藤監督の真骨頂だと思っていました。投手は2枚看板で制球派の島田 剛球派の杉本でしたかね。
話に聞いたのですが・・・今年の春の兵庫県大会では 明石商が凄いです。吉高投手は健在 それに加えて二番手の投手 山崎投手という投手が凄いのです。報徳学園を兵庫県の決勝戦でシャットアウトしています。ということは全国区で通用する投手が明石商には二人いることになります。これは豪気ですね。
■明石商 8-0 報徳学園
報徳学|000|000|000| = 0
明石商|240|020|00x| = 8
(報)向井、中本 (明)山崎
2016春の近畿大会 一回戦
光泉vs明石商
光泉 000 001 000=1
明石商 014 001 00/=6
吉高投手は5回まで投げています。その後山崎投手以外の投手
に継投
次の 6月4日 智弁学園(奈良)と対戦が実に楽しみですね。
Re:今年の明石商の強さは本物ですね
ミラクル3 /
2016-05-29 21:45:00
No.2156
こんばんは、杜都さん。
2番手は相馬投手でしたか。やはり私の記憶は当てになりませんね。
3番手は、目先を変える意味もあってサイドスローのピッチャーにしたのでしょうね。
智弁学園は、2年生の青山選手が3番・ピッチャーだったと思います。どうにも自信がありませんが。
智弁学園打線に火がついてましたからね。高校野球は、それがあるから怖いです。
門馬監督は、2014年の投手リレー失敗で解雇寸前まで行ったそうです。失敗は仕方がなかったと思いますけど。
如水館の迫田監督は目まぐるしくピッチャーを変えますが、決して勘でやっているわけではないです。野球を知り過ぎていて、策士、策に溺れることが、ままあるのが玉に傷と言えましょう。
杉本の投手の投入は、3−0から3−3に追いつかれて、なおもワンアウト2塁の場面でした。3番の下田選手が杉本投手の剛速球を見事に打ち返しました。
今年の明石商の強さは本物ですね。選抜よりスケールアップしてる感じです。報徳学園も強いチームですから。
明石商と智弁学園は投手戦になりそうですね。本当に楽しみです。
それでは、この辺で失礼します。情報、ありがとうございました。
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9回に 連打で2アウト1・2塁になったとき レフトにいたダルビッシュは投球フォームをしたりして 投げさせてくれ という感じのそぶりを監督に見せていたような気がします。
動画の10:00 あたりからご覧ください。
セカンドの選手が落球 甘井選手のライト前 そして小松選手の三遊間の連打で 完璧に流れは済美です。
そこで当時のダルビッシュが変わっても果たして抑えれたかどうかは分からないですが 若生監督はこうなる前に先手先手を打たないと不味いと思いました。
9回に入る地点ですぐにダルビッシュに交代していればいくらなんでも4点差を逆転されることはなかったでしょう
これは高校野球では良く言われていることですが 大きな試合での終盤の4点差なんてセーフティリードではない というのは相手に流れを渡した後だと思えます。
流れを渡す前に何とかする うまい継投をしたのは
早稲田実対横浜 の決勝戦 愛甲投手から川戸投手
PL対常総学院戦 の決勝戦 野村投手から岩崎投手
広陵対松商学園 の決勝戦 塩崎投手から小土居投手
どれも投手交代は相手に流れを渡してからではなく 渡す
前の 回の変わり目の継投が当たっています。
中田投手(龍谷大平安)は特殊な例と言えるでしょう。
満塁でノーツーから三振を奪える投手は本当に凄いです。
決勝戦に限って言えば継投を失敗したと思うのは
佐賀北 広陵戦ではなく むしろ 中京 日本文理戦です
中京の日本文理戦は正直言って 継投失敗だと思います。
森本投手に変えるのが遅すぎます。高橋選手に打たれたすぐ
直後に森本投手に変えるべきでした。流れが完全に変わった
後に投手を任されても 球場全体は日本文理を応援していてその時のプレッシャーはしんどかったでしょうね。