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二岡兄
杜都 / 2016-06-20 20:50:00 No.2323
こんばんは 
三次高校のことは私もよくわからないです 県が違うので2000年代の後半はもう実家のある広島にはいませんでした
 
三次市といえば野球のうまい子は 三次高校か広陵高校に行くみたいですね 三次市出身と言えば思いつくのは 二岡選手 福原選手  梵選手ですね。
   
二岡智宏選手の兄も選抜甲子園の決勝戦で大活躍しました。セカンドで出場三安打 11:55からご覧ください 9回の表に2アウトからレフト戦にヒットを打っている選手 何か二岡選手(巨人 日ハム)と面影が似ています。そして 二塁に盗塁 広陵にいがちな堅守・巧打・俊足の選手です。最後に下松選手のヒットでホームを踏んだのは二岡兄でした。プロにいかずノンプロ(社会人野球)で活躍して普通のサラリーマンになったようなのですが・・・・
 
広島市内では 高津 二岡 金本ぐらいになったら超一流 と言われていますが プロにいける選手なんてごくわずかだと実感させられました。
 

Re:91年の広陵は、攻守に抜け目なかったですね
ミラクル3 / 2016-06-20 22:14:00 No.2325
 こんばんは、杜都さん。

 二岡選手と福原選手は三次市の出身なのですか。二岡兄弟の弟と福原投手は広陵で同学年で、当時のチームは、甲子園出場が絶対視されていたそうです。ですが、予選で姿を消しました。

 二岡兄弟の兄が91年の選抜の優勝メンバーであることは知っていました。珍しい名前でしたので記憶に残っています。

 顔は忘れてましたが、映像を見て、二岡選手にどことなく似ていると思いました。懐かしい、映像、ありがとうございます。

 91年の選抜で優勝したチームは大型チームではなかったですが、攻守に抜け目なく、実力校の春日部共栄に快勝しました。「こういうチームが優勝するんだな」と思ったものです。

 二岡兄弟の兄は、ノンプロで活躍したのですね。堅実な道を選んで良かったように思います。

 プロに行く選手は、エリート中のエリートですからね。その中での共食いですから、プロの厳しさは別世界です。

 それでは、この辺で失礼します。91年の決勝戦は松商学園を応援していました。

Re: 二岡兄
杜都 / 2016-06-20 23:28:00 No.2327
こんばんは
地元でも94年の広陵は91年に匹敵する戦力だと言われていました。確か二岡選手は三塁手でした。福原忍投手が主戦でしたが確か 新井貴浩のいた広島工(県工)に敗れました。  広島では広島立工もなかなか強いチームが出来上がるので市工と区別して昔から県工ですね。
しかし広島商は広商で 県商とは呼ばれないですね これは昔からの伝統です。広島市立商業もありますが野球部はあまり強くないからでしょう。さて 二岡弟は 高校時代からかなり注目された選手でした。2000年代前半巨人であれだけ活躍されたら本当に 広島としたら取っておけばよかったと思ったでしょうね。江藤の満塁ホームランと二岡智宏のサヨナラホームランで優勝を決めた試合は効きました。

Re:94年のチームでしたか
ミラクル3 / 2016-06-21 21:59:00 No.2330
 こんばんは、杜都さん。

 二岡選手と福原投手のチームは94年のチームでしたか。大型チームを毎年のように作っても、予選を勝てない時期が続きましたね。

 二岡選手は、リリーフもこなしたそうです。超高校級の選手だったことが伝わっていました。

 94年の広陵は、広島工に敗れたのですか。熱い中井監督は号泣したでしょうね。

 県工の名前は、広島工が甲子園に出るようになって知りました。広島市立商業の名前は、聞いたことがあるようなないような感じです。
 
 広島は、母子家庭の二岡選手を大学時代に金銭面でバックアップしていたそうです。それを、読売が広島以上の条件で横取りしたと聞きました。それで地元では、「銭岡」と言われ、嫌われていたらしいです

 その試合は中日戦ですね。二岡選手の全盛期でした。

 それでは、この辺で失礼します。94年の広陵を甲子園で見たかったです。

Re: 二岡選手と山崎選手
杜都 / 2016-06-21 23:41:00 No.2333
こんばんは 二岡は広陵時代は四番か五番でサードでした。そして福原がエースでした。同じ広島の山崎は崇徳時代は一番でショート 二岡(巨人・日ハム)選手と山崎(広島)選手の比較をしてみました。打者としての性格や役割は根本的に違います。打率は山崎選手が2厘上(0.284)なのですが 打点は二岡選手が断然多いのです。長打率は二岡選手がやや上 本塁打は二岡選手がかなり水をあけて上です。しかし山崎選手は三振が少なく併殺も少ない 二塁打・三塁打も多く、犠打や盗塁も多い  山崎選手は典型的1〜2番打者 二岡選手は5〜6番打者というところでしょうか?

Re:相手には、どちらも嫌な選手でしたね
ミラクル3 / 2016-06-22 22:09:00 No.2337
 こんばんは、杜都さん。

 二岡弟は3番か4番と思っていました。福原投手がエースだったことからしても、大型チームだったことが窺えます。

 山崎選手は、プロ入り後にスイッチヒッターに転向しました。それもあって、本塁打が少なかったわけですね。

 山崎選手は、高橋慶彦選手と1、2番を組んでいました。三振と併殺が少ない山崎選手は、相手にとって嫌な2番バッターだったと思われます。

 二岡選手が全盛期の頃は、松井選手や高橋由伸選手らがいましたからね。さすがの二岡選手も中軸ではありませんでした。6番あたりに二岡選手がいると、相手には脅威でしたね。

 それでは、この辺で失礼します。詳しいデータ、ありがとうございました。

Re: 山崎選手
杜都 / 2016-06-23 22:14:00 No.2345
私も高校野球の時の山崎選手は知らないのですが 広島で活躍していたことの山崎選手はよく知っています 覚えているのが83年から85年です。

このころはPL全盛の頃ですが・・・ひそかにプロ野球では山崎選手もかなり 首位打者争いに加入している感じでした。

彼の場合は 三振も併殺も少なく 渋いヒットを野手の前に打つのが得意な選手で、広島市民に日曜日に見に行くと 必ず一回ヒットを打ってくれる選手でした。この頃の彼というのは4打数0安打 とか5打数の0安打 というのはほとんどなく 相手にとっては本当に嫌なバッターだったと思います。

おまけに守備率も高い というので 監督としては使いやすい選手だったとは思います。甲子園で日本一 プロ野球でも日本一という希少な幸運を持っている選手で、おそらく野球人口の中でも頂点の頂点に君臨する選手であるとは思います。イチロー選手でも甲子園での優勝はないですからね。この時代の選手で思いつくのは箕島の嶋田 PLの清原 桑田ぐらいしか思いつかないです 池田の水野選手はプロで優勝がありましたか?

Re:山崎選手は全日本メンバーに選出されました
ミラクル3 / 2016-06-23 23:04:00 No.2348
 こんばんは、杜都さん。

 高校時代の山崎選手は俊足好打のトップバッターで、長打力もありました。3年の夏はチームは3回戦で敗退したのですが、山崎選手は全日本メンバーに選出されました。

 山崎選手の全盛期は、PLの全盛期とほぼ重なっていたと思います。篠塚は、首位打者争いのライバルとして山材選手の名前を挙げていました。

 渋いヒットを打つ選手というのは、ピッチャーにとっては、一発長打の選手より嫌でしょうね。しかも足もあったわけですから、山崎選手はより厄介だったと思います。

 山崎選手は、プロでは外野手に転向しました。外野守備も素晴らしかったですね。

 甲子園で日本一、プロ野球でも日本一というのは、嶋田捕手、清原、桑田、松坂投手ら、ごくわずかですね。そういう選手は、勝運を持っているのでしょうね。

 水野投手はプロではそんなに活躍していないですが、89年、90年などに優勝を経験していると思います。水野投手は、広島商戦のデッドボールが最後まで響きましたね。

 それでは、この辺で失礼します。プロで左打ちにして成功した選手は、本当に凄いと思います。

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