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ゴールデングラブ賞改善点
Cancan / 2015-08-03 15:50:00 No.356
先日大阪偕星の濱口選手による右翼守備が話題になりましたが、考えてみるとプロ野球のゴールデングラブ賞は外野は単に3人が選考されているだけですね。

もし私の勘違いならお詫びしますが、あれはおかしいと思われませんか?

なぜなら、右翼・中堅・左翼とは守備体型(守り方)が微妙に、時には大きく異なってくるはず。

それなのになぜ外野手3人を一括りにするのかわかりません。右翼を右翼で選ぶのに何の不都合があるのでしょう?

もし仮に外野のマルチプレイヤーがいて、その人が年間通して見事な守備を見せれば、特別表彰すればよいと思います。

ところでライオンズですが、連敗が20まで行くとさすがに田邉さんも休養を取らされるでしょう。確かに交流戦で儲けた部分が多々あります。

こんなこと、ソフトバンクの工藤監督や秋山前監督の居られた頃のライオンズでは考えられなかったです。

あっ、でも工藤さんが移籍した時のダイエー(ソフトバンクの前身)は既に常勝球団でしたが、秋山さんが移籍直後のダイエーは連敗が当たり前でしたね(笑) 何と言うか時代の変化を感じずにはいられません。

名門も今は昔。今やホークスが常勝球団で、ライオンズが不安定球団に成り果てています。広岡さんの意見が聞きたいです。

Re: 秋山・工藤がホークスを変えましたね
Redfox / 2015-08-03 21:36:00 No.359
1カ所だけ指摘させて下さい。

>工藤さんが移籍した時のダイエー(ソフトバンクの前身)は既に常勝球団でしたが

工藤が西武ライオンズに移籍したのは1995年でしたが(秋山はその前年の1994年に移籍)、このときはまだ南海時代から続く連続Bクラスの真っ最中で(1996年には生卵事件もありました)、ようやくAクラス入りを果たしたのが1998年のことです(しかもオリックスと同率3位)。
1999年に福岡ダイエーホークスとして初のリーグ優勝・日本一を達成してからは、常にAクラスに入るようになりましたが、21世紀になってからも、度重なるプレーオフでの敗退、2008年には最下位を経験するなど、常勝チームになるまで決して平坦な道のりではありませんでした。

秋山・工藤がライオンズから移籍しなかったら、今のホークスはないでしょうね。秋山は、ホークスに移籍した直後、あまりに弛緩した雰囲気に愕然としたそうですから。

Re: 一カ所ミスがありました
Redfox / 2015-08-03 21:40:00 No.360
すみません。投稿にミスがありました。

×工藤が西武ライオンズに移籍したのは1995年でしたが

 ↓

○工藤が西武ライオンズから福岡ダイエーホークスに移籍したのは1995年でしたが

Re: これは申し訳ありませんでした
Cancan / 2015-08-03 22:17:00 No.361
すみません、記憶が曖昧なままに投稿してしまったようで申し訳ありませんでした。

自分の中では、工藤さん⇒強くなってからのホークス入り、秋山さん⇒Bクラス常連のホークス入りの印象が残っていたのです。

完全に間違った記憶でした。お詫びすると同時に訂正いたします。

両氏のホークス入りがたった1年しか違わなかったのですね。確かに初の日本一になった直後に工藤さんが読売に行ったことを思い出しました。そう…あれは残念な出来事でした。

>秋山は、ホークスに移籍した直後、あまりに弛緩した雰囲気に愕然としたそうですから。

これってどう対応してよいのかわからなかったでしょうね。
工藤さんも含めて。自分は新参者だし、かと言ってその雰囲気に染まっても困りますし…。

とにかく、秋山監督になってからはプレーオフでのジンクスもなくなり安心しました。真面目な話、王会長の時代は呪われているのかと思ったほどです。

Re: レフトはレフトで選ぶべきだと思います
ミラクル3 / 2015-08-03 23:14:00 No.365
 こんばんは、Cancanさん。

 サンフランシスコの青木選手がセンターからレフトにコンバートされた時、「見える光景が全然違う」と言っていました。それを聞いても、外野手3人を一括りにするのは無理があると思います。

 センターは瞬足で守備範囲の広い選手、ライトは強肩の選手、レフトはやや守備に難のなる選手というのが、私のイメージです。

 さすがに20連敗なら休養でしょうね。ワンマンの堤オーナーだったら、12連敗でも休養させられていたかもしれません。

 全盛期のライオンズは、投打にバランスが取れていましたからね。今のライオンズは打撃への比重が高すぎます。

 秋山選手と工藤投手の移籍は1年違いでしたか。2人とも全盛期は過ぎていましたが、それなりに活躍したのは流石でした。

 秋山選手は、監督になっても凄い身体能力を維持したままだったそうです。打撃練習でポンポンスタンドに入れていたと聞きました。

 工藤投手が読売に行ったのは、私も残念に思いました。むろん、「打たれろ!」と思って見ていました。

 王会長の時代は、初期は暗黒時代、後期はプレーオフで勝てない時代でした。「王監督は勝運がない人だな」と思いましたが、2006年のWBCで、そのジンクスを打ち破りましたね。

 それでは、この辺で失礼します。それにしても、今年もホークスは強いですね。

Re: 私も、そう思います
ミラクル3 / 2015-08-03 23:19:00 No.366
 こんばんは、Redfoxさん。

>秋山・工藤がライオンズから移籍しなかったら、今のホークスはないでしょうね

 私も、そう思います。彼らの修羅場をくぐった経験がホークスの選手に活きたんでしょうね。秋山選手は、ホークスの選手の負け癖に驚いたと思われます。

 工藤投手は、城島捕手を育てました。城島捕手なくしては、2000年代にプレーオフにすら行けなかったかもしれません。

 それでは、この辺で失礼します。ホークスは、内川選手を4番にしたのが良かったと思います。

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