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阪神3連発
杜都 /
2017-05-03 11:14:00
No.3693
こんにちは 知る人ぞ知る 阪神三連発 あれは確か85年の4月だったと思います。 改めて見てみました。
槇原から打った バース 掛布 岡田のホームランは
どれも改めてみると ほぼ同じようなところに(センターのバックスクリーン)に打っています。よくも三人連続あの位置に打ったと思います。まぁ?あの槇原投手からよく あそこに打ったものです。
バースは初球だったと思います。外角低めのストレートかと思います。バースはオープンスタンスをとっているので 槇原は完全に内側狙いだと思って外角に投げたのだと思いますが、バースは手が長いということを槇原は知らなかったのでしょうかね。バースはオープンスタンスで構えても外角まで届くということを知っておくべきだったですね。
掛布選手は初球は内角に落ちるカーブ 二球目は 外角へのストレート ここで多くの阪神ファンは、うちごろのストレートを見逃して どうしたんや! と思ったに違いないのですが・・・ 掛布は冷静でしたね 三球目を狙っていましたね 内角へのストレート(前の球が外角だったので次は内角高め)を読んでいたのか?若干差し込まれていますが・・・どんぴしゃで反応していますね。 これができるのは流石 四番の神業です。
次の岡田は阪神ファンの怒涛の応援に槇原投手は完全に押されてしまっていましたが・・・ 前の二本がバックスクリーンだったので、岡田はバックスクリーンを狙っていたのでしょうか?しかし、あそこに打てと云われても、打てないとは思いますが 前の二人がストレートで本塁打なので おそらく初球はボールになるカーブで入ってくるとは思っていたとは思います。決め球は何で来るか?その読みの範疇には槇原が向きにな決め球をストレートで投げてくる可能性もあると岡田は心のどこかで思っていたのかも知れません。
しかし、その前に勝負はつきました。岡田は、槇原が投げた甘く入った外角真ん中のスライダーを見逃しませんでした。
あのスライダーがもう少し低めのボール球で岡田選手が空振りだったら・・槇原投手にぐっと優位になり三連発はなかったかもしれません。神のいたずらかなにか あの三連発が85年の阪神の大躍進の起爆剤となったといっても過言ではないかと思います。
言っては悪いのですが 1980年代前半ごろの阪神はお世辞にも強い球団とは思えなかったです。 広島や山口などの西日本では PL学園のほうが強いと多くの同級生も信じていました。桑田、清原、立浪、橋本、片岡が全部阪神に入たら数年後優勝するかもしれないと思っていましたが…大阪を舞台としたホームドラマふたりっこの中でも 手塚里美が (ドラマの中で)『掛布がホームランをいくら打っても阪神が20世紀中には優勝することなんかあらへん』と(おそらく脚本家いた人が言わせたのではないかと思いますが・・・)断言していました。手塚さんではないですが、私もそう思っていました。
Re:リアルタイムで見ました
ミラクル3 /
2017-05-03 22:31:00
No.3696
こんばんは、杜都さん。
バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発はリアルタイムで見ました。結果的には、岡田選手のホームランが決勝点になりました。
打って相手といい、打った場所といい、奇跡だと思います。
バース選手の一打は逆転スリーランでした。初球かどうかは覚えていないですけど。
バース選手は2年前から在籍していて、槙原投手も、バース選手が外角に強いことを知っていたはずです。あのボールは制球ミスだと思われます。
掛布選手の一打は狙い打ちでしたね。85年は掛布選手が例の4人衆の中では最も成績が悪かったのですから、如何に阪神打線が凄かったかがわかります。
岡田選手のホームランは、槙原投手の動揺をついたものだったですね。魅入られたように甘いスライダーが来ました。
あの三連発を抜きに、阪神の快進撃を語れません。その前日も、河埜選手の信じられない落球で阪神が勝っています
80年代前半も、阪神の暗黒時代でした。それだけに、82年に甲子園で江川に連勝記録を止められた試合で暴動が起こったのもわかります。
西日本で阪神がそこまで言われていたとは知りませんでした。東京は阪神命のファンがほとんどいませんから、そうまでは言われてませんでしたが。
ホームドラマで、そんなセリフがあったのですか。その脚本家は、案外、阪神ファンかもしれませんね。
それでは、この辺で失礼します。当時のプロ野球の熱さは、今の比ではなかったですね。
Re: 脚本家は大石静
杜都 /
2017-05-03 23:26:00
No.3699
こんばんは 丁寧に返信ありがとうございます
槙原投手は知っていたのですか?私は 知らなかったんだと思っていました。当時のバースは最強打者でしたね というのは穴が全くないですね。オープンスタンスで 外角に強いということは…内角も外角もいける そしてバースはライト方向に大きいのを打つばかりではなく、左方向に流すのも上手く本当に嫌な打者でした。ホームランや打点ばかりではなく打率も高いとなると、完全に防ぎようがないとはまさに このことでしょうね。
脚本家は大石静 東京生まれ東京育ちですので阪神ファンとは考えにくいです。ただ、舞台を大阪に設定している 大阪の天下茶屋周辺の人々が中心でしたので、おのずと周辺の人のほとんど人が阪神ファンだったという設定だったと思います。ドラマ自体も最後に掛布が友情出演していることから、ドラマは地盤沈下する阪神地区の経済を盛りたてようという意図もあったのではないかと、テレビの平均視聴率は当時は最高の29%を記録しましたし、大阪地区では平均視聴率44%という驚異的な数字を打ち立てました。もちろん双子姉妹の人気もありましたが、やはりドラマを展開していく上で、85年の阪神21年ぶりの優勝は欠かせない存在だったかと・・脚本家は野球に詳しい大阪の人の意見を聞いて そういうセリフを選んだものだと思われます。当然そのあと対抗する当時役柄上夫役をやっていた段田安則氏は 阪神が20世紀中に何回か優勝するだろう という意図の発言をドラマの中で言って対抗していましたが、本当にその通りとなりました。
当時は西日本(特に広島県)アンチ大阪(野球はパワーより技という)という意見が多く、阪神の荒い野球に否定的な意見を持つ輩が多く存在したからのことだと思います。
また、山口県は例の85年の夏の大会で宇部商がPL学園に惜負したということもあり 大阪のチームに対する対抗心はもっとも強かったと思われますし、もしPL>阪神なら
宇部商=阪神または宇部商>阪神 という図式も成り立ちますから そういう意見が相次いだものとも思われます。
いくらバース掛布岡田が打っても、結局は投手力や守備力が優れたチームが最後には勝つ という意見が多かったのですが結果は反対でしたね。
Re: 85年の阪神打線は伝説ですね
ミラクル3 /
2017-05-04 21:49:00
No.3702
こんばんは、杜都さん。
槙原が投手がバース選手の強打ぶりを知っていたいうのは、私の推測です。ですけど、85年4月の時点では、まだ普通の強打者としての認識だったと思います。
バース選手は、まさに手のつけられないバッターでした。「バース、かっ飛ばせ、バース。ライトへレフトへホームラン」の応援歌からしましても、如何に広角に打っていたかがわかります。
しかも、打率も高かったですからね。これほどの助っ人は今後も出現しないでしょう。
脚本家は、舞台となる場所に取材も綿密に行うと思いますので、阪神ファンが多いことを前提にしたドラマにしたのでしょうね。
アンチNHKが多い大阪地区での44%という視聴率は驚異的ですね。舞台や時代が大阪の人の琴線に触れたわけですか。
阪神は1985年に優勝しましたが、それが20世紀最後の優勝になりました。「20世紀中に何回か優勝するだろう」は、1回が正解になったわけですね。
「野球は技」というのは、広島商の野球と通底しますね。広島県人らしい捉え方だと思います。
なるほど。宇部商がPLに負けた怨念もあるわけですか。当時は、そうした結果を引きずったものでした。
85年の阪神優勝が狂熱だったのは、「野球は投手力や守備力よりも打力」というのを阪神打線が具現したからでしたね。もし85年の優勝が投手力での優勝なら、あそこまでの熱狂にならなかったではないでしょうか?
それでは、この辺で失礼します。85年の阪神打線は、もはや完全に伝説ですね。
Re: カーネルサンダーズが
杜都 /
2017-05-04 23:03:00
No.3705
こんばんは
バースは、左打者でおおよそバッターボックスのホームベースから離れた位置に立っていましたが、実はそれは内角攻めを嫌ってのことだと思いました。バースを攻略するには 左投手がバースの外角低めに逃げていくような変化球で仕留めるというのが思い浮かぶのですが・・ところがバースは手が長いために、レフト前におっつけて左方向にヒットを打つ技術も持っていましたし、そうなるとちょっと手がつけれない打者ということになりますね。要するに穴がほとんどない
>「20世紀中に何回か優勝するだろう」は、1回が正解になっ
> たわけですね。
85年の優勝が最後だったですね。ある意味 手塚さんが言ったことは当たっていましたね。 川底に沈められたカーネル人形の呪いという説もあるのですが・・・・・
(動画参照ください)
阪神が86年以降まったく勝てなくなってしまい、87年は立浪たちのPLより弱いと結構言われていました。 阪神球団の名誉のために 関西ではあまり言われていないのですが・・・実は私の周りの人たちは立浪さんたちのほうが強い と言っていました。87年の阪神の勝率は0.31 一方PL学園は甲子園で11勝0敗 投手が3人いて打者も超高校級が4、5人いる 守備もいい 実際のところ 架空の対戦をしてみると冗談抜きで、PLのほうが勝ったかもしれませんね 阪神は87年から91年までは、毎年ほとんど最下位 そして95年から01年までは阪神は毎年最下位 これだけ弱いと呪いの説が、単なる迷信ではなく、何か悪い力が働いていると考えるのが、大阪の人たちで、川から引き揚げてどこか由緒ある神社かなにかで清めてもらうしかない と言われていたのですが… 2009年に道頓堀川で見つかったようですね
Re:カーネル人形は見つかったのですか
ミラクル3 /
2017-05-05 23:52:00
No.3708
こんばんは、杜都さん。
バース選手は内角の速球が打てないのでメジャーでは通じなかったようです。ただ、日本の投手には、ほとんど差し込まれることはなかったと思います。
バース選手は、外角のボールをうまく流し打つ技術も持っていました。広島の大野投手が、「投げるところがない」と言っていたのを聞いたことがあります。
川底に沈められたカーネル人形の呪いですか。その後の成績からしましても迷信とは思えないです。
カーネル人形は、2009年に道頓堀川で見つかったのですか。それは知りませんでした。
87年から阪神の暗黒時代が始まりました。87年のPLがスーパーチームだったことも、そう言われた要因だったですね。超高校級の選手が投打に何人もいるというチームは他に記憶にないです。
それでは、この辺で失礼します。まだしばらく阪神は優勝できないと思います。
Re: 阪神 vs PL
杜都 /
2017-05-06 12:39:00
No.3709
こんにちは 180mぐらい河口で見つかったようですが 24年もの間川底にいたため胴体は半分になっていて 元の形とはほど遠い形になっていたようです。私は迷信とかそういった非科学的なものは 信じないほうなのですが・・・阪神の低迷というよりも 阪神のドラフトの引きの悪さには何か見えない力(カーネル人形の力)が働いているのではないかと思ってはいました。
さて、85年の阪神打と85年のPL学園が対戦すると 桑田一人で はすごくしんどいでしょうね というより桑田が打ち込まれると その時点で勝負がはあったと思います。 ところが、87年の阪神と87年のPL これはちょっと地元では大きな声では出せない話題かと思いますが…大阪にいる人でさえ 阪神はPLに負けると(心のどこかでは)思っていると思います。 87年の阪神は投手力が弱すぎます。キーオ 仲田 池田が主戦投手ですが・・防御率が悪すぎるのと、中継ぎ 抑えも 言っては失礼ですが・・・立浪たちに、打ち込まれるような気がしてきます。バースに2本打たれたとしても PLが(冗談抜きで) 勝つような気がします。
Re: 人形の呪いは怖いです
ミラクル3 /
2017-05-06 22:17:00
No.3711
こんばんは、杜都さん。
カーネル人形は河口で見つかったのですか。24年間も川底にいたので、変わり果てた姿になっていたのですね。
人形を粗末にすると良くないことが起こると言われますからね。阪神の低迷、ドラフトでの引きの悪さは、カーネル人形の怨念だったのかもしれません。ちなみに、私は迷信は信じる方です。
85年の阪神打線には、桑田投手でも通じなかったでしょうね。85年の阪神打線は異常でした。
87年は、PLも強かったですが、阪神が弱かったですからね。打線は85年時の迫力は全く失せていましたし、投手陣も脆弱でした。
それでは、この辺で失礼します。大阪の人も、暗黒時代の阪神を卑下していたのですね。
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槇原から打った バース 掛布 岡田のホームランは
どれも改めてみると ほぼ同じようなところに(センターのバックスクリーン)に打っています。よくも三人連続あの位置に打ったと思います。まぁ?あの槇原投手からよく あそこに打ったものです。
バースは初球だったと思います。外角低めのストレートかと思います。バースはオープンスタンスをとっているので 槇原は完全に内側狙いだと思って外角に投げたのだと思いますが、バースは手が長いということを槇原は知らなかったのでしょうかね。バースはオープンスタンスで構えても外角まで届くということを知っておくべきだったですね。
掛布選手は初球は内角に落ちるカーブ 二球目は 外角へのストレート ここで多くの阪神ファンは、うちごろのストレートを見逃して どうしたんや! と思ったに違いないのですが・・・ 掛布は冷静でしたね 三球目を狙っていましたね 内角へのストレート(前の球が外角だったので次は内角高め)を読んでいたのか?若干差し込まれていますが・・・どんぴしゃで反応していますね。 これができるのは流石 四番の神業です。
次の岡田は阪神ファンの怒涛の応援に槇原投手は完全に押されてしまっていましたが・・・ 前の二本がバックスクリーンだったので、岡田はバックスクリーンを狙っていたのでしょうか?しかし、あそこに打てと云われても、打てないとは思いますが 前の二人がストレートで本塁打なので おそらく初球はボールになるカーブで入ってくるとは思っていたとは思います。決め球は何で来るか?その読みの範疇には槇原が向きにな決め球をストレートで投げてくる可能性もあると岡田は心のどこかで思っていたのかも知れません。
しかし、その前に勝負はつきました。岡田は、槇原が投げた甘く入った外角真ん中のスライダーを見逃しませんでした。
あのスライダーがもう少し低めのボール球で岡田選手が空振りだったら・・槇原投手にぐっと優位になり三連発はなかったかもしれません。神のいたずらかなにか あの三連発が85年の阪神の大躍進の起爆剤となったといっても過言ではないかと思います。
言っては悪いのですが 1980年代前半ごろの阪神はお世辞にも強い球団とは思えなかったです。 広島や山口などの西日本では PL学園のほうが強いと多くの同級生も信じていました。桑田、清原、立浪、橋本、片岡が全部阪神に入たら数年後優勝するかもしれないと思っていましたが…大阪を舞台としたホームドラマふたりっこの中でも 手塚里美が (ドラマの中で)『掛布がホームランをいくら打っても阪神が20世紀中には優勝することなんかあらへん』と(おそらく脚本家いた人が言わせたのではないかと思いますが・・・)断言していました。手塚さんではないですが、私もそう思っていました。