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中田勝負弱いです
杜都 /
2017-05-10 21:08:00
No.3725
こんばんは 中田廉 は良いピッチングをしているときもあるのですが・・・阪神戦といいヤクルト戦といい勝負弱いです。左投手がいないので中田や今村には広島首脳陣が期待しているのですが・・・高校野球で活躍した2008年組み2009年組みが活躍してもらわないと広島も台所事情が楽ではないです。阪神は守備が弱いとRedfoxさんが書かれていますが 広島は中継ぎ抑えがいまひとつですね。地方のテレビ解説をしているパームボールの小林誠二投手や津田投手ような感じの投手がいないといけないですね
Re: 勝負弱いとプロでは厳しですね
ミラクル3 /
2017-05-10 22:57:00
No.3726
こんばんは、杜都さん。
勝負強いか弱いかは、プロで生きていけるかどうかの重要な要素ですからね。中田廉投手は、甲子園でも勝負強くなかったように記憶しています。
中田廉投手は2008年組、今村投手は2009年組ですよね。今村投手の選抜での老獪なピッチングからしますと、プロでは今一つ物足りない気がします。
どのチームにもアキレス腱があります。広島の場合は、左の中継ぎの不在ですね。
小林誠二投手は地方で解説をしているのですか。パームボールを決め球にクローザーを務めていたのを覚えているファンも少なったなったでしょうね。
それでは、この辺で失礼します。広島は、主力投手が戻ってからが勝負ですね。
Re:阪神の二番打者
杜都 /
2017-05-10 23:35:00
No.3727
こんばんは 中田で思い出したのですが 阪神の仲田(沖縄 興南出身)もあまり勝負強くはなかったですね。 見習ってもらっては困るのですが・・・素材はなかなか良いものを持っていて 中田廉投手にはかなり期待しているので是非とも中継ぎの主力投手としての一角を担ってもらいたいのです。
そういえば阪神の仲田のいた時代に、2番打者で巧い人がいましたね。バントやエンドランの小技ができる人です。阪神重量打線の中では異彩を放っていて、真弓と彼に出塁されたら3番からの重量打線が来れば大量点につながってしまうとかなり警戒されていた選手です。外野手だったと記憶しています。名前はちょっと出てこないですが・・ 高校野球で活躍した選手ではなかったと思いますのであまり名前に記憶がないです。
サイト に書かれてある北村という選手ではなかったように思います。
Re: 北村選手だと思います
ミラクル3 /
2017-05-11 21:39:00
No.3728
こんばんは、杜都さん。
仲田投手の勝負弱さは如何ともしがたかったです。2年の夏は2安打4失点で、3年の夏は4安打4失点で、ともに広島商に負けました。もっとも四球が絡んでの失点がほとんどでしたので、自業自得な面はありました。
中田投手は中継ぎとして生きていくしかないのでしょうか? 先発としては球種が少ないですからね。
その阪神の2番打者は北村選手だと思います。北村選手はセンターで、どちらかと言うと守備の人だった感があります。
北村選手は高校野球で活躍した選手ではなかったように記憶しています。もしそうでしたら記憶に刻まれているはずですので。
それでは、この辺で失礼します。優勝チームには、いい2番バッターがいることが多いですね。
Re: 中村監督は見抜いていました
杜都 /
2017-05-12 14:30:00
No.3729
こんにちは 興南の仲田選手は高校時代にPL学園の清原選手と面識があるみたいです。橋本清氏のPL学園の卒業生はなぜプロで成功するか という本の中に、清原が 仲田さんは すごいボールを投げていた と振り返っています。清原にしてそう言わしめるので 83年の興南は優勝候補の一角であったことには間違いないと思います。その後 阪神に入団する仲田は92年にはエース格になるのですが 高校時代からの勝負弱さはプロに行っても引きずっていましたね
そういえば
仲田選手がこんなことを振り返っています。
>ちょうど僕が高校3年、清原、桑田が高校1年。
>だから2コ下なんですけど、あの二人が入学してすぐの5月に>PL学園と招待試合があったんですよ。
>その当時の監督が中村さんで「ちょっとおいで」って言われ
>て、「1年にいい選手がふたり入ってん。清原と桑田。このふ>たりは絶対プロに行く。仲田くんもプロに行くやろうから、
>ふたりがプロに入った時には面倒見たってくれや」と。
>「あぁ分かりました」言うたらふたりが挨拶に来たんです。
中村監督は、仲田 清原 桑田がプロに行くことを早々に見抜いていた感じですが・・・清原は阪神に行くと中村監督も思っていたのかもしれませんね。
清原の父親が阪神の帽子をかぶっていたのを見たことがありますので 自分も中村監督ではないですが てっきり清原は阪神に行くのだと思っていました。
Re:そのエピソードも伝説じみていますね
ミラクル3 /
2017-05-12 23:02:00
No.3731
こんばんは、杜都さん。
83年5月にPLと興南が練習試合をしたことは知っています。PLの3年生が誰も仲田投手を打てないなか、清原選手が代打でツーベースを打ったと聞いたことがあります。
当時の興南は、「負ける要素はどこもない」、「沖縄県史上、最強のチーム」と言われていました。実際、練習試合で池田に5−0で勝っています。それでも優勝候補の5番手か6番手だったことに、83年夏のレベルの高さを感じます。
そんなエピソードがあったのですか。中村監督の慧眼、恐るべしですね。
清原選手の父親は阪神ファンなのですか。私も、清原選手も阪神ファンだとばかり思っていました。清原選手がFAで阪神に入団していたら、人生が変わっていたでしょうねぇ。
それでは、この辺で失礼します。そのエピソードも伝説じみていますね。
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