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1986年の拓大紅陵
Redfox /
2017-05-18 22:08:00
No.3744
ミラクル3さん、こんばんは。
1986年の拓大紅陵はかなりの強力チームでした。東の拓大紅陵、西の天理が横綱の位置づけだったと記憶しています。
両チームとも選抜では当然優勝候補にあげられました。初戦はともに強い勝ち方をしましたが、2戦目で天理は尾道商に惜敗、拓大紅陵は新湊に逆転負けを喫しました。
天理は、夏は強さを見せて優勝しましたが(もっともエースの本橋投手は肘痛にも関わらず無理をしたことで投手生命を絶たれたようですが)、拓大紅陵は夏も実力の半分も出せないままでした。
東洋大姫路戦の0−1での敗戦は、春に天理が尾道商に負けたのを彷彿とさせるものでしたね。この試合、7回でしたか、同点の走者がライトの好返球で刺された場面がありました。あの本塁アウトで、拓大紅陵の敗退を確信しました。
拓大紅陵のキャッチャーは、野村ヤクルトのリードオフマンだった飯田哲也選手ですね。プロでは足と肩を買われて外野手に転向し、大成功しました。
東洋大姫路の2枚看板は、元メジャーリーガーの長谷川滋利投手と、元阪神の嶋尾康史投手。嶋尾投手は、プロでは大成しませんでしたが、引退後は俳優に転向したようですね。
Re:1986年の拓大紅陵は、部史上最強のチームでした
ミラクル3 /
2017-05-18 23:08:00
No.3746
こんばんは、Redfoxさん。日記をお読み下さり、ありがとうございます。
1986年の拓大紅陵は、部史上最強のチームでした。予選の決勝戦の印旛戦を見ましたが、まさに圧勝でした。
1986年の拓大紅陵は、個々のメンバーが充実していました。小柄ながら安定感抜群の木村投手、好捕手の飯田、うるさいトップバッターの谷、元ロッテの4番・佐藤、左のスラッガー・谷田部ら個々のメンバーでは、西の横綱・天理以上だったと思います。
選抜では結果を残せなかった両チームでしたが、夏は、東西の横綱に挙げられました。
拓大紅陵は49番目に登場したことで、チームの調整に狂いを生じた感がありました。それが東洋大姫路戦での負けに繋がったと思います。
同点の走者がライトの好返球で刺された場面は7回裏です。ワンアウト満塁で、5番に入っていた2年生の網野選手がライト前ヒットを打ったのですが…。
8回裏にツーアウト2塁で、東洋大姫路ベンチは、逆転のランナーを出すのを覚悟で、トップの谷選手への敬遠を指示し、それが成功しました。2番は小枝監督の甥っ子でした。
飯田選手は、選抜では5番、夏は7番を打っていました。そこに拓大紅陵の厚みを感じます。
東洋大姫路の2枚看板は強力でした。長谷川投手が続投なら捉えていたと思うのですが…。
島尾投手は俳優に転向したのですか。それは知りませんでした。
それでは、この辺で失礼します。拓大紅陵の黄金期は短ったですね。
Re: 1986年の拓大紅陵
あすなろ /
2017-05-20 23:09:00
No.3753
その世代の西の横綱天理は強かったですよ。負けたのは選抜の尾道商業と後一回負けたのみ秋、春の近畿大会も優勝してます。エースの本橋は夏は肘痛に苦しましたが春はストレートカーブとも切れ味抜群でした。打線も北浦、山下和、中村の中軸を始め強打のチームでした。その当時の映像があまりないので残念ですが現天理高校監督の中村良二の佐伯鶴城戦のセンターライナーがフェンス直撃になるようなすさまじい打球など強いチームでした。実際夏の選手権で本橋以下満身創痍の状態ながら全国制覇します。まとまりのあったいいチームだったと思います。
Re: 贔屓目があるからでしょうね
ミラクル3 /
2017-05-21 22:10:00
No.3755
こんばんは、あすなろさん。
1986年の天理は強かったですねぇ。拓大紅陵の方がやや上かなと思ったのは贔屓目があるからでしょうね。
尾道商に負けたのは、唯一負ける展開に持ち込まれたからでしたね。高校野球は、それがあるから怖いです。
1986年の天理は、年間で2敗しかしていないのですか。驚異的な勝率ですね。
ドラフト1位の中村選手が5番だったことに、天理打線の厚みを感じました。中村選手が左投げ右打ちだったことが印象に残っています。
確かに、当時の映像はあまり見掛けませんね。前年のPLのインパクトが強すぎたからでしょうか。
それまでの天理は投手力にやや難があるチームが多かったですが、86年の天理は投打のバランスが素晴らしかったですね。控えに緑川投手もいましたし。
それでは、この辺で失礼します。中村監督が甲子園に戻ってきたら話題になるでしょうね。
Re: 1986年の拓大紅陵
こば /
2017-05-22 22:24:00
No.3760
オールドファンの皆さまこんばんは。
当時の拓大紅陵は今でいう大阪桐蔭や横浜・日大三のようなわかりやすいパワーチームとは異なり、何ってものはないんだけどチームとして洗練された優勝候補でしたね。
小枝監督って言うのがまた曲者で(笑)。
これからの関東地区は拓大紅陵が引っ張っていくのかな、と思ったくらいでした。
センバツ初戦で洲本高校を7−0で下した時の報知高校野球の記事が今でもはっきり記憶に残っています。
報知の記者コメント「決して凄さは感じさせないが、9回終わってみれば圧勝している、往年の横綱大鵬を思わせる強さ」だったかと思います。
関東大会では技巧派のレッテルだった167cmの木村投手が甲子園ではかなり速い球を投げるピッチャーに変わっていました。
敗れた洲本の選手が「内角に食い込む、凄い球を投げるピッチャーだった」のコメントが記憶にあります。
その中でも、面白くて今でも記憶に残っているのが洲本の中軸、メガネの真奥選手のコメント
「(飯田捕手のホームランについいて)あのホームランはマグレだと思った。木村?まあまあの投手や。」(ちなみに真奥選手は木村投手に4打数0安打)
昔の報知高校野球は記者の主観バリバリの面白い雑誌でした。記者のある意味もご意見番的なところもあって。いつの日からか、結果と選手・監督をそのまま掲載するだけのつまらない雑誌になってしまいましたね。
誰かが「主観は載せるな」とでもクレームつけたんでしょうか。
そういえば、享栄の剛腕近藤に1安打15三振を喫した唐津西高校の戦略に対して
「高めの真っすぐを狙っていけ(おそらく選手の誰かがそういったんでしょう)」は”唐津西の指示には理解に苦しむ。速球投手の近藤に対して、三振をとってくださいと言っているようなもの」と記者がコメントしたら、その記事を見た唐津西の監督(吉丸という監督で、後の佐賀北の百崎監督が師と仰いでいる方)から、わざわざ報知新聞社に抗議の電話があったとか。
Re: 報知高校野球
ミラクル3 /
2017-05-23 22:42:00
No.3763
こんばんは、こばさん。
確かに、当時の拓大紅陵はパワーを前面に押し出すチームではなかったですね。ですが、スマートな野球をするチームでした。
小枝監督が曲者なのは良く知っています。甥っ子を9番から2番に上げたことなどに、それを垣間見ました。
報知の記者コメントは流石ですね。新湊戦も完勝ペースでしたが、木村投手のフィルダースチョイスから流れが変わってしまいました。
木村投手は、夏はもっと球威が増しました。千葉予選決勝の印旛戦の木村投手のピッチングと打線の充実ぶりを見て、甲子園での優勝を確信したのですが…。
真奥選手のコメントは面白いコメントを残しているのですね。今ではバッシングものですが、当時はそれが許されました。
昔の報知高校野球は読み応えがありましたね。大会後の記者座談会なども載っていて、記者の個性もよくわかりました。
報知高校野球がつまらない雑誌になったのは、いつからでしょうか? 選抜出場校の採点をしなくなってから確実につまらなくなりました。
「主観は載せるな」とクレームが入ったものと思われます。それも時代なのでしょうか?
唐津西高校の監督が抗議するほど、当時の報知高校野球の筆致は鋭かったのですね。そういう気概がある記者は絶滅してしまったのでしょうか?
それでは、この辺で失礼します。報知高校野球の売り上げは落ちているものと思われます。
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1986年の拓大紅陵はかなりの強力チームでした。東の拓大紅陵、西の天理が横綱の位置づけだったと記憶しています。
両チームとも選抜では当然優勝候補にあげられました。初戦はともに強い勝ち方をしましたが、2戦目で天理は尾道商に惜敗、拓大紅陵は新湊に逆転負けを喫しました。
天理は、夏は強さを見せて優勝しましたが(もっともエースの本橋投手は肘痛にも関わらず無理をしたことで投手生命を絶たれたようですが)、拓大紅陵は夏も実力の半分も出せないままでした。
東洋大姫路戦の0−1での敗戦は、春に天理が尾道商に負けたのを彷彿とさせるものでしたね。この試合、7回でしたか、同点の走者がライトの好返球で刺された場面がありました。あの本塁アウトで、拓大紅陵の敗退を確信しました。
拓大紅陵のキャッチャーは、野村ヤクルトのリードオフマンだった飯田哲也選手ですね。プロでは足と肩を買われて外野手に転向し、大成功しました。
東洋大姫路の2枚看板は、元メジャーリーガーの長谷川滋利投手と、元阪神の嶋尾康史投手。嶋尾投手は、プロでは大成しませんでしたが、引退後は俳優に転向したようですね。