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池田対PL
東洋松本 / 2017-05-23 21:49:00 No.3762
ミラクル3さん、はじめまして。。
まず、とても楽しくまた詳細な高校野球の記事をアップして頂き大変感謝いたします。私もミラクル3さんと同世代であり、また元高校球児です。ミラクル3さんの記事は詳細な上に文章校正もすばらしく、何度読んでも飽きません。

高校野球を長年見てきた中で、1983年の夏の選手権が強豪校の多さと、タレントの質量の充実ぶり、また史上初の夏春夏3連覇が掛かった池田が優勝候補筆頭だったという事で史上最も熱い大会だったというのは全くもって同感です。そして心から池田の3連覇を望んでおりましたし、対抗する優勝候補6つの内、全て大好きな高校でしたから、もし池田が負けるとしてもここならいいか!とも思っていました。私の予想では池田を倒すのは戦力、甲子園での勝負強さ、そして尾藤采配を持つ箕島ではないかと思っていました。まして当時自宅でとっていた朝日新聞の優勝予想では(縮刷版は保管しています)にはミラクル3さんが記事で書かれておられる通りで全く眼中にありませんでした。それがまさか大っ嫌いなPLにしてやられるとは・・・

ただ、後になって思えば池田はPLに負けるべくして負けたのだとよく思います。なぜなら圧倒的な優勝候補でありながら県大会の1回戦で負けた私の高校時代の敗戦と状況が酷似していたからです。

?対戦相手は遥かに格下と思っており全く眼中になく、その先の強豪の事しか考えていなかった。
?ブルペンで非常に調子が良かったのに、大会本部の手違いで試合会氏が大幅に送れ、肩が冷えてしまった。これは水野がデッドボールというアクシデントに見舞われたのと似ていると感じます。
?2週間前の練習試合で滅多打ちした相手の2年生の投手に、一世一代のピッチングをされた。
?先制点を取られた事が県内でなかったのに先に点を取られ打線が焦って早打ちを繰り返した。特に序盤の再三のチャンスを併殺などでつぶした。

特に?が全てではないでしょうか?水野が「高知商業は何度も対戦しているから、やったことないチーム(PL)の方がいい」というのは負けることなど微塵も思っていない証拠ですし、吉田の「高知商業に打たれた1年坊主を打てないはずがない。」というのも慢心以外の何物でもありません。

PLは確かに強打でしたが、高知商業が完敗していたならば池田もここまで油断しなかったであろうと思います。

ミラクル3さんは「最もショックだった試合」と言われますが、私もまったく全くお同じ思いです。

Re: 貴重なお話、ありがとうございます「
ミラクル3 / 2017-05-23 23:24:00 No.3765
 こんばんは、東洋松本さん。初めまして。

 有難いお言葉をいただきまして嬉しく思います。元高校球児の方にそう言っていただきまして光栄です。

 1983年の夏は、高校野球のページでも書きましたが、もはや伝説の大会ですね。池田を頂点に名前のある強豪と多士済々のタレントが揃い、これ以上ない盛り上がりを見せました。

 当時の池田の人気は凄まじかったですね。私も含めて家族全員が池田の3連覇を望んでいました。

 池田を倒すとすれば、私も箕島だと思っていました。4年前の決勝戦で負けたことで、蔦監督が尾藤監督を嫌がっていましたし、しぶとさでは箕島の方が上でしたので。

 当時の1回戦の抽選はテレビ朝日が放送していまして、その番組に出ていた朝日の記者2人が、「今大会は7校が大きくリードしている」と言い合っていました。

 その発言通り、朝日はPLを歯牙にも掛けていませんで、所沢商戦の予想記事でも、「PLが上回っているのは、甲子園での実績と応援だけ」と書いていましたし。

 ですが、所沢商戦での桑田投手の切れのあるピッチングと終盤に猛攻を見せた打線を見て、「PL、恐るべし」と思い、それからPLをマークするようになりました。

 東洋松本さんは、圧倒的な優勝候補の高校のエースででいらしたのですか。草野球もいいところの私からすれば、雲の上の存在でいらしたのですね。

 ?〜?を読みましたが、まさに強豪が格下に負けるパターンですね。

 池田ナインも決勝戦の横浜商のことしか考えていなかったでしょうし、水野投手はデッドボールで決め球のシュートが投げられなくなっていました。また、打線が2回に4点を先行されたことで完全に焦ってしまい、3つの併殺という悪循環に陥ってしまいました。

 練習試合で滅多打ちにした2年生に一世一代のピッチングをされたのですか。高校野球は、それがあるから怖いですね。話は逸れますが、岩倉の山口投手のPL戦でのピッチングは一世一代のピッチングでしたね。

 池田ナインは高知商に4連勝していましたから、高知商を完全に格下に見ていました。その高知商に1点差でやっと逃げ切ったPLに負けるはずはないと思ったのは無理もないですが、それが敗戦に繋がったのですね。

 確かに、PLが10−1とかで高知商に勝っていたら、池田はもっと気を引き締めていたでしょう。高知商の善戦が池田には徒となったのですね。

 池田−PLは、まさに「最もショックだった試合」でした。最も好きなチームが最も嫌いなチームに、あり得ない試合展開で負けたのですから…。

 東洋松本さんも、「最もショックだった試合」が池田−PLなのですね。衝撃的な試合でしたからねぇ。

 それでは、この辺で失礼します。貴重なお話、ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。

Re: 池田対PL
杜都 / 2017-05-24 22:50:00 No.3770
 こんばんは 横レス失礼します。 私も池田を倒す可能性が最も強いのは 箕島 か 中京 だと思っていました。興南も沖縄史上最強のチームいう名前がとどろき、可能性があるとすればその3校のうちどこかだろうとは思っていました。前年 池田と早実が東西の横綱だったのに対して 83年は 池田を中心に 続くのが箕島 中京 興南 そして 横浜商 高知商 広島商 という構図でしたが・・そのうち、横浜商と高知商と広島商は、過去の対戦成績から、まずないと思っていました。

PL学園と池田が決まった時に PL学園のエースが1年で四番が1年と聞いた時には、まず一番初めに思ったのは、PLの1年生は お気の毒です。でした。水野 江上に1本ずつ打たれたとしも7点未満に抑えられば上出来だと・・・思っていました。そして水野からいくらなんでも5点もとれないんじゃない というのが感想でした。

おっしゃる通り 高知商がPLにぼろ負けしていたならば まだ試合結果は分からなかったかとも思います。

Re: 池田対PL(つづき)
杜都 / 2017-05-25 12:45:00 No.3771
 こんにちは 東洋松本さん ミラクル3さん つい懐かしくなってしまいました。当時 水野投手は、宿舎でPL対高知商の試合を眺めていて そこにテレビ局のインタビューアーが来て水野投手にインタビューしたときの映像が テレビで放映されていましたね 水野投手は
『高知商業とは何回も試合しているからおもっしょうない、やってない所とやりたい』とコメントしていました。

Re: PL打線が脅威でした
ミラクル3 / 2017-05-25 22:41:00 No.3774
 こんばんは、杜都さん。

 当時は、大会前に朝日新聞が各校の監督に優勝候補のアンケートを取っていたのですが(3校を挙げてもらう形式でした)、蔦監督は、箕島、中京、興南を挙げたと思われます。

 私は、箕島が打倒池田の最有力校だと思っていました。池田は箕島と相性が悪い感じがしていましたので。

 私も、横浜商、広島商、高知商は、打倒池田の可能性は低いと見ていました。

 池田は、3回戦で興南と広島商の勝者と対戦することが決まっていましたが、蔦監督は、広島商が勝って、「そりゃ、広島商の方がやりやすいわな」と、ホッとしていたそうです。

 池田とPLの対戦が決まった時は、嫌な予感がしたんです。PL打線が波に乗っていましたし、何より、それまで中村監督が甲子園で無敗だったことが不気味だったのです。それでも、池田が5−3くらいで勝つと思っていました。

 こうしてみますと、PL−高知商は重要な試合だったのですね。けっこう調子の良かった津野投手を滅多打ちにしたPL打線に恐怖を感じました。

 その水野投手のインタビューを後で見ました。後から見ますと、上から目線での物言いで、油断が感じられます。

 それでは、この辺で失礼します。池田−PLの結果は、しばらく受け入れられませんでした。

Re: 準決勝の組み合わせが
杜都 / 2017-05-25 23:15:00 No.3775
 こんばんは 中村監督のPLが無敗だったのは知りませんでした。しかし いくらPLの無敗神話があろうとも まさか池田には勝てないだろう というのがおおよその見方だったと思います。そして多くのファンやマスコミは池田が中京に勝った後 大会三連覇を確信したものと思います。自分は、PLがそれほど強いチームだとは思っていませんでした。おそらく決勝は 池田 対 横浜商となり5−2ぐらいで池田の優勝かと思っていました。 仮に 準決勝が池田と久留米商対岐阜第一の勝者との対戦が決まっていたら、久留米商―池田 横浜商対PLという対戦になっていれば試合結果はまた違ったものになっていたかもしれませんね 水野投手が決勝戦までに少しは休めるからです。しかし、いずれにしても桑田 清原たちが甲子園で注目されるのは時間の問題だったとは思います。中村監督もそれを見越して 興南の仲田君を呼んで 君もプロに行くんだろうから・・プロにいったらこの二人を一つ頼むよ と言ったのだと思います。

Re: 杞憂に終わりませんでした
ミラクル3 / 2017-05-26 22:42:00 No.3777
 こんばんは、杜都さん。

 中村監督は、81年の春と82年の春にともに5連勝で、83年夏は、高知商戦まで4連勝でしたので、池田戦は、14連無敗で迎えた一戦でした。

 私は中村監督の無敗神話もあって、PLを恐れていたのです。それが杞憂に終わることを願っていたのですが…。

 朝日新聞の予想記事でも、「池田が圧倒的に有利」でした。また、日刊スポーツも、中京に勝った翌日の一面は、「池田、大旗見えた」でした。

 もし池田−横浜商の決勝戦でしたら、三浦投手に疲労がありましたから、池田打線が三浦投手を打ち込んだでしょうね。

 私は、準決勝の抽選の際、池田の相手が久留米商対岐阜第一の勝者にならないかと願っていました。PL−高知商の勝者が相手と決まった瞬間、嫌な予感がしました。PLが高知商に勝つと確信していましたので。

 久留米商―池田、横浜商対PLという対戦になっていれば高校野球の歴史は変わっていたでしょうね。その辺に抽選のアヤを感じます。

 中村監督の慧眼は恐るべしですね。夏の予選前に、そんなことを頼んでいたというのですから。

 それでは、この辺で失礼します。桑田投手は、所沢商戦ですでに140?を超えるボールを投げていたそうです。

Re: 池田対PL
杜都 / 2017-05-26 23:43:00 No.3779
こんばんは やっぱりそうでしたか… 池田が圧倒的に有利だと朝日新聞も予想していたのですね 日刊はそんなことまで書いたのですか・・・実際に久留米商―池田、横浜商対PLという対戦になれば、池田は久留米商には勝ったとは思いますがはたしてPLか横浜商の勝者に勝てたかどうかは わからないところです。ただ、水野投手は受けたデッドボールの影響から回復する可能性もかなりありますので その点で大差で負けたということはないとは思います。本当ですね。中村監督は、興南の仲田投手に清原たちを頼むよ といったのは 大会前の5月の練習試合のときでしたからその時清原や桑田は入部してまだ1ヵ月あまりですからね しかし、桑田投手は所沢商戦でもうそんな投球をしていたのですね。一年生なのに凄いことです。もし仮に水野、江上らの池田が前人未踏の大会三連覇をなしていたならば・・・・四国はさらに盛り上がったとも思えます。

やっぱり中村監督は(くやしいけど)スゴい
東洋松本 / 2017-05-27 20:45:00 No.3781
杜都さん、はじめまして。東洋松本と申します。今後ともよろしくお願い致します。
私はミラクル3さんの「高校野球マニアのページ」に感銘を受け、「そのお返しに」ではないですが、あのページにない少々ローカルな話題について紹介させて頂こうか思ったのですが、やっぱりこの話題は尽きませんね。杜都さんとミラクル3さんの新たな書き込みに知らないことを教えて頂きありがとうございます。

池田の敗戦は日本中、一人を除いて誰も想像していなかったのだと思います。確かに組み合わせが変わっていれば結果もまた変わっていたのかもしれませんが、それでも勝てなかったのは、さすがの蔦監督でさえ「ちょっと楽したい。」というエアポケットに入ってしまったのではないかと思っています。

大会前に池田ナインの慢心を不安視していた朝日でさえも、中京戦後に池田絶対有利と書いたにも関わらず、日本中でただ一人、「これは好機」と思ったのがPLの中村監督ではなかったでしょうか。

「相手の慢心こそ勝機」
「相手の慢心がなければ到底勝ち目はない」

桶狭間で今川義元を破った信長と中村監督とが重なって仕方ありません。

Re:水野投手のアクシデントが今でも惜しまれます
ミラクル3 / 2017-05-27 22:37:00 No.3786
 こんばんは、杜都さん。

 朝日は、「PLは水野から相当点を取らないとならない」と書いていました。日刊スポーツの記事がちょっと書き過ぎな感がしまして、嫌な予感がしたものです。

 山田投手が故障していましたので、池田は久留米商に勝ったでしょうけど、横浜商−PLは予想がつかないですね。

 池田と横浜商−PLの勝者が決勝戦だった場合は、勝敗は、水野投手の回復具合いだいだったでしょうね。

 中村監督は、入学2か月で2人の才能を見抜いていたのですね。実力があっても1年生は使わないというPLの不文律に背いてまでも2人を抜擢したのですから、よほどの才能だったのでしょう。

 好投手揃いの83年夏の大会において、桑田投手は、宇部商の秋村投手に次いで速い球を投げていたそうです。私は、大きなカーブの方に脅威を感じていましたが。

 3連覇を達成していたら、永遠の語り草になっていたでしょうね。水野投手のアクシデントが今でも惜しまれます。

 それでは、この辺で失礼します。83年の朝日新聞の縮刷版は読ませます。

Re:PL監督は、敵として不気味でした
ミラクル3 / 2017-05-27 22:49:00 No.3787
 こんばんは、東洋松本さん。

 本当にこの話題は尽きませんね。朝日新聞で、「池田、なぜ敗れたか」という特集記事が組まれましたし。

 準決勝の組み合わせが違っていたら、歴史も変わっていたでしょうね。また池田−PLでも、初回に吉田選手の打球がセンターに抜けていたか、2回が小島選手の三振で終わっていたら、展開が全く変わったいたと思います。

 蔦監督も、PLは与しやしと思っていたのですね。そういう油断は本当に怖いです。

 高知商戦後の中村監督の勝利インタビューを聞いていて、「これは期するものがあるな」と思いました。

 なるほど。信長と中村監督ですか。言われてみれば、まさにそんな感じです。戦前は、大大名と小大名のような書かれ方でしたし。

 それでは、この辺で失礼します。池田戦は、中村監督の重いい通りの試合展開だったですね。

Re:83年の構図
杜都 / 2017-05-28 15:47:00 No.3791
 こんばんは 東洋松本さん こちらこそよろしくお願いいたします。当時の、戦力は新聞や雑誌の情報からは
池田が横綱 箕島と中京が大関  興南 横浜商が関脇  高知商 広島商 が小結 という感じで あとは全部 前頭以下という認識でした。
おおよそ投手力の良い大会でしたが 池田の打力を封じれる投手はいないと感じていました。

ほかに注目されるのが山田投手擁する久留米商  香田投手擁する 佐世保工 秋山投手擁する宇部商 選抜活躍した岐阜第一と双子の投手で話題になった東海大第一 
さらに仙台商にも好投手がいたと思います。私はPLは名前さえ上がっていなかったと思います。

選抜に帝京が池田と接戦を演じるのではないかと思っていた人もいたと思いますが・・・池田の投打にねじ伏せられてしまったので、まずPLが池田に勝つというのは
考えられなかったです。大方のファンは 83年のPL学は 1年生が主力投手 そして4番になれるのだから弱い と変な納得のさせ方をしていたかと思います。
少なくとも榎田投手のいた前年のPLよりも弱いとみなすファンが多かったのは確かだと思います。 池田を破るとすれば箕島の吉井投手が好投して接戦に持ち込んで
技と力で競り勝つという感じかなと思っていました。

Re: 池田籤運悪すぎです
杜都 / 2017-05-28 18:44:00 No.3792
こんばんは ミラクル3さん
私もその試合は ライブで見ていました。 PLの投手が1年生が先発すると聞いて お気の毒に と思いました。 初回の攻撃で 江上 水野がヒットを放った時 5回までで5点は覚悟しないとならないな と思ったのです。現にに桑田も『江上さん、水野さんの打球、見たことのない強烈な当たりだった。まっすぐをいきなりコンコーンって打たれて、次のバッターにもいい当たりをされたんです。もしあれが抜けていたら、おそらく初回でガタガタッと崩れていたでしょうね。』と後述しています。

仮にあそこで3点取られていたら試合は一方的になった可能性もあります。水野投手がシュートを投げなくても 中京戦のようなかわすピッチングをすればPL打線が不発にということもあり得たかもしれませんが・・・水野投手は打たれたら向きになったのか、自慢のストレートがどんどん真ん中に集まって行った感じです。 2回 確かに解説の山下さん(星稜高校監督)の言うとおり 球が走っていませんでしたね 桑田にホームランを打たれる前の 背番号12の選手に打たれた右中間の当たりは 本来の水野投手の球のキレなら ライトフライでしたね 

そして桑田にホームランが飛びたすわけですが、2ストライクノーボールから、内角高め目のボールだったように思います。そのあと PL学園が たたみかける攻撃をしていくのです。本来の水野投手の投球内容ですと そう簡単にはつかまらないです。 水野投手は一回戦の太田工戦でも先制点を許していますが その後の投球が素晴らしかしく味方打線がすぐに援護したので楽勝でしたし 次の高鍋戦も予想通りの圧勝 三回戦は蔦監督の予想通り初めて骨のある相手でしたが、それも順当勝ち そして準々決勝は天下分け目の大決戦に快勝 ここまで来て 優勝できないわけがないというのがおおよその見方でした。

池田にとって運が悪かったのは、エースにアクシデントがあったばかりではなく 中京 PLと次々と強豪校に当たってしまったことです。池田の相手は1,2回戦が楽すぎたために3回戦から高い山がどんどん押し寄せてきましたが、江上さんを責めるわけではないのですが、籤運の悪さは本当に気の毒で できることなら準々決勝が高知商 準決勝が横浜商 そして決勝はPLと中京の勝者だと優勝できたかもしれないです。 

Re:そんな構図でしたね
ミラクル3 / 2017-05-28 21:04:00 No.3794
 こんばんは、杜都さん。横レス、失礼します。

 83年の夏の大会は、そんな構図でしたね。もっとも、朝日新聞は横浜商の方を中京より評価していました。私は、中京の方が紙一重上だと思っていましたけど。

 PLの名前を挙げていたのは、「5年前のチームを彷彿とさせる」とした毎日新聞くらいでした。

 前田監督は、選抜で池田に大敗したのが相当ショックだったようですね。その後、池田詣でをして、蔦監督に師事したくらいですから。

 82年の榎田投手のPLは、投攻守に一分の隙もありませんでした。PLは怖かったですけど、そのチームには及ばないと思っていたのですが。

 箕島は接戦に強いので、池田に勝つとすれば、その展開でしたね。ただ、吉井投手が甲子園で不調でした。

 それでは、この辺で失礼します。83年の上位陣の充実ぶりは史上最高ではないでしょうか?

Re:籤運もないと優勝できないんですね
ミラクル3 / 2017-05-28 21:18:00 No.3795
 こんばんは、杜都さん。

 池田−PLは土曜の試合でしたね。11時試合開始でしたが、朝から落ち着きませんでした。

 吉田選手のピッチャー返しの一打を桑田選手が取った話ですね。桑田投手の守備力からすれば驚きことではないことは後年わかったことですが、打った瞬間、抜けたと思いました。

 桑田投手も、「あの打球がセンター前ヒットだったら逆のスコアになった可能性がありますよ」と振り返っています。ワンプレーの重みを感じますね。

 水野投手は、「いいところに決まったのに、あそこまで持って行かれた」と、ボールの走らなさを感じたそうです。もっとも、右中間ツーベースが出る前のスライダーはストライクで、小島選手は三振だったのですが。

 三振チェンジのはずが1点先制され、さらにピンチですからね。水野選手がムキになったのは無理もありません。

 桑田選手のホームランは狙い打ちの一打でしたね。あれで池田ナインの心は折れたと思われます。

 江上主将の籤運の悪さは、チームで有名だったようですね。「広島商、中京と当たって、水野がヘロヘロになってしもうた」と、蔦監督が嘆いたそうです。

 準決勝の相手も悪かったですね。PLとは、水野投手にアクシデントない前に対戦したいところでした。

 その点、横浜商は相手に恵まれました。決勝戦まで強豪と対戦しなかったですからね。

 それでは、この辺で失礼します。籤運もないと優勝できないと、あらためて思いました。

PLをなめ、野球をなめてしまった
東洋松本 / 2017-05-29 07:14:00 No.3800
ミラクル3さん、杜都さん、おはようございます。
クジ運・・・高校野球の一発勝負のトーナメントでは優勝を左右する大きな要素の一つと思います。
過去の甲子園でも殆どの大会、もう一度抽選をやり直せば結果が全く変わってくると思います。

ところがどんな組み合わせ、くじ引きでも優勝する確率が極めて高いであろうと思われるチームと過去にはありました。
それが1976年の崇徳であり、1984年・85年のPLであり、1998年の横浜であり、1983年の池田であったと思っています。

池田の敗戦は、広商戦での水野のデッド、児島が三振しなかった微妙な判定、初回の吉田の打球の行方が・・・、前日の中京戦が事実上の決勝戦と周囲が喧伝した事などなどたくさんありますが、やっぱり最大の敗因は池田ナインの慢心だと思っています。

ミラクル3さんの掲示板には
>>試合前の投球で球が走らず、井上に「今日はあかんわ」と水野は言ったというが

とありますが、これが相手を舐め切っている何よりの証拠と思えてなりません。

私も高校時代も含めてその後の社会人軟式野球での登板経験から、同じような経験は数多くあります。しかし、大事な試合で投げるのですから「あかんわ」では済まされず、ではどうするかと言いますと、ボールが行くように(体が動くように)なるまで、例えば一度投球を中断して再度ランニングやダッシュで汗を書き直すとか、バットで素振りを繰り返すとか、方法はいろいろありますし、それでもだめなら、終盤での息切れのリスクを背負っても、ブルペンでの球数を思いきって増やします。

「あかんわ」が漏れ伝ったという事は、水野があかんままマウンドに上がった証拠ですし、序盤で長打を集中されたもそれを裏付けています。

「(自分たちがカモにしていた)高知商に苦戦した、エースと4番が1年坊主のかわいこちゃんチーム相手なら大丈夫やろ」が見え隠れします。

「今日はあかんけど、イニングが進めば調子も上がって来るやろ。」という楽ちんな考えが通用するほど野球は甘くなく、私もこれで痛い目にあっています。

Re: 池田対PL
東洋松本 / 2017-05-29 07:30:00 No.3801
と書きながら、
「小島は三振だろ!くそ審判!」とか「吉田の打球が10センチでもずれてたら池田のワンサイドになってた」などと本当に思っています。

Re:82年の春の大会は
杜都 / 2017-05-29 16:05:00 No.3802
 こんにちは 
 
 何といってもめぐりあわせの悪さだと思います。2007年の佐賀北対広陵も ちょうど3番の副島君にまわったのが、野村君にとっては気の毒でした(あ いや今振り返ってみると野村さんにとってはラッキーだったのかもしれません。野村君はそれで成長して2016年にはセリーグ最高勝利数をあげています)

しかし 大会三期連続優勝に最も近かったのが83年の池田 これはまぎれもない事実で間違いないと思います。

 それはあれから30以上たった今でも 池田以後に 大会三連覇を成し遂げそうになる学校が滅多に現れないのはそれがいかに難しいかを物語っているように思います。87年の春夏連覇PLや98年の春夏連覇の横浜は主力選手が夏にごっそりと辞めてしまいましたし

 興南や大阪桐蔭もまさにそうでした。

04年 05年の駒大苫小牧も近いと言えば近かったのですが・・・大会の対戦チームの戦力からして池田のときほど相手に強敵がいなかったというのは確かだと思います。

 83年の凄さは 愛知県大会の決勝戦 中京対享栄を見るために関東全域からファンが押し寄せてきた というところからもそのフィーバーぶりを物語っていると思います
 
 時代の最強校が 箕島 横浜 早実 報徳 池田 PLと変わっていき その渦中にあったのが まさに83年の夏だったのだと思います。その中で 私は83年夏の大会の盛り上がり方の頂点にあったのは 中京 池田戦だと思っています。地元四国の最高視聴率は 9回の表の池田の攻撃の場面だと思います。
 
 試合運びや、駆け引き そしてトーナメントに集まる強豪の顔ぶれは 既に82年の春の大会の顔ぶれが 超豪華な顔ぶれだったことから 83年の夏の大会が偶然に強豪校が集まったというのではなく なるべくして強豪校や伝統校がそろったと言えると思います。

大会の盛り上がり方は83年だったかもしれませんが 試合の内容では82年の春の選抜大会も劣ることのない内容だったと思っています。とくに PL 箕島 上尾 明徳 横浜商 早実が同じ右側に入ったため 連日 手に汗握る 名勝負が繰り広げられました。 箕島VS明徳 箕島VSPL 早実VS横浜商 PLVS横浜商 は見るに値するものが十分すぎるぐらいにありました。

Re:目からウロコです
ミラクル3 / 2017-05-29 21:22:00 No.3804
 こんばんは、東洋松本さん。

 クジ運は本当に重要な要素ですね。昨年も、横浜と履正社が2回戦で当たらければ、全く違う大会になったはずです。

 クジ運に関係なかったチームと言えば、東洋松本さんが挙げられたチームほどの安定感はなかったですが、2000年の智弁和歌山も入るかもしれません。

 2回戦から中京大中京、PL、柳川と強豪ばかりと当たって優勝しましたから。もっとも、その3校も特別に強い高校ではなかったと思われますが。

 私も、池田のPL戦の最大の敗因は、池田ナインの慢心にあったと思っています。朝日の記者座談会でも、そのことを懸念していました。

 なるほど。水野投手のその発言が相手を舐めていた最大の証拠だったのですね。元球児でいらっしゃる東洋松本さんのご指摘だけに説得力があります。

 水野投手は、その状態を放置したのでしょうね。私のような素人ではわからない、そういう調整法があることに目からウロコです。

 序盤に長打を集中されたといこうことは、ボールが走らないまま登板したのでしょうね。後半は持ち直しましたので、ブルペンでの不調を少しでも調整していれば、あそこまで打たれなかったと思われます。

 池田は、高知商をカモしていましたからね。新チーム結成早々の練習試合では、津野投手を初回でKОして、19−1で勝っていますし。その高知商に苦戦して、1年生が投打の中心だったので見下したのでしょうね。

 やはり、そういう考えは甘いのですね。野球の見方がまた変わりました。

 私も、その2プレーが大きく試合を作用したと、今でも残念です。特に三振チェンジだった球をボールにジャッジされたのが痛かったです。

 それでは、この辺で失礼します。PL−池田戦は、途中から喉がカラカラになりました。

Re:当時の熱気が本当に懐かしいです
ミラクル3 / 2017-05-29 21:41:00 No.3805
 こんばんは、杜都さん。

 確かに、巡り合わせの悪さというのはありますよね。ストライクを悉くボールとジャッジされての押し出しで1点を返された次のバッターが3番バッターでしたからね。

 野村投手がここまでの投手に成長するとは思っていませんでした。野村投手と小林選手の対戦には感慨深いものがあります。

 私の記憶にある限りですけど、3連覇の可能性があったのは83年夏の池田だけですね。79年の箕島、87年のPL、98年の横浜、10年の興南、12年の大阪桐蔭も、主力のほとんどが3年生でしたし。

 池田が活躍した82年、83年は、大会のレベルが高かったですからね。それと、高校野球にはエアポケットに入ってしまうような試合がありますが、池田にはそれがありませんでした。

 野中投手と藤王選手の対戦は大いに注目されましたが、そこまではとは知りませんでした。それにしましても、中京−享栄は熱戦でした。

 83年の夏は、高校野球フィーバーが最高潮に達した時ですね。池田は、まさに最強チームでした。

 池田−中京は、朝の8時(8時半だったかもしれません)開始だったにもかかわらず、甲子園は満員札止めでした。池田−PLも、土曜日の試合とあって超満員でしたね。

 83年の夏に強豪校が集ったのは、前年に2年生で活躍した、もしくはその片鱗を見せた選手が多かったからですね。ですから、それも必然でした。

 82年の春の選抜大会は、選抜大会では最もハイレベルな大会だったと思っています。また、抽選による強豪の偏り方も空前絶後でした。

 箕島VS明徳、箕島VSPL、早実VS横浜商 PLVS横浜商は、戦前の評判に違わない名勝負でした。PLの鬼のような勝負強さに舌を巻いたものです。

 それでは、この辺で失礼します。当時の熱気が本当に懐かしいです。

Re: PLの戦略
Redfox / 2017-05-30 20:57:00 No.3806
こんばんは。横レス失礼します。

 やはり1983年の話題だと盛り上がりますね。私も昨年1983年夏の話題を出したら、スレッドが思い切り長くなりました。

 1983年夏のPL−池田戦についていえば、PLの計算し尽くされた守備が勝因の一つにあったと思います。

 この試合、PLが他チームと比べてかなり深めの守備位置を取っていたことが後年の書籍等により明らかになっています。

 特に、ショート、レフト、センターは通常より2〜3メートル深く守っていたそうです。その結果、27アウトのうち、約3分の1をこの3ポジションで取ることに成功しました。

 とにかく、桑田投手のホームランが効いたと思います。見るものに与えた衝撃の大きさは、歴代屈指ではないでしょうか。

Re:PLが勝ったのは必然だったのですね
ミラクル3 / 2017-05-30 22:22:00 No.3808
 こんばんは、Redfoxさん。

 83年の夏の大会は、もう2度とないような熱い大会でした。スレッドが長くなるのは、あの大会が特別だからですね。

 PLの勝因の1つは守備だったことは感じていましたが、そこまで計算し尽くされたとは知りませんでした。ショートまでそんなに深く守っていたのですね。

 外野が深く守っていますと、打撃に自信のあるチームは力むものです。78年の対高知商戦の東海大四打線がそうでした。

 桑田投手のホームランが効きましたね。私にとっては、高校野球史上最も衝撃的なホームランでした。

 それでは、この辺で失礼します。PLが勝ったのは必然だったのですね。

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