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高校野球で残念な敗戦
東洋松本 / 2017-06-18 18:07:00 No.3872
ミラクル3さんこんばんは。
以前書かせて頂いたように、最もショックだったのはミラクル3さんと同じく1983年夏の池田がノーマークのPLに負けた事ですが、それ以外に挙げると以下のようなものです。
?1982年センバツ箕島の敗戦(対PL)
?1984年夏の箕島(対取手二高)
?1985年夏の銚子商業(対宇部商)

私は本当に箕島が好きでしたし、前年の池田対箕島のゴールデンカードが実現する前に箕島が負けてしまった事と、この年PLに勝てるのは箕島以外にはないと思っていたなどの理由から、この敗戦はショックでした。取手二がPLに負けていたら更にそのショックは膨れ上がったものと思います。

この年の銚子商業は土屋・篠塚で優勝して以来の大型チームという事、またPLに十分に対抗できると思える前評判で本当に応援していました。ただし、敗れたのが宇部商とういう公立のしかも強いチームでしたので、多少納得した記憶があります。

1982年センバツ箕島の敗戦は本当にショックでした。
4割超という箕島のチーム打率の数字は、私も含めて当時の高校球児の間ではちょっとした話題になりましたし、初戦で日野投手を攻略して上尾に快勝した事、そして明徳戦の驚異的な粘りからしても、その数字が決してローカルレベルでなく、しかも大いに勝負強さも兼ね備えている事を証明しました。

私も高校球児でしたので自宅ビデオ録画でしか見れませんでしたが、あの時のPL・榎田投手は絶好調だったのでしょうね。
いかに強打線でも好投手に好投されると簡単には打てない事を証明してしまったのが、よりによって大好きな箕島で、しかもその相手が大嫌いなPLだったことで、そのショックは想像して頂けると思います。

その3年後に、桑田・清原のPLを岩倉のエースが完封したので多少は慰めになりましたが・・・

Re: 私は、?が最も残念です
ミラクル3 / 2017-06-18 21:57:00 No.3874
 こんばんは、東洋松本さん。

 私も箕島が好きでした。ですので、83年夏に池田−箕島の対戦があったら困っていたところでした。

 84年の箕島は、前年のチームよりも評価が高かったです。嶋田、杉本のダブルエースと強力打線で、打倒PLの一番手でした。

 初戦の相手は強敵の取手二でしたが、取手二は石田投手が故障上がりでしたし、県大会で雑な試合をしていましたので、箕島が勝つものと思っていました。実際、試合は箕島の完勝ペースでした。それが1つエラーで流れが変わってしまい、野球の怖さを思い知ったものです。

 その箕島と最強PLに勝ったのですから、取手二の実力は本物だったわけですね。

 85年の銚子商は、PL、高知商とともに、3強の一角に挙げられました。剛腕・片平に、予選のチーム打率が5割の打線で、地元の期待も最高潮だったのですが…。雨が銚子商に不利に働いたことは確かですけど、相手が悪かったことも言えますね。

 82年の箕島の敗戦は、私も大ショックでした。殺人打線と言われた打線が、PLの榎田投手に完璧に抑え込まれたのですから…。

 4割超の箕島のチーム打率は、レベルの高い近畿でのものでしたからね。それだけに、完封されたことが信じらなかったです。

 それにしましても、82年選抜の箕島は籤運が悪すぎました。上尾、明徳、PLと当たったのですから…。明徳との激闘の翌日にPL戦では、日程もタイトの極みでした。

 榎田投手は、ほとんど直球しか投げませんでした。榎田投手が絶好調だったですが、箕島打線の振りもにぶかったような記憶があります。

 私も、東洋松本さんと全く同じ思いを抱きました。9回のスクイズ失敗が今でも惜しまれます。

 岩倉の山口投手は、まさに一生に一度のピッチングでした。パームボールが切れまくって、PL打線がタイミングが合わなかったそうです。

 それでは、この辺で失礼します。こうしてみますと、PLは最高の敵役だったのですね。

Re: 高校野球で残念な敗戦
東洋松本 / 2017-06-19 14:17:00 No.3876
ミラクル3さん、こんにちは。
84年の取手二に箕島が負けた試合はリアルで見ていましたが、エラーで流れが変わった事は忘れていました。

ただ、再三の追加点の機会を得ながら生かせなかった箕島らしからぬゲーム内容だったのは鮮明に覚えています。

ミラクル3さんの記事には、箕島のワンサイドゲームになってもおかしくなかった内容だったのですから、その相手が取手二高だった事を考えると、当時の箕島のチーム力には驚くばかりです。

上尾、明徳、PLと続いた82年選抜の箕島は籤運が悪すぎたと本当に思います。
83年夏にPLに負けた池田の蔦監督が「広島商、中京と当たって水野がヘロヘロになってしもうた。」というのはいい訳に過ぎず(といっても蔦監督ですらそんなエアーポケットに入り込んでしまった3連覇へのプレッシャーは相当だったと思います)、池田ナインの慢心が最大の敗因だと思います。横綱が大関との連戦だとしても、翻って82年センバツの箕島は横綱同士の2連戦の次も横綱戦という極めつけの籤運でした。

85年の銚子商業は千葉予選のチーム打率が5割だったのですか。当時の千葉はまだハイレベルの時代ですから驚異的です。

この試合はビデオで見ましたが、試合前のやりとりでNHKアナと解説者が銚子商ナインの体格の良さに驚いていました。
大型チームはエンジンが掛かると手が付けられないものですが、雨の影響もあってか力を出し切れませんでしたね。

それにしてもPL、高知商と並ぶ優勝候補に快勝した宇部商のチーム力と采配は大したものです。名将玉国監督にしても、甲子園における会心のゲームの一つではないでしょうか。

私もショックでしたが、銚子市民の落胆は相当だったでしょうね。

Re:籤運は大切ですね
ミラクル3 / 2017-06-19 22:04:00 No.3877
 こんばんは、東洋松本さん。

 84年の箕島−取手二ですが、8回表の取手二の5点は、先頭バッター(この試合では7番に入っていた桑原選手)のセカンドゴロから始まりました。

 箕島らしからぬゲーム内容だったことは、朝日新聞も指摘しています。3回は2−0とした後のワンアウト満塁を3番の嶋田選手の併殺打で追加点を挙げられず、4回はノーアウト2塁のチャンスをバント失敗で逃しました。

 82年選抜の箕島は籤運の悪さは、高校野球史上最高だったと思っています。抽選結果を知って、尾藤監督も唖然としたでしょうね。初戦から横綱相手の3連戦でしたからね。

 私も、池田ナインの慢心が最大の敗因だと思っています。高知商やPLを完全に格下に見ていましたからね。ただ、横浜商と比較して、圧倒的に籤運が悪かったことは確かです。

 銚子商のチーム打率に驚いたものです。習志野が出場辞退していたとはいえ、「こんな打率があり得るのか」と思ったものです。

 NHKアナと解説者のやり取りは覚えていないのですが、戦前は銚子商有利との声がほとんどでした。

 雨で片平投手が力を発揮できなかったのは確かでしょうね。それと、先頭バッターの佐藤選手に、いきなり強烈な2塁打を打たれて動揺したと思われます。

 銚子商に快勝したことで、宇部商の底力を再認識しました。銚子商を力でねじ伏せた試合は、玉国監督にとって会心の試合だったでしょうね。

 銚子市民の落胆は想像に難くなかったです。斎藤監督は、批判の矢面に立たされたでしょうね。

 それでは、この辺で失礼します。籤運は本当に大切ですね。

私にとってもPLは最高の適役
東洋松本 / 2017-06-21 10:30:00 No.3880
ミラクル3さんこんにちは。
84年箕島の敗戦内容の詳細をありがとうございました。野球の流れの怖さを改めて感じます。

83年の横浜商業は籤運に恵まれていましたね。ただ、ミラクル3さんも高校野球のページで書かれているように、玄人受けするソツのないチームでしたから、箕島や中京との対戦も見てみたかったです。

さて、先に残念な結果として3つのゲームを書きましたが、私にとってこれらに勝るとも劣らないゲームが二つあります。
それは78年準決勝での中京、決勝での高知商の大逆転負けです。

当時中学生だった私のお気に入りは東海大相模、愛知・中京、高知商業、東洋大姫路、奈良・智辯学園(山口投手の影響)で、嫌いなチームはPLと天理でした。

PL-中京の準決勝は近所の飲食店のテレビで観ていて、終盤で中京4点リードでしているときに店を出たので、しばらくして帰ってから4-5で負けたと聞いて信じられませんでした。

翌日の決勝も8回途中、高知商2点リードのところで塾に行く時間となり家を出て、塾(教員免許を持った人が自宅でしていた)の庭に自転車を止めたところで、家の中からラジオの大音響で「二日続けてのサヨナラ〜」

この瞬間のショックはいまだに忘れられません。

ただでさえ塾の先生の話を聞かない生徒だったのに、その日はずっと放心状態だったのは言うまでもありません。

Re:最高の敵役だったPLの消滅は残念でなりません。
ミラクル3 / 2017-06-21 21:53:00 No.3881
 こんばんは、東洋松本さん。

 箕島−取手二は、点を取れる場面では、きちんと得点しておかないと後々に大きく響くということを教えてくれる試合でした。それにしましても、箕島らしからぬ試合でしたね。

 83年の横浜商は、朝日が「最も戦力が安定している」と評価していました。西村、信賀の1、2番は、大会一だったと思っています。

 横浜商は、結局、ビッグセブンに挙げられた他の高校との対戦がありませんでしたが、箕島、中京との対戦があっても、かなりの接戦になっていたと思われます。

 78年の中京戦と高知商戦ですか。この2試合も思い出したくない試合として刻まれています。

 中京戦でPLは9回に4点を取って追いつきましたが、先頭バッターの西田選手の三塁打は、サードでアウトに見えました。

 翌日の日刊スポーツの一面は、「奇跡だ、PL」でした。中京とすれば、9回にバタバタして武藤投手をいったん降板させたことが悔やまれます。

 高知商との試合は、先頭バッタの中村選手にヒットを打たれたことで、前日の中京戦のことが頭にいったのでしょうか、森投手が動揺してしまいました。最後も、柳川選手を敬遠すべきでした。バッテリーにその余裕はなかったのでしょうね。

 お気持ち、よくわかります。私も、高校野球で放心状態になった試合は数え切れません。

 当時は、関東のチームを応援していました。子供の頃ですが、原選手の東海大相模が最も好きでした。

 私も、天理も嫌いでした。PLほどではなかったですけど。

 それでは、この辺で失礼します。最高の敵役だったPLの消滅は残念でなりません。

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