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甲子園ベストゲーム47
東洋松本 / 2017-06-28 19:46:00 No.3895
ミラクル3さん、こんばんは。

藤浪の書き違いでは失礼しました。もう少し書きたいのですが、面白い話を聞きましたのでそれを書かせて下さい。

さて、既にご存知かと思いますが「朝日デジタルバーチャル高校野球」に「甲子園ベストゲーム47」というのがあります。

私は鳥取県出身の同僚から投票を迫られて知ったのですが、これに関するエピソードをご紹介します。

鳥取県のベストゲーム候補に1978年の早稲田実業対倉吉北がありますが、この試合優勝候補の早実を相手に、初出場の倉吉北高校が大番狂わせを演じた試合という事ですが、ミラクル3さんのような方以外には全国的な知名度はそれほどでもないのではないでしょうか?ミラクル3さんの高校野球のページを見返してもこの試合については言及されていません。

私は試合自体は観ていなかったのですが、翌日の朝日で印象に残ったのは「勝ったのは宿舎をきれいに片づけ、「お世話になりました」と帰り支度を整えて試合に臨んだ無欲の倉吉北」の記述です。

以下はこの試合の20数年後に、当時倉吉北の主力選手だった方から聞いた話ですが、対戦相手が決まってから倉吉北の監督・スタッフは早実の事を徹底的に調べ上げた結果、ある程度の得点は出来るという結論にたどり着いたそうです。

また、4番の荒木健選手はじめ中軸は強力だったそうですが、バッテリーには強気の攻めを指示したそうです。

当時の早実投手陣が「かわいこちゃん」だったかどうかは不明ですが、2回戦では高知商業の森投手をノックアウトしていますから、倉吉北の打線はそれなりに力があったのだと思います。

ミラクル3さんが鳥取県史上最強に上げておられる倉吉北の前年のチームという事からもそのチーム力が窺い知る事が出来ます。

それにしても朝日デジタルの鳥取県ベストゲームには1978年からの9年間で4回もの東京対鳥取があるのは驚きです。

Re: 甲子園ベストゲーム47
あすなろ / 2017-06-28 22:18:00 No.3896
 倉吉北高校ですか。懐かしいですね。昭和50年前後山陰の暴れん坊と呼ばれ野球留学のさきがけとなったチームですね。選手の風貌もそれはそれは・・・。特に矢田、坂本、らはごつかったですよ。 それはともかく鳥取県のベストゲームとして上げられていたのは鳥取西高校と日大三高の対戦もあります。前評判は相撲取り打線と恐れられた日大三高が上でした。しかし鳥取西の千村投手の頭脳的ピッチングに日大三高打線は振り回すばかり完全に術中にはまりました。鳥取西の左バッターの佐々木選手の風を読んだレフトラッキーゾーンへのホームランが印象に残っています。試合は7対4でしたか鳥取西が勝ちました。まさに柔よく剛を制すの試合でした。鳥取西の選手は終始冷静で落ち着きがありまさに文武両道の名門と感じました。1985年の夏だったと思います。

Re:78年の早実は打線が売りでした
ミラクル3 / 2017-06-28 22:36:00 No.3897
 こんばんは、東洋松本さん。

 「藤浪」は変換が難しいですよね。気にされないで下さい。

 「甲子園ベストゲーム47」が「朝日デジタルバーチャル高校野球」にあるのは知りませんでした。まったくもって不覚です。

 鳥取県のベストゲーム候補に1978年の早稲田実業対倉吉北が挙がっているのですか。

 私が高校野球のページにこの試合を書いていないのは、当時は早実の学生ではなかったことと、実際は、この大会では早実は優勝候補ではなかったからです。

 山岡投手が不調で、東東京予選で20失点以上していたことから、朝日も早実を全く無視していました。

 倉吉北と言えば強面軍団のイメージがありますが…。いいエピソードですね。

 倉吉北は、そんなに早実のことを研究していたのですか。早実は、倉吉北のことを歯牙にも掛けていなかったでしょうね。その辺は監督の責任でもあります。

 早実の敗因は打線が抑えられたことです。予選で当たりまくった川又選手が、ワンアウト2、3塁で2回も犠牲フライすら打てなかったことが痛かったです。

 話は前後しますが、78年の早実は、左バッターを6人揃えた強力打線が売りで、4番の右の荒木健二選手がいいアクセントになっていました。

 エースの山岡投手はかわい子ちゃんではなかったですが、確か左肩を故障していたと思います。

 78年の倉吉北は、予選1失点の松本投手も良かったですが、打線も翌年のチームの主力が占めた打線も強力でした。高知商の森投手から一挙6点を取りましたからね。

 それでは、この辺で失礼します。朝日デジタルの鳥取県ベストゲームを確認してみます。

Re:倉吉北高校
ミラクル3 / 2017-06-28 22:44:00 No.3898
 こんばんは、あすなろさん。

 倉吉北といえば、野球留学の先駆けになったことと、強面のチームとして有名でしたね。

 剃り込みと、ずんぐりむっくりした体躯は迫力がありました。私も、矢田投手と坂本投手が印象に残っています。

 83年の夏の大会は不祥事で辞退となってしまいました。それから勢いがなくなった感があります。

 85年の鳥取西高校と日大三高の対戦ですね。よく覚えています。

 千村投手は変則フォームでしたね。日大三打線が面食らった感がありました。

 山陰地方の文武両道とえいば、米子東も有名ですね。89年の帝京戦は、吉岡選手を中心とする帝京打線を向こうにして互角に渡り合いました。

 それでは、この辺で失礼します。89年の米子東のエースの名前を失念したのがハガいです。

倉吉北について
東洋松本 / 2017-06-29 17:14:00 No.3901
ミラクル3さん、あすなろさんこんばんは。

私も倉吉北は野球留学生の先駆けというイメージがあり、鳥取県出身の同僚もそのように思っていたそうですが、実際に倉吉北OBの方から聞いた話ですと、少なくとも78・79年のチームの先発メンバーはほぼ鳥取県出身者だったそうです。

1978年の早実の詳しい情報をありがとうございました。
優勝候補とは私の勝手な思い込みでしたね。
ただ、川又選手荒木健二選手はじめ打線が強力で、山岡投手が本調子であればかなりのチーム力だったでしょうね。

確かに近年の鳥取県勢は初戦敗退が多いですが、当時は甲子園で大物喰いするのも珍しくなかったように思います。私自身が83年に練習試合で対戦した鳥取商業は投打ともに力強く、ここが県代表になるものと思っていたら、予選敗退でしたのでやはり倉吉北が早実を破ったのもフロックでなかったのかもしれません。

早実は倉吉北を歯牙にもかけていなかったのでは?と同僚に話したところ、ニヤニヤしながら「確かにそうだと思う。ただ面白い話があって、84年の境は唯一の安打がサヨナラホームランで敗戦として知られた試合だが、三番手投手が後にプロ入りしたほか後にプロ入りした選手やノンプロで活躍する事となる選手が揃った打線も強力で、79年の倉吉北と遜色ないチーム力だったと思う。県予選はほぼ全てコールドゲームで楽々突破。甲子園でも上位を狙っていたので、法政一をそれほど警戒していなかった。そのうえ法政一の先発投手の初回の投球練習を見てすっかり勝った気分になってしまった。」との事でした。

それから、89年の米子東のエースの名前を同僚に尋ねたところ「豊岡(とよおか)」という事でした。

Re:詳しい情報、ありがとうございます
ミラクル3 / 2017-06-29 22:28:00 No.3906
 こんばんは、東洋松本さん。

 78・79年のチームの先発メンバーはほぼ鳥取県出身者だったのですか。私は、ほとんどが県外出身者と思っていました。

 78年の早実は、今年の早実のように打線が売りのチームでした。78年の早実に好投手がいたら、文句なく優勝候補だったのですが…。

 鳥取商は、そんなに強かったのですか。83年の鳥取代表が思い出せないのがハガいです。

 84年の境は打線が持ち味だったと記憶しています。しかし、そこまでメンバーが充実していたとは驚きです。

 法政一の岡野投手はアンダーハンドで、見た目はかわい子ちゃんでした。実際、選抜でも打ち込まれていますし。

 それで甘く見たのでしょうね。境打線が岡野投手の術中に嵌りました。

 米子東のエースの名前、ありがとうございます。その日は仕事でライブでは見ていないのですが、トイレなどでラジオで聴いていたところ、帝京打線が手玉に取られていた感じでした。

 それでは、この辺で失礼します。詳しい情報、感謝しています。

無題
東洋松本 / 2017-06-30 16:52:00 No.3911
ミラクル3さん、こんばんは。

-倉吉北OBさんからの情報-
近隣の有力中学生が申し合わせて倉吉北に集まったのが78・79年の倉吉北で、79年のレギュラーには一人だけ県外出身選手がいたそうです。

県外の中学生が大勢入学しだしたのは78・79年の甲子園で活躍したからではないか?とOBの方は言っておられたと記憶しています。

ちなみに、81年のチームはベンチ入りのほとんどが県外選手だったそうです。

-境-
78年倉吉北 < 84年境
84年法政一 < 78年早実
しかも相手投手を見縊っていた。
よって
法政一 < 境

このようなおかしな論理が展開されたのが当時の境だったという事でした。加えて、センバツ出場校を含む西日本各地の強豪を練習試合で連破するなどした事も自信となり、(ここからは私の想像ですが)過信となったのではないでしょうか?

この話を聞いた時、83年の池田が頭に浮かびました。
「自分たちがカモにしていた高知商と接戦したPLなどに負けるはずがない。おまけにピッチャーは1年生。」

それから、83年の鳥取県代表は米子東です。先に書きましたように鳥取商業が代表になれないのだからどれだけいいチームかと注目していたら、随分とかわい子ちゃんが投げていました。
(試合自体は3回戦に進んだ学法石川に延長戦負け)。
見た目だけでかわい子ちゃんと見縊ってはいけないということかもしれませんが、この後に同僚から聞いた話で、鳥取商業が代表になれなかった理由に納得しました。
これは別に投稿させて頂きます。

Re:かわい子ちゃんと侮ってはダメですね
ミラクル3 / 2017-06-30 21:31:00 No.3913
 こんばんは、東洋松本さん。

 倉吉北に野球留学生が集まるようになったのは、そういう経緯だったのですか。ずっと勘違いしていました。

 81年のチームは、強面の選手ばかりでした。私の母親も気味悪がっていたほどです。

 なるほど。境が法政一を甘く見ていた図式がよくわかりました。

 練習試合で強豪を連破すると過信に繋がると聞いたことがあります。練習試合は、あくまでも練習試合ですから…。

 83年の池田の弱点として、相手を見降ろし過ぎている点がありました。高知商をカモにしていましたが、高知商も投打にバランスが取れた好チームであったことを頭に入れておくべきでしたね。

 83年の学法石川は、4番の松井選手を中心に強打のチームでした。その学法石川打線がかわい子ちゃんを打ちあぐねた記憶があったのですが、米子東のピッチャーだったのですね。

 それでは、この辺で失礼します。見た目だけでかわい子ちゃんと見縊ってはいけないのですね。

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