ADVENBBSの過去ログを表示しています(閲覧専用)
上田利治氏のご冥福をお祈りします
Redfox / 2017-07-02 21:15:00 No.3919
ミラクル3さん、こんばんは。

 阪急・オリックス・日本ハムで監督を務められた、名将・上田利治氏が亡くなりましたね。偉大な野球人がまた1人この世を去りました。

 上田監督と言えば、どうしても1978年日本シリーズ第7戦における1時間19分の猛抗議が引き合いに出されてしまいますね。

 当時のコミッショナーが出馬して試合再開を説得される事態にまでなってしまい、敗戦とこの混乱の責任をとって辞任しました。

 1981年に復帰し、1984年にもリーグ制覇するなど、つごう5回のリーグ優勝を果たしました。

 その後1995年から日本ハムの監督に迎えられ、「ビッグバン打線」を生み出し、ここでも優勝争いを展開したものの、1996年には家庭問題で一時チームを離れるという事態もありましたね。

 ブレーブスの監督と言えば、上田氏というイメージがあります。70年代後半の阪急ブレーブスは、山田久志・足立光宏・山口高志・福本豊・長池徳士・加藤英司ら名選手を揃えた、個性的な最強軍団でした。

 1978年の日本シリーズにしても、佐藤義則投手と山口投手の2人が離脱しなければ負けることはなかったと思います。

 野球選手としての実績は乏しかったのに、指導者として実績を残した、日本プロ野球においては希有な存在の方でした。

 ご冥福をお祈りします。 

Re:合掌、上田利治氏
ミラクル3 / 2017-07-02 22:34:00 No.3921
 こんばんは、Redfoxさん。

 上田利治氏の逝去の報に触れ、とても残念に思いました。まさに偉大な野球人でした。

 7時のNHKのニュースでも、あの猛抗議の映像が流されました。上田監督の評価を下げるようで極めて遺憾ですが、球史に残る抗議でしたので仕方がないです。

 あの抗議の時のコミッショナーは、読売べったりの金子某でした。「僕が頼んでもダメなのか」とか抜かしていました。

 上田監督といえば、70年代後半の阪急の監督のイメージが最も強いです。確かに選手に恵まれましたが、上田監督の采配があってこその黄金期だと思っています。

 78年の日本シリーズは、佐藤義則投手と山口投手の離脱が痛かったです。また、第7戦に松岡投手が一世一代のピッチングをしたのも上田監督としては想定外だったでしょうね。

 「ビッグバン打線」、懐かしいですね。家庭の事情は、奥さんが宗教に嵌ってしまったことだったと記憶しています。

 野球選手としては、通算本塁打が2本ですからね。現役時代の実績と監督としての実績がこれほど違う野球人も他に思いつかないです。

 ここに上田利治氏のご冥福をお祈りします。

 失礼しました。

ADVENBBSの過去ログを表示しています。削除は管理者のみが可能です。