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春の大会の試合はランクインしない
杜都 / 2015-04-08 11:01:00 No.41
こんばんは センバツ大会は選手権に比べて なぜか 注目度が低いですね

あるサイトによると 甲子園名勝負のベスト10の中でも8つが夏の選手権  センバツは2つだけ

ベスト20の中でも5つだけです。
2位 明徳×箕島
8位 東邦×上宮
12位 済美×東北
16位 沖縄尚学×PL学園
18位 東洋大姫路×花咲徳栄
の5試合がランクされています。

そのほか70位までを見ても圧倒的に多いのが夏

登場する学校を検索したら
PL 16回
横浜  6回
早実  6回
箕島  4回
中京  4回
明徳  4回
新湊  3回
智弁和 3回
池田  3回
帝京  3回
駒大苫 2回
東北  2回
大阪桐蔭2回
浪商  2回
関西  2回
広陵  2回
宇部商 2回
沖縄水産2回

とくに驚くのは PLは圧倒的に多い しかし、箕島は1位〜3位までを独占している 
ただでさえ少ない春の名勝負に 新湊が しかも同じ年で3回もランクインしている
事が挙げられます。

視聴者が選ぶベスト70に入っている試合の中で次の三つは、好勝負ではあるが内容的には 

89年夏の 元木を大越が粉砕した試合 仙台育英×上宮 
95年夏の 旭川実×鹿児島商(この試合は見ていません )
98年夏の 横浜が杉内を攻略した 横浜‐鹿児島実 

ベスト70にランクインしていない次の5つの試合の方が上のような気がします。いずれも春の大会の試合です。

82年の春の大会から  箕島‐明徳 箕島‐PL 
88年の春の大会から  宇和島東‐桐蔭学園
90年の春の大会のから 新田‐北陽 
強豪相手に終盤猛烈な追い上げをしたが一歩及ばなかった
2006年の 横浜  対 八重山商工
9回に2つのホームランとサヨナラ落球の
2008年の 覆正社 対 下関商

春の大会という事で選ばれなかったのかとも思います。

Re: 確かに少ないですね
ミラクル3 / 2015-04-08 23:56:00 No.42
 こんばんは、杜都さん。

 選抜大会で負けても夏の大会があるので、敗れた選手に悲壮感はあまりないですね。81年の決勝でPLに負けた印旛は例外ですが。

 ベスト10のうちに、明徳−箕島、東邦−上宮が入っているのは順当だと思います。明徳−箕島は試合展開もさることながら、超ハイレベルな攻防が繰り広げられました。東邦−上宮は、幕切れがどの試合よりもインパクトがあります。

 不思議なのは、崇徳−鉾田一が漏れていることです。76年という古い時代の試合ですが、忘れることのできない試合です。少なくとも、沖縄尚学−PL学園、東洋大姫路−花咲徳栄より印象に残っています。

 PLの数は圧倒的ですね。高校野球の主役がPLだった証左だと思います。

 箕島が1〜3位を占めているというにも驚かされました。いずれも、水島新司氏でも書けないような試合でした。

 私は、新湊旋風が嫌でした。ひねくれ者の私には、判官びいきというのはないです…。

 私の中では、82年の箕島−PLは好試合ではなく、とてつもなくレベルの高い試合という位置づけですね。あれほど事実上の決勝戦にふさわしかったカードはなかったのではないでしょうか?

 89年夏の仙台育英−上宮、95年夏の旭川実−鹿児島商、98年夏の横浜‐鹿児島実は、名勝負と言える要素が少ない試合だったように思われます。特に旭川実−鹿児島商には感銘しませんでした。

 横浜−八重山商工は、最後の難しいショートゴロを強肩で難なく捌いた横浜の高浜選手のプレーが記憶に残っています。覆正社対下関商の幕切れは残酷でしたね。

 ベスト10でさえ、選ぶファンが100人いれば、100通りの順序になるでしょうね。

 私の1位は箕島−星稜、2位はPL−取手二、3位は横浜−PL(夏)、4位は箕島−明徳、5位は箕島−浪商といったところでしょうか? 

 それでは、この辺で失礼します。長文での書き込み、ありがとうございました。

Re: 春の大会の試合はランクインしない
杜都 / 2015-04-10 17:54:00 No.45
こんばんは こういう話はよっぽどのマニアの人ではないと通じないですね。ミラクル3さんは非常に精通していらっしゃるので出来ます。

PLは鉄壁の守備と 榎田投手という凄い投手がいたのを覚えています。センバツは箕島戦は上野山投手との投げ合いが印象に残っています。
 
箕島はバントやスクイズが珍しく決まらなかったのが敗因だとは思いますが・・・ 疲れていても 上野山投手は流石でしたね。
 
本当に運による紙一重の試合だったと思います。箕島がもしPLに勝っていたらおそらく優勝だったと思います。そして夏に出てきたら、上野山 吉井と二枚いたので79年に続いて春夏再び連覇ということも… 池田との柔剛対決を是非とも見てみたかったものです。

82年の春の大会では他にも 
PL-横浜商戦も良い試合でしたね。当時2年生の長身の三浦投手がここまで良い投手だったとは思いませんでした。前の早稲田実業戦も印象に残っています。縦に割れるカーブの切れ それに翌年のセンバツで見せたカミソリのように内角に切れ込むシュート(東海第一戦はそのシュートを痛打されたのですが要所を押さえて勝ちました。) や ホークボールも身につけていましたし、池田 PL 箕島と早実とまともに投げ合った投手は横浜商の三浦投手と中京の野中投手ぐらいではないでしょうか?

三浦投手は好人物らしく 記者の  次の池田戦を何点に抑えたいかという質問に対して 明徳の山本君が2点取られたので 自分は3、4点以内に抑えられれば十分です。と謙遜していました。

しかし、この大会は 超実力校が PLや箕島のいたゾーンに固まいました。PL 箕島 明徳 早稲田実 横浜商 上尾 が同じゾーンにいるのですから好カードが続かない事の方が珍しいです。
  
反対のゾーンにいた随一の実力校の中京になぜか勝った二松学舎(この春松山東と対戦するまで二松学舎が過去決勝まで進んだことは知りませんでした。)との 決勝戦はぶっちぎりだったので、夏になぜ両校とも出てこれなかったのは今思うと不思議です。

Re: 当時は高校野球づけでした
ミラクル3 / 2015-04-11 00:09:00 No.51
 こんばんは、杜都さん。

 お褒めのお言葉、ありがとうございます。当時は高校野球づけでした。

 82年のPLの守備は、高校野球の最高水準と言われていました。特にショートの佐藤選手の守備は鉄壁でしたね。

 榎田投手は、秋の大会の防御率が0.3前後でした。箕島戦は、その榎田選手が最高の投球をしました。あれでは、強打で鳴る箕島が打てなかったのも仕方ありません。

 ただ、PL戦は、6回に杉山選手が送りバントを失敗し、9回は南村選手がスクイズを失敗するという箕島らしくない攻撃のミスが見られました。

 9回は、4番の南村選手だっただけに、スリーバントスクイズをやらせたのには、今も疑問に思っています。

 上野山投手が疲弊し切っていたので、PL戦は、2番手の吉井投手が先発と予想していました。上野山投手は気力のピッチングを見せたのですが…。

 確かに、2人の好投手と強打戦からして、箕島の春夏連覇はありえたと思います。夏の予選で吉備高校に負けたのが信じられませんでした。

 82年は、PL、箕島、明徳が「鬼の3強」と言われました。その3校が全て予選で姿を消すのが、予選の怖さなんですね。

 鬼の3強と池田との対戦を甲子園で見たかったです。PLと箕島は池田が苦手とするタイプでした。また、明徳には直接対決で池田が3連敗していました(池田の0−3、0−1、2−4。他にも練習試合で対戦があったかもしれません)。

 82年選抜のPL−横浜商も名勝負でした。怖い者知らずの三浦投手が早実を撃破した勢いで、PLを5安打に抑えたのですが、最後に榎田選手にセンター前にサヨナラヒットを打たれました。「荒井、刺せ〜」と、大声を出したのが昨日のようです。

>東海第一戦はそのシュートを痛打されたのですが

 ショートの西村選手がジャンプ一番でスーパーキャッチした場面でしょうか? あれが抜けていたら、勝敗は逆になっていたかもしれませんね。

 三浦投手は、前年の早実戦でインコースのシュートを後半、多投しました。早実打線も強力打線だったのですが打てませんした。

 横浜商の三浦投手と中京の野中投手は、その4校と互角に渡り合いました。2人は、時代に恵まれなかったですね。

 三浦選手が好人物なのは、選抜で池田戦に敗れた後の宿舎でのインタビューでわかりました。そんな謙遜をしていたのは初耳です。

 82年の選抜大会は、あり得ないほどの片肺飛行の組み合わせでした。箕島は、上尾、箕島、PLと横綱チームと3連続で当たりました。これほどくじ運の悪かった例は記憶にありません。

 82年の夏の予選は、波乱の連続でした。PLが春日丘に負けた試合は、今でも伝説です。

 それでは、この辺で失礼します。82年は、選抜の方がレベルが高かったと思います。

箕島 対 下関商をもう一度
杜都 / 2015-04-11 20:07:00 No.53
こんばんは 是非ともに この対戦は一度あったのですね
もう一度見てみたいです。実現すると夢の対決です。

理由は画像を
右から2番目がセンターの村松君です。


 

動画をアップし忘れていました
杜都 / 2015-04-11 20:32:00 No.55
ミラクルさんのホームページは貴重です。もう色あせてし
 まい 決して得ることのできないような情報が得られます。
 79年の春にこの両校の対決が一度あったのですね。 

2008年の下関商のサヨナラエラーをしたセンターの
 選手は ちょっと 墨谷高校の中堅手 村松君と似ていて
 そのときは、凄く切ない気分でした。

 箕島高校は明訓高校にユニフォームが似ています。里中
 投手はおそらく阪急の山田投手という説もありますが
 箕島の石井投手をモデルとして書かれたのではないかと
 思います。

 野球漫画に お詳しいミラクル3さんなら おわかりだと
 思いますが 箕島 対 下関商は 漫画の世界ではもう
 起こり得ない夢の対決 明訓 対 墨谷なのです。

Re: 恐縮です
ミラクル3 / 2015-04-12 00:00:00 No.59
  こんばんは、杜都さん。

 励みになるお言葉をいただきまして、嬉しい限りです。79年頃は、高校野球を全試合見ていました。

 箕島−下関商は、79年の選抜で対戦しています。松永怜一氏が解説者で、試合前、「下関商は石井君から取れても、1、2点でしょう。バッティングも、長打率では参加校中?1ですからね」と、箕島の強さを喧伝していました。

 すいません、私が詳しい野球漫画は極少数でして…。墨谷高校のことがわからなくて、申し訳ありません。

  箕島高校のユニフォームは、明訓のユニフォームとそっくりですね。箕島は、攻撃時にヘルメットの色が白になるのが渋かったです。

 調べましたら、里中投手のモデルは、元阪急の足立投手でした。老練なピッチングで、76年の巨人打線をきりきり舞いさせたのが記憶にあります。

 それにしましても、下関商のサヨナラエラーは気の毒でしたね。リアルタイムで見ていました。

 それでは、この辺で失礼します。2度の書き込み、ありがとうございました。

RE:当時の思い出はもう色あせて
杜都 / 2015-04-12 23:03:00 No.62
こちらこそ ありがとうございます。当時の野球の話になると あいまいな記憶を辿っていくしかないので、ミラクルさんのサイトは最も貴重な情報源です。

愛媛大会は今西が松山東に競り勝ったようです。(テレビ放映はありませんでした。)

松永氏がそんなことを言っていたのですね 箕島の石井投手を打ち崩すというのはよほど難しかったでしょうね 箕島は守備も良いですからね 解説の池西増夫さんが 『野球には きっちりとした守りから入っていく事が大切である』というようなことを言っていました。箕島は僅差で勝つ野球をする 守りがしっかりしているチームという事を示唆したのですかね

80年代前半 当時の思い出はもう色あせてしまって、そういえば83年にベスト4まで行った東海大一の投手は双子の兄弟だったような気がします。実家の押し入れにあるだろう 報知高校野球センバツ案内号(3月号)にはその話題が載っていました。夏にも出てきて、珍しい兄弟校との対戦があったような記憶があります。 東海大第一は春にベスト4に入りながらどんなチームだったかという記憶はないのです。岐阜第一という学校も出てて紛らわしいな と思ったぐらいです。というのは83年は池田一色で 春のセンバツが終わった時点で、水野を打てる打線はないだろうし、それ以上に池田打線を抑えられる投手はいないだろうというのが大かたの見方でした。中京に勝った日に 前人未到の三連覇を果たすのはもう間違いないと思われていました。

里中投手のモデルは阪急の足立投手でしたか・・・プロなら山田投手高校生なら石井投手とばかり思っていました。

ミラクル3さんは墨谷高校をご存じないのですね 1973年 - 1978年に連載されていますが、元々中学野球を題材にした漫画の続編だったので世間の注目度は低いです。




 
 

Re: 83年の思い出
ミラクル3 / 2015-04-13 21:12:00 No.65
 こんばんは、杜都さん。

 有難いお言葉、ありがとうございます。なんとか「高校野球のページ」を加筆したいと思っています。

 松山東は底力があるんですね。夏の予選を勝ち抜くことも可能に思えてきました。

 松永氏は、79年の箕島を高く評価していました。2年会の時から主力だった嶋田選手が下関商戦の3回にツーベースを打った時、松永さんが、「私は、この人がヒットを打たなかった試合を見たことがないです」と言っていたのを覚えています。

 池西さんは、守りを重視する人でしたね。「基本はキャッチボール」と強調していたと思います。

 箕島が勝負強かったのは、守りがしっかりしてのものでした。それと、ここぞという時にタイムリーが出ました。

 83年の選抜でベスト4まで東海大一のエースは、杉本兄弟の双子の弟でした。名前は失念しました…。

 藤王選手の連続出塁記録を止めたのは杉本投手です。ただ、夏は故障していて、PL戦は双子の兄が先発して、序盤から失点を重ねました。杉本弟が中盤からリリーフに出てPL打線を完璧に抑えただけに、惜しまれる敗戦でした。

 東海第一(静岡)と東海大二(熊本)が初戦で当たりました。確か、13ー0かそこらのスコアで東海大一が大勝したと記憶しています。

 岐阜大一は、トップの林選手や加藤投手など好選手が揃った強豪チームでした。結果的には大敗しましたが、選抜では池田と5回まで0−0でしたからね。

 83年の池田フィーバーは凄かったですね。私は池田打線を抑えるピッチャーはいても、水野投手を打てるチームはないと思っていました。

 中京に勝った瞬間、多くの人が池田の3連覇を確信しました。私はPL学園が不気味で仕方なかったので、そうは思わなかったです。

 水島新司氏は、古くからのパ・リーグのファンですからね。それもあって、足立投手をモデルにしたのでしょう。

 墨谷高校は、そんなに古い漫画なのですか。聞いたことは、あるようないようなという感じです。

 それでは、この辺で失礼します。つい古い話を長々としてしまいました。

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