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昭和の黄金カード
Redfox / 2018-06-02 23:53:00 No.4956
ミラクル3さん、こんばんは。

 PL−箕島は、まさに昭和の時代の黄金カードでしたね。1978年と1979年の選抜での2年連続対戦は、箕島が2連勝でした。

 1978年は前評判はPLだったと記憶していますが、石井投手がPL打線を完封しました。

 1979年は逆に箕島有利との下馬評でしたが、PLが優位に試合を進めました。しかし、9回ウラ2アウトから箕島が追いつき、延長10回箕島がサヨナラ勝ち、最後は阿部選手のサヨナラ暴投でしたね。

 そして、1982年春の準々決勝で3度目の対決。箕島は優勝候補筆頭といわれる戦力を有していましたが、結局、PLが1−0で完封勝利。この大会の箕島は、上尾、明徳、PLと横綱チームとばかり対戦、特に明徳とは延長14回の凄まじい試合で、そこから連戦でPLという過酷な条件での対戦でした。

 できれば万全の状態でPLと対戦させたかったというのが本音です。もっとも、箕島が万全の状態でも、この日の榎田投手からそう点が取れたとは思えませんが。

 現在では、箕島は県大会を勝ち抜くこともままならず、PLに至っては高野連から脱退してしまいました。時代の流れとはいえ、寂しさを禁じえません。 

Re:まさに昭和の黄金カードでした
ミラクル3 / 2018-06-03 00:37:00 No.4957
 こんばんは、Redfoxさん。日記をお読み下さり、ありがとうございます。

 PL−箕島は「近畿の大物対決」と言われましたが、その域を超えた黄金カードでした。

 78年は、秋の近畿大会で5−2で勝っているPLが有利との見方が多かったです。それを、小早川、木戸、西田が揃っていたPL打線を2年生の石井毅投手が芸術的なピッチングで完封しまして、予想を覆しました。

 79年の下馬評は圧倒的に箕島有利でした。その試合では珍しく箕島が拙攻の連続でしたが、9回に底力を見せました。2アウトから上野選手がよくタイムリーを打ったものです。

 最後は、鶴岡監督が阿部選手の神通力に賭けたのですが、初球にいきなりサヨナラ暴投をしてしまいました。

 82年の対戦は、尾藤監督と中村監督の対戦でしたね。その試合が甲子園では最初で最後の対決になりました。

 優勝候補筆頭だった箕島は、あまりにも対戦相手と日程が厳しかったです。横綱チーム3連戦でしたから。

 明徳との延長14回の激闘の翌日にPL戦というのは過酷すぎました。

 私も、万全の調子の箕島とPLの対戦を見たかったです。あの日の榎田投手の出来は素晴らしく、箕島が勝つとしても、1−0か2−1しかなかったと思います。

 箕島が数年前に甲子園に出て来た時は、昔の箕島を思って、見ていられない気持ちになりました。

 PLが高野連から脱退とは、当時からすれば考えられないことでした。私にとってPLは最高の敵役でした。

 大阪桐蔭−智弁和歌山と言いましても、PL−箕島ほどのスリルを感じないのは不思議なものです。

 それでは、この辺で失礼します。明日の大阪桐蔭−智弁和歌山は、非常に楽しみではあります。

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