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事実上の優勝戦
Redfox /
2018-07-10 23:17:00
No.5060
ミラクル3さん、こんばんは。
甲子園大会の事実上の優勝戦、「ああ、そうだったな」と思えるものばかりですね。
荒木投手は、結局夏の大会は3年連続優勝校に負けたのですね。5季連続出場はすごいことですが、ここ一番での勝負弱さも同居していました。報徳の金村投手は、早実戦で4点目を取られたときに観念したそうですね。ただ、明らかに誤審と思われるジャッジが続き、まさかの逆転劇が待っていました。
スケールからいって、1985年のPL−高知商ほど事実上の優勝戦にふさわしいカードもないでしょう。第一試合でしたので、朝からドキドキしていました。何といっても清原選手の特大アーチが忘れられません。
1987年のPL−帝京は、春夏連続の対戦でしたが、春は本当にスリリングで、個人的には大会ベストゲームでした。確か、岩崎投手が見事にスクイズを外した場面があったように記憶しています。
2000年夏の智弁和歌山−柳川は20世紀最後の名勝負でした。リードされても不思議と智弁和歌山が負ける気がしませんでした。山野選手の同点3ランには鳥肌が立ちました。
1983年夏の池田−中京は組み合わせが決まったときの甲子園のどよめきが忘れられません。その意味するところがみんな分かっていたのですね。
あの夏は、打倒池田をスローガンに、全国から強豪が集結した史上最高の大会でしたが、その中でもこのカードが実現したときは、子どもながらに体が震えたものです。
あの頃は、子どもが多く、野球部員もかなり多かったですから、公立・私立にうまく選手が分散していましたね。少子化の影響でこれほど公立が衰退するとは夢にも思いませんでした。
Re:事実上の決勝戦は惜しい思いのが方が大きいです
ミラクル3 /
2018-07-11 00:51:00
No.5061
こんばんは、Redfoxさん。日記をお読み下さり、ありがとうございます。
事実上の決勝戦は見たい反面、惜しくもあります。どちらかというと、惜しい思いのが方が大きいです。
荒木の早実は3年連続で優勝校に負けましたので、その点では諦めがつきました。ですが、報徳学園戦は未だに納得がいかないです。
8回表にノーヒットで1点追加した時は、次の今治西戦のことを考えました。
ただ、8回裏の併殺崩れの失点、それも誤審で一塁がセーフになっての失点に嫌な予感がしたことは確かです。
私は、その8回裏のジャッジと9回裏の金村の内野安打のジャッジは誤審ではなく、故意ジャッジだと思っています。
PLと高知商が準々決勝で当たることを知った瞬間、絶叫マシーンになりました。これぞ、事実上の決勝戦でした。その試合が第1試合でしたから、緊張で朝早く目が覚めた記憶があります。
清原選手のホームランは、私が見た甲子園大会のホームランの中で最も大きいホームランです。打った瞬間なんてものではなかったです。
1987年のPL−帝京は、3月から働かされていてライブでは見ていないのです。結果を知って、「あ〜」という声が出ました。この試合を見ていた弟は、1イニングごとに小便に行ったそうです。
智弁和歌山−柳川も凄まじい試合でした。私も、智弁和歌山が追いつく感じがしていました。山野選手の同点3ランは、今も記憶に鮮やかです。
池田−中京は組み合わせが決まった時の甲子園のどよめきは、YouTubeで見られると思います。当時のファンは、皆、目が肥えていました。
1983年の夏は、もはや伝説です。打倒池田を目指してレベルの極めて高い強豪が集結し、大会前から興奮しまくりでした。
私は、池田と広島商・興南の勝者の対決が決まった時も絶叫マシーンになりました。当時のリアル・1回ごとの抽選はスリル満点でしたね。
当時は、公立校が強いことも人気を呼んだと思います。83年夏のビッグ7のうちで、私立校は中京と興南だけでした。もうそんな大会はないでしょうね。
それでは、この辺で失礼します。強豪だった公立校の衰退は残念でなりません。
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甲子園大会の事実上の優勝戦、「ああ、そうだったな」と思えるものばかりですね。
荒木投手は、結局夏の大会は3年連続優勝校に負けたのですね。5季連続出場はすごいことですが、ここ一番での勝負弱さも同居していました。報徳の金村投手は、早実戦で4点目を取られたときに観念したそうですね。ただ、明らかに誤審と思われるジャッジが続き、まさかの逆転劇が待っていました。
スケールからいって、1985年のPL−高知商ほど事実上の優勝戦にふさわしいカードもないでしょう。第一試合でしたので、朝からドキドキしていました。何といっても清原選手の特大アーチが忘れられません。
1987年のPL−帝京は、春夏連続の対戦でしたが、春は本当にスリリングで、個人的には大会ベストゲームでした。確か、岩崎投手が見事にスクイズを外した場面があったように記憶しています。
2000年夏の智弁和歌山−柳川は20世紀最後の名勝負でした。リードされても不思議と智弁和歌山が負ける気がしませんでした。山野選手の同点3ランには鳥肌が立ちました。
1983年夏の池田−中京は組み合わせが決まったときの甲子園のどよめきが忘れられません。その意味するところがみんな分かっていたのですね。
あの夏は、打倒池田をスローガンに、全国から強豪が集結した史上最高の大会でしたが、その中でもこのカードが実現したときは、子どもながらに体が震えたものです。
あの頃は、子どもが多く、野球部員もかなり多かったですから、公立・私立にうまく選手が分散していましたね。少子化の影響でこれほど公立が衰退するとは夢にも思いませんでした。