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備北地区から甲子園に
杜の都 / 2018-09-16 11:49:00 No.5360
 こんにちは 広島県は大きく四つの地域 安芸(広島市内を含む南西部) 備後(尾三 福山を含む東南部) 芸北 備北の4つ に分かれると思います。甲子園に出たことのない地区があります。それは備北地区です。

リンクの地図参照ください

 ご存知のように広島県の出場のほとんどが安芸地区です。最近広島新庄と如水館の活躍で勢力地図がやや変わってきていますがそれでも圧倒的に多いのが安芸地区で高校の数が全然違います。

 備北地区に属する学校は非常に不利です。おそらく全国でも屈指の甲子園に出場できにくい地域のひとつだと思います。市部は三次市と庄原市 あとは郡部で 私立高校がないため優秀な選手は広島市内の私立か広島新庄に流出してしまう 人口が極端に少ない(備北地区の総人口は約9万人 65歳以上の人口は非常に高くおそらく全国屈指) 冬場雪が降る と三拍子そろっています。 

過疎化率は徳島県西部地区とどっこいどっこいだと思います。
旧比婆郡(現庄原市)あたりは人口密度は50人/km2 程度ということが想定されます。

備北地区(広島県 三次市 庄原市)
人口密度 44.8人/km2
高齢化率(65歳以上の人の占める人口割合) 37.4%

徳島県三好市
面積 721.42km2
総人口 25,145人
人口密度 34.9人/km2
高齢化率 41.0%

 人口密度 高齢化率ともに 広島県備北地区のほうが若干
数値は全国平均に近いのですが・・ どちらとも全国屈指の
過疎地であることは間違いないです。
 
ただし野球熱は徳島県三好市に負けず劣らず盛んな地域で 三次市 庄原市出身の野球選手は人口の割には非常に多く 

三次市
門前眞佐人(大阪タイガース - 結城ブレーブス - 金星スターズ - 大阪タイガース - 大洋ホエールズ - 広島カープ)
岩本義行(南海 大陽ロビンス - 東映フライヤーズ - 近鉄バファローズ)
渡辺信義(広島カープ)
原伸次(広島東洋カープ - 横浜ベイスターズ - 広島東洋カープ - 中日ドラゴンズ)
二岡智宏(読売ジャイアンツ - 日本ハムファイターズ)
大田泰示(読売ジャイアンツ - 日本ハムファイターズ)
福原忍(阪神タイガース)
永川勝浩(広島東洋カープ)
梵英心(元広島東洋カープ)2010年セリーグ盗塁王
永川光浩(広島東洋カープ)
田中大輔(中日ドラゴンズ - オリックス・バファローズ)

庄原市
谷繁元信(元プロ野球選手・プロ野球監督 横浜ベイスターズ1989年〜2001年、中日ドラゴンズ2002年〜2015年 中日ドラゴンズ監督2014年〜2016年)
黒田真二(崇徳高校 元プロ野球選手 ヤクルトスワローズ1983年〜1987年 )
小林誠二(元プロ野球選手・野球解説者 広島県工 広島東洋カープ1976年〜1980年・1984年〜1988年、西武ライオンズ1981年〜1983年)

これだけ揃っていれば、ひとつのプロ野球チームが作れるぐらいです。崇徳の黒田さんは庄原市出身だったのですね これも初めて知りました。

Re: 備北地区から甲子園に
まにあ / 2018-09-16 21:09:00 No.5361
詳細分析感じ入ります!

1976年の崇徳高校のメンバーは黒田投手を除いて広島市近郊出身の選手たちでした。
黒田さんは中学時代県大会で活躍していて彼のあとを追って広商ではなく崇徳に進学した選手も多かったのではないでしょうか?

何せ応武さんですら入学時にレギュラーになるのは無理だと思っていたとコメントしていたほど逸材が集まっていたようです。

だけど選手を縛らないじじい監督こと久保さんの存在も初出場初優勝には大きいと思います。

Re: 詳しいデータ、ありがとうございます
ミラクル3 / 2018-09-17 00:52:00 No.5364
 こんばんは、杜都さん。

 ご紹介の地図を見ました。広島県の広さをあらためて実感しました。

 昔、クイズで、「広島県の面積は埼玉県の何倍?」という問題に当たったことがあります。答えは3倍だそうですが、勘でしかわかりませんでした。

 なるほど。備北地区が不利な理由がわかりました。ただでさえ人口が少ないうえ、自然条件も悪く、私立強豪が不在ならば、甲子園未出場というのもわかります。

 徳島県西部地区は、山間部だと思われます。山間部の過疎化は著しいと聞きました。

 それにしましても、両地域とも高齢化が進んでいますね。日本全体の老年人口率は27%ほどですから、その高さがわかります。

 三次市、庄原市は、名選手を数多く輩出しているのですね。おっしゃるように、1つのプロ野球チームができる感じします。
 
 二岡選手と福原投手は広陵で同学年でしたが、2人とも三次市とは知りませんでした。

 大田泰示選手は、東海大相模へ正に野球留学ですね。勇気がいる進学だったと思われます。

 庄原市の3人は、3人とも印象深いです。高校時代は黒田選手が3人のうちで最も活躍しましたが、プロでの実績は谷繁選手が断然ですね。

 それでは、この辺で失礼します。詳しいデータ、ありがとうございます。

Re: 1976年の崇徳高校
ミラクル3 / 2018-09-17 00:59:00 No.5365
 こんばんは、まにあさん。

 1976年の崇徳高校のメンバーの出身地は、まにあさんに教えられるまで知りませんでした。

 黒田投手の後を追って、崇徳に入学した選手が多かったと思われます。それは、松坂投手に付いていった横浜ナインにダブります。

 あのチームは、応武選手が怖気づいた程のメンバーだったわけですね。実際、1番から9番まで全員が超高校級でした。

 久保監督の強気の采配と大型チームは、見事にマッチしましたね。久保監督の一連の発言は、今なら大バッシングものでしたが、縮刷版などを読むとユニークなこともわかりました。

 それでは、この辺で失礼します。初出場のチームが優勝候補筆頭という例は、76年の崇徳だけですね。

Re: 備北地区から甲子園に
杜都 / 2018-09-17 10:16:00 No.5366
 こんにちは こうしてみれば三次市庄原市ともにバッテリーが多いですね 好投手や好捕手が生まれる地域ともいえます

三次市と庄原市には公立高校が数校あるのみです。愛媛県南部地域(南予)には宇和島東という名門高校がありますが そういった学校も存在せず、県北の雄 三次高校 が最も大きな学校ですが、県立高校のために野球の上手な子は広島市内の強豪私立に行きます。

私が印象深いのは捕手の 谷繁選手とアンダースローの渡辺投手とバッテリーを組んでいた原選手です。
また投手としては 阪神の福原投手や抑え投手として活躍したパームボールの小林誠二投手が印象に残っています。 プロでもかなり良い実績を残したと思います。 

 二岡智選手は高校時代は三塁手だったと思います ニ岡選手の兄も有名な内野手(二塁手)で選抜優勝時にヒットを放って 下松選手のサヨナラとなるライトへのヒットで生還したのが二岡兄選手です。 オール備北だと 大田選手がファーストをやっていた時期もあったので
1番梵(三) 2番原(二) 3番二岡智(遊) 
4番谷繁(捕) 5番大田(一)
という感じだと思います。オール備北のすごさは何と言ってもプロでもすごい実績を残したメンバーだということです。原選手は内野手もこなせたので器用な選手です。外野手がいまひとつ少ないですが・・・それでも野球チームとしては十分成立するメンバーだと思います やったらおもしろいと思ったのは オール備北 対 オール池田 です。備北は高校野球ではぱっとしない地区ですが、留学組が何と言ってもすごいのです。谷繁選手は高校時代から逸材でしたし投手も兵がそろっています。

Re:何か土地柄があるのでしょうか?
ミラクル3 / 2018-09-17 22:37:00 No.5368
 こんばんは、杜都さん。

 三次市と庄原市は、数多くの名バッテリーを輩出していますね。何か土地柄があるのでしょうか?

 三次高校に有力な中学生が進学すれば、甲子園を狙えるところまで行けるとは思いますが…。やはり甲子園への近道となる強豪校に有力な中学生は流れるのですね。

 谷繁選手は、超強打者として騒がれましたね。プロではバッティングよりも捕手としての総合力で秀でました。

 広陵の原選手は、私も印象に残っています。甲子園の全7試合でヒットを打ちました。

 小林誠二投手は、パームボールを決め球にカープの抑えとして活躍しました。あのパームボールは魔球でしたね。

 二岡智選手は高校時代は三塁手だったのですか。リリーフピッチャーを務めたとも聞きました。

 二岡選手のお兄さんの活躍も覚えています。名前が珍しかったですし。

 オール備北は、かなりのメンバーですね。プロでの実績が十分ですし。

 オール池田も、相当強いチームになると思います。やはり82年、83年組が中心でしょうか?

 備北出身者が留学しなかったらと惜しまれますね。もっとも1人や2人の力では甲子園出場はかなわなかったでしょうけど。

 それでは、この辺で失礼します。出身地別ベストナインを考えるのも面白いですね。

Re: 返答が遅くなりました
杜都 / 2018-09-21 01:50:00 No.5374
こんばんは

>三次市と庄原市は、数多くの名バッテリーを輩出していますね。何か土地柄があるのでしょうか?

 備北には好投手や捕手が生まれやすい というのは聞いた
 ことがありますが やはり 少年野球の指導者の関連だと
 思います。 これだけ人口が少ない地域にそんなに何人も
 プロ野球で活躍するような選手が出るというのも稀だと
 
 備北地区の人口は 松山市の 約6分の1です
 

 鹿児島県の曾於というところも 野球選手が生まれやすい
 土地柄だというのを聞いたことがあります

 PL学園 中日 阪神の福留選手や 広島の松山選手
 赤田将吾選手  榎田大樹選手などのプロ野球でも有名
 選手が小さな町から何人も出ています。

 やはり少年野球の指導者が関係していると思います。

 谷繁選手 黒田真二選手が出身の旧比婆郡東城町
 小林誠二選手が出身 旧比婆郡高野町
 
 は広島県でも屈指の過疎地です。
 最近は県立大学を誘致したりして若干開けては来て
 いますが・・・それでも、徳島県の三好市池田町付近
 よりも確実に田舎です

 82年83年連合の池田だけでもかなり強いチームが作れ
 そうです。メンバーの人選には非常に迷いますが
 
 1番 中 坂本(83)
 2番 二 窪(82)
 3番 右 江上(83)
 4番 左 畠山(82)
 5番 投 水野(83)
 6番 捕 井上(83) 
 7番 一 高橋(83)
 8番 三 木下(82) 
 9番 遊 山口(82)

になりました。3番から5番までの 高校野球史上屈指のやまびこクリーンナップは不動のままです。6番以降の打順が少し迷いますが 捕手の井上選手の打撃を買って6番に抜擢 山口選手は恐怖の9番として最後に据えました。
 

Re:やはり少年野球の指導者に優れた人がいるのでしょうね
ミラクル3 / 2018-09-21 23:01:00 No.5375
 こんばんは、杜都さん。

 やはり少年野球の指導者に優れた人がいるのでしょうね。そうでなければ、これだけの人材を輩出する説明がつきませんので。

 備北地区の人口は松山市の約6分の1ですか。まさに過疎地区ですね。

 鹿児島県の曾於は、牛肉でも有名と聞きました。と言いますか、それで曾於の地名を知りました。

 それにしましても、曾於も名選手を多く生んでいますね。どの選手もプロで活躍しているのですから驚きです。

 曾於にも少年野球の名指導者がいるのでしょうね。打撃に通じた指導者がいるような気がします。

 三好市池田町付近よりも田舎で、それだけの好選手が出たというのは1つの奇跡ですね。池田町の田舎ぶりは、何度も中継されたので良く知っていますが。

 82年、83年の池田連合チームは豪華な顔ぶれになりますね。

 やはりピッチャーは水野選手でしょうね。制球に難のあった畠山投手より安定感が遥かにありますので。

 江上選手は外野ですか。サードの守備が不安定でしたので、私もそうします。

 左の井上選手を6番に置いたことで、右、左の並びが良くなりますね。山口選手が9番というのは相手に脅威になります。

 それでは、この辺で失礼します。東京は、八王子、調布が好選手を輩出しています。

Re: 長尾監督瀏の池田打線
杜都 / 2018-09-23 10:52:00 No.5382
こんにちは 確かにおっしゃるようにジグザグ打線を
組むというのは相手投手にはやりにくいですね

 1番 中 坂本(83) 右
 2番 二 窪(82)  右
 3番 右 江上(83) 左
 4番 左 畠山(82) 右
 5番 投 水野(83) 右
 6番 捕 井上(83) 左
 7番 一 高橋(83) 右
 8番 三 木下(82) 右
 9番 遊 山口(82) 右

これをみると 江上選手と井上選手が左ですね 昨今左打者が多い中当時の 池田は意外に左打者が少なかったのですね 確か野中選手から センターとレフトの間にヒットを打った83年のショートの松村選手が 左だったとは思いますが 
打撃では山口選手のほうがありそうだったので 遊撃手は山口選手にしました。

この前選抜で準優勝した高松商はジグザグ打線は左右で組むのではなく 1番(安西)と3番(米麦)と5番(美濃)にすばしっこい選手 2番(荒内)と4番(植田響)6番(植田理)に長打力の高い選手を組んでいます

2分35秒ぐらいから ビデオクリップをご覧ください

池田高校で誰が俊足か というのは私はあまり知らないのですがミラクル3さんの情報から 蔦監督がボールを遠くに飛ばす力はファーストの高橋選手が一番だ と言っていた記述から 高橋選手を2番に抜擢して窪選手を7番にする やまびこクリーンナップは蔦監督が自信を持って組んだオーダーですので変えないのが良いとも思います。江上選手は82年も83年も三番でしたから やはり彼は3番が一番機能するのだと思います。


打順をいじった後の新池田打線です。

 1番 中 坂本(83) 右 (すばしっこい)
 2番 一 高橋(83) 右 (長打)
 3番 右 江上(83) 左  やまびこクリーンナップ 
 4番 左 畠山(82) 右  やまびこクリーンナップ
 5番 投 水野(83) 右  やまびこクリーンナップ
 6番 捕 井上(83) 左  (長打)
 7番 二 窪 (82) 右  (すばしっこい)
 8番 三 木下(82) 右  (すばしっこい)
 9番 遊 山口(82) 右  (長打1番とのつながり)

Re:ジグザク打線は、相手からすれば嫌なはずです
ミラクル3 / 2018-09-24 00:43:00 No.5390
 こんばんは、杜都さん。

 ジグザク打線は、相手からすれば嫌なはずです。敵として見ていた78年夏のPLのジグザク打線は嫌でしたので。

 82年、83年の池田打線は左バッターが少なく、82年は1人、83年は3人でした。

 83年のショートの松村選手は左バッターでしたが、打力が弱く、守備にも難がありましたので、山口選手の方が相手に脅威でした。

 高松商の長打とスピードのジグザク打線も、相手には嫌らしさを与えたでしょうね。それにしましても、ユニークな打線でした。

 なるほど。長打力が抜群だった高橋選手が2番ですか。となると、送らない2番になりますね。

 それでは、この辺で失礼します。新打線も長打力十分の打線ですね。

Re: 備北地区から甲子園に
杜都 / 2018-09-24 00:54:00 No.5392
 
 こんばんは 蔦監督はめったにバントのサインを出しませんからね 高橋選手が2番でもあまり関係ないかもしれません

 池田の特徴は下位打線からでもチャンスを作れるということですね ということは8番の木下選手ぐらいからでもチャンスを作って1番2番につなぐと得点できるチャンスが広がってきます

中京の監督さん(杉浦監督)が その点が最も脅威だというようなことを選抜高校野球の途中で言っていました。
たたきつけるようなバッティングと 外野を抜く長打が池田の特徴だとか 選抜では明徳 横浜商戦以外は 危なげなく勝ち進みましたし 水野投手の剛腕がうなりを挙げだすとまったく他校は手が出ませんでした。
 池田の83年の春は優勝するべくして優勝したのかもしれませんね
 

Re:83年春の池田は、まさに最強でした
ミラクル3 / 2018-09-24 22:45:00 No.5399
 こんばんは、杜都さん。

 蔦監督がバントを使ったのは、83年の2番の金山選手の時でした。蔦監督は、金山選手のバッティングを買っていなかったようです。

 8番の木下選手はチャンスメークもでき、ランナーを返すバッティングも見せました。これだけの打者が8番なのですから、相手は堪らなかったでしょうね。

 杉浦監督は、そのようなことを言っていたのですか。83年夏は、杉浦監督は打倒・池田に全精力を注ぎ、寿命を縮めてしまいました。

 83年春の池田は、まさに最強でした。たたきつけるようなバッティングに加え、長打があり、水野投手の出来が完璧でしたから。

 明徳は唯一の勝てる展開に持ち込んだのですが、井上選手の一発長打に屈しました。

 それでは、この辺で失礼します。83年春の池田は、優勝するべくして優勝したと思います。

Re: 83年の夏に池田の優勝を予想した人は
杜都 / 2018-09-27 23:36:00 No.5407
 こんばんは 83年春の池田を80年代前半(80年から84年まで)の最強とする輩は 中国 四国には結構います。

桑田清原2年生のPLという説もありますが・・・何といっても水野投手の安定感と 強力打線 守備にはやや難がありましたが、それでも池田のパワーは世代最強だという意見が多く

 84年のPLに匹敵する戦力は持ち合わせていたかのように思えます。もちろんそのPLを倒した 岩倉高校や取手二と対戦しても十分勝てる戦力はあったと思えます。

実は池田が83年の春に優勝した時には もう池田は夏も連覇すると思っていた人は非常に多くいました。

選抜では水野投手の防慮率は0点 5試合でとられたのは2点だけ(自責点は0) 夏も水野さんから3点以上取れる打線があるわけない と思っていましたし また池田打線を3点未満に抑えられる投手がいるだろうか?いないだろうな?と思っていました。

池田が負けるとすると 中京か箕島か それもありえないだろうな と思っていました。というのは前年の82年 下馬評では 池田と早実が優勝候補でそれを追う形で中京だったと思いますが・・・その早実と 中京を倒した広島商は 池田のパワー野球の前に手も足も出なかったし 横浜商は選抜でも完敗しているし・・・83年の夏に池田がマンガのごとく前人未到の三連覇をなして大会を終えるのを程度予想していた人はかなりの数だったと思います

 自分は池田がPLに負けるというのは全く予想外でした。先入観はいけないのですが この前まで中学でやっていた一年生が池田相手とは気の毒だなあと 正直思っていました。当時の新聞や雑誌の情報から PLの評価はあまり高くなく ミラクル3さんほど83年のPLには脅威は感じていませんでした。
中京>PL という図式がなんとなくありました。
 
 前もこの話はしたと思うのですが 準決勝がもし 
池田‐久留米商 PL−横浜商 だったらどうったか?高校野球ファンの中では池田の三連覇はありえたか というのは結構討論されています。いくら水野投手が調子が悪くても おそらく久留米商には勝ったと思います。そして、決勝戦は池田対PLになっていたと・・・当時の高校野球は準々決勝の後に休養日がなかった?のではないかと思いますので、どうしても水野投手の連投は避けれないとも思えます。 もちろん それは桑田投手も同じ条件です。何の根拠もないのですが、この勝負は僅差でPLが勝ったのではないかと・・・

Re: 83年春の池田と84年PLの比較は難しいですが…
ミラクル3 / 2018-09-28 00:51:00 No.5411
 こんばんは、杜都さん。

 83年春の池田と84年PLの比較は難しいですが、池田を応援し、PLを敵として見ていた私からしますと、どうしても池田の粗が目につき、84年のPLを上に見てしまいます。

 岩倉と取手二は、ああいう展開でないとPLに勝てないという展開で勝ちました。

 ですので、池田と対戦した場合は、普通に戦えば、池田が勝つと思います。

 私も、池田が83年の春に優勝した時は、夏も優勝すると確信していました。守備にやや不安はありましたけど、水野投手のピッチングとやまびこ打線は、他を寄せ付けない迫力がありましたので。

 ただ、83年の夏は全国から強豪が集結し、池田も安泰ではなかったことは確かです。中でも、箕島、中京、興南が強敵だと思っていました。

 PLは大会前はさほど気にならなかったのですが、初戦の所沢商戦での桑田投手のピッチングとチャンスに畳みかける打線に脅威を覚え、2回戦の中津工戦を見て、打倒・池田の1番手と思うようになりました。

 準決勝の組み合わせが池田−久留米商、PL−横浜商でしたら、まったく歴史が変わっていたでしょうね。久留米商の山田投手がまともに投げられる状態ではなかったですから。

 となれば、決勝戦は池田−PLになっていたでしょうね。もしそうなっていたら、水野投手の方が桑田投手より遥かに疲弊していたでしょうから、私もPLが勝っていたと思います。

 それでは、この辺で失礼します。返す返すも、水野投手が受けたデッドボールが恨めしいです。

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