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中京対池田が一番
杜都 / 2018-12-11 01:41:00 No.5538
こんばんは 薬の営業マンが今年最後の訪問にきて そこで 80年代の前半でどんな試合が好試合として印象に残っていましたか という話になった時 私は迷うことなく 83年の中京対池田 にしました。 

印象に残っているかどうか まず私が観た試合の中で 真っ先に思い出す試合から挙げていってみてその中から どういう試合だったかを鮮明に覚えているものを書いていくと
やはり83年の池田対中京でした。

箕島対明徳と言おうかとも思ったのですが・・・実際には中京対池田のほうがインパクトは強く 水野と野中の投げ合い そして両軍よく守ったと思います。池田も中京も豪打のチームなのに9回になるまでどちらも1点しか取れなかったのは今思えば不思議なことだと思います。 野中投手が高橋選手に打たれたときに苦笑いした表情や 松村選手の打った左中間の三塁打などや最後のサードゴロを江上選手がうまく裁いたシーンなどが印象に残っていたので この試合を選びました。次点が箕島対明徳(82年春)ここまでは迷うことはありませんでした。 

続いて85年の夏の決勝PL対宇部商と83年の春の池田対明徳 この二つの間で少し悩みましたが どちらかというと
PL対宇部商に軍配が上がり3番目 4番目に来るのが
池田対明徳 

そのあとは いろいろ思い出した順に書いていって ああそういえば・・・という感じで順序を調整してみました。
 
5位 83年 箕島   対 吉田
6位 84年 境    対 法政一
7位 85年 甲西   対 東北
8位 84年 PL   対 金足農
9位 82年 PL   対 箕島
10位 82年 広島商  対 中京

とこんな感じになりました。

Re:私は、PL−取手二です
ミラクル3 / 2018-12-11 22:04:00 No.5539
 こんばんは、杜都さん。

 80年代前半の好試合ですか。私は、真っ先にPL−取手二が真っ先に思いつきました。9回裏の木内監督の投手リレーがハイライトでした。

 池田−中京も素晴らしい試合でしたね。何より甲子園の雰囲気が異常でした。

 箕島−明徳は選抜の試合ですからね。やはり夏の方が雰囲気があります。

 池田−中京は、中京が守備で善戦しました。池田打線が野中投手を打ちまくるなか、守備陣が1点で凌いでしました。

 そんな中で出たのが高橋選手の一発ですね。完全なボール球をあそこまで運んだのですから、打った方が見事でした。

 池田−中京は、9回までの過程も素晴らしかったです。守備に不安があると言われた池田もよく守りました。

 PL−宇部商、池田−明徳も、私も上位に選びます。KK最後の夏、清原選手の2ホーマー、1点を巡る争い、サヨナラのシーンなどを総合しまして、PL−宇部商が、私の中では3位です。

 5位〜10位を拝見しました。こうしてみますと、80年代前半に如何に好試合が多かったかがわかりますね。

 杜都さんの5位〜10位の中では、82年のPL−箕島が印象に残っています。この試合は緊迫感が凄かったです。そして、レベルが凄まじく高かったです。

 それでは、この辺で失礼します。80年代前半の奇跡の勝負1位は、PL−岩倉だと思っています。

Re:PL対箕島
杜都 / 2018-12-14 02:54:00 No.5540
 こんばんは PL対箕島は選抜の試合でしたね この試合のハイレベルさには度肝を抜かれました。 PLは榎田投手  箕島は上野山投手でしたね。この試合でなかなか点が入らない試合だったと思います。それほど両チームの守備力は高かったということが証明されていると思います。横浜商もPLに善戦しましたが・・事実上この試合が決勝戦だったと思えます。

Re:恐ろしくレベルの高い試合でした
ミラクル3 / 2018-12-14 22:34:00 No.5541
 こんばんは、杜都さん。

 甲子園でのPL−箕島は、78年、79年、82年と、全て選抜での対戦でした。

 82年のPL−箕島はまさに事実上の決勝戦で、恐ろしくレベルの高い試合でした。1点の重みが凄かったです。

 特にPLの守備力は素晴らしく、「高校野球では最高水準の守備力」と評されていました。

 横浜商はPLに善戦しました。一時は2−1と逆転したのですが…。それでも勝たせてくれないのが当時のPLでした。

 それでは、この辺で失礼します。PLと箕島が予選で負けたのが今も信じらないです。

Re:高校野球最高水準の技術
杜都 / 2018-12-17 10:52:00 No.5552
 こんにちは 98年の横浜対PL学園の試合 そういえばNHKが高校野球最高水準の技術と評していました。当時のPL学園は いずれ横浜と対戦することになると読んでいて、選抜でエラーがらみで負けたことで守備力は夏のチームは断然あげていました。

私も感じたのは80年代のPL学園の守備力の高さです。とくに87年のチームの守備力の高さは凄かったです。三遊間が宮本-立浪 二塁手が尾崎 一塁手が片岡ですから・・・・

 残念ながら70年代の高校野球はライブでは見たことがありません。PL学園が強かったというのは噂では聞いたことがあります。木戸選手と西田選手の名前はとどろいていました。

 なぜかPLと対戦する相手は、準々決勝以降で時代最強と呼ばれる相手と対戦することが多いですね 
中京、高知商、箕島、池田、横浜・・・と


 

Re:PLの守備力は脅威でした
ミラクル3 / 2018-12-18 00:11:00 No.5553
 こんばんは、杜都さん。

 98年の横浜−PLをNHKがそう評していたのですか。確かに、両校とも投攻守とも高校野球の水準を遥かに超えていました。

 PLが、夏は「打倒、横浜」に標準を合わせていたことはよく知られていますね。鹿児島実戦を前に平石主将が小山主将に、「俺達とやる前に負けるなよ」と電話したそうです。

 80年代のPLの守備力の高さは、中村監督の指導の賜物でしたね。中村監督は、守備力を重視して選手を起用したと聞きました。

 87年のPLの守備力も高かったですけど、82年と84年のPLの守備力も素晴らしかったです。80年代は、PLの守備が破綻した試合はほとんどありませんでした。

 70年代のPLでは、やはり西田−木戸がバッテリーだった78年のチームが印象深いです。夏は、小早川選手を負傷で欠いての優勝でした。

 PLと中京、高知商、箕島、池田、横浜の試合は、どれも球史に残る試合ばりですね。当時は、まさに高校野球の全盛期でした。

 それでは、この辺で失礼します。懐かしい思い出をありがとうございました。

Re: PLは別格
杜都 / 2018-12-18 08:59:00 No.5554
 こんにちは 

 私の時代PLは別格だったと思います
 何か高校野球界で特別な存在というのがPLだったと
 PLは強くなければPLではない という感じなのと
 あとはどこかで逆転をしてくるイメージがありました
 箕島や池田も強かったですが・・・・PLというと
 力だけではなく技も持っていて 何か池田と箕島の
 両方の良いところを兼ね備えたがPLというイメージ
 でした。関東の雄の横浜とも違っていて なにか
 ユニフォームのPLの文字のあたりを握ってバッター
 ボックスに入ると何か 土壇場でもヒットを打たれる
 ような気がします

 これは 横浜対PL戦で 古畑選手が三振に倒れた後
 の大西選手の場面で感じました。

 やっぱり(悪い意味ではなく良い意味で)ヒットが出た
 という感じです。 アンチPLの人にとっては 打者が
 バッタボックスに入るときにユニフォームのPLの文字
 のあたりを握るのは 
 何か悪いおまじないように感じたと思います。

 PLはライトに下がるように伝令を出すのを間違えてファ
 ーストに伝えてしまったというミスから横浜に追いつかれ
 てしまい 流れが横浜に傾いていたところを 大西選手の
 ヒットで取り戻して

 さらに17回に
 レフトの田中選手に小山選手のホームラン級の打球を
 好捕されたときには 流れはPLに来ていると思いました
 
 
 PLに粘られたら本当に厄介です。これが4回の優勝を誇
 るPL学園の粘りか と横浜の選手たちはもう引き分け 
 再試合を覚悟したと思います。

 もしそうなると
 翌日は松坂選手はもう投げれないだろうから 投手が
 二人いるPLが勝っていたと思います。

 
 平石主将が小山主将にそんな電話をしていたのですか
 PLの打倒横浜への執念を感じます

 >懐かしい思い出をありがとうございました
 
 いえ こちらこそ懐かしい思い出をありがとうござい
 ました。

Re:PLの話は尽きませんね
ミラクル3 / 2018-12-18 22:28:00 No.5555
 こんばんは、杜都さん。

 私にとってPLは仇敵のような存在でした。PLという存在がなければ、ここまで高校野球に夢中になっていなかったかもしれないです。

 私が学生の頃のPLは、それこそ鬼のように強かったです。力と技を兼ね備え、勝負強く、負ける姿が想像できないくらいでした。

 KOマーチが掛かるなか、PLの選手がPLの文字のあたりを握ってバッターボックスに入ると、必ずと言っていいほど劇的な一打が出ました。

 横浜戦の大西選手の同点打は、まさにそういう一打でしたね。打たれる気がしていました。

 17回表の田中選手のホームランキャッチでPLに流れが行ったかと思いました。その直後の本橋選手のエラーは信じがたかったです。

 もし18回引き分けだったら…。16回を終わった時点で、それを考えました。好投手が2人いるPLが再試合では勝ったでしょうね。

 鹿児島実の杉内投手が1回戦でノーヒットノーランを達成しましたから、PLナインも心配になったのでしょうね。小山主将は、「大丈夫。松坂がやる気になっているから」と答えたそうです。

 それでは、この辺で失礼します。PLの話は尽きませんね。

Re:渡辺監督は
杜都 / 2018-12-21 12:36:00 No.5558
 こんにちは お昼休みに書きます

 PL対横浜 98年 は8回の表の横浜の攻撃で
 
 ライトに下がれという指示を間違えて ファーストに出してしまい 加藤選手に走られてしまいました
 
 そのあと小山選手のタイムリーが出て無駄な1点を横浜にやってしまいました。

 渡辺監督は後に PL学園こんな野球教えてるのかな それとも浮足だってしまって分からないのかな? ならこの試合は少なくとも勝てる とのちにNHKの特番でコメントしていましたが・・・・    

 私はそんな単純なものだとは思っていませんでした。もちろん渡辺監督ほど野球を知っている訳ではないのですが・・・・

 しかしPLがそれぐらいの事で負けてしまう とはとても思えませんでした。 

 16回の表に高いバウンドのショートゴロで1点横浜が勝ち越した時に投手は松坂投手だし、これで勝負あったと思ったのは、西日本(とくに大阪)ではかなり少ないと思います。

 絶対にその裏にもなんとかして追いつくだろうという予感がしました。 そうすると案の定 田中選手が浅いショートゴロから生還してきて、 これまま引き分け もしくは PLが逆転で勝利すると感じました。

 箕島やPLには野球の常識は通用しないということは一部のファンの間ではつとに有名で、PLが接戦になってあっさり負けてしまったのは2003年の福井商戦ぐらいかと思います。 

Re:8回表の指示はそうだったのですか
ミラクル3 / 2018-12-21 22:44:00 No.5560
 こんばんは、杜都さん。

 8回表のPLベンチからの指示は、「ライトに下がれ」だったのですか。それをファーストが勘違いしたとは、PLらしくなかったですね。

 後でビデオを見ましたら、ファーストがベースを離れたことを解説の川本さんが指摘していました。さすがの指摘だと感心したものです。

 そこでタイムリーが出るのが横浜ですね。PL戦の小山選手は当たりまくりました。

 PLは浮足だっていたのかもしれませんね。1点を守ろうとする意識が高すぎたような気がします。

 8回に同点になっても、まだどちらが勝つか全くわかりませんでした。戦力面では横浜の方が2枚ほど上でしたが、PLが驚異的な粘りを見せましたので。

 16回表に横浜が1点勝ち越しても、安心しなかったです。裏の攻撃が1番の田中選手からでしたから。

 同点になって、「横浜は厳しいな」と思いました。何せ流れがPLに行ってしまったでしいからね。

 箕島やPLが恐れられたのは、接戦に無類の強さを見せたことと簡単に土俵を割らないことでした。

 PLは中村監督が退任してから別のチームになった感があります。接戦にそれほど強くなくなったのは事実ですね。

 それでは、この辺で失礼します。PLという存在は、私にとって特別でした。

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