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選抜優勝の岩倉高校
tsutabun /
2015-09-13 20:19:00
No.650
こんばんは。
昭和59年の甲子園大会はPL学園が圧倒的に優勢と見られた中で春は岩倉、夏は取手二と今まで見たことのない自由奔放でやんちゃなムードを持つチームが優勝したある意味おもしろい年でした。両校とも校舎が常磐線沿いで近いというのも偶然でした。
岩倉は以前から都大会では上位の方には顔を出していることは知っていたのですが望月監督がコーチ時代に苦労してスカウトした結果、宮間、菅澤、森、山口といった超高校級の選手が集まったのがあのメンバーのようです。大森八中軟式野球部員だった山口選手は明大中野や日体荏原などを考えていたところに望月コーチがスカウトに来て、自分のライバル投手も岩倉へ行くなら甲子園へ行けるかもしれないと入学を決めたそうです。ちなみに内田選手は早実受験に失敗し、岩倉に入学したそうです。これは凄い拾いものですね!
優勝後にマスコミのカメラ攻勢にVサインで応える彼らには度義務を抜かされたのですがもっと驚くべき事件!?に遭遇しました。その年の選手権東東京大会4回戦、二松学舎大付戦での話です。初回に宮間選手がまたしても先頭打者ホームランを打ちさい先の良いスタートを切った岩倉でしたがエースの山口投手の調子が良くありません(あの選抜決勝のPL戦の1安打完封はまさに一世一代のピッチングだったのか)。
中盤だったか終盤に山口投手は強打者市原選手(選抜準優勝投手で現監督の実弟)を内野ゴロに打ち取り、一塁ベースカバーに入った時、市原選手と交錯。怒った山口選手は何とアウトを確認後、市原選手の背中にボールを投げつけたのです!これは大変なことになると固唾を飲んだのですが審判は気づかなかったのか見て見ぬふりをしたのか注意も何もなかったのです…。結局、岩倉はこの試合に敗れ、夏初出場は夢と消えたのでした。
Re: そんなプレーがあったのですか
ミラクル3 /
2015-09-13 21:35:00
No.653
こんばんは、tsutabunさん。
昭和59年の甲子園大会のPL学園ほど、抜群の優勝候補は、後にも先にも記憶にないです。あれほど投攻守にバランスの取れたチームは、今後も出て来ないと思います。
PLのようなエリート集団には、自由奔放でやんちゃなムードを持つチームしか勝ちようがなかったのかもしれませんね。
岩倉、取手二の両校が選抜で対戦しているのも興味深いところです。
岩倉も取手二も、超高校級の選手が何人もいました。宮間、菅澤、森、山口、内田。吉田、佐々木、下田、桑原、中島、石田。でないと、PLには勝てないです。
宮間選手は、二松学舎戦で?試合連続で先頭打者ホームランを打ったように記憶しています。やはり超高校級の選手ですね。
私は、山口投手のPL戦のピッチングは、彼にとって一生に一度のピッチングだったと、今でも思っています。
>怒った山口選手は何とアウトを確認後、市原選手の背中にボールを投げつけたのです!
そんなことはあったのですか。その行為は、当時なら出場停止ものですね。
その試合で決勝ホームランを放ったのは、ロッテで活躍した初芝選手と聞いたことがあります。やはりプロに行くような選手は、何かエピソードを持っていますね。
それでは、この辺で失礼します。それにしましても、お詳しいですね。
Re: 選抜優勝の岩倉高校
tsutabun /
2015-09-13 22:26:00
No.656
>PLのようなエリート集団には、自由奔放でやんちゃなムードを持つチームしか勝ちようがなかったのかもしれませんね。
まさにおっしゃるとおりです!
ミラクル3さんがあげた取手二高の6人は木内監督は6人衆と呼んでいたようです。入部して初めてグラウンドで彼らのプレーを見たとき、震えを感じたと言っていました。公立の取手二にどうしてこれだけのタレント集団が一斉に集まったのか?確かに冬至の茨城県では強豪でしたが木内監督がスカウティングをしていたという話は全く聞きません。いろいろな運命的な要素もあるとは思いますが当時の茨城県に野球部を強化している私学がなかったことが大きかったのではないかと察します。もし、江戸川学園取手が野球部を強化し続けていたら、6人衆の内、何人かは流れていた。すなわち取手二の全国制覇はなかったということになりそうです。
あの決勝のライト柏葉をワンポイントリリーフさせたのは木内マジックの第一弾というのは有名ですが、選抜では控えだった選手権のサード小菅(下妻第二監督で甲子園出場。伊奈高校も後一歩で甲子園)をレギュラーにしてほしいと選手たちが直訴したとことや明治大学経営学部への入学をキャンセルして近鉄へ行ってしまった吉田(実家は精肉店)などいろいろなエピソードを聞いています。故石田投手も早大で頑張ってもらいたかったのですが…。相当虐められたと聞いています。息子さんが川和高校(神奈川県)から早大準硬式野球部へ入部し、活躍したというのが救いです。
Re:取手二高の6人
ミラクル3 /
2015-09-14 22:25:00
No.664
こんばんは、tsutabunさん。
取手二高の6人は、木内監督からすれば、神からの授かり物だったのでしょうね。そのエピソードは聞いたことがあります。
あの6人が同じ高校、それも公立校に進んだのは奇跡だと思います。当時はもう江戸川学園が進学路線に変えていたのかもしれません。
6人のうち誰かが欠けていたとしたら、PLに勝てなかったでしょうね。確か、6人とも全日本メンバーに選抜されたはずです。
小菅選手と吉田選手のエピソードは知りませんでした。小菅選手のエピソードは感動的ですね。
石田投手の頃の早稲田の野球部はイジメがあったみたいですね。息子さんがオヤジさんの無念を晴らした格好になった感じがします。もちろん、その話も初耳ですけど。
それでは、この辺で失礼します。tsutabunさんの知識量に驚くばかりです。
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昭和59年の甲子園大会はPL学園が圧倒的に優勢と見られた中で春は岩倉、夏は取手二と今まで見たことのない自由奔放でやんちゃなムードを持つチームが優勝したある意味おもしろい年でした。両校とも校舎が常磐線沿いで近いというのも偶然でした。
岩倉は以前から都大会では上位の方には顔を出していることは知っていたのですが望月監督がコーチ時代に苦労してスカウトした結果、宮間、菅澤、森、山口といった超高校級の選手が集まったのがあのメンバーのようです。大森八中軟式野球部員だった山口選手は明大中野や日体荏原などを考えていたところに望月コーチがスカウトに来て、自分のライバル投手も岩倉へ行くなら甲子園へ行けるかもしれないと入学を決めたそうです。ちなみに内田選手は早実受験に失敗し、岩倉に入学したそうです。これは凄い拾いものですね!
優勝後にマスコミのカメラ攻勢にVサインで応える彼らには度義務を抜かされたのですがもっと驚くべき事件!?に遭遇しました。その年の選手権東東京大会4回戦、二松学舎大付戦での話です。初回に宮間選手がまたしても先頭打者ホームランを打ちさい先の良いスタートを切った岩倉でしたがエースの山口投手の調子が良くありません(あの選抜決勝のPL戦の1安打完封はまさに一世一代のピッチングだったのか)。
中盤だったか終盤に山口投手は強打者市原選手(選抜準優勝投手で現監督の実弟)を内野ゴロに打ち取り、一塁ベースカバーに入った時、市原選手と交錯。怒った山口選手は何とアウトを確認後、市原選手の背中にボールを投げつけたのです!これは大変なことになると固唾を飲んだのですが審判は気づかなかったのか見て見ぬふりをしたのか注意も何もなかったのです…。結局、岩倉はこの試合に敗れ、夏初出場は夢と消えたのでした。