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85年の大会の隠れた名投手 
杜都 / 2015-04-25 17:03:00 No.98
こんにちは 国立高校の市川さんが凄い投手というのを聞いて1980年の大会のデータを見ましたら確かに西東京大会を
防御率 0.66は凄い記録だと思えます。

私立全盛の80年代に こういった公立高校にも良い投手がいるから高校野球は面白いです。

85年の大会は打高投低の大会と言われていましたが、甲子園で28イニング連続無失点という驚異的な記録を作った福岡 久留米商の秋吉投手や また秋吉投手と投げ合って 延長戦を競り勝った滋賀の甲西高校の投手(名前は忘れました)も 凄い良い投手だったと思います。グレーのユニフォームが印象に残る投手でした。次の東北戦も覚えています。 連戦で疲れていて 終盤は打撃戦になった試合でした。甲西の9回の裏の攻撃で ライト前で二塁ランナーがボールの下をかいくぐるようにホームインして 劇的なサヨナラゲームだったと思います。 その試合で負けた投手が 後にマリナーズで活躍する佐々木投手でした。彼らは、市川さんと同じように まさに隠れた好投手ですが、その後の球暦は探しましたがいまひとつ出てきませんでした。

Re: 甲西高校
ミラクル3 / 2015-04-26 00:36:00 No.99
 こんばんは、杜都さん。

 市川投手は変則派で、バッターが打ちにくかったですからね。国立高校の打線を考えた場合、その防御率でなければ予選を突破できなかったでしょう。

 私立全盛の80年代に市川投手は例外的だったと思います。あの箕島打線も打ちあぐみましたから。

 久留米商の秋吉投は、サイドスローだったような気がします。最後は甲西高校にサヨナラ負けをしたのですが、サヨナラの場面は、秋吉投手には気の毒でした。

 ツーアウト1、3塁でファーストランナーが走ったので、私は、思わず、「キャッチャー、投げるな」と叫びました。ところが、キャッチャーがセカンドに送球してしまい、それが悪送球になってサヨナラになったんです。

 甲西高校のエースは金岡投手ですね。甲西高校は、選手よりも、「ヒゲの源さん」と言われた監督さんの方が目立っていました(監督の名前は失念しました)。

 甲西高校と東北は、壮絶な試合でした。9回表に東北が勝ち越したのですが、9回裏に、ファーストの葛西選手(阪神にピッチャーとして、ドラフト1位で入団)がトンネルして、同点となりました。

 そして、最後にタイムリーを打たれて、東北高校は、PLとの対戦を目の前にして敗れました。

 金岡投手のその後は、私もわからないです。プロにならなかったことは確かですが…。

 佐々木投手は、大学で大きく成長したんですね。85年の夏は、あくまで好投手の1人であって、超高校級という扱いではありませんでした。

 それでは、この辺で失礼します。隠れた好投手を見つけるのも、甲子園の楽しみ方の1つですね。

80年代前半の九州には好投手が
杜都 / 2015-04-26 21:27:00 No.100
こんばんは
>ツーアウト1、3塁でファーストランナーが走ったので、私>は、思わず、「キャッチャー、投げるな」と叫びました。と>ころが、キャッチャーがセカンドに送球してしまい、それが>悪送球になってサヨナラになったんです。

いわゆるダブルスチールというやつですね。キャッチャーのはやる気持ちを誘う作戦としては見事に的中しましたね。2004年の選抜大会で済美が 準決勝の明徳戦で追いつかれた後の8回に仕掛けたのを覚えています。語り草になっているのが作新学院の江川が 広島商に負けた試合のダブルスチールです。金光という選手がやった捕手の はやる気を 誘ったのはお見事でした。しかしこの試合は以来、江川さんのような1点を取るのが至難の業という剛腕投手は滅多に登場しませんね。スコア的には 西日本短大の森尾投手があげられますがそれでも1点も取れないとは思いませんでした。しかし 振り返ってみれば 80年代前半の九州には 結構いい投手がいますね 80年代には 甲子園では負けてしまったがその素材の良さは注目されていた投手というのは 九州学院の園川投手(80年) 佐世保実業の香田投手(82年 83年) 久留米商 山田投手(83年) 興南の仲田投手(82年 83年)がPLの清原選手が対戦した時の感想が、橋本清氏が書いた本に載っていましたが、とにかく清原氏にして凄かったというのですから… 速球と縦に割れるカーブは当時の高校生としては超高校級だったようですね。しかし仲田投手の印象はあまり鋭くありません。私的には仲田投手よりも 剛腕度なら3年生になった清原を三打席全部三振にした伊野商の渡辺投手 正直強烈でした 速球度なら久留米商の山田投手のほうが印象に残っています。選抜で宇部商の秋村投手と投げ合った試合が最も印象に残っています。手元での球が伸びというのは山田投手は凄かったと記憶しています。

Re: まさに作戦的中でした
ミラクル3 / 2015-04-26 22:22:00 No.101
 こんばんは、杜都さん。

 その場面ですが、「絶対に1塁ランナーが走る」と思っていました。ダブルスティールやキャッチャーの悪送球が考えtられるので、キャッチャーは、ただ単にピッチャーに球を返すべきだったんですが…。

 確かに、この作戦は、最近の甲子園大会であまり見なくなりましたね。健大高崎は、もっと大胆な走塁をしますし。

 広島商のそのダブルスティールは、今も語り草です。江川からタイムリーを打つのは、まず無理でしたので、広島商としては、してやったりの作戦でした。

 西日本短大の森尾投手は、北陸戦の1失点だけでしたね。帝京、桐蔭学園、星稜、近大付といった強打のチームと対戦しなかった幸運もあったことは確かです。」

 杜都さんが挙げられた九州の好投手は、全員が印象深いです。

 その中では、園川投手の悲運が記憶に鮮やかです。公式戦で負けた試合が全て0−1でしたからね。挙句の果てに、3年の夏は、チームが出場辞退になってしまいました。

 仲田投手の高校時代は凄かったです。被安打が極端に少なかったですからね。招待試合で水野投手の池田をシングルヒットばかり7本で完封したことは有名です。

 PLとの招待試合では、誰もが仲田投手を打てないなか、清原選手が3塁打を打って、それで中村監督に認められたと聞いたことがあります。

 仲田投手が3年の時の興南は、「沖縄県史上、最強のチーム」、「負ける要素はどこにもない」、「投攻守走の戦力は全国でトップ」と言われながら、83年の夏では優勝候補の4、5番手でした。杜都の言われるように、時代が悪かったです。

 渡辺投手は、まさに剛腕でしたね。清原の第4打席の三球三振は圧巻でした。

 山田投手と秋吉投手が投げ合ったのは、83年選抜の初日第3試合でした。あれぞ、まさに投手戦でしたね。

 それでは、この辺で失礼します。83年夏ほど、強豪が充実していた年はないです。

Re: 85年の大会といえば 
投稿はじめ / 2015-04-29 20:26:00 No.102
85年はまだ初戦の組み合わせを東西に分けていた頃ですが、次の対戦からはなぜか東同士、西同士の対決がやたら多かったですね。しかも同地区対決が。
中国対決、四国対決、九州対決、東東京の関東一高が関東勢とばかり当たっていたとか。
こういう大会も珍しかったんじゃないでしょうか。

Re: 言われてみれば、そうですね
ミラクル3 / 2015-04-29 22:57:00 No.103
 こんばんは、投稿はじめさん。

 言われてみれば、そうですね。その辺は球趣にやや欠けた感はありますが、あくまでも抽選ですからね。

 私は、高知商が2回戦、3回戦と、同じ四国勢に当たったのが印象的です。谷脇監督が、「自分の作ったチームで最高のチーム」と言われた高知商には、違う地区の高校と戦って欲しかったです。

 それにしましても、珍しい大会でしたね。他の大会で、そういう事例を記憶にありません。

  それでは、この辺で失礼します。現行のフリー抽選、2回戦と準々決勝の組み合わせがある程度決まっているを元に戻すべきだと思います。

Re: 85年の大会の隠れた名投手 
杜都 / 2015-05-02 22:10:00 No.104
 こんばんは 85年の 秋吉投手 と 金岡投手の対決も見ました。 この試合は私が見た試合の中でも良い投手戦の一つです。

2対1で甲西の逆転勝ちというのは全く予想されなかったかと思います。おっしゃるようにどうしてキャッチャーは2塁に投げたのでしょうか?2アウトだったので2塁でタッチアウトを狙ったのでしょうか? タイミング的にはランナーのスタートが良かったのでアウトになるとは とても思えませんでした。

秋吉投手は社会人野球に行ったというのが残っています。金岡投手は その後の球歴は不明です。

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