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三浦貴選手の記事
管理人 /
2008-01-13 16:40:00
No.12080
三浦貴 18期 現:埼玉西武
『家族が支え』
感謝の気持ちと再起を懸けて。プロ野球・埼玉西武ライオンズに三浦貴外野手が入団した。
旧与野市出身の三浦選手はかつて浦和学院高時代にエースとして春夏連続甲子園出場し、その後巨人に入団。順風満帆な野球人生を歩んでいた。しかし、投手から野手転向後は目立った活躍が出来ず、昨季巨人から戦力外通告。一度は引退を決意した三浦選手を救ったのは地元球団、そして家族だった。
「巨人、戦力外」
昨年12月7日、三浦選手の携帯電話にプロ球団から連絡はなかった。この日は、今オフ最後のトライアウト(自由契約となった選手が受けるプロ球団合同の入団テスト)から7日目で、獲得の申し入れ期限日だった。つまり、この日まで連絡がなければ、ほとんどの場合、自動的にプロ引退ということになる。
29年間の人生で味わった最大の挫折。「自分ではまだ出来ると思っても、やる場所がない。やりたいけど出来ない。やるせない気持ちになった」。それは家族にとっても同じ。「妻も野球を続けて欲しいと願っていたけど、それが出来なくなったということでショックを受けていた」と振り返る。
だが、いつまでも落ち込んでいるひまはなかった。妻と幼い2女を養っていかなくてはならない。「僕自身、1人で落胆している場合じゃなかった。家族のために(再就職へ)すぐに行動を起こさないと、という気持ちだった」知り合いに手当たり次第連絡し、仕事を探した。
「希望の連絡」
先の見えない真っ暗闇の中を進むような感覚だっただろう。そんな人生に「もがいていた」という昨年末、突然ライオンズから連絡があった。
ヤクルトからFAで獲得した元メジャー・石井一久投手の人的補償として、福地寿樹外野手が年末に急遽移籍。そのために同選手に代わる外野手を探していた。今季就任した渡辺久信新監督が2軍監督時代に、2軍でプレーしていた三浦選手を見ており、「十分に戦力になる」と判断した。
「本当に嬉しかった。また野球が出来る喜びをかみしめている」。救いの手を差し伸べたのが地元球団だっただけに「何かの縁があるのかも知れない。拾って貰った事に感謝しているし、プレーで恩返ししたい」と再起を誓う。
それにしても人生というのはどう転ぶか分からない。巨人を自由契約になってからを振り返り「長かった、いろんな事があったけど、いい経験になった」と感慨深く話す。
「家族への思い」
そんな長く苦しかった時期、家族の存在は大きかった。「落ち込んでいる時でも、今までと変わらずに接してくれた。本当にありがたかった」と心から感謝している。どんなに辛くても、妻の励まし、娘たちの笑顔が勇気をくれた。「自分が支えていかなくてはと思っていた家族に、自分が支えられていた」
9日の入団発表でライオンズのユニホームに袖を通した。自身の言葉通り、野球が出来る喜びをかみしめながらの毎日が始まる。そして球場へ出かける時、今年も娘たちからこの言葉を掛けて貰えるのが何より嬉しい。「パパ、ホームラン打ってね」
2008年1月13日 埼玉新聞掲載
三浦貴選手のような努力家が目標です。
みっちゃん /
2008-01-14 00:54:00
No.12081
三浦選手が新たな決意を胸に埼玉西武に入団できたことは、彼自身の努力の賜物だと思います。
そして感謝の気持ちを忘れない、これらを明確に持っていれば必ず希望は見えてくる、浦学OBの選手だけに応援したいと思います。
私事で恐縮ですが、本日1/14、私は30代を迎えました。
30歳を迎えた地は、名古屋。
先ほど、一人だけのシングルルームで、日付が変わる直前に20代のときにお世話になったすべての人への感謝の気持ち、直後には30代として精進していく意思を、心の中から伝えました。
今、この三浦選手の記事を拝見し、私自身の30代の幕開けにふさわしい内容を読めたことも、きっと何かのご縁に違いないと感じております。
私も三浦選手のように努力していけば希望が見えると信じ、30代の10年間を全うしたいと思います。
みっちゃんさんへ
管理人 /
2008-01-14 01:09:00
No.12082
まずは、30回目のお誕生日おめでとうございます!
みっちゃんさんにとって30代が素晴らしい日々となりますよう管理人も心から願っています!
三浦選手は管理人も2軍の試合でですが、ここ数年で何試合も観てきました
2軍で4番を打ち結果を出しているのに1軍に上がることの難しさを応援しながら痛感していました
読売という球団でなければ…と思うことも本音を言えばありました
今までの悔しさ、そして感謝の気持ちを埼玉西武という球団でぶつけ、結果に結びつけて欲しいと願っています
家族の皆さんも三浦選手の活躍を心から願っていると思います
その方たちのためにも1軍定着、そして埼玉西武の「顔」となれるよう頑張って欲しいです!
お嬢さんたちの笑顔本当に可愛かったですから(笑)
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『家族が支え』
感謝の気持ちと再起を懸けて。プロ野球・埼玉西武ライオンズに三浦貴外野手が入団した。
旧与野市出身の三浦選手はかつて浦和学院高時代にエースとして春夏連続甲子園出場し、その後巨人に入団。順風満帆な野球人生を歩んでいた。しかし、投手から野手転向後は目立った活躍が出来ず、昨季巨人から戦力外通告。一度は引退を決意した三浦選手を救ったのは地元球団、そして家族だった。
「巨人、戦力外」
昨年12月7日、三浦選手の携帯電話にプロ球団から連絡はなかった。この日は、今オフ最後のトライアウト(自由契約となった選手が受けるプロ球団合同の入団テスト)から7日目で、獲得の申し入れ期限日だった。つまり、この日まで連絡がなければ、ほとんどの場合、自動的にプロ引退ということになる。
29年間の人生で味わった最大の挫折。「自分ではまだ出来ると思っても、やる場所がない。やりたいけど出来ない。やるせない気持ちになった」。それは家族にとっても同じ。「妻も野球を続けて欲しいと願っていたけど、それが出来なくなったということでショックを受けていた」と振り返る。
だが、いつまでも落ち込んでいるひまはなかった。妻と幼い2女を養っていかなくてはならない。「僕自身、1人で落胆している場合じゃなかった。家族のために(再就職へ)すぐに行動を起こさないと、という気持ちだった」知り合いに手当たり次第連絡し、仕事を探した。
「希望の連絡」
先の見えない真っ暗闇の中を進むような感覚だっただろう。そんな人生に「もがいていた」という昨年末、突然ライオンズから連絡があった。
ヤクルトからFAで獲得した元メジャー・石井一久投手の人的補償として、福地寿樹外野手が年末に急遽移籍。そのために同選手に代わる外野手を探していた。今季就任した渡辺久信新監督が2軍監督時代に、2軍でプレーしていた三浦選手を見ており、「十分に戦力になる」と判断した。
「本当に嬉しかった。また野球が出来る喜びをかみしめている」。救いの手を差し伸べたのが地元球団だっただけに「何かの縁があるのかも知れない。拾って貰った事に感謝しているし、プレーで恩返ししたい」と再起を誓う。
それにしても人生というのはどう転ぶか分からない。巨人を自由契約になってからを振り返り「長かった、いろんな事があったけど、いい経験になった」と感慨深く話す。
「家族への思い」
そんな長く苦しかった時期、家族の存在は大きかった。「落ち込んでいる時でも、今までと変わらずに接してくれた。本当にありがたかった」と心から感謝している。どんなに辛くても、妻の励まし、娘たちの笑顔が勇気をくれた。「自分が支えていかなくてはと思っていた家族に、自分が支えられていた」
9日の入団発表でライオンズのユニホームに袖を通した。自身の言葉通り、野球が出来る喜びをかみしめながらの毎日が始まる。そして球場へ出かける時、今年も娘たちからこの言葉を掛けて貰えるのが何より嬉しい。「パパ、ホームラン打ってね」
2008年1月13日 埼玉新聞掲載