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石井義人 情報
管理人 /
2008-11-17 11:56:00
No.14198
石井義人 18期 現;埼玉西武
アジアシリーズ
名場面再現した石井義人の好走塁
好走塁がサヨナラ勝ちを呼び込んだ。9回二死1塁から佐藤の左中間への当たりで、1塁走者の石井義人が一気に生還。打球を抑えた中堅手の油断をつく好判断だった。
1987年の西武−巨人の日本シリーズ。西武の辻が1塁から単打で生還した走塁は、名場面として語り継がれている。当時現役だった清家守備走塁コーチは「あの時のように、中堅が一瞬打者走者を気にした」と言い、3塁コーチとして迷いなく腕を回した。
石井義人は「クライマックスシリーズ前に、DVDでそのプレーを見ていたので」としてやったりの表情だった。
相手のスキつく気迫の全力疾走
「とにかく全力で走りました」。9回二死から四球で出塁し、続く佐藤の打球が左中間に飛ぶや全力疾走。3塁で止まる気配も見せず、そのまま一気にサヨナラのホームを突いた。相手外野手の返球がそれ、余裕の生還で優勝を決めると、ベンチから飛び出した仲間たちにもみくちゃにされた。
「いや〜久しぶりに全力疾走しましたよ。でもいい結果につながって良かった」と冗談を交えて喜びを口にする。
「とにかく勝ちたかった。今まで日本(代表勢)が3連覇していたから負けたくなかった。自分の仕事をきっちり出来ればと思っていた」。
その言葉通り、背番号5がアジアの頂点へ駆け抜けた。
2008年11月17日 埼玉新聞掲載
Re: 石井義人 情報
管理人 /
2008-11-17 12:01:00
No.14199
石井義“伝説の走塁”で西武アジア一
伝説のプレーでアジアを制した。9回2死一塁、佐藤の打球は遊撃手の頭上を越え、左中間へ。右に寄っていた中堅手が慌てて捕球し遊撃手へ返球したが、ボールは山なりだった。それを見た清家三塁コーチは右手をグルグルと回し、一塁走者・石井義を走らせた。「ちゅうちょはしなかった。センターもふわっとしたボールを投げていたし、100%決まると思った」。石井義はスピードを緩めることなく、歓喜のホームへ飛び込んだ。
87年の日本シリーズ第6戦。西武は巨人・クロマティの緩慢な守備を突いて本塁を陥れた。清家コーチも「9番・遊撃」で先発出場した。石井義は「CS前にあのシリーズのDVDを買って研究していたんで」とニヤリ。渡辺監督も「練習で統一の外野返球が甘いのは分かっていた。選手にそういう伝統が受け継がれている」と胸を張った。
≪佐藤 ひと振りでMVP≫佐藤がひと振りでMVPをもぎ取った。9回2死一塁で打球は中堅左へ。「(左中間を)抜けるとは全然思わなかった。中継の態勢があやふやで、それを見て腕を回した清家さん、走った石井(義)は客観的に見て凄いと思う」。お立ち台でも「感謝」と何度も口にし、賞金100万円の使い道は「(石井義と)一緒にゴルフに行って、食事して…。清家さんともね」と笑顔で話した。
2008年11月17日 スポニチ掲載 一部抜粋
Re: 石井義人 情報
管理人 /
2008-11-17 12:04:00
No.14200
伝説の走塁!サヨナラ!ナベQアジアNO1!
激走の向こうに栄光のホームが待っていた。0―0の9回2死一塁。6番・佐藤の放った打球が左中間で弾んだ瞬間、一塁走者・石井義は全速力で二塁を蹴って三塁へ向かった。センターからの返球を受けた遊撃・荘景賀が送球にもたついている。これを見た清家・三塁ベースコーチは迷わず腕をぐるぐると回した。「清家さんがいつ止めるのかなと思ってたけど。とにかく全力疾走しました」と石井義。グラウンドにナインが飛び出してきた。常勝レオの記憶を呼び覚ます鮮やかな走塁でサヨナラ勝ち。「ファイナルという最高の舞台で最高のゲームができた」渡辺監督がアジアの頂点をつかんだ。
87年、巨人との日本シリーズ第6戦で見せた「伝説の走塁」の再現はアジアシリーズが始まる前から狙っていた。指揮官はシリーズ開幕前のミーティングで「送球に甘さがあるからそこを突こう」と伝えていた。当時選手だった清家コーチは「スピード感があったし、ふわっとした返球。100%行けると思った」と振り返った。石井義はクライマックス・シリーズの前に87年の日本シリーズのDVDを購入し、辻の走塁シーンを記憶の片隅に残していた。「西武の伝統だからね」と指揮官。延長突入か、という土壇場でスキのない獅子のDNAがよみがえった。
2008年11月17日 スポーツ報知 掲載 一部抜粋
Re: 石井義人 情報
管理人 /
2008-11-17 12:09:00
No.14201
西武「伝説の走塁」再現で優勝!
アジアシリーズ最終日(西武1x−0統一、16日、東京ドーム)西武は0−0の九回二死一塁、走者の石井義人内野手が、佐藤友亮外野手の左中間への二塁打で統一の緩慢な守備をついて一気に生還、サヨナラ勝ちでアジア王者に輝いた。渡辺久信監督が現役時代の87年日本シリーズで西武が見せた「伝説の走塁」を再現し、シーズン4冠と日本勢のアジアシリーズ4連覇を達成。
三塁をけった獅子の姿に、スタンドがどよめいた。息をのんだ。石井義が歓喜のホームにすべり込んだ瞬間、西武ベンチとともにファンも総立ち。かつて常勝西武の象徴だった“伝説の走塁”でアジア制覇だ。
2008年11月17日 サンケイスポーツ掲載 一部抜粋
Re: 石井義人 情報
管理人 /
2008-11-17 12:11:00
No.14202
西武“伝説の走塁”再現でアジア王者
お互い無得点の九回二死一塁。佐藤の打球は低いライナーで左中間を襲った。長打を警戒し深めに守っていたため、一気に生還は難しい状況。だが、慌てて捕球した中堅手の返球が緩く、清家三塁コーチがグルグル腕を回す。さらに、中継に入った遊撃手も本塁を全く気にしていない様子だったため、一走・石井義が長駆サヨナラのホームを踏んだ。
試合後、清家コーチが「伝説のプレーが出たね」と振り返れば、渡辺監督も「あの時と似ているのかな」と充実感たっぷりに話した。巨人と対戦した87年の日本シリーズ第6戦。八回一死一塁から秋山の中前打で一走・辻が一気にホームインし、リードを広げた。シリーズ前から巨人の中堅・クロマティの緩慢守備を見抜き、スキを突いた走塁。西武はこの試合で日本一を決めた。
激走した石井義は「スキあらばと思っていた」と笑顔。クライマックスシリーズ前にその伝説の場面が収録されているDVDを購入して見ていたという。チームでも大会前に統一のビデオを見て外野守備にスキがあることを確認し、ミーティングで話題にしていた。
サヨナラ打でMVPに選ばれた佐藤も「石井選手がよく走ってくれた」と今年30歳の同級生に感謝。賞金の100万円で石井義にゴルフ“接待”をするという。
2008年11月17日 デイリースポーツ 掲載 一部抜粋
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アジアシリーズ
名場面再現した石井義人の好走塁
好走塁がサヨナラ勝ちを呼び込んだ。9回二死1塁から佐藤の左中間への当たりで、1塁走者の石井義人が一気に生還。打球を抑えた中堅手の油断をつく好判断だった。
1987年の西武−巨人の日本シリーズ。西武の辻が1塁から単打で生還した走塁は、名場面として語り継がれている。当時現役だった清家守備走塁コーチは「あの時のように、中堅が一瞬打者走者を気にした」と言い、3塁コーチとして迷いなく腕を回した。
石井義人は「クライマックスシリーズ前に、DVDでそのプレーを見ていたので」としてやったりの表情だった。
相手のスキつく気迫の全力疾走
「とにかく全力で走りました」。9回二死から四球で出塁し、続く佐藤の打球が左中間に飛ぶや全力疾走。3塁で止まる気配も見せず、そのまま一気にサヨナラのホームを突いた。相手外野手の返球がそれ、余裕の生還で優勝を決めると、ベンチから飛び出した仲間たちにもみくちゃにされた。
「いや〜久しぶりに全力疾走しましたよ。でもいい結果につながって良かった」と冗談を交えて喜びを口にする。
「とにかく勝ちたかった。今まで日本(代表勢)が3連覇していたから負けたくなかった。自分の仕事をきっちり出来ればと思っていた」。
その言葉通り、背番号5がアジアの頂点へ駆け抜けた。
2008年11月17日 埼玉新聞掲載