浦学OB倶楽部 BBS
新規
過去
ヘルプ
管理
戻る
ADVENBBSの過去ログを表示しています(閲覧専用)
浦学OBの挑戦
管理人 /
2009-05-05 01:09:00
No.15245
球児からライダーへ
さいたまの松下さん マン島TTレース挑戦
「完走し、その先の景色を」
英国王領のマン島で30日から行われる世界最古の公道二輪ロードレース「マン島TTレース」にさいたま市南区の松下ヨシナリ(本名・佳成)さんが日本人で唯一、参戦する。松下さんはデザイン業などを営むアマチュアライダー。過酷で知られるレースに初めて参戦することに不安も抱えるが、「完走して、その先に見える景色を見てみたい」と意気込んでいる。
◆紆余曲折の人生
松下さんは高校時代、野球の名門・浦和学院で野球部員として練習に明け暮れた。チームは甲子園に出場したが、けがなどもあり、ベンチに入れず。卒業後に、ライダーとしての道を歩み始めた。
プロライダーを夢見て新たな挑戦を始めたが、プロライダーの道は険しく、度重なるけがの影響で夢を断念。27歳でデザインの勉強を始め、「UPdesigns」を立ち上げた。
「当時はバイクから離れたかった」という松下さんが、再びハンドルを握るようになったのは、友人と一緒にツーリングに出かけたこと。「バイクは速さを競うだけではない。旅する楽しさや愛でる楽しさもある」。以来、デザイン業の傍ら、アマチュアレーサーとしてレースに参戦したり、「二輪ジャーナリスト」として競技の楽しさを伝えるようになった。
◆マン島TTへのあこがれ
ジャーナリストとして2006年に初めて取材したマン島TTレース。街中を高速で走り抜ける迫力に圧倒され、いつかここで走ってみたいと思うようになったという。取材対象から憧れの舞台へ。07年にもレースを取材し、その思いはますます強くなった。
07年11月、東京都が火山災害からの復興を目指し、三宅島で公道を使ったオートバイイベントを企画した。そこにはマン島TTレース優勝経験者としてゲスト参加したベテランレーサーのイアン・ロッガー選手(42)=ウェールズ=らと行動をともにする機会を得た松下さん。イアン選手に「TTレースに出てみたい」と打ち明けたところ、それまでの実績が評価され、参戦が認められた。「最初は参戦を口にするのもためらわれたが、人生1度きり。友人に『夢は声に出さないと叶わない』と背中を押され、挑戦することが出来た」
◆アラフォー代表として
マン島TTレースに参戦が決まったものの、公道で長距離を走ったことがなく、練習場所もないことから「ぶっつけ本番」。不況の影響からか、スポンサーも思うように集まらず、満足な資金も得られない。体力的な不安も抱えるが、「人間やればなんとなかる」と笑い飛ばす。地元から応援する人が現れ始めたことも、大きな支えとなった。
「マン島TTレースは最大にして最高の目標だった。どんな時代や年齢でも夢を忘れず挑戦すれば、必ず思いは成就する。走りきった先に何が見えるかは想像もつかないが、『アラフォー』の代表として走り抜いてきたい」
39歳にして世界屈指の難コースに挑戦する「遅咲きのレーサー」の目は、夢と希望に満ちあふれていた。
★マン島TT(TouristTrophy)レース
毎年5月下旬から6月上旬にかけ、世界中からライダーが集結して行われるロードバイクレース。期間中は公道を閉鎖、1周約60キロの島内を3〜6周し、順位を競う。バイクの排気量などで5クラスに分かれ、1クラス80〜100人程度が参加する。
レース専用のサーキットと異なり、起伏に富んだ道や民家の壁ギリギリのカーブなどを平均200キロ近くで走り続けることから、中にはレースで命を落とす人もいる。1907年から始まり、日本人も多く参戦している。
2009年5月4日 埼玉新聞掲載
ADVENBBSの過去ログを表示しています。削除は管理者のみが可能です。
さいたまの松下さん マン島TTレース挑戦
「完走し、その先の景色を」
英国王領のマン島で30日から行われる世界最古の公道二輪ロードレース「マン島TTレース」にさいたま市南区の松下ヨシナリ(本名・佳成)さんが日本人で唯一、参戦する。松下さんはデザイン業などを営むアマチュアライダー。過酷で知られるレースに初めて参戦することに不安も抱えるが、「完走して、その先に見える景色を見てみたい」と意気込んでいる。
◆紆余曲折の人生
松下さんは高校時代、野球の名門・浦和学院で野球部員として練習に明け暮れた。チームは甲子園に出場したが、けがなどもあり、ベンチに入れず。卒業後に、ライダーとしての道を歩み始めた。
プロライダーを夢見て新たな挑戦を始めたが、プロライダーの道は険しく、度重なるけがの影響で夢を断念。27歳でデザインの勉強を始め、「UPdesigns」を立ち上げた。
「当時はバイクから離れたかった」という松下さんが、再びハンドルを握るようになったのは、友人と一緒にツーリングに出かけたこと。「バイクは速さを競うだけではない。旅する楽しさや愛でる楽しさもある」。以来、デザイン業の傍ら、アマチュアレーサーとしてレースに参戦したり、「二輪ジャーナリスト」として競技の楽しさを伝えるようになった。
◆マン島TTへのあこがれ
ジャーナリストとして2006年に初めて取材したマン島TTレース。街中を高速で走り抜ける迫力に圧倒され、いつかここで走ってみたいと思うようになったという。取材対象から憧れの舞台へ。07年にもレースを取材し、その思いはますます強くなった。
07年11月、東京都が火山災害からの復興を目指し、三宅島で公道を使ったオートバイイベントを企画した。そこにはマン島TTレース優勝経験者としてゲスト参加したベテランレーサーのイアン・ロッガー選手(42)=ウェールズ=らと行動をともにする機会を得た松下さん。イアン選手に「TTレースに出てみたい」と打ち明けたところ、それまでの実績が評価され、参戦が認められた。「最初は参戦を口にするのもためらわれたが、人生1度きり。友人に『夢は声に出さないと叶わない』と背中を押され、挑戦することが出来た」
◆アラフォー代表として
マン島TTレースに参戦が決まったものの、公道で長距離を走ったことがなく、練習場所もないことから「ぶっつけ本番」。不況の影響からか、スポンサーも思うように集まらず、満足な資金も得られない。体力的な不安も抱えるが、「人間やればなんとなかる」と笑い飛ばす。地元から応援する人が現れ始めたことも、大きな支えとなった。
「マン島TTレースは最大にして最高の目標だった。どんな時代や年齢でも夢を忘れず挑戦すれば、必ず思いは成就する。走りきった先に何が見えるかは想像もつかないが、『アラフォー』の代表として走り抜いてきたい」
39歳にして世界屈指の難コースに挑戦する「遅咲きのレーサー」の目は、夢と希望に満ちあふれていた。
★マン島TT(TouristTrophy)レース
毎年5月下旬から6月上旬にかけ、世界中からライダーが集結して行われるロードバイクレース。期間中は公道を閉鎖、1周約60キロの島内を3〜6周し、順位を競う。バイクの排気量などで5クラスに分かれ、1クラス80〜100人程度が参加する。
レース専用のサーキットと異なり、起伏に富んだ道や民家の壁ギリギリのカーブなどを平均200キロ近くで走り続けることから、中にはレースで命を落とす人もいる。1907年から始まり、日本人も多く参戦している。
2009年5月4日 埼玉新聞掲載