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もう一つの夏
管理人 /
2009-07-24 12:38:00
No.16086
「浦学の兄に雪辱」かなわず 深谷商・羽倉健二選手
準決勝まで勝ち進み、優勝候補のエースの兄と対決したい。Bシードの武蔵越生を破った大宮東を相手に、そんな強い気持ちを抱いて臨んだ試合だった。
7回裏。深谷商の羽倉健二(2年)に、代打の機会が回ってきた。先頭打者として出塁するつもりだったが、カウント2―0と追い込まれた。3球目の変化球をたたいたが、二ゴロに倒れた。敗戦をベンチで迎え、「先輩たちと一緒に上に行きたかった」と悔しがった。
浦和学院のエース・羽倉優太朗(3年)の弟だ。
試合前、仲間たちと一塁側観客席に座り、第1試合を観戦した。マウンドには兄が立ち、相手打線を抑えていた。
春の県大会2回戦で、浦和学院に3―5で惜敗した。兄が投げていたのに、自分は試合に出られなかった。「兄のいる浦学は今年が最後。戦いたい」。雪辱と兄への挑戦を目標にしてきた。
実家は深谷商のそばだが、寮に入っている兄とは離ればなれで、よく電話で助言してもらう。今は遊撃と三塁を守るが、春までは投手と捕手に挑戦していた。「投手としての技術や、どう配球するかなど、いろいろ聞いてきた」。兄はそう言って笑う。
最後に電話で話したのは6月上旬。大会前だから迷惑になると思い、お互いに遠慮してきた。この日も同じ球場にいたが話す機会はなかった。
監督の石川泰は羽倉を「次の代で核になってほしい選手」と高く評価する。羽倉は「まだまだ下手くそだけど、兄を超えられるように頑張ってきた。兄と当たれなくて残念だったけど、来年は浦学に勝ちたい」。口をぎゅっと結んで誓った。
2009年7月19日 朝日新聞 埼玉版「輝きの夏! 誓いを胸に」より
『決勝対決かなわず ともに16強』
兄との誓い果たせず 大井 島津選手
「決勝で会おう。」兄弟で約束した夏があった。大井の遊撃手・島津拓真選手(2年)と、兄で浦和学院の主将を務めた裕真選手(3年)。兄弟揃って甲子園を目指した最初で最後の夏だった。前日に敗退した兄は大舞台での活躍を弟に託し、弟はその思いを胸に必勝を誓った。夢はともに5回戦でついえたが、2人は最大の好敵手にして1番の理解者だった。
9回裏、5点を追う大井の攻撃。ベンチから祈るように仲間の打席を見つめる島津選手の手には、兄が身につけていた白いお守りが握りしめられていた。
夏の大本命と言われていた浦和学院が前日、聖望学園に惜敗。兄はその夜、多くを語らなかったが「後はおまえらに任せるよ。おれらの分も頑張ってくれ」と、お守りを手渡した。弟には兄の悔しさが痛いほど分かった。
兄は小学3年生から、弟は2年生から、地元の軟式チームで野球を始めた。「いっこ上で、いつも一緒。兄貴は憧れの存在」。そんな拓真選手が、兄と違う高校に進学した理由。それは県大会での頂点対決の夢を2人で描いていたからだった。「夏の決勝で兄ちゃんとやる」。上級生とのし烈なレギュラー争いを経て、弟は1年生の秋からレギュラーを勝ち取った。
負けた兄の分までと臨んだ埼玉栄戦。お守りはズボンの右ポケットに忍ばせた。8回、4巡目でこん身の左前打。だが、1点が遠かった。ゲームセット。前の晩、テレビで見た兄のプレー、涙、交わした言葉。いろいろな思いが去来した。「3年生と一緒に甲子園に行きたくて。兄ちゃんを連れて行きたくて…」。それ以上は言葉にならない。地面に突っ伏して泣いた。
試合後、弟は兄に短いメールを送った、
「負けちゃってワリぃ」(拓真)
返信はすぐに来た。
「頑張ってくれてありがとな。おまえには来年がある」(裕真)
2人で追った夢は、弟に託された。たぎる闘志を胸に秘め、明日からまた1つ1つ、練習の日々を積み重ねていくつもりだ。今日流した涙を最高の笑顔に変えるために。
2009年7月24日 埼玉新聞掲載「’09 夏物語 高校野球埼玉大会」より
お二人の今後のご活躍を心から願っています!
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準決勝まで勝ち進み、優勝候補のエースの兄と対決したい。Bシードの武蔵越生を破った大宮東を相手に、そんな強い気持ちを抱いて臨んだ試合だった。
7回裏。深谷商の羽倉健二(2年)に、代打の機会が回ってきた。先頭打者として出塁するつもりだったが、カウント2―0と追い込まれた。3球目の変化球をたたいたが、二ゴロに倒れた。敗戦をベンチで迎え、「先輩たちと一緒に上に行きたかった」と悔しがった。
浦和学院のエース・羽倉優太朗(3年)の弟だ。
試合前、仲間たちと一塁側観客席に座り、第1試合を観戦した。マウンドには兄が立ち、相手打線を抑えていた。
春の県大会2回戦で、浦和学院に3―5で惜敗した。兄が投げていたのに、自分は試合に出られなかった。「兄のいる浦学は今年が最後。戦いたい」。雪辱と兄への挑戦を目標にしてきた。
実家は深谷商のそばだが、寮に入っている兄とは離ればなれで、よく電話で助言してもらう。今は遊撃と三塁を守るが、春までは投手と捕手に挑戦していた。「投手としての技術や、どう配球するかなど、いろいろ聞いてきた」。兄はそう言って笑う。
最後に電話で話したのは6月上旬。大会前だから迷惑になると思い、お互いに遠慮してきた。この日も同じ球場にいたが話す機会はなかった。
監督の石川泰は羽倉を「次の代で核になってほしい選手」と高く評価する。羽倉は「まだまだ下手くそだけど、兄を超えられるように頑張ってきた。兄と当たれなくて残念だったけど、来年は浦学に勝ちたい」。口をぎゅっと結んで誓った。
2009年7月19日 朝日新聞 埼玉版「輝きの夏! 誓いを胸に」より
『決勝対決かなわず ともに16強』
兄との誓い果たせず 大井 島津選手
「決勝で会おう。」兄弟で約束した夏があった。大井の遊撃手・島津拓真選手(2年)と、兄で浦和学院の主将を務めた裕真選手(3年)。兄弟揃って甲子園を目指した最初で最後の夏だった。前日に敗退した兄は大舞台での活躍を弟に託し、弟はその思いを胸に必勝を誓った。夢はともに5回戦でついえたが、2人は最大の好敵手にして1番の理解者だった。
9回裏、5点を追う大井の攻撃。ベンチから祈るように仲間の打席を見つめる島津選手の手には、兄が身につけていた白いお守りが握りしめられていた。
夏の大本命と言われていた浦和学院が前日、聖望学園に惜敗。兄はその夜、多くを語らなかったが「後はおまえらに任せるよ。おれらの分も頑張ってくれ」と、お守りを手渡した。弟には兄の悔しさが痛いほど分かった。
兄は小学3年生から、弟は2年生から、地元の軟式チームで野球を始めた。「いっこ上で、いつも一緒。兄貴は憧れの存在」。そんな拓真選手が、兄と違う高校に進学した理由。それは県大会での頂点対決の夢を2人で描いていたからだった。「夏の決勝で兄ちゃんとやる」。上級生とのし烈なレギュラー争いを経て、弟は1年生の秋からレギュラーを勝ち取った。
負けた兄の分までと臨んだ埼玉栄戦。お守りはズボンの右ポケットに忍ばせた。8回、4巡目でこん身の左前打。だが、1点が遠かった。ゲームセット。前の晩、テレビで見た兄のプレー、涙、交わした言葉。いろいろな思いが去来した。「3年生と一緒に甲子園に行きたくて。兄ちゃんを連れて行きたくて…」。それ以上は言葉にならない。地面に突っ伏して泣いた。
試合後、弟は兄に短いメールを送った、
「負けちゃってワリぃ」(拓真)
返信はすぐに来た。
「頑張ってくれてありがとな。おまえには来年がある」(裕真)
2人で追った夢は、弟に託された。たぎる闘志を胸に秘め、明日からまた1つ1つ、練習の日々を積み重ねていくつもりだ。今日流した涙を最高の笑顔に変えるために。
2009年7月24日 埼玉新聞掲載「’09 夏物語 高校野球埼玉大会」より
お二人の今後のご活躍を心から願っています!