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浦和学院高校 公式サイトより
管理人 / 2011-12-29 19:05:00 No.21521
「今 浦学に出来ること」
「笑顔・希望」〜明日へ
自分たちのできることをすべて実践
野球部 石巻市にてボランティア活動

「何かが足りない…。」野球部監督の森士先生は、秋季関東大会二連覇という偉業を成し遂げながらも、明治神宮大会初戦で愛工大名電高校(愛知)に大敗し今までにない悔しさを味わったに違いない。
そして、ついに浦学野球部が動いた。
東日本大震災当日、春の選抜高校野球大会出場を控え沖縄キャンプに遠征中だった野球部は2時46分、那覇空港にいた。羽田空港が封鎖され帰京することができず空港で数時間足止め、結局滞在延長を余儀なくされた。
「埼玉にいなかったので、あの揺れも体験していなければ様々な状況が分からず、家族や学校のことがとても心配だった。東北地方の方々の被災状況を知るにつれ心が痛んだ。だからこそ、一日も早く何かしたかった。」(野球部 森監督)。
そんな野球部の思いから実現した震災ボランティア活動。本校と石巻市との関係から石巻市立北上中学校を拠点とする計画は、車中2泊を含む3泊4日の強行軍で計画された。車中(バス)泊を選んだ理由は、充分な宿泊先が確保できないこともあるが「長時間かけて甲子園応援に来て下さる方の気持ちを自分たちで体験させてもらいたい」という監督自らの思いも組み込まれた。
今回の活動は独自の目的達成はもちろんのこと、石巻市立北上中学校生徒さんとの清掃活動、石巻市立鹿妻保育所児童の皆さんとふれあい交流、最終日には先日浦和学院に遊びに来てくれた鹿妻・子鹿スポ少野球チームとの合同練習もメニューに組み込まれ、勝つために必要なコミュニケーション習得も相手の立場になって行動することで身に付けられる貴重な体験も組まれていた。

Re: 浦和学院高校 公式サイトより
管理人 / 2011-12-29 19:13:00 No.21522
21日14時 寝袋や表示された物資や食糧の荷物積み込み、事前指導では支援活動の全容を把握に努めた。

22時 学校集合。食堂にて事前指導。ボランティアの心構えや被災地の状況を再確認した。

23時 生徒36名、教職員5名で出発。

22日6時 東松島到着、夜明けと同時に東松島市野蒜地区の被災地視察。前夜の雪も残り寒さは厳しい。
3.11の状況がそのまま残り。生徒・スタッフも生々しい状況に言葉もない。

8時 石巻市入り、石巻専修大学様の協力により学食利用、その後ランニング。
別行動の小沢校長と合流、激励を受ける。

10時 鹿妻保育所。園児さんとふれあい交流。クリスマスカードプレゼント。
大震災から9ヶ月、だんだん子どもたちは元気に…。今日もいつものように歓待してくれた。
小崎先生と森先生は、生徒たちより率先してパフォーマンスを披露
森先生は、両手でピアノを引きはじめ一曲披露した。

鹿妻保育所の園児さんからは、ドラえもんバッチが…。
浦学から鹿妻保育所へのクリスマスプレゼントは。お菓子袋と特製クリスマスカード。

12時 女川町〜石巻市雄勝町視察。想像を超える被災状況に車内での弁当も進まない。
女川町では、町営野球場に仮設住宅が建てられ、雄勝町ではビルの上にバスが…。

13時 石巻市立大川小学校。全員で手を合わせ、「安らかに眠ってほしい」と祈る。
生徒たちの表情から、それぞれの思いの複雑さが伝わってくる。
また、登米市南方翔裕園 真壁施設長・進藤事務長の出迎えを受ける。

対策本部 車谷は3回目の大川小学校である。お子様を亡くされたお母さんとお婆ちゃんに毎回出会う。
お互い目があって、会釈はするのだが、まだ声をかけることができない。
お婆ちゃんが慰霊碑の周囲をいつもいつもきれいに片づけている。
今度は声をかけてみたいが、適切な言葉が見つからない。まずは「こんにちは」と言ってみたい。

14時 北上中学校到着。
ア.全校生徒さんとふれあい交流。ジェットヒーターなどを差し入れ。
野球部監督 森先生が北上中学校全校生徒さんへ挨拶
野球部明石主将から
生徒会長の佐々木真智子さんへ
一、ジェットヒーター1台
一、国語・英語の辞書など
(本校、教科指導部より)
一、軟式野球ボール5ダース
(協賛:埼玉スポーツ)
イ.全校生徒さんと班別行動で校舎内の引っ越しや清掃活動。

北上中学校は、高台にあるため津波の被害は免れたが、校舎の損壊状況は厳しく、使用できない教室が多く発生。
この日は、一時的に使用していた教室から本来の教室に引っ越しをする作業がメインとなった。「力仕事になら任せて」と、野球部員は精力的に動いていた。

16時 グラウンドでランニング・体操等を帰宅開始の生徒さんに「浦学らしさ」を伝える。
「どんな支援物資以上の元気をいただけた。生徒たちにとって何よりの模範行動でした。」(北上中学校の先生)との評価をいただいた。

17時 宿泊教室への荷物整理
(移動、入浴・食事)

20時 畠山校長先生のご厚意で「震災ビデオ」視聴等の勉強会、校長先生からたくさんの貴重な体験談などのお話をいただけた。生徒たちは真剣にメモをとり2時間以上の勉強会に集中した。
勉強会後、一日の反省会・ミーティング 就寝は視聴覚教室を用意して下さった

23時 消灯

23日06時 起床、散歩、ランニング・体操。

07時 弁当につける「味噌汁」を地域野菜で作る。少しでも日々と違う体験をする。

08時 ボランティア活動出発。
吉浜小学校視察。実際の建物の中に入り、震災当日の生々しい状況を体験した。
生徒さん他40数名が屋上で「焚火して一晩明かした現場」を自分たちの目で確認した。

(9時〜15時 北上地域のボランティア活動、重機で取れきれないがれきの回収)
※教職員スタッフ2名は、陸前横山駅前で行われた「南三陸町仮設住宅炊き出し」応援。

Re: 浦和学院高校 公式サイトより
管理人 / 2011-12-29 19:15:00 No.21523
『メインのボランティア活動開始』

富岡野球部長、森監督も率先してがれき拾いを行った。
野球部に課せられたボランティア活動は「がれき重機処理後のゴミ拾い」。重機では取りきれない危険物やゴミを手作業で一つひとつ麻袋に入れていく地道な作業だ。日本刀や写真アルバム、箱の中から現金も見つかった。石巻市街地はたくさんのボランティア(「石巻モデル」という)で復旧が進んでいるが、市街地から一時間以上離れたここ北上・牡鹿・雄勝などは、まだまだたくさんの「人の手」を必要としている。
石巻市北上支所 今野室長様やボランティアコーディネーター遠藤様に北上中学校から5分の旧住宅地が作業現場として用意していただいた。

多くの貴重な写真やアルバム、現金などが見つかった。
畠山校長先生も、底冷えのする寒さの中、本校生徒たちと一緒に作業をして下さり、声をかけて下さった。
一つの目的が達成。寒さの中の5時間はとても辛いものだったと思う。20tのゴミを集めてくれた野球部員に敬意を表したい。

15時 北上中学校の利用した施設の清掃。

16時 北上中学校出発。畠山校長先生と見えなくなるまで手を振りお別れした。

石巻市立北上中学校で過ごした2日間もこれでお別れだ。畠山卓也校長先生には、祝日にもかかわらず本校野球部と寝食を共にしていただき、誠心誠意接していただいた。到着時・勉強会・お別れと三度お話をしていただく機会があったが、畠山校長先生は「現地を自分の目で見ていただきたい。そして感じとって伝えてもらいたい。」と繰り返した。
最後の挨拶では「ボランティアは高校生の本分ではない。今、目の前にあることを放ってボランティアをする必要もない。ボランティアをしたことの経験が、今自分が志す(学生なら学生らしく、野球なら目標に向かって)ものの何かを得るきっかけとなり、自分を見つめ直す一助になれば素晴らしいことだ。石巻のことを忘れずに伝えて欲しい。」と話された。

最後に畠山校長先生は、対策本部の車谷に「野球部の生徒さんはとても礼儀正しく素晴らしかった。きびきびした行動は、どんな物の支援よりとても素晴らしかった。そして、野球部の生徒さんが『卒業しても石巻に来ます。』と話してくれたことがとても嬉しい。ありがとうございました。」との言葉をいただいた。
中学校の校長先生と本校生徒が握手し、先生が頭を下げて下さる光景など普通ではあり得ない。しかし、大震災の活動がきっかけとなり、浦和学院は東北の方々からたくさんのエネルギーと心遣いをいただき貴重な教育の場を得ることができた。教科書では学べない大切なことを生徒たちは学んでいる。
(入浴・食事)

Re: 浦和学院高校 公式サイトより
管理人 / 2011-12-29 19:15:00 No.21524
19時 鹿妻小学校。先日来校した「子鹿クラブスポ少野球チーム」と再会。
鹿妻小学校体育館にて、野球練習を通じたふれあい交流。

『浦学・鹿妻・子鹿クラブ 規律正しい 元気集団と再会』

北上から鹿妻小学校まで25?、日和大橋を抜け信号はほぼ復旧しているものの街灯はない。海岸に近い鹿妻・渡波地域は、一階が全滅しているため居住されている方も少ない。とにかく暗い。バス内の生徒たちの様子は「子鹿クラブはここから来たのか」(先日の浦和訪問)と沈みがち。森監督の「最後の仕事をしっかりしよう!」で体育館に入ると、満面の笑みで私たちを迎えてくれた。とにかく規律正しい。指導者・保護者の教育が行き届いた好チーム。「何かしてあげたい」と、心から思えるチームだ。お互い子どもたちは、「明石君、佐藤君」「あいり、るーく」などと親しく呼び合う。
二週間前の訪問時に不在だった森監督は、自ら「厳しく楽しく」精力的に動いた。

浦学生とブラジル体操、柔軟、ダッシュ、キャッチボールなどの練習をこなした。
少年野球ながら練習着に着替え、週4回活動しているという。

森監督の指導に真剣に耳をかたむける子どもたち
子どもたちからは、浦学3年生宛に手紙が託された

浦学からは、訪問した際の写真集を「絆CD」にして一人ひとりにプレゼントした

両チームで体育館を清掃
阿部代表・津田監督から浦学生に挨拶をいただく
体育館ステージには、先日プレゼントしたリックサックが整頓して並べてあった。
浦学全校生徒の義援金がこのように有効的に使われ、 相手方も大切にしてくれていることを報告したい。

21時 鹿妻小学校出発。石巻市を後にする。

24日03時 学校到着。

このように過密スケジュールを消化し、森監督は「教師生活22年間の合宿の中でも、一番内容のある密度の濃い活動となった。生徒たちは大変貴重な体験をさせていただき、得るものが大きかった。自分たちの足らなかったものが実体験で学べることもできた。来年以降も必ず来たい。」と話す。
本校のボランティア活動は、単なる清掃活動やがれき処理だけではない。それらにプラスアルファして「被災地の状況を肌で感じ、何ができるか考え、行動する。」という校長方針のもと、石巻の方々との交流を大切にしている。プロジェクトのスローガン「笑顔・希望−明日へ」へは、生徒たちの積極的な行動から「本気で接する」が相手に伝わり実現できているものと確信する。
そしてこの活動は、「被災地を物資と気持ちを届ける」から始められたが、「本気の行動が相手に伝わり、今となっては被災地の方々から数倍以上のエネルギーをいただいている。」と言っても過言ではない。
大震災から9ヶ月、平成23年が終わろうとしている。被災地東北の方々の明日は幸多かれと祈りたい。

●入浴先でのいい話 道の駅「上品の郷」石巻市民の方々から次のような言葉をいただいた。
「生徒さんたち素晴らしいですね。浴室の脱衣所の床を拭いていました。私たちにも丁寧に挨拶して下さり素晴らしい生徒さんたちです。先生方の躾が良いのだと思います。宮城のためにありがとうございます。」

御礼

今回もたくさんの心ある方々の協力により本校の活動が安全に円滑に行うことができました。
東北の方々の温かい人情に触れさせていただき、この活動を通してさまざまことを勉強させていただいております。
紙面をお借りして御礼申し上げます。

応援活動報告 南三陸町仮設住宅炊き出し

12月23日野球部が石巻でのボランティア活動中、登米市津山町陸前横山駅前でNPO共生フォーラム主催、社会福祉法人元気村後援の炊き出しが行われていた。対象は单三陸町から仮設住宅に移住されている方々だ。浦和学院では、この活動への応援参加は3回目となる。石巻北上から30分弱という立地にも助けられ、野球部森監督、対策本部車谷、学校からは、浜口高校事務長も駆けつけ300食のトン汁やおこわの配布を手伝った。全国的に知名度の高い森監督は、サンタクロースに変身、東北の子どもたちに満面の笑顔でお菓子などを振る舞っていた。
いつもながらに元気村グループの皆さんの段取りの良さ、結束力に脱帽するばかりだ。

浦和学院高等学校東日本大震災対策本部

Re: 浦和学院高校 公式サイトより
管理人 / 2011-12-29 19:39:00 No.21525
浦和学院高校公式サイトにはこの記事と共に、24ページにわたって活動記録写真が掲載されています
是非ご覧下さい

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