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野球部情報
管理人 /
2012-02-02 10:21:00
No.21666
“一戦必勝”森ウラガク
全国で成長の証しを
5.痛感した強豪校との差
全国の地区大会優勝校が参加する明治神宮大会に関東王者として臨んだ浦和学院は、初戦で東海大会覇者の愛工大名電(愛知)に1−8で敗れた。選抜大会で優勝経験のある伝統校に終盤、力の差を見せつけられた。
1−0でリードして迎えた8回、ここまで好投していた先発涌本が1死二塁のピンチを招き、渡邊に交代した。だが、左腕は四球で傷口を広げると一・二塁からノーサインで重盗を決められ、スクイズ野選で同点。さらに犠飛、適時打で2点を奪われ逆転を許した。9回にも5点を追加されて万事休す。8・9回だけで5盗塁、バント安打など、機動力を使った攻撃に後手に回った。
打線も相手の最速147キロ左腕・濱田から7安打を放ったが、高めの直球に手を出し1得点のみ。関東大会後、選手たちに気の緩みがあったのも事実で、森監督は「この1試合に、わがチームが凝縮されていた。本当の意味での地力がなかった」と振り返った。
悔しさを今後の糧にするため、敗戦翌日、結果を伝える本紙記事の見出しを“屈辱的な大敗”と書き換え、コピーしてグラウンドをはじめ、食堂・寮・教室など常に目に入る場所に貼り付けた。全国屈指の左腕に3三振を喫した佐藤は、「私生活から自分たちの取り組みが甘かった。でもプラスに考えたら、次の成長につなげられるチャンスだと思う」と前を向く。
現在、個々の能力アップに励むナイン。野手は多い日で昨年までの倍の2千スイング、投手陣は投げ込み以外にフィールディング練習にも心血を注ぐ。技術を磨くのと同時に、どんな状況にも臆せず立ち向かえる精神力も養っている。
◇ ◇
1月27日、2年連続8度目の選抜大会出場を決めた。ただ全国制覇を目標に掲げるチームにとっては、序章にすぎない。甲子園では5大会連続で初戦敗退中と厳しい現実に直面しているが、主将の笹川は「全国で勝てる浦学を見せて、日本一を取りに行く」。森監督も「一戦必勝の積み重ね。やるからには優勝を目指す」と、その表情は強い決意に満ちている。
関東大会で見せた“1戦ごとに強くなるんだ”という向上心を忘れず、ひたむきに取り組めば必ず道は開ける。浦和学院ナインには、それだけの力があると信じている。
2012年2月2日 埼玉新聞掲載
Re:野球部情報
管理人 /
2012-02-02 11:28:00
No.21669
はばたけ浦学 センバツへの軌跡2012/下
宮城・石巻の園児から横断幕
◇「勝利を届けたい」
センバツ出場が決定した翌日の1月28日。宮城県石巻市の鹿妻(かづま)・渡波(わたのは)両保育所の園児28人が作った横断幕が、同市を訪れた浦和学院の職員に手渡された。津波の被害を受けた渡波保育所の園児たちは鹿妻保育所で過ごしている。
赤、青、ピンク、色とりどりの水玉と、ニコニコ笑う子供たちの似顔絵が描かれた横断幕には「浦和学院のお兄ちゃんがんばって!!」と書かれている。鹿妻保育所の阿部たか子所長は「これまでの支援に感謝しています。甲子園出場おめでとう。全力で頑張ってください」とのメッセージを寄せた。
◇ ◇
東日本大震災の発生直後から、浦和学院は宮城県石巻市を中心に独自の支援を続けてきた。ペットボトルに掃除などに使う生活用水を詰めて送ったり、同校で保有する散水車を貸与したり。被災地の少年サッカーや少年野球のチームを同校に呼んで交流も行った。小沢友紀雄校長は「学業や部活動だけではなく、生徒たちには大震災を前にして自分で感じたり考えたことを行動に移してほしかった」と明かす。
学校ぐるみの支援を続ける中で、野球部は昨年12月21〜24日と今年1月6〜10日の2回に分けて夜行バスで石巻市に入り、ごみ拾いや保育園児らとの交流を行った。
12月22日には鹿妻保育所で園児にクリスマスカードとお菓子をプレゼントし、ブランコや縄跳びで遊んだ。翌23日には、津波の被害を受けた住宅跡でごみ拾いをした。泥で汚れた洋服や茶わんのかけら、写真を一つ一つ拾って麻袋に入れていく。午後3時までの5時間で直径1メートル以上の袋15個がいっぱいになった。ごみを拾った石橋司外野手(2年)は「津波がこんなに恐ろしいとは思わなかった。苦しい気持ちでいっぱいになる」と顔をゆがめた。
選手とともに被災地に入った森士監督は「一人一人が自らを見詰め直す時間になった」と振り返る。石巻市から戻った後、選手全員がリポートを書いた。その中で、西岡伸朗選手(2年)は「これからも東北の方々が元の生活に戻れるように何らかの形で貢献したい。その一つとして今は高校野球をやっているので甲子園でテレビを通してみんなを勇気づけられるようなプレーをする」と誓った。
◇ ◇
1月30日、横断幕が浦学の校舎正面入り口に掲げられた。笹川晃平外野手(2年)は言う。「つらい思いをしているはずなのに応援してくれる人たちにプレーだけでなく勝利を届けたい。『一緒に遊んだお兄ちゃんだ』と思い出し、少しでも頑張る気持ちが湧いてくるように。自分たちにできることはそれぐらいしかない」
大会開幕は3月21日。被災地からの応援に背中を押され、浦学の「日本一」を目指す戦いが始まる。
2012年2月2日 毎日新聞埼玉版掲載
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全国で成長の証しを
5.痛感した強豪校との差
全国の地区大会優勝校が参加する明治神宮大会に関東王者として臨んだ浦和学院は、初戦で東海大会覇者の愛工大名電(愛知)に1−8で敗れた。選抜大会で優勝経験のある伝統校に終盤、力の差を見せつけられた。
1−0でリードして迎えた8回、ここまで好投していた先発涌本が1死二塁のピンチを招き、渡邊に交代した。だが、左腕は四球で傷口を広げると一・二塁からノーサインで重盗を決められ、スクイズ野選で同点。さらに犠飛、適時打で2点を奪われ逆転を許した。9回にも5点を追加されて万事休す。8・9回だけで5盗塁、バント安打など、機動力を使った攻撃に後手に回った。
打線も相手の最速147キロ左腕・濱田から7安打を放ったが、高めの直球に手を出し1得点のみ。関東大会後、選手たちに気の緩みがあったのも事実で、森監督は「この1試合に、わがチームが凝縮されていた。本当の意味での地力がなかった」と振り返った。
悔しさを今後の糧にするため、敗戦翌日、結果を伝える本紙記事の見出しを“屈辱的な大敗”と書き換え、コピーしてグラウンドをはじめ、食堂・寮・教室など常に目に入る場所に貼り付けた。全国屈指の左腕に3三振を喫した佐藤は、「私生活から自分たちの取り組みが甘かった。でもプラスに考えたら、次の成長につなげられるチャンスだと思う」と前を向く。
現在、個々の能力アップに励むナイン。野手は多い日で昨年までの倍の2千スイング、投手陣は投げ込み以外にフィールディング練習にも心血を注ぐ。技術を磨くのと同時に、どんな状況にも臆せず立ち向かえる精神力も養っている。
◇ ◇
1月27日、2年連続8度目の選抜大会出場を決めた。ただ全国制覇を目標に掲げるチームにとっては、序章にすぎない。甲子園では5大会連続で初戦敗退中と厳しい現実に直面しているが、主将の笹川は「全国で勝てる浦学を見せて、日本一を取りに行く」。森監督も「一戦必勝の積み重ね。やるからには優勝を目指す」と、その表情は強い決意に満ちている。
関東大会で見せた“1戦ごとに強くなるんだ”という向上心を忘れず、ひたむきに取り組めば必ず道は開ける。浦和学院ナインには、それだけの力があると信じている。
2012年2月2日 埼玉新聞掲載