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野球部 情報3/17
管理人 / 2013-03-17 12:13:00 No.24688
夢は咲く:センバツ出場・浦和学院 恩師の遺志継ぐ森士監督 悲願の全国制覇狙う

◇強豪の基礎築いた3代目・野本監督

第85回記念選抜高校野球大会に出場する浦和学院。甲子園常連校となった同校の礎を築いたのが、3代目監督の野本喜一郎さん(享年64)だ。森士監督は県立上尾高野球部時代、当時監督だった野本さんの下で野球学を学んだ。森監督は、亡き恩師の思いを受け継ぎ、悲願の全国制覇を目指す。

「自分は恩師が作ってくれたチャンスにうまく乗っただけ」。甲子園出場記念パネルがずらりと並ぶ野球部食堂で、森監督はこうつぶやく。

野本さんは1958年から22年間、上尾高監督を務め、チームを春夏合わせて計6回甲子園に導いた。「寡黙で選手に対してほとんど何も言わなかった。自分で考えさせる環境を作るのがうまい人だった」。森監督はそう振り返る。

「3年で甲子園に行くチームを作る」。84年に浦学の監督に就任した野本さんはその言葉通り、86年夏に初の甲子園出場を果たす。しかし、同年春以降、がんで闘病生活を続けていた野本さんは、選手たちの入場行進を病室のテレビで見守った直後、この世を去った。

東洋大に在学中だった森監督は卒業後、野本さんの下でコーチに就任することが決まっていた。「指導者としていろいろ教わりたいと楽しみにしていた。ショックだった」

その5年後、27歳の若さで監督に就任。高校時代、一度もベンチ入りすることはなかったが、野本さんは森監督の野球に打ち込む姿を高く評価していた。かつて部長を務めた県高野連の高間薫専務理事は、野本さんに話を聞いた上尾のOBの 一人が、こう言ったのを覚えている。「俺が30年教えた中で、言われなくても一番練習していた。そういうやつがチームを強くする」

今年で就任22年。これまで春夏合わせて18回の出場を果たした。その監督人生の中で、野本さんの妻俊子さんに言われた言葉が今も忘れられない。「『野本野球』はあなたの中に生きている から。あなたが思い描いてやろうとしていることがすべて『野本野球』になるから、自分を信じてやりなさい」

森監督は毎年夏、選手たちを連れて野本さんの墓を訪ねる。「浦学が強くなったのは、野本さんが来られてからだよ」。そう選手たちに語りかける。山口瑠偉投手(2年)は「森先生は、野本監督が築き上げた伝統を受け継ごうと頑張っている。自分たちもそれを受け継いでしっかり頑張りたいと思う」と話す。

2013年3月17日 毎日新聞埼玉版掲載

Re: 野球部 情報3/17
管理人 / 2013-03-17 12:58:00 No.24689
浦学・小島 緩急光った!東洋大姫路打線相手に4回無失点

第85回選抜高校野球大会に出場する浦和学院(埼玉)は16日、兵庫県姫路市で練習試合2試合を行った。昨春8強で、3季連続で甲子園に出場する優勝候補は、東亜学園(東京)を15―3で下したが、東洋大姫路(兵庫)とは3―3で引き分けた。

東洋大姫路戦に先発した浦和学院の2年生エース・小島は4回3安打無失点で4奪三振。森士監督は「緩急をつけることがテーマだった。低めで引っ掛けさせることができた」と評価した。 前日の抽選で大会3日目に土佐(高知)と対戦することが決定。昨夏は1年生ながら甲子園のマウンドを経験した左腕は「どこが来ても強い。しっかり気を引き締めてやっていく。悪いときにどう投げられるかイメージしていく」と力を込めた。

2013年3月17日 スポーツニッポン掲載

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