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野球部 情報
管理人 / 2013-04-07 11:44:00 No.25204
浦和学院、凱旋後初の練習試合 レギュラー陣出場せず

第85回選抜高校 野球大会で初優勝した浦和学院は6日、埼玉凱旋後初となる練習試合を流通経大柏(千葉)と行い、2―10、5―10で連敗した。

試合に出場したのは、選抜大会で2桁背番号を付けていた選手やサポートメンバーとして帯同していた選手が主。2年生エース小島、4番高田、主将の山根らのレギュラー陣は出場せず、試合の手伝いなどをしていた。

第1試合は選抜大会で10番を背負い、2試合で計3回を投げ無失点に封じた右腕山口が先発。だが2回に連打から野選、失策、二塁打で5点を失うと、4回にも適時打で1点を追加されるなど5回6失点だった。打線も2回の久保の2点タイムリーのみに抑えられた。

山口は自身の投球内容を振り返り、「体の使い方とフォームがバラバラで、いい球と悪い球がはっきりしていた」と反省しきり。一方、バックネット裏からデータを取っていた小島は「配球の面で、やってはいけないことが分かった」と、普段とは違う持ち場で新発見があったようだ。

2013年4月7日 埼玉新聞掲載

Re: 野球部 情報
管理人 / 2013-04-07 13:22:00 No.25205
センバツ初V 浦和学院 桜咲く
選手を信じ 大願成就
?18度目の正直

森士監督、48歳。22年の監督歴で、チームを甲子園に導くこと春夏通算18度。今大会の最多出場監督だ。現役監督で森監督より甲子園出場回数が多い指揮官は、横浜(神奈川)の渡辺元智監督ら5人で、いずれも全国優勝経験がある。

その名将たちの仲間入りを、ついに果たした。

優勝監督インタビューが終わり、大勢の記者に囲まれた森監督は、「夢のようですね。優勝された監督さんがインタビューされているのを見て、『すごいな』って思ってましたが、まさか自分がインタビューされることになるとは…」。そう視線を上げると、聖地には晴れ間が差し込み、指揮官の顔を照らした。

監督1年目の27歳で1992年の選抜大会に初出場し、いきなり4強に進んだ。その後は98年と、02年に選抜大会でそれぞれ8強に進んだが、そのほかは結果をなかなか残せなかった。05年春から11年春までは、出場した5大会連続で初戦敗退。全国制覇を狙えるだけ戦力が整っていたチームもあり、「負けられない」という重圧が、知らず知らずのうちに自らを苦しめていた。

甲子園で負け続けた結果。「色々な面で取り越し苦労だった」ことに気付いた。練習に対する厳しさは変わらなかったが、選手やコーチに任せる時間が増えてきた。もともと、力のある選手たち。あれこれ心配するより、本番で彼らの力を発揮させることを重要視した。

すると昨年の選抜大会で8年ぶりに甲子園で勝利を挙げると、ベスト8入り。夏も自身が率いて阻まれ続けた2回戦の壁をついに突破した。

最近よく口にするのが、「甲子園で野球できることに喜びを感じて、真剣勝負を楽しみたい」。試合中はベンチの中央に立って、得点が入れば選手と一緒に手をたたいて喜び、好守備を見せた選手を満面の笑みで出迎えた。凡退した選手にも肩に手を置いて激励する。そんな光景が何度も見られた。

今大会は強攻策が成功する場面が多かった。象徴的だったのが決勝の済美(愛媛)戦。

1点を追う5回、先頭の斎藤が安打で出塁すると犠打はせず、3連打で同点。さらに3番山根から5連打の猛攻。この回打者12人、8安打で一挙7得点し試合を決めた。「小さく野球をやるより、勇気を持ってスイングした方が好結果になると思った。今回は選手を信じて、思い切った采配ができた」。指揮官が自信を持って送り出したナインはその思いに応えた。

18度目の正直。「負けてきた数、味わってきた悔しい思い、今は全てが財産」。言葉には、ずっしり重みがあった。

2013年4月7日 埼玉新聞掲載

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