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野球部 情報
管理人 / 2013-06-26 19:16:00 No.25856
ふるさとはなれて(3)
転校前の仲間と対戦誓う 長井滉次選手

聖心ウルスラ・長井滉次選手(3年)

テレビの向こうで躍動する、かつての仲間たち――4月3日、聖心ウルスラの左腕・長井滉次(3年)は、かつて通った浦和学院(埼玉)が選抜高校野球で初優勝したことを伝えるニュースを、延岡市の自宅で見ていた。「あいつら、成長したんだな……」。うれしかったが、少し複雑な思いもあった。

茨城県古河市に住んでいた長井は、浦和学院の野球部で1年生の1年間を過ごした。その後家庭の事情で、母親の実家があり、自分の生まれた場所でもある延岡に引っ越し、聖心ウルスラに転校した。「もっと浦学でやりたかったという気持ちもあった」。長井は振り返る。

引っ越し直前の昨年3月、春の甲子園出場を決めていた浦和学院での最後の練習試合で、長井に思わぬ花道が用意された。1試合で切り上げようとした相手監督に、森士監督が言った。「3イニングだけでもいいので、(もう1試合)やってもらえないか」。長井を登板させるためだった。1回と少しを投げ、無失点に抑えた。「お前も仲間だ。向こうでも頑張れ」。いつもは厳しい森の目にも、長井の目にも涙があった。

仲間からは「一番きつい思いをしながら頑張ったお前なら、何でも乗り切れるぞ」と声をかけられた。母親が先に延岡に戻っていたため、引っ越しまでの半年間、朝と昼の弁当を自分で作り、5時過ぎの始発で朝練に通っていた。そんな長井の頑張りを、仲間は温かく見ていたのだ。

「浦学から来たっちゃろ?」。ウルスラでの最初の日、2年生の始業式で、二塁手の黒木一誠(3年)に声をかけられた。打撃投手をやるだけでも、長井は注目の的だった。それでも自然体でいられた。「仲間が明るく接してくれて、温かく迎えてくれたから。こっちに来て良かったなと思った」

転校生は規定で1年間公式戦に出場することができない。しかし長井はこれを準備期間ととらえ、自分が登板したらどう投げるかイメージしながら、ベンチから試合を見た。浦学では1年生が出場しないのが当たり前だったから、出られないのは慣れていたし、悔しさはなかった。

それでも、焦りがないわけではなかった。投げ込みを増やしすぎ、肩を痛めた。試合出場が解禁された4月の公式戦では1回を投げ無失点に抑えたが、症状はさらに悪化。心配した小田原斉監督が「無理をするな」と声をかけた。2カ月間ほとんど投球ができず、6月に入って次第に調子を上げてきたが、最後のメンバーに入れるかはわからない。

「ベンチに入れなくても、応援やサポートを全力でしたい」。そう言いながらも、掲げてきた夢を諦めるつもりはない。「自分が甲子園のマウンドに立って、浦学相手に投げたい。その意味でも、チームの優勝に役立てるように、全力でやりたい」。かつての仲間と再会するため、この夏の宮崎大会で今の仲間と全力を尽くすつもりだ。(敬称略)

2013年6月26日 朝日新聞宮崎版掲載

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