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大竹寛 情報
管理人 / 2014-07-03 09:36:00 No.29004
大竹寛 22期 現:読売
【Gペン】「地獄」を知る大竹

風光明媚(めいび)な瀬戸内海が眼前に広がる。遠くに見えるのは、日本三景の一つ、宮島。厳島神社の大鳥居も望める。広島駅から在来線で約30分。カープの2軍合宿所は、そこにある。絶景を眺めていれば時間はゆっくり流れる。しかし、隣接する屋内練習場では、赤ヘルの若武者たちが寸暇を惜しんで、地獄の光景を作り出している。

練習場は全面、土、だった。昨年、ようやく芝に変わったが、それまでは赤いユニホームが真っ黒に変色し、選手は常に泥だらけになっていた。「あそこでは練習するしかない。周りに何もないし、風景を見る余裕なんてなかった」。江藤2軍打撃コーチがカープに入った頃を振り返る時、今も笑顔では語れない。

「キツイなんてもんじゃない。練習以上に、あの環境が。ただ、あの時があるから今がある。大した才能がなかった自分が、こうしてまだユニホームを着ていられるのは、あの時、あの場所があったから」と話すのは、西武の河田外野守備走塁コーチ。18歳で地獄に足を踏み入れ、抜け出すのに5年かかった。1軍デビューし、その後、移籍して現在に至る。2人がそう語るほどまでに、カープの2軍練習場と合宿所は、過酷な環境にある。

巨人担当を務めていた時、試合が雨天中止になり、ジャイアンツが借りて練習した際、取材で何度か訪れた。ハングリー精神も培うであろう、その練習場を見て、チームスタッフがタメ息交じりに話した。「広島をクビになって他球団に行った選手は、活躍できなくてもチームにいい影響を与える、ってよく聞く。分かる気がする。こんな環境で這い上がろうとすれば練習するし、気持ちもタフになる」

江藤、川口両コーチに青木を含め、広島から巨人に移ってきた選手は、今年から加入した大竹で12人目。亡くなった木村拓也さんもいた。共通するのは、派手さはないけど、練習の鬼で、地道な努力家。みんな、あの地獄の土に汗をしみ込ませ、這い上がってきた。だから、思う。新天地でここまでもうちょっとの大竹が、このままでは終わらないことを、確信するのだ。

2014年7月3日 スポーツ報知掲載

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