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サッカー部情報
管理人 /
2014-10-09 13:42:00
No.30023
元日本代表、高校サッカーに情熱 浦学の監督に
2020年の東京五輪開催に向けた国立競技場建て替えのため、さいたま市の埼玉スタジアムで、今年度は決勝が行われる全国高校サッカー選手権。その大舞台を目と鼻の先に望むグラウンドから、「冬の風物詩」に再び挑む元日本代表Jリーガーがいる。この春、浦和学院サッカー部の監督に就いた森山泰行氏(45)だ。
帝京(東京)、順大とサッカー界の「エリート街道」を歩み、1992年、Jリーグ発足と同時に名古屋グランパスエイト(当時)へ入団。同クラブなどで活躍した点取り屋だ。08年に引退後はJリーグの監督を目指し、国内最高峰の公認S級ライセンスを取得した。
森山監督が在籍した当時の帝京は、「史上最強」との呼び声が高かった。だが度重なるけがに見舞われ、チームも全国制覇を遂げられなかった。そんな悔しさもあり、昨年末、浦学から誘われると、高校サッカーに対する情熱がよみがえったという。
指導力は元プロならでは。ゴール前でのFWの動きなど、自らボールをけって手本を示すだけでなく、トップレベルで培った知識や理論に、部員たちの吸収も早い。ただ、4月に就任し、最初に教えたのはグラウンド整備の仕方だった。部員たちの意気込みに反して、手入れが行き届いていない練習場が気になった。
凸凹がある土の地面は雨が降ると使いものにならず、けがの原因にもなりかねない。毎朝8時、約90人の部員が全員でグラウンドをならすことから、浦学サッカー部の1日は始まる。
目先の「勝利」ばかりを求めるわけではない。最もこだわるのは精神的な成長だ。
「メンタルが強くないと、体力も技術も伸びない。サッカーを通じて、どこへ行ってもやれるような人間にならないと」。完全燃焼できずに高校サッカー生活を終えたが、「帝京での3年間で、(技術的にも、人間的にも)自分の土台ができた。感謝している」と言い、部員たちにもそんな日々を過ごしてほしいと考えている。
浦学といえば甲子園の「常連校」というイメージもつきまとう。すぐ隣で練習する野球部に気後れする部員には、「野球部が頑張っているから、サッカー部も頑張れる。お互いに良い刺激を与え合うことで、成長できるんだ」と説いた。
Jリーグが全国で根付き、プロの下部組織が充実したとはいえ、高校サッカーに比べるとまだその歴史は浅い。6月のワールドカップ・ブラジル大会3試合で先発した日本代表選手のうち、「高校サッカー未経験者」は3人だった。
いまだ全国選手権出場経験のない浦学だが、「ひょっとしたら、彼らの中にも、将来の日本代表を担う原石がいるかもしれない」。将来を期待されながら、けがなどで挫折する仲間も見てきただけに、6年後の五輪で主力になる世代を教えるやりがいも感じている。
元プロが指導するとはいえ、「浦和」という地域は独特だ。50年代に全国選手権を3度制覇した浦和、漫画「赤き血のイレブン」の舞台となった浦和南など、公立の「浦和4校」を中心にしのぎを削り、サッカー文化を発展させてきた歴史がある。
日本代表GKの川島永嗣選手(浦和東高出身)ら多くの人材を生み、浦和レッズや大宮アルディージャといったJリーグのクラブも身近だ。埼玉は激戦区で難しさもあるが、「サッカーへの理解が深い街だからこそ、やりがいがある。いいサッカーをすれば認めてもらえる土地柄だ」。
11日から始まる全国選手権の県大会決勝トーナメントへ向け、「チームはやる気とポテンシャルに満ちている。それをどう引き出してあげられるかが自分の役割」と森山監督。選手たちが掲げる県大会8強入りを目指し、新人監督の挑戦が始まる。
もりやま・やすゆき 1969年5月、岐阜市生まれ。名古屋や広島、川崎などJリーグ6クラブのほか、東欧・スロベニアのクラブでもプレーした。J1通算215試合66点。うち23点は途中出場で決めており、その決定力の高さから「スーパーサブ」の異名をとった。日本代表では1試合に出場。現役引退後はFC岐阜のアドバイザーを務めた。
2014年10月9日 朝日新聞埼玉板掲載
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2020年の東京五輪開催に向けた国立競技場建て替えのため、さいたま市の埼玉スタジアムで、今年度は決勝が行われる全国高校サッカー選手権。その大舞台を目と鼻の先に望むグラウンドから、「冬の風物詩」に再び挑む元日本代表Jリーガーがいる。この春、浦和学院サッカー部の監督に就いた森山泰行氏(45)だ。
帝京(東京)、順大とサッカー界の「エリート街道」を歩み、1992年、Jリーグ発足と同時に名古屋グランパスエイト(当時)へ入団。同クラブなどで活躍した点取り屋だ。08年に引退後はJリーグの監督を目指し、国内最高峰の公認S級ライセンスを取得した。
森山監督が在籍した当時の帝京は、「史上最強」との呼び声が高かった。だが度重なるけがに見舞われ、チームも全国制覇を遂げられなかった。そんな悔しさもあり、昨年末、浦学から誘われると、高校サッカーに対する情熱がよみがえったという。
指導力は元プロならでは。ゴール前でのFWの動きなど、自らボールをけって手本を示すだけでなく、トップレベルで培った知識や理論に、部員たちの吸収も早い。ただ、4月に就任し、最初に教えたのはグラウンド整備の仕方だった。部員たちの意気込みに反して、手入れが行き届いていない練習場が気になった。
凸凹がある土の地面は雨が降ると使いものにならず、けがの原因にもなりかねない。毎朝8時、約90人の部員が全員でグラウンドをならすことから、浦学サッカー部の1日は始まる。
目先の「勝利」ばかりを求めるわけではない。最もこだわるのは精神的な成長だ。
「メンタルが強くないと、体力も技術も伸びない。サッカーを通じて、どこへ行ってもやれるような人間にならないと」。完全燃焼できずに高校サッカー生活を終えたが、「帝京での3年間で、(技術的にも、人間的にも)自分の土台ができた。感謝している」と言い、部員たちにもそんな日々を過ごしてほしいと考えている。
浦学といえば甲子園の「常連校」というイメージもつきまとう。すぐ隣で練習する野球部に気後れする部員には、「野球部が頑張っているから、サッカー部も頑張れる。お互いに良い刺激を与え合うことで、成長できるんだ」と説いた。
Jリーグが全国で根付き、プロの下部組織が充実したとはいえ、高校サッカーに比べるとまだその歴史は浅い。6月のワールドカップ・ブラジル大会3試合で先発した日本代表選手のうち、「高校サッカー未経験者」は3人だった。
いまだ全国選手権出場経験のない浦学だが、「ひょっとしたら、彼らの中にも、将来の日本代表を担う原石がいるかもしれない」。将来を期待されながら、けがなどで挫折する仲間も見てきただけに、6年後の五輪で主力になる世代を教えるやりがいも感じている。
元プロが指導するとはいえ、「浦和」という地域は独特だ。50年代に全国選手権を3度制覇した浦和、漫画「赤き血のイレブン」の舞台となった浦和南など、公立の「浦和4校」を中心にしのぎを削り、サッカー文化を発展させてきた歴史がある。
日本代表GKの川島永嗣選手(浦和東高出身)ら多くの人材を生み、浦和レッズや大宮アルディージャといったJリーグのクラブも身近だ。埼玉は激戦区で難しさもあるが、「サッカーへの理解が深い街だからこそ、やりがいがある。いいサッカーをすれば認めてもらえる土地柄だ」。
11日から始まる全国選手権の県大会決勝トーナメントへ向け、「チームはやる気とポテンシャルに満ちている。それをどう引き出してあげられるかが自分の役割」と森山監督。選手たちが掲げる県大会8強入りを目指し、新人監督の挑戦が始まる。
もりやま・やすゆき 1969年5月、岐阜市生まれ。名古屋や広島、川崎などJリーグ6クラブのほか、東欧・スロベニアのクラブでもプレーした。J1通算215試合66点。うち23点は途中出場で決めており、その決定力の高さから「スーパーサブ」の異名をとった。日本代表では1試合に出場。現役引退後はFC岐阜のアドバイザーを務めた。
2014年10月9日 朝日新聞埼玉板掲載