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2015-01-29 00:24:00
No.30821
週刊デイリー 高校野球
センバツへの道
浦和学院2年ぶり春制覇へ
一昨年の優勝校、浦和学院(埼玉)が2年ぶりのセンバツ出場を決めた。投手陣の柱は江口奨理投手(2年)。突然の眼疾で一時は野球をあきらめかけたが、見事に復活し、昨秋の関東大会で優勝に導いた。周囲の助けもあって苦難を乗り越えたエースは、聖地での恩返しに燃えている。
★眼疾乗り越えつかんだ春切符
聖地で恩返し 江口
「復帰できたのは周りが守ってくれたから」
★大きな期待背負って入学後
突然かすんだ右目の視界
燦々と光が降り注ぐ甲子園のマウンドを、今ならしっかり視界にとらえることができる。自らの左腕でたぐり寄せた春切符。江口は「まだ、体力がない。1つ1つの練習の意識をあげてやっていかないといけない」と、気を引き締めた。
中学時代は埼玉選抜の一員として全国制覇。15U(15歳以下)アジア選手権の日本代表にも選出された。当然ながら名門・浦和学院でも大きな期待をかけられていた。
だが入学して間もなく、江口に悪夢が襲った。当時1年生だった一昨年の9月、山梨遠征中のことだ。朝起きると突然、右目の視界がかすんだ。すぐに病院へ行ったが、原因は不明。10月には1週間の入院生活。運動を控えて安静にするようにという指示に従うしかなかった。
★昨年5月にランニング再開
ぼんやりした視界では、キャッチボールはもちろん、走ることすらできない。「治るのかな、とずっと思っていた。このまま終わっちゃうんじゃないかな、とも考えた」。苦難の時期をそう振り返る。その後の検査で、視神経の炎症と判明。症状は回復したが、本格的なランニングを再開できたのは昨年の5月だった。
それでも野球をできなかった日々は、マイナスなことばかりではなかった。野球部の練習のサポートに回った江口だが、先輩や仲間、指導者から「あきらめるな」と励まされたという。周囲の支えがあったから、心が折れそうな時も踏ん張れた。キャッチボールができない時も、感覚を忘れまいと地面に置いたボールを拾い上げ、コツコツと何球も投げた。「復帰出来たのは、周りが守ってくれたから。感謝している」。今の自分があるのは、周囲の人たちのおかげだと実感している。
★公式戦13戦登板
8完投5完封
マウンドに戻ったのは昨夏の練習試合からだった。この時を待ちわびていた左腕は、すぐに実力を発揮。初のベンチ入りとなった昨秋からは背番号1を付けた。130キロ前後ながらキレのある直球、13年センバツ優勝左腕の小島和哉(早大進学予定)直伝のカットボールもさえた。公式戦14試合中13試合に登板して8完投5完封、防御率1.57。関東大会は初戦から2連続完封でセンバツ出場の立役者となった。
「監督にも『投げられる喜びを感じて投げろ』と言われていた。少しでも周りに恩返しできるように、1試合1試合勝って行こうと思った」。決してくじけなかった教え子に森士監督も「『できることを信じて、できることから全力でやっていこう』と話していた。彼の頑張り、成長とともに、チームも成長していった」とたたえた。
どん底からはい上がり、たどり着いたあこがれの聖地。1年前はまともな練習ができなかっただけに、この冬はみっちりと走り込み、体力強化に努めた。目標は2年ぶりの優勝。「小島さんが優勝した時は全然、点を取られずリズムよくいっていた。点を取られなければ負けないので、テンポ良く打たせて取って、自分が勝たせられるようにしたい」。不屈の左腕は静かに、時には激しく燃えて、大舞台に立つ。
★江口奨理(えぐち・しょうり)
1997年12月22日、神奈川県相模原市生まれ。172センチ、68キロ。左投げ左打ち。投手。埼玉県戸田市で育ち、小1から野球を始める。新曽中では野球部に所属。3年秋にKボールの埼玉県選抜チームで全国大会優勝。15Uアジア選手権(インド)では準優勝。浦和学院では、2年秋からベンチ入りして背番号1。最速132キロ。球種はスライダー、チェンジアップ、カットボール。50メートル走6秒5。遠投95メートル。
★年明けても思い変わらない
3年生が熱血サポート
13年夏以来3季ぶりの甲子園は、引退した3年生も一緒になってつかみ取ったものだ。浦和学院では、夏の大会を終えて引退した後も、3年生全員が年末まで後輩の練習を手伝うのが伝統だ。自分たちの代では春夏ともに甲子園に届かなかっただけに、昨秋は例年になく力が入った。
夏の埼玉大会3回戦で敗れた7月15日の午後から、1・2年生による新チームが練習を開始。3年生も一緒に走った。「もう選手としてはできないが、見本をみせた後輩が勝ったら、名誉挽回もできるだろう、と。つらかったと思うが毎日、一生懸命やってくれた」と森監督。関東大会では開催地の千葉での練習にも帯同した。過去にはなかったことだという。
年が明けてからも、3年生は午前6時30分開始の朝練からサポートを続けている。関東大会中は連日、打撃投手を務めていたというセンバツV腕の小島は、後輩たちが期待に応えたこともあり、「まとまりがあるのが、浦学の1番いいところ」とうれしそうに話した。
浦和学院の昨秋成績
▼埼玉大会
地区大会
1回戦 ○6−1大宮北
2回戦 ○7−0大宮光陵
県大会
2回戦 ○4−0武南
3回戦 ○10−0不動岡
準々決勝 ○6−3朝霞
準決勝 ○3−1花咲徳栄
決勝 ○8−5川越東
▼関東大会
1回戦 ○1−0桐光学園
準々決勝 ○4−0東海大甲府
準決勝 ○10−8高崎健康福祉大高崎
決勝 ○10−1木更津総合
▼明治神宮大会
準々決勝 ○10−0東海大四
準決勝 ○6−1東海大菅生
決勝 ●1−4仙台育英
2015年1月28日 デイリースポーツ掲載
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センバツへの道
浦和学院2年ぶり春制覇へ
一昨年の優勝校、浦和学院(埼玉)が2年ぶりのセンバツ出場を決めた。投手陣の柱は江口奨理投手(2年)。突然の眼疾で一時は野球をあきらめかけたが、見事に復活し、昨秋の関東大会で優勝に導いた。周囲の助けもあって苦難を乗り越えたエースは、聖地での恩返しに燃えている。
★眼疾乗り越えつかんだ春切符
聖地で恩返し 江口
「復帰できたのは周りが守ってくれたから」
★大きな期待背負って入学後
突然かすんだ右目の視界
燦々と光が降り注ぐ甲子園のマウンドを、今ならしっかり視界にとらえることができる。自らの左腕でたぐり寄せた春切符。江口は「まだ、体力がない。1つ1つの練習の意識をあげてやっていかないといけない」と、気を引き締めた。
中学時代は埼玉選抜の一員として全国制覇。15U(15歳以下)アジア選手権の日本代表にも選出された。当然ながら名門・浦和学院でも大きな期待をかけられていた。
だが入学して間もなく、江口に悪夢が襲った。当時1年生だった一昨年の9月、山梨遠征中のことだ。朝起きると突然、右目の視界がかすんだ。すぐに病院へ行ったが、原因は不明。10月には1週間の入院生活。運動を控えて安静にするようにという指示に従うしかなかった。
★昨年5月にランニング再開
ぼんやりした視界では、キャッチボールはもちろん、走ることすらできない。「治るのかな、とずっと思っていた。このまま終わっちゃうんじゃないかな、とも考えた」。苦難の時期をそう振り返る。その後の検査で、視神経の炎症と判明。症状は回復したが、本格的なランニングを再開できたのは昨年の5月だった。
それでも野球をできなかった日々は、マイナスなことばかりではなかった。野球部の練習のサポートに回った江口だが、先輩や仲間、指導者から「あきらめるな」と励まされたという。周囲の支えがあったから、心が折れそうな時も踏ん張れた。キャッチボールができない時も、感覚を忘れまいと地面に置いたボールを拾い上げ、コツコツと何球も投げた。「復帰出来たのは、周りが守ってくれたから。感謝している」。今の自分があるのは、周囲の人たちのおかげだと実感している。
★公式戦13戦登板
8完投5完封
マウンドに戻ったのは昨夏の練習試合からだった。この時を待ちわびていた左腕は、すぐに実力を発揮。初のベンチ入りとなった昨秋からは背番号1を付けた。130キロ前後ながらキレのある直球、13年センバツ優勝左腕の小島和哉(早大進学予定)直伝のカットボールもさえた。公式戦14試合中13試合に登板して8完投5完封、防御率1.57。関東大会は初戦から2連続完封でセンバツ出場の立役者となった。
「監督にも『投げられる喜びを感じて投げろ』と言われていた。少しでも周りに恩返しできるように、1試合1試合勝って行こうと思った」。決してくじけなかった教え子に森士監督も「『できることを信じて、できることから全力でやっていこう』と話していた。彼の頑張り、成長とともに、チームも成長していった」とたたえた。
どん底からはい上がり、たどり着いたあこがれの聖地。1年前はまともな練習ができなかっただけに、この冬はみっちりと走り込み、体力強化に努めた。目標は2年ぶりの優勝。「小島さんが優勝した時は全然、点を取られずリズムよくいっていた。点を取られなければ負けないので、テンポ良く打たせて取って、自分が勝たせられるようにしたい」。不屈の左腕は静かに、時には激しく燃えて、大舞台に立つ。
★江口奨理(えぐち・しょうり)
1997年12月22日、神奈川県相模原市生まれ。172センチ、68キロ。左投げ左打ち。投手。埼玉県戸田市で育ち、小1から野球を始める。新曽中では野球部に所属。3年秋にKボールの埼玉県選抜チームで全国大会優勝。15Uアジア選手権(インド)では準優勝。浦和学院では、2年秋からベンチ入りして背番号1。最速132キロ。球種はスライダー、チェンジアップ、カットボール。50メートル走6秒5。遠投95メートル。
★年明けても思い変わらない
3年生が熱血サポート
13年夏以来3季ぶりの甲子園は、引退した3年生も一緒になってつかみ取ったものだ。浦和学院では、夏の大会を終えて引退した後も、3年生全員が年末まで後輩の練習を手伝うのが伝統だ。自分たちの代では春夏ともに甲子園に届かなかっただけに、昨秋は例年になく力が入った。
夏の埼玉大会3回戦で敗れた7月15日の午後から、1・2年生による新チームが練習を開始。3年生も一緒に走った。「もう選手としてはできないが、見本をみせた後輩が勝ったら、名誉挽回もできるだろう、と。つらかったと思うが毎日、一生懸命やってくれた」と森監督。関東大会では開催地の千葉での練習にも帯同した。過去にはなかったことだという。
年が明けてからも、3年生は午前6時30分開始の朝練からサポートを続けている。関東大会中は連日、打撃投手を務めていたというセンバツV腕の小島は、後輩たちが期待に応えたこともあり、「まとまりがあるのが、浦学の1番いいところ」とうれしそうに話した。
浦和学院の昨秋成績
▼埼玉大会
地区大会
1回戦 ○6−1大宮北
2回戦 ○7−0大宮光陵
県大会
2回戦 ○4−0武南
3回戦 ○10−0不動岡
準々決勝 ○6−3朝霞
準決勝 ○3−1花咲徳栄
決勝 ○8−5川越東
▼関東大会
1回戦 ○1−0桐光学園
準々決勝 ○4−0東海大甲府
準決勝 ○10−8高崎健康福祉大高崎
決勝 ○10−1木更津総合
▼明治神宮大会
準々決勝 ○10−0東海大四
準決勝 ○6−1東海大菅生
決勝 ●1−4仙台育英
2015年1月28日 デイリースポーツ掲載