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野球部情報
管理人 / 2015-03-28 13:12:00 No.31309
立教大学 山根 佑太選手×?田 涼太選手(浦和学院出身)
【前編】「浦和学院は個人の結果に一喜一憂しない」

2013年の第85回選抜高等学校野球大会、二桁得点3試合、また5試合で3失点と抜群の安定感で優勝を決めた浦和学院。その選抜優勝までどんな過程があったのか。今回は当時、主将を務めた山根佑太選手、?田涼太選手にお話を伺った。

★浦和学院は時間管理、報連相を徹底していたチームだった

まず2人に浦和学院に飛び込んだときの感想を伺ってみた。

?田 涼太(以下「?田」) 最初は大変な部分もありました。練習の雰囲気の中で、周りの激だったり、「圧」を感じさせるものがありました。森先生も私生活の部分で、本当にダメなところをしっかりと指導してくれる方で、どうすればよいかというところから教えてくれました。当時は厳しいと感じましたが、今思えばよかったです。

山根 佑太(以下「山根」) 僕は広島出身なので、浦和学院がどんな学校なのかを知らなくて、最初飛び込んだときは、高校野球はどこもこんなものかなと思っていたのですが、実は日本でもかなり練習が厳しい高校だと後で分かりました(笑)。

寮生だった山根選手に、浦和学院の寮の環境について聞いてみた。浦和学院の場合は、ルームメイトは、先輩でも後輩でもなく、同級生となる。寮と思い浮かべると、どうしても、先輩と後輩の2人部屋とイメージしてしまうが、なぜ浦和学院は、同級生なのか?

山根 浦和学院は、先輩から率先して、何から何までやろうというのがスタイルです。先輩だから何もやらなくていいというのはうちにはありません。また寮の部屋は指導者の目が行き届かない。だから同学年だと思います。
 
野球界はどうしても後輩が先輩の世話役をするイメージがあるが、浦和学院はそうではない。まずは目上の者から率先して、グラウンド整備などの仕事を行っていくことで、浦和学院は人間形成を図っていったのだ。また社会人に欠かせない報告・連絡・相談の「報連相」。これは浦和学院も徹底して行っていたことだ。

山根 時間管理が一番徹底していましたね。例えば、整備をやるにも、10分で完了する。整備が始まったところで、ストップウォッチを押して、10分以内に完了させるように整備する。でも間に合わない場合は、コーチに『プラス何分追加してもよろしいでしょうか』と相談していました。なぁなぁにならないように時間管理するのが浦和学院でした。

先輩から率先して、雑用をやる。「報連相」もしっかりと行う。社会で通用することを、野球を通して育成するのが目的だった。

2015年3月27日 高校野球ドットコム掲載(再掲載)

Re: 野球部情報
管理人 / 2015-03-28 13:14:00 No.31310
立教大学 山根佑太選手x高田涼太選手(浦和学院出身)
【後編】「最後まで仲間を支えるのが浦和学院野球部」

前編では山根選手、高田選手は下級生の時からレギュラーとして出場し、秋では主力選手となってチームを引っ張っていく過程まで描いた。後編では、選抜、夏の振り返り、森監督への思い、浦和学院の野球部について語ってもらった。

初戦が1番緊張した

そして一冬越えて臨んだ選抜。初戦の相手は土佐だった。土佐の試合では、山根選手の2点適時打で辛勝した試合となった。

山根 エースの小島和哉(現・早大)が調子よかったので、小島に助けられた部分は相当あったと思います。チームとしても、1人だけ2年生が投げているし、あとは3年生がしっかりとやって勝たせてあげたい。そういう気持ちの一体感があったと思います。

続く3回戦の山形中央戦は11対1で大勝。山根選手は3安打、?田選手も本塁打を含む3安打を放つ大活躍だった。

?田 だいたい初の球場での1回戦は緊張するので、それがとれたので、変わったかなと思います。初戦に比べると、打席の余裕はありましたね。インコースのまっすぐを打ち返すことができました。

北照戦では、好投手・大串和弥を打ち崩し、10対0で大勝。ベスト4へ進出した。山根選手は3安打、?田選手も2試合連続本塁打を放った。この2試合について2人は、こう振り返ってくれた。

山根 控え選手が徹夜で研究してくれたので、狙い球を絞りやすくなりましたし、思い切っていけました。

?田 控えメンバーのおかげで、僕は狙い球もしっかり絞ることができました。あの時はレギュラーも、控えのメンバーも、指導者の方も一体となって臨んでいたと思います。

敦賀気比戦は5対1で快勝。?田選手は3試合連続本塁打となった。この本塁打については?

?田 素直に嬉しかったですね。体が上手く反応してくれたので。あの時は高校時代、一番調子が良かった時期でした。

そして決勝戦の済美戦に入った。試合前はどうだったのだろうか。

山根 自分は緊張しなかったですね。

?田 ほどほどの緊張感で臨めましたね。初戦より緊張しなかったです。

だが試合は序盤5回表まで済美のリード。浦和学院は後半勝負だと考えていた。

山根 入りとしては、見るからに安樂智大君が疲れていたので、まあどっちかというと、終盤のほうが勝負になると思っていました。先制されて焦っていたので、自分たちで円陣を組んで変えました。監督が来て、決勝なんだから思い切ってプレーしろみたいなことを言われた記憶があります。

そして安樂投手を打ち崩して、17対1の大勝で初優勝を決めた。

山根 素直に嬉しかったです。苦しい練習が実った感じです!

と喜んだが、森監督に「夏に優勝しなければ意味がないぞ」と言われ、選抜優勝の余韻にひたることなく、夏に切り替えた。優勝してからの浦和学院は絶対的な安定感で勝ち進み、春関東大会優勝、夏も順当に勝ち上がり、4季連続の甲子園出場を果たした。その時の浦和学院は、成熟していて隙が無いチームだった。この時のチーム状態を山根はこう説明する。

山根 各打順、役割が違いますよね。2番だったらつなぎだったり、クリーンナップだったら長打を打ったり、ランナーを返すのが仕事になります。またそれ以外だったら粘り打ちをして次につながるなど、みんな、打順ごとに自分の仕事が分かっていたと思います。

そして春夏連覇の期待をかけられた2013年夏の甲子園では、初戦で仙台育英に敗れた。高校野球が終わって2人は、

?田 良い結果、悪い結果がありましたけど、ここでは礼儀、チームのまとめ方などいろいろなことが学べたと思います。

山根 一番は「感謝」を学んだことですね。応援してくれる人にも感謝しなければならない。いろんな人たちの支えがあっているからこそ野球ができていると実感しています。

2015年3月28日 高校野球ドットコム掲載

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