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赤坂和幸 情報
管理人 /
2015-07-12 07:24:00
No.32503
赤坂和幸 28期 現:中日
赤坂、プロ8年目の初打席で初安打、初得点、初盗塁!
思いがこもった分だけ、どん詰まりの打球が伸びた。0―0の6回。八木の代打としてコールされたのは、この日7年ぶりに1軍登録された赤坂だった。ジョンソンの地面すれすれのチェンジアップを夢中で振り抜くと、白球はフラフラと中堅・丸の手前に落ちた。プロ8年目の初打席で初安打だ。犠打で二進し、荒木の適時打で初得点となる決勝のホームも踏んだ。
「夢みたいです」。一塁ベンチに返された記念球を、ルナが別のボールにすり替えて客席に投げ込むイタズラを仕掛けてきたが、興奮のあまり全く目に入らなかった。
浦和学院高から2007年高校生ドラフト1巡目で入団。しかし、3年目の2010年オフに早々と戦力外を通告された。同年はウエスタン・リーグでも1勝止まり。球団事務所で「もうダメだな。踏ん切りがついた」と第二の人生に思い巡らせかけたとき、野手転向を条件に育成契約を打診された。一度は死んだ身とばかりに、がむしゃらにバットを振ったが、11年は2軍で打率1割台。翌年も2割1分7厘。一発大逆転の夢を描いたものの、毎オフ、再びクビを宣告される恐怖から胃を痛めた。
13年は打率2割9分7厘、昨年も2割5分5厘と2軍で力を発揮し、同年7月13日に再び支配下登録を勝ち取った。その日に、前年春から交際を始めた妻にプロポーズ。「育成のままだったら(結婚していたか)どうか分からなかった。早く帰って『ありがとう』と言いたい」と感謝した。
7回にも遊撃内野安打を放ち、プロ初盗塁も決めた。谷繁兼任監督も「前向きな性格と柔らかいバットコントロールがいい」と絶賛した。「失うものは何もない。思い切ってやっていく」。地獄を見た男が、最下位のチームとともに逆襲に打って出る。
2015年7月12日 スポーツ報知掲載
Re: 赤坂和幸 情報
管理人 /
2015-07-12 07:34:00
No.32506
D1から育成の苦労人!中日・赤坂、8年目初打席でV呼ぶ初H
(セ・リーグ、中日2−0広島、12回戦、中日7勝5敗、11日、ナゴヤドーム)プロ8年目で初打席をつかんだ赤坂が六回、代打でしぶとく中前へ打ち返し、荒木の二塁打で先制のホームを踏んだ。「何とか塁に出たいと無我夢中だった。夢みたいだった」と勝利に直結したプロ初安打に興奮。2008年に浦和学院高から高校生ドラフト1巡目で投手として入団したが、11年から育成選手となり外野手に転向。昨年7月に支配下登録された。谷繁監督も「必死にやってきたことがあの一打に凝縮されていた」と称賛した。
2015年7月12日 サンケイスポーツ掲載
Re: 赤坂和幸 情報
管理人 /
2015-07-12 07:37:00
No.32507
中日・赤坂 8年目初Hに「夢みたい」
中日が苦手左腕から26イニングぶりに得点をもぎ取った。突破口を開いたのは、プロ8年目で初打席をつかんだ赤坂。0−0の六回に代打で、ジョンソンの低めのチェンジアップをしぶとく中前へ。荒木の一打でホームを踏み、「夢みたいだった」とほおを紅潮させた。
谷繁監督兼選手も「必死にやってきたことがあの一打に凝縮されていた」と称賛した。
2015年7月12日 デイリースポーツ掲載
Re: 赤坂和幸 情報
管理人 /
2015-07-12 07:55:00
No.32508
赤坂、花咲かす
忘れられかけたドラ1が、大仕事をやってのけた−。中日は11日の広島戦(ナゴヤドーム)で、代打に起用された赤坂和幸外野手(25)のプロ初打席初安打から2点を奪取。25イニング連続無得点に封じられていた天敵・ジョンソンに、初黒星をつけた。でかした赤坂、あっぱれ赤坂、おめでとう赤坂!
2015年7月12日 中日スポーツ掲載
Re: 赤坂和幸 情報
管理人 /
2015-07-12 08:42:00
No.32509
中日8年目赤坂、初打席で初安打 遠回り初お立ち台
苦労人が再出発の日に、大きな白星を運んできた。中日の07年高校生ドラフト1巡目、赤坂和幸外野手(25)が7年ぶりに1軍に昇格し、代打でプロ初打席初安打を決めた。決勝点の起点となる貴重な一打。投手として入団し、戦力外通告、育成選手契約、そして野手転向。苦難の道のりを経て、8年目で初めて1軍のお立ち台にたどり着いた。
広島側から中日ベンチに記念ボールが戻された。ルナがスタンドに放り込むふりをする“お約束”をしたが、一塁塁上の背番号69は「余裕がなくて全然気付きませんでした」。まさに無我夢中だった。
0−0の6回。力投する八木の代打で出番が来た。相手は中日打線が25イニング無得点だった天敵ジョンソン。2球を見逃し、追い込まれた。「塁に出ることしか考えていなかった」。3球目の低く沈むチェンジアップに必死に腕を伸ばした。小飛球は二塁菊池の頭上を越えて中前に落ちた。
二塁進塁後、荒木の二塁打で決勝の先制ホームを踏んだ。ベンチで出迎えた谷繁兼任監督は破顔一笑。「監督の顔が一番印象に残っています」。指揮官も「今日一番うれしかった」と苦労人の働きをたたえた。連敗ストップの白星の中心に、赤坂がいた。
年俸440万円。高卒1年目より160万円も減った。浦和学院ではエースで2度の甲子園出場。投手として高校生ドラフト1巡目指名を受けた。日本ハム中田、ヤクルト由規の年だ。1年目に1軍デビューを果たしたが、1軍では9球を投げただけで3年で戦力外通告。同時に育成での再契約、そして野手転向を告げられた。「終わりと思った。続けられたのは感謝しかない。投手への未練はありませんでした」。プロ入り後の3年間はほとんどバットを握っていない。その年の7月には父秀和さん(享年54)を病気で亡くした。高校58本塁打の打力を取り戻すべく、深夜までバットを振る日々だった。
昨年7月13日、ついに野手として支配下登録された。球団から伝えられると、その足で交際1年1カ月の恋人の元へ走り「結婚してください」とプロポーズ。オフに婚姻届を提出した。その約1年後にナゴヤドームのお立ち台に立った。「夢のようでした」と目を潤ませた。
夫人は朝早く夜が遅い2軍生活が続いても欠かさず食事を用意してくれた。記念のボールは妻の元に届ける。今オフには挙式・披露宴を予定する。「クビになって式をやりたくないですから。やるしかないです」。がけっぷちからはい上がった男の戦いはこれからも続く。
★赤坂和幸(あかさか・かずゆき)1989年(平元)9月4日、神奈川県生まれ。浦和学院ではエースで主砲。夏の甲子園に2度出場。07年高校生ドラフトで1巡目指名を受け、投手として中日入り。08年の西武戦で中継ぎとして初登板。1軍出場はその1試合だけ。11年から育成選手契約で野手登録。昨年7月に野手で初めて支配下登録された。185センチ、83キロ。右投げ右打ち。
★1軍出場ブランク 中日赤坂が08年6月1日西武戦(リリーフ登板)以来、7年ぶりに1軍で出場。戦争を挟んだり、大家友和(12年ぶり)田口壮(9年ぶり)らのように大リーグから久しぶりに復帰した例はあるが、他球団へ移籍しない長期ブランクは珍しい。現役では13年にロッテ青松が7年ぶりに1軍出場している。
2015年7月12日 日刊スポーツ掲載
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赤坂、プロ8年目の初打席で初安打、初得点、初盗塁!
思いがこもった分だけ、どん詰まりの打球が伸びた。0―0の6回。八木の代打としてコールされたのは、この日7年ぶりに1軍登録された赤坂だった。ジョンソンの地面すれすれのチェンジアップを夢中で振り抜くと、白球はフラフラと中堅・丸の手前に落ちた。プロ8年目の初打席で初安打だ。犠打で二進し、荒木の適時打で初得点となる決勝のホームも踏んだ。
「夢みたいです」。一塁ベンチに返された記念球を、ルナが別のボールにすり替えて客席に投げ込むイタズラを仕掛けてきたが、興奮のあまり全く目に入らなかった。
浦和学院高から2007年高校生ドラフト1巡目で入団。しかし、3年目の2010年オフに早々と戦力外を通告された。同年はウエスタン・リーグでも1勝止まり。球団事務所で「もうダメだな。踏ん切りがついた」と第二の人生に思い巡らせかけたとき、野手転向を条件に育成契約を打診された。一度は死んだ身とばかりに、がむしゃらにバットを振ったが、11年は2軍で打率1割台。翌年も2割1分7厘。一発大逆転の夢を描いたものの、毎オフ、再びクビを宣告される恐怖から胃を痛めた。
13年は打率2割9分7厘、昨年も2割5分5厘と2軍で力を発揮し、同年7月13日に再び支配下登録を勝ち取った。その日に、前年春から交際を始めた妻にプロポーズ。「育成のままだったら(結婚していたか)どうか分からなかった。早く帰って『ありがとう』と言いたい」と感謝した。
7回にも遊撃内野安打を放ち、プロ初盗塁も決めた。谷繁兼任監督も「前向きな性格と柔らかいバットコントロールがいい」と絶賛した。「失うものは何もない。思い切ってやっていく」。地獄を見た男が、最下位のチームとともに逆襲に打って出る。
2015年7月12日 スポーツ報知掲載