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赤坂和幸 情報
管理人 / 2015-09-07 17:41:00 No.33258
赤坂和幸 28期 現:中日
【中日好き】赤坂和幸〜2769日の軌跡〜

2008年、交流戦、西武ドーム、ドラフト1巡目ルーキーのデビューに我々は心を躍らせた。1イニング打者4人、四球を1つ与えたものの無安打で抑え、素晴らしい第1歩を踏み出した、はずだった。しかし、赤坂和幸がそれ以降、1軍のマウンドを踏むことはなかった。

「今でもピッチャーって主役だし、いいな〜って思います。生まれ変わっても、もう一度ピッチャーやりたいですよ」。

ルーキーイヤーとしてはまず第一歩、2軍で実績を積んでから再びあの輝かしいマウンドへ戻ってくる。周りもそう思っていた。しかし、そこから2年の月日が流れた。周りの期待とは裏腹に赤坂本人は苦しんでいた。

「周りの期待は感じていましたが。まったく手ごたえが感じられない。2軍戦で投げても、抑えられない。何をしたら抑えられるのか、球のスピード、キレ、制球、すべてが足りない。一つ秀でている物があればいいんですが、僕にはない。正直、ピッチャーとして限界を感じていました」。

2010年、入団3年目の秋、宮崎フェニックスリーグを終えた赤坂は、中日球団事務所に呼ばれる。「行くまでは何だろうって、でも呼ばれるって事は…」。

赤坂より先に呼ばれていた選手が事務所の部屋から出てきた。赤坂とすれ違う際、「俺、野球終わっちゃったよ」と聞かされた。「それを聞いた時、自分も終わるんだ。心臓がバクバクしたのを今でも覚えています」。

赤坂の予感は的中した。想像通りの言葉が球団側から赤坂に簡潔に伝えられた。「来シーズン、支配下登録は出来ません」。覚悟はしていたが、突きつけられた現実に目の前が真っ暗になった。何も言葉が出なかったと言う。

しかし、次の瞬間、球団側から予想外の言葉が告げられる。

「投手として支配下登録は出来ませんが、野手として育成枠で契約したいと思っている」。頭が一瞬混乱したが、そんな余裕なんてなかった。「野手がどうとか、育成がどうとか、そんな事その時は考えませんでした。まだ野球が続けられるなら断る理由はない。だから二つ返事で了承しました」。

球団は高校時代、スラッガーとしても名を馳せた野手赤坂の可能性に賭けた。暗闇に射した一筋の光に赤坂は迷いなくしがみついた。「ピンとは来ませんでしたね。自宅に帰ってからも、野手としてやるのか…くらいで、具体的なイメージは何もなかったです」。

さっそく次の日から違う日々が始まった。「練習の仕方、流れがわからなかった。まずやった事は色々な選手にお願いして、いらないバットを貰いました。グラブは投手用で外野の練習して、当時の井上2軍監督に聞きながら手探りの毎日を過ごしてましたね。でも、そんなに辛くなかったんです。ルーキーに生まれ変わった気分で、新鮮だったなと思ってます」。

当時の2軍監督、井上一樹さんはこう語る「1軍で3人の外野枠を奪うまでは大変な道のり、コツコツやるしかないぞと言ったね。赤坂は人より身体が硬い、瞬発力はあるが持久力がない。野手のトレーニングは最初キツかったと思うよ。ただ、人間としては、打てば響く、投げれば返す選手、吸収力はある。だから、少ないがチャンスを与えて、野手としてやっていける自信を持たせたかった」。

赤坂は、うさぎと亀なら、言うまでもなく後者。一歩一歩、土にまみれながら野手としての日々を過ごした。2軍戦での成績がともない出した2014年、毎日の努力が報われる日が来た7月、前日にウエスタンリーグで2本塁打を放った赤坂に佐伯2軍監督が歩み寄る。

「すぐにドームに行け」。ナゴヤドームに到着した赤坂に告げられたのは、落合GMから支配下登録の打診だった。「背番号二桁だって言われて、本当に嬉しかったですね。少しは認められたのかなって。もちろん、支配下登録されても1軍が約束されるわけではないんですが、1軍でプレーできる可能性が出たって事はむちゃくちゃ嬉しかったですよ」。

そこから1年後の現在、赤坂は1軍にいる。入団会見から2769日後の7月11日、野手としてのプロ初打席、マウンドには、広島のジョンソン。赤坂は詰まりながらも外野の前にボールを運んだ。ナゴヤドームのスタンド、ドラゴンズベンチ、赤坂に携わった多くの関係者の胸に熱い物がこみ上げた。

一度は止まった時計の針は再び動き出した。

9月5日試合終了現在、24試合で30打数13安打、打率.433。代打では14打数7安打の.500。驚異的な数字を残している。ここまでの自分の道のりを赤坂はこう語った。「スローイング一つ出来ないところから始まって、ここまで来られた。まだ信じられない。夢の中にいるようです」。

「多くの人に巡り会えた事が大きいです。和田さんが去年故障されて2軍で同じ時間を過ごせたのも大きかった。色んな話を聞かせてもらいました。僕は小さな成功とか、小さな喜びを大切にしてきた。プロの野手ならできて当たり前の事なんですが、それができた喜びを日々大切にしてきたかなと思います。その積み重ねでした」。

人はアドバイスを受けても、それが正しいか、自分に合っているかを脳で取捨選択してしまう。赤坂は言うなれば、真っ白な画用紙。先入観、プライド、打撃の形、赤坂には何もなかった。そして何もない自分を認めて日々を過ごした。それが良かった。

小さな喜びを紡ぐ日々は終わらない。赤坂の描く絵は、まだモノクロ。これから先、夢見た舞台の歓声と歓喜が鮮やかな色をもたらすだろう。土と汗にまみれ必死に白球を追う赤坂和幸。這い上がった男の生き様を、この先も目に焼き付けていきたい。

JSPORTS 森 貴俊コラムより転載

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