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野球部 情報
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2017-07-02 11:02:00
No.37796
白球の足跡
時代支える“DNA”
★受け継がれる意思
夏を象徴するスポーツとして人々の脳裏に定着してきた高校野球。99回の歴史の中でどう変化を遂げてきたかを振り返ってきた。タイブレーク制、暑さ対策、体格の変化−。球児たちを取り巻く制度や環境は目まぐるしく変化してきた。その中で温かく球児たちを見守り、時には厳しく導く指導者たち。“熱い思い”は脈々と受け継がれ、球史を彩っている。
監督として母校に赴任する“かつての球児”たち。それぞれが、特別な思いを胸にチームづくりに励んでいる。
★実体験を糧に
27年ぶりの夏の甲子園出場を目指す大宮東の河西竜太監督(43)は同校OBで、選手時代には甲子園の舞台を経験した。「甲子園に出場した当時に比べ、“強打の大宮東”というイメージはない。まずはそれを復活させたい」と描く。OBが母校を指導する効果の1つとして、川越工の熊沢光監督(58)は「母校での指導は、思い入れも強く、後輩を教え、勝利に導くために普段からの練習にも妥協なく取り組めている」と実感を込める。
1998年に甲子園へ出場した滑川(現滑川総合)で指揮を執り、母校の指揮官として再び大舞台を目指す松山の滝島達也監督(50)。高校3年時に埼玉大会の決勝で敗れた自身の経験も後輩に伝えている。「信念である粘り強く戦う姿勢は最後までなくしちゃいけない」。掲げる理想は一時代を築いた当時のチームと変わらない。
自らの体験を糧としながら、台頭する私立勢に立ち向かう公立の伝統と意地。“DNA”の伝承者が99回続く大会を根本から支えている。
★夏に懸ける思い
負けたら終わり。高校3年生にとって集大成となる夏の大会は数え切れないほどのドラマを生んできた。浦和学院の森士監督は「(自身の)選手時代から今でも、集大成の夏に向けて選手がいちずに全身全霊を傾ける姿勢は何ら変わっていない」と語る。
高校野球は変遷を重ねながらも、主役たちのひと夏に懸ける思いは長きにわたり引き継がれ、多くの人を魅了してきた。
埼玉県勢はいまだに夏の甲子園で優勝を果たせていない。県勢の最高成績は2度の準優勝。1993年、第75回大会の春日部共栄が、育英との決勝で敗れた直後、本多利治監督は高校野球の神髄ともいえる不思議な光景を体験した。
「(決勝で負けたとき)優勝した選手がうれし泣きして、うちの選手たちは拍手してるんだよ。勝負で負けた相手に心からの拍手を送る選手たちを見て、3年間で彼らが培った人間としての強さに感動した」
99回埼玉大会。夢舞台に向けたドラマの開幕がすぐそこまでやってきた。最後に勝ち上がるのは156チーム中たった1チーム。ひたむきに野球に打ち込んできた仲間とともに、一生の財産になる夏にしてほしい。
2017年7月2日 埼玉新聞掲載
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時代支える“DNA”
★受け継がれる意思
夏を象徴するスポーツとして人々の脳裏に定着してきた高校野球。99回の歴史の中でどう変化を遂げてきたかを振り返ってきた。タイブレーク制、暑さ対策、体格の変化−。球児たちを取り巻く制度や環境は目まぐるしく変化してきた。その中で温かく球児たちを見守り、時には厳しく導く指導者たち。“熱い思い”は脈々と受け継がれ、球史を彩っている。
監督として母校に赴任する“かつての球児”たち。それぞれが、特別な思いを胸にチームづくりに励んでいる。
★実体験を糧に
27年ぶりの夏の甲子園出場を目指す大宮東の河西竜太監督(43)は同校OBで、選手時代には甲子園の舞台を経験した。「甲子園に出場した当時に比べ、“強打の大宮東”というイメージはない。まずはそれを復活させたい」と描く。OBが母校を指導する効果の1つとして、川越工の熊沢光監督(58)は「母校での指導は、思い入れも強く、後輩を教え、勝利に導くために普段からの練習にも妥協なく取り組めている」と実感を込める。
1998年に甲子園へ出場した滑川(現滑川総合)で指揮を執り、母校の指揮官として再び大舞台を目指す松山の滝島達也監督(50)。高校3年時に埼玉大会の決勝で敗れた自身の経験も後輩に伝えている。「信念である粘り強く戦う姿勢は最後までなくしちゃいけない」。掲げる理想は一時代を築いた当時のチームと変わらない。
自らの体験を糧としながら、台頭する私立勢に立ち向かう公立の伝統と意地。“DNA”の伝承者が99回続く大会を根本から支えている。
★夏に懸ける思い
負けたら終わり。高校3年生にとって集大成となる夏の大会は数え切れないほどのドラマを生んできた。浦和学院の森士監督は「(自身の)選手時代から今でも、集大成の夏に向けて選手がいちずに全身全霊を傾ける姿勢は何ら変わっていない」と語る。
高校野球は変遷を重ねながらも、主役たちのひと夏に懸ける思いは長きにわたり引き継がれ、多くの人を魅了してきた。
埼玉県勢はいまだに夏の甲子園で優勝を果たせていない。県勢の最高成績は2度の準優勝。1993年、第75回大会の春日部共栄が、育英との決勝で敗れた直後、本多利治監督は高校野球の神髄ともいえる不思議な光景を体験した。
「(決勝で負けたとき)優勝した選手がうれし泣きして、うちの選手たちは拍手してるんだよ。勝負で負けた相手に心からの拍手を送る選手たちを見て、3年間で彼らが培った人間としての強さに感動した」
99回埼玉大会。夢舞台に向けたドラマの開幕がすぐそこまでやってきた。最後に勝ち上がるのは156チーム中たった1チーム。ひたむきに野球に打ち込んできた仲間とともに、一生の財産になる夏にしてほしい。
2017年7月2日 埼玉新聞掲載