浦学OB倶楽部 BBS
新規
過去
ヘルプ
管理
戻る
ADVENBBSの過去ログを表示しています(閲覧専用)
阿部良亮 情報
管理人 /
2017-07-22 09:08:00
No.38052
阿部良亮 31期 現:日本通運
日通“2番手の男”阿部、史上5人目ノーヒッター
日本通運(さいたま市)の阿部良亮投手(24)が、史上5人目のノーヒットノーランを達成した。3四死球を与えたが、12個の内野ゴロ、9三振を奪う好投でパナソニック(門真市)を抑え込んだ。東京ドームでは初の記録となった。チームは2−0で勝ち準々決勝に進んだ。
最後も見逃し三振だった。無安打のまま迎えた9回表。阿部は一ゴロ、見逃し三振で2死を奪うと、最後の代打阪口にも追い込んだ後にバットを振らせなかった。5回先頭に四球を出すまで完全投球。この回に四死球で1死一、二塁のピンチを招くも連続三振で切り抜けた。6回にも四球を出したが併殺に切った。東京ドームでは初のノーヒットノーランを成し遂げた。
阿部はヒーローインタビューで「驚いています。後ろの投手がいいので、思い切って初回から飛ばしていきました」と笑顔で振り返った。記録への意識は「5回のピンチを抑えてから。意識しないようにしてたけど、後半はずっと意識していました」。
9奪三振のうち6個を見逃しで奪ったことに、好リードした木南了捕手(25)は「落ちる球がよかったから(左打者は)外の真っすぐに手を出しにくかった。(右打者には)外のカットボールがよかったから、内に沈む球が効果的でした」と解説した。内野ゴロ12個も光る。相手が振ってくる打線と見て、試合前からバッテリーで「低めに投げて打たせよう」と話していたという。阿部は「低めに変化球が決まって、おもしろいように打たせて取れました」と喜んだ。
浦和学院は同学年の南貴樹投手(元ソフトバンク)、東洋大では1学年下の原樹理(ヤクルト)がエースだった。「甲子園ではスタンドだった。(大学では)2年で2部落ちし、1部では0勝」。現在も左腕の高山亮太投手(29)がエースで、華々しさからは遠い。だが、この日は間違いなく、阿部が輝く主役だった。
◆阿部良亮(あべ・りょうすけ)1992年(平4)9月7日、埼玉県生まれ。八潮中時代は八潮シニアに所属。浦和学院では1年夏に甲子園出場も登板なし。3年時は元ソフトバンク南貴樹投手とともにマウンドを守った。東洋大を経て日本通運入り。181センチ、80キロ。右投げ左打ち。
2017年7月22日 日刊スポーツ掲載
Re: 阿部良亮 情報
管理人 /
2017-07-22 09:16:00
No.38054
日本通運 阿部、史上5人目ノーヒッター 東京D開催で初快挙
日本通運(さいたま市)の阿部良亮投手(24)が、パナソニック(門真市)との2回戦で無安打無得点試合を達成した。2011年に森内寿春(JR東日本東北)が完全試合を果たして以来6年ぶり5人目の快挙。東京ドームでの開催では史上初めてとなった。チームは2―0で勝ち、東芝(川崎市)、西濃運輸(大垣市)とともに準々決勝に進んだ。
9回2死走者なし。阿部は29人目の打者に122球目を投げ込み、外角低めいっぱいにツーシームを決めた。見逃し三振でノーヒットノーラン達成。「ノーヒッターは野球人生で初めて。驚いていますし、出来過ぎ。記録は意識しないようにしたけど、後半はずっと意識していた」と興奮気味に振り返った。
低めの投球を貫いた。最速140キロの直球に打者の手元で沈むツーシームを投げ分け、110キロ台のカーブも織り交ぜて緩急を生かした。2四死球で唯一のピンチとなった5回1死一、二塁では連続三振で切り抜け「ノーヒットだな」と気づいた。8回2死では顔付近に飛んできた強烈なライナーを「痛かった」と言いながらも好捕。藪宏明監督は「(ノーヒットノーランを)するようなピッチャーではない。まさかやるとは」と驚いた。
エリートコースを歩んできたが、日陰の人生でもあった。浦和学院時代は「甲子園(1年時の夏)ではスタンドだった」と振り返り、3年時もエースではなかった。東洋大時代も「2年の時に2部に落ちたし、1部では0勝」。それでも大学では1学年後輩のヤクルト・原樹の兄貴分。部屋も一緒で投手のイロハを教え、尊敬されている。今も原樹の先発前には「頑張れよ」とメッセージを送る。
15年に日本通運入社。2年目の昨年、都市対抗と日本選手権で登板して頭角を現したが、今年は6月の南関東予選後、不調に陥った。力で抑え込もうとして球が高めに浮き、オープン戦では1イニングで4失点することもあった。「補強選手も合流するし、他に良い投手もいる。抑えなきゃと思いプレッシャーがあった」。メンバー落ちの危機にあったが、大会前最後のオープン戦で中継ぎで3回無失点と結果を残して今大会2試合目で先発起用され、快挙を成し遂げた。
11年に完全試合を達成したJR東日本東北の森内(現西武スコアラー)は快挙をきっかけに、同年ドラフトで日本ハムに5位指名された。阿部も「野球をやっている以上はプロを目指したい」と言う。夢をかなえる前に、名門を53年ぶり2度目の頂点に導く。
◆阿部 良亮(あべ・りょうすけ)1992年(平4)9月7日、埼玉県生まれの24歳。中学時代は八潮シニアに所属。浦和学院では3年春の関東大会で優勝。夏は埼玉大会準決勝で敗退した。東洋大では1〜2年は1部リーグでプレーも3年春から2部リーグに降格。15年に日本通運に入社。1メートル81、80キロ。右投げ左打ち。
2017年7月22日 スポーツニッポン掲載
Re: 阿部良亮 情報
管理人 /
2017-07-22 09:20:00
No.38055
快挙の阿部恩師、東洋大・高橋監督「体が大きくなっていた」
無安打無得点試合を達成した日本通運の阿部良亮投手(24)の恩師、東洋大・高橋昭雄監督(69)に聞く。
――阿部投手が快挙達成です。
「えっ!ノーヒットノーランやったの?ホントに?凄いね」
――最近は。
「13日に都市対抗に出場するOBの激励会で会ったんだけど、体が凄く大きくなっていて“プロみたいだなあ”と言ったよ」
――どんな選手でしたか。
「2部に降格した時、1部即復帰と思っていた矢先に脇腹痛めたりして期待外れだった(笑い)。“闘争心がないのか!”って、俺にしょっちゅう怒られていた。でも体格は良かったし、将来伸びるかもと思って、社会人に推薦したんだ」
――成長ぶりは?
「最近オープン戦で対戦したけど、全然打てなかった。これでプロ入りのチャンスが出てきたらうれしいな」
2017年7月22日 スポーツニッポン掲載
Re: 阿部良亮 情報
管理人 /
2017-07-22 09:24:00
No.38056
日通・阿部、史上5人目ノーヒッター!11年ぶり8強!
日本通運(さいたま市)の右腕・阿部良亮(24)が、パナソニック(門真市)戦で大会史上5人目のノーヒットノーランを演じた。打者29人に対し、3四死球で9奪三振。4強入りした06年以来11年ぶりの8強に導いた。東芝(川崎市)、西濃運輸(大垣市)も準々決勝に進んだ。
大声援を背に、日本通運の阿部は大きく息を吐いて9回のマウンドに向かった。ぴしゃりと3人で締め、史上5人目のノーヒットノーランを達成。控えめに、それでも力強く右拳を握った。
11年ぶりの準々決勝に導き「終わった瞬間は勝ったうれしさがでかかった」。だが野手、ベンチの選手らが満面の笑みで駆け寄ってくるのを見て「すごいことをしたと実感した」と戸惑いながら話した。
5回に2四死球で1死一、二塁を招いたが、ツーシームなどを低めに集めて連続三振で切り抜けた。直球は140キロ前後だが、重圧のかかる9回でも1番・田中宗一郎中堅手(29)に対し、外角の厳しいコースに直球を投げて見逃し三振に仕留めた。
昨年の西部ガス戦では同点で救援登板したが、力みから得点を許し「力でいく必要はない」と猛省。社会人に入ってから上体が突っ込む投球フォームを修正できたことで制球も安定し、この日の快投につながった。
埼玉・浦和学院高時代は「(1年夏の)甲子園ではスタンドだった」、東洋大時代も「2年の時に2部に落ちたし、1部では0勝」。華々しさから遠かった右腕が「両親の目の前で達成できてよかった」と誇れる記録を打ち立てた。
◆阿部 良亮(あべ・りょうすけ)1992年9月7日、埼玉県生まれ。24歳。八潮中では八潮シニアに所属。浦和学院では3年夏の埼玉大会4強。東洋大を経て、15年に日本通運入り。181センチ、80キロ。右投右打。趣味は音楽鑑賞。
2017年7月22日 スポーツ報知掲載
Re: 阿部良亮 情報
管理人 /
2017-07-22 09:29:00
No.38058
日通・阿部、史上5人目ノーヒッター!「思い通りの投球だった」/都市対抗
第88回都市対抗野球大会第8日(21日、日本通運2−0パナソニック、東京D)2回戦が行われ、日本通運(さいたま市)の阿部良亮投手(24)が、パナソニック(門真市)戦で無安打無得点試合を達成した。2011年にJR東日本東北(仙台市)の森内寿春が完全試合を果たして以来5人目。チームは2−0で勝ち、東芝(川崎市)西濃運輸(大垣市)とともに準々決勝に進んだ。
阿部が史上5人目のノーヒットノーランを達成した。五回に2四死球で一死一、二塁を招いたが、変化球を低めに集めて連続三振で切り抜けた。直球は140キロ前後も制球よく投げ込み「低めに決まって思い通りの投球だった」と振り返った。浦和学院高時代は「甲子園ではスタンドだった」、東洋大時代も「1部では0勝」。華々しさから遠かった右腕が「両親の目の前で達成できてよかった」と喜んだ。
2017年7月22日 サンケイスポーツ掲載
Re: 阿部良亮 情報
管理人 /
2017-07-22 09:31:00
No.38059
日通・阿部ノーヒットノーラン達成 史上5人目快挙
2回戦が行われ、日本通運(さいたま市)の阿部良亮投手がパナソニック(門真市)戦で無安打無得点試合を達成した。2011年にJR東日本東北(仙台市)の森内寿春投手が完全試合を果たして以来5人目。チームは2−0で勝ち、東芝(川崎市)西濃運輸(大垣市)とともに準々決勝に進んだ。
阿部が史上5人目のノーヒットノーランを達成した。2006年に4強入りして以来の準々決勝に導き「終わった瞬間は勝ったうれしさがでかかった」。だが野手、ベンチの選手らが満面の笑みで駆け寄ってくるのを見て「すごいことをしたと実感した」と戸惑いながら話した。
2017年7月22日 デイリースポーツ掲載
ADVENBBSの過去ログを表示しています。削除は管理者のみが可能です。
日通“2番手の男”阿部、史上5人目ノーヒッター
日本通運(さいたま市)の阿部良亮投手(24)が、史上5人目のノーヒットノーランを達成した。3四死球を与えたが、12個の内野ゴロ、9三振を奪う好投でパナソニック(門真市)を抑え込んだ。東京ドームでは初の記録となった。チームは2−0で勝ち準々決勝に進んだ。
最後も見逃し三振だった。無安打のまま迎えた9回表。阿部は一ゴロ、見逃し三振で2死を奪うと、最後の代打阪口にも追い込んだ後にバットを振らせなかった。5回先頭に四球を出すまで完全投球。この回に四死球で1死一、二塁のピンチを招くも連続三振で切り抜けた。6回にも四球を出したが併殺に切った。東京ドームでは初のノーヒットノーランを成し遂げた。
阿部はヒーローインタビューで「驚いています。後ろの投手がいいので、思い切って初回から飛ばしていきました」と笑顔で振り返った。記録への意識は「5回のピンチを抑えてから。意識しないようにしてたけど、後半はずっと意識していました」。
9奪三振のうち6個を見逃しで奪ったことに、好リードした木南了捕手(25)は「落ちる球がよかったから(左打者は)外の真っすぐに手を出しにくかった。(右打者には)外のカットボールがよかったから、内に沈む球が効果的でした」と解説した。内野ゴロ12個も光る。相手が振ってくる打線と見て、試合前からバッテリーで「低めに投げて打たせよう」と話していたという。阿部は「低めに変化球が決まって、おもしろいように打たせて取れました」と喜んだ。
浦和学院は同学年の南貴樹投手(元ソフトバンク)、東洋大では1学年下の原樹理(ヤクルト)がエースだった。「甲子園ではスタンドだった。(大学では)2年で2部落ちし、1部では0勝」。現在も左腕の高山亮太投手(29)がエースで、華々しさからは遠い。だが、この日は間違いなく、阿部が輝く主役だった。
◆阿部良亮(あべ・りょうすけ)1992年(平4)9月7日、埼玉県生まれ。八潮中時代は八潮シニアに所属。浦和学院では1年夏に甲子園出場も登板なし。3年時は元ソフトバンク南貴樹投手とともにマウンドを守った。東洋大を経て日本通運入り。181センチ、80キロ。右投げ左打ち。
2017年7月22日 日刊スポーツ掲載