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野球部 情報
管理人 /
2017-11-02 01:33:00
No.38932
埼玉とともに
支局開設90年・県版発行100年 高校野球 県勢が切磋琢磨
「埼玉とともに 支局開設90年 県版発行100年」特集の1回目は高校野球。今年8月、花咲徳栄が県勢初の夏の甲子園優勝を果たしたことは記憶に新しい。センバツでは過去に2度、県勢は全国制覇している。初出場はセンバツが1931年、夏の甲子園は49年。県の高校野球史を、当時の関係者の言葉とともに振り返る。
センバツには戦前の第8回大会(31年)に川越中、第12回大会(35年)と第14回大会(37年)に浦和中が出場した県勢。第40回大会(68年)では大宮工が決勝で尾道商(広島)を3−2で破り、「初出場初優勝」を果たした。元浦和市立監督で当時の県高野連事務局長、長坂道男さん(84)=さいたま市見沼区=は「県勢同士が切磋琢磨(せっさたくま)していた時代」と振り返る。
県勢では大宮工、大宮、上尾、川越工、熊谷商工が台頭。「地元住民と一緒に、監督5人が火花をぱっぱと散らしていた」と長坂さんは話す。特に同じ地元のため、大宮工は「大宮だけには負けない」とライバル意識が強かったという。
決勝で大宮工は尾道商に初回に2点を先制されるが四回に3点を奪って逆転、優勝した。当時、大宮は2回戦進出が最高記録。「大宮工はついにライバルを破った。県勢初の優勝に私もうれしくて大騒ぎした」と長坂さんは懐かしむ。
以後、県勢は優勝から遠ざかったが、第65回大会(93年)には大宮東が決勝まで進み、上宮(大阪)に挑んだ。
大宮東はセンバツの出場校選考の参考資料となる92年の秋季関東地区高校野球大会で準々決勝で敗退。4強入りを逃した。当時の同校の監督、宗像宣弘(むねかたのぶひろ)さん(69)=さいたま市浦和区=は「ぎりぎりで選ばれても恥ずかしくない試合をするため、一生懸命練習をやる以外ない」と選手らを鼓舞。学校生活では「センバツだから『選ばれる学校』という自負とプライドを持とう」と伝えた。
監督の言葉を胸に選手らは冬に猛練習し、決勝の舞台に立ったものの、上宮に0−3で敗れた。宗像さんは「今思えば、公立校から私学黄金時代の転換期だった」。
第68回大会(96年)以降は私立校の出場が目立つ。第80回大会(2008年)では聖望学園が決勝で沖縄尚学(沖縄)に0−9で敗れたものの準優勝。第82回大会(10年)からは浦和学院と花咲徳栄が出場枠を占めた。
浦和学院は第85回大会(13年)で9度目の挑戦で初めて紫紺の大優勝旗を勝ち取った。県勢の初優勝から45年の時を経ていた。
同校は第64回大会(1992年)で初出場にして準決勝に進出。森士(おさむ)監督は「戦う中でのプレッシャーなど怖さを知らなかった」と振り返る。初出場から21年間、「長い時間をかけ、出てきた課題を乗り越え、『怖さ』を超えた」という。
決勝では済美(愛媛)と対戦。「数年のうちで最もバランス良い打線だった」という強打線が爆発。17−1で大勝した。森監督は「それまでは勝ってもうれしいというより『ほっと』していた。センバツの優勝は、初めて手放しでうれしかった」と感慨深げに話した。
Re: 野球部 情報
管理人 /
2017-11-02 01:35:00
No.38933
花咲徳栄、今夏悲願の初V
センバツには戦前から出場した県勢だが、夏の甲子園の初出場は戦後の第31回大会(49年)。一番乗りした熊谷は2年後の第33回大会(51年)で県勢初の決勝の舞台に立つも、4−7で平安(京都)に敗れた。それから初優勝まで、さらに半世紀以上を要した。
この間、80年代半ばまで県勢は公立高全盛期。4度出場した上尾は第57回大会(75年)で4強入りした。同大会に上尾の中堅手として出場した北本の監督、斎藤秀夫さん(60)=白岡市=は「現在主流になりつつある自主性を重んじる野球を上尾は何十年も先に取り入れていた」と語る。
平日の全体練習は約3時間。選手は帰宅後、走り込みなど自主練習に励んだ。「当時は夜遅くまで練習する強豪校が多く、珍しかった」と斎藤さん。「監督にやらされても強くならない。自ら取り組み目標を明確にすることで実のある練習になる」。斎藤さんは上尾での学びを北本の監督として選手に受け継ぐ。
第67回大会(85年)の立教の出場を皮切りに、私学時代が幕を開ける。第75回大会(93年)では春日部共栄が県勢2度目の決勝に挑むが、育英(兵庫)に2−3と惜敗。その後も浦和学院などが挑んだが、決勝のグラウンド自体が遠かった。
今年の第99回大会で花咲徳栄が県勢3度目の決勝に臨んだ。「破壊力」がテーマの強打線が爆発。広陵(広島)に14−4と大差で勝利し、県高校球児の悲願を果たした。
同校にも不遇の時期があった。第83回(2001年)の初出場以来、夏の甲子園からしばらく遠ざかった。「どうして夏は勝てないのか」。岩井隆監督がたどりついた答えは「自立」。負ければ3年生は引退し、チームが終わる。「想像を超えたプレッシャーを『指示待ち族』は乗り越えられない」
11年、第93回大会で10年ぶりに夏の甲子園に出場した。しかし、1回戦で敗退。甲子園には「夏の魔物」がいる、と岩井監督は強調する。「打球が上がると割れんばかりの歓声、鳴り響く打球音。選手自らが想像しなければいけない」。岩井監督は自立に加え、「自分で考え、想像し、決断、実行すること」を選手らに伝えた。
そして今年8月、3年連続の夏の甲子園。「同じ雰囲気で同じ球場に入り、最後に泣いただけ」と岩井監督が語る通り、甲子園をよく知る選手らは落ち着いて試合に臨み、6試合計61得点と圧倒的な強さを見せた。
次回第100回大会からは優勝旗が新しいものになる。岩井監督は「ずっとこの夏の話をしていてはダメだ。新しい優勝旗を取りにいかなきゃならない」。
Re: 野球部 情報
管理人 /
2017-11-02 01:44:00
No.38934
■県勢センバツ成績
第8回(1931年) 川越中 2回戦
第12回(1935年)浦和中 3回戦
第14回(1937年)浦和中 1回戦
第32回(1960年)大宮 2回戦
第35回(1963年)上尾 2回戦
第38回(1966年)大宮 2回戦
第40回(1968年)大宮工 決勝○3−2尾道商(広島)
第43回(1971年)深谷商 3回戦
第52回(1980年)上尾 2回戦
第54回(1982年)上尾 1回戦
第57回(1985年)秀明 1回戦
熊谷商 1回戦
第60回(1988年)西武台 3回戦
第62回(1990年)伊奈学園 1回戦
第63回(1991年)春日部共栄 2回戦
第64回(1992年)浦和学院 準決勝
第65回(1993年)大宮東 決勝 ●0−3上宮(大阪)
第67回(1995年)鷲宮 1回戦
第68回(1996年)浦和学院 2回戦
第69回(1997年)春日部共栄 3回戦
第70回(1998年)浦和学院 4回戦
第72回(2000年)埼玉栄 1回戦
第74回(2002年)浦和学院 準々決勝
第75回(2003年)浦和学院 3回戦
花咲徳栄 準々決勝
第77回(2005年)浦和学院 1回戦
第80回(2008年)聖望学園 決勝 ●0−9沖縄尚学(沖縄)
第82回(2010年)花咲徳栄 2回戦
第83回(2011年)浦和学院 1回戦
第84回(2012年)浦和学院 準々決勝
第85回(2013年)花咲徳栄 2回戦
浦和学院 決勝 ○17−1済美(愛媛)
第87回(2015年)浦和学院 準決勝
第88回(2016年)花咲徳栄 1回戦
■県勢夏の甲子園成績
第31回(1949年)熊谷 1回戦
第33回(1951年)熊谷 決勝 ●4−7平安(京都)
第39回(1957年)大宮 準決勝
第40回(1958年)大宮 1回戦
第41回(1959年)川越 2回戦
第42回(1960年)大宮 準々決勝
第45回(1963年)大宮 2回戦
第46回(1964年)熊谷商工 準々決勝
第47回(1965年)熊谷商工 2回戦
第49回(1967年)大宮 1回戦
第50回(1968年)大宮工 2回戦
第51回(1969年)川越工 1回戦
第52回(1970年)熊谷商 準々決勝
第53回(1971年)深谷商 1回戦
第55回(1973年)川越工 準決勝
第56回(1974年)上尾 2回戦
第57回(1975年)上尾 準決勝
第58回(1976年)所沢商 2回戦
第59回(1977年)川口工 2回戦
第60回(1978年)所沢商 2回戦
第61回(1979年)上尾 1回戦
第62回(1980年)熊谷商 1回戦
第63回(1981年)熊谷商 3回戦
第64回(1982年)熊谷 2回戦
第65回(1983年)所沢商 1回戦
第66回(1984年)上尾 2回戦
第67回(1985年)立教 2回戦
第68回(1986年)浦和学院 準決勝
第69回(1987年)浦和学院 2回戦
第70回(1988年)浦和市立 準決勝
第71回(1989年)川越商 2回戦
第72回(1990年)大宮東 1回戦
第73回(1991年)春日部共栄 1回戦
第74回(1992年)秀明 1回戦
第75回(1993年)春日部共栄 決勝 ●2−3育英(兵庫)
第76回(1994年)浦和学院 2回戦
第77回(1995年)越谷西 2回戦
第78回(1996年)浦和学院 2回戦
第79回(1997年)春日部共栄 3回戦
第80回(1998年)埼玉栄 2回戦
滑川 3回戦
第81回(1999年)聖望学園 2回戦
第82回(2000年)浦和学院 2回戦
第83回(2001年)花咲徳栄 2回戦
第84回(2002年)浦和学院 2回戦
第85回(2003年)聖望学園 準々決勝
第86回(2004年)浦和学院 2回戦
第87回(2005年)春日部共栄 1回戦
第88回(2006年)浦和学院 1回戦
第89回(2007年)浦和学院 2回戦
第90回(2008年)浦和学院 1回戦
本庄第一 2回戦
第91回(2009年)聖望学園 1回戦
第92回(2010年)本庄第一 1回戦
第93回(2011年)花咲徳栄 1回戦
第94回(2012年)浦和学院 3回戦
第95回(2013年)浦和学院 1回戦
第96回(2014年)春日部共栄 2回戦
第97回(2015年)花咲徳栄 準々決勝
第98回(2016年)花咲徳栄 3回戦
第99回(2017年)花咲徳栄 決勝 ○14−4広陵(広島)
2017年11月1日 毎日新聞埼玉版掲載
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支局開設90年・県版発行100年 高校野球 県勢が切磋琢磨
「埼玉とともに 支局開設90年 県版発行100年」特集の1回目は高校野球。今年8月、花咲徳栄が県勢初の夏の甲子園優勝を果たしたことは記憶に新しい。センバツでは過去に2度、県勢は全国制覇している。初出場はセンバツが1931年、夏の甲子園は49年。県の高校野球史を、当時の関係者の言葉とともに振り返る。
センバツには戦前の第8回大会(31年)に川越中、第12回大会(35年)と第14回大会(37年)に浦和中が出場した県勢。第40回大会(68年)では大宮工が決勝で尾道商(広島)を3−2で破り、「初出場初優勝」を果たした。元浦和市立監督で当時の県高野連事務局長、長坂道男さん(84)=さいたま市見沼区=は「県勢同士が切磋琢磨(せっさたくま)していた時代」と振り返る。
県勢では大宮工、大宮、上尾、川越工、熊谷商工が台頭。「地元住民と一緒に、監督5人が火花をぱっぱと散らしていた」と長坂さんは話す。特に同じ地元のため、大宮工は「大宮だけには負けない」とライバル意識が強かったという。
決勝で大宮工は尾道商に初回に2点を先制されるが四回に3点を奪って逆転、優勝した。当時、大宮は2回戦進出が最高記録。「大宮工はついにライバルを破った。県勢初の優勝に私もうれしくて大騒ぎした」と長坂さんは懐かしむ。
以後、県勢は優勝から遠ざかったが、第65回大会(93年)には大宮東が決勝まで進み、上宮(大阪)に挑んだ。
大宮東はセンバツの出場校選考の参考資料となる92年の秋季関東地区高校野球大会で準々決勝で敗退。4強入りを逃した。当時の同校の監督、宗像宣弘(むねかたのぶひろ)さん(69)=さいたま市浦和区=は「ぎりぎりで選ばれても恥ずかしくない試合をするため、一生懸命練習をやる以外ない」と選手らを鼓舞。学校生活では「センバツだから『選ばれる学校』という自負とプライドを持とう」と伝えた。
監督の言葉を胸に選手らは冬に猛練習し、決勝の舞台に立ったものの、上宮に0−3で敗れた。宗像さんは「今思えば、公立校から私学黄金時代の転換期だった」。
第68回大会(96年)以降は私立校の出場が目立つ。第80回大会(2008年)では聖望学園が決勝で沖縄尚学(沖縄)に0−9で敗れたものの準優勝。第82回大会(10年)からは浦和学院と花咲徳栄が出場枠を占めた。
浦和学院は第85回大会(13年)で9度目の挑戦で初めて紫紺の大優勝旗を勝ち取った。県勢の初優勝から45年の時を経ていた。
同校は第64回大会(1992年)で初出場にして準決勝に進出。森士(おさむ)監督は「戦う中でのプレッシャーなど怖さを知らなかった」と振り返る。初出場から21年間、「長い時間をかけ、出てきた課題を乗り越え、『怖さ』を超えた」という。
決勝では済美(愛媛)と対戦。「数年のうちで最もバランス良い打線だった」という強打線が爆発。17−1で大勝した。森監督は「それまでは勝ってもうれしいというより『ほっと』していた。センバツの優勝は、初めて手放しでうれしかった」と感慨深げに話した。