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野球部 情報
管理人 / 2018-06-22 08:22:00 No.40348
本当にいた甲子園の魔物…剛球左腕・小島の号泣182球

【95回大会1回戦 浦和学院10−11仙台育英 ( 2013年8月10日 甲子園 )】
【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

昨年、花咲徳栄が優勝するまで、関東で唯一夏の頂点をつかめなかった我が故郷。ただ、この年は優勝候補筆頭だった。13年、春夏連覇に挑んだ浦和学院。初戦は上林誠知(現ソフトバンク)を擁する仙台育英との注目カードとなった。

甲子園って本当に魔物がいるんだな、と思った。初回、エース小島(おじま)和哉がいきなり崩れた。3つの押し出し四死球などで6失点。埼玉大会で完全試合も達成していた左腕が、まさか…。

だが、さすがセンバツVチーム。3回に8点を挙げ逆転した。小島は2回から5回までスコアボードに0を並べるも、6回に4点差を追いつかれ10−10。投手戦を予想していたのに、壮絶な点取り合戦になっていた。

8回は無死満塁を圧巻の3者連続空振り三振で切り抜けた。さあ踏ん張ろう!と9回のマウンドへ。だが、また魔物が顔をのぞかせた。左足のけいれん。ストレッチをして水分を取って、2死まで粘ったものの、182球で限界を迎えた。無念の強制降板。救援した山口が打たれ、悔しすぎるサヨナラ負けとなった。

降りたくないと何度も首を振り、ベンチに戻って涙をこらえる表情に胸が苦しくなった。試合後「代われるなら代わってあげたかった」と、泣きじゃくる小島の肩を抱えた森士監督は、指導者と選手というよりも、息子をねぎらう父のようで、また胸が熱くなった。

結果は初戦敗退。でも、球史と記憶に残る試合となった。当時大学生の私。結果速報のアルバイトをしていたため仕事として試合を見ていたけれど、インタビューを見て涙をこらえることができなかった。

早大に進学した小島は今年4年生。秋のドラフトに大いに注目している。

<埼玉データ> 
夏の出場 61回(通算67勝60敗)
最高成績 優勝1回(花咲徳栄=2017年)
最多出場 浦和学院(12)
最多勝利 花咲徳栄(11)
出場経験 23校、うち未勝利5校
※データは北埼玉、南埼玉を合算

2018年6月22日 スポーツニッポン掲載

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