ADVENBBSの過去ログを表示しています(閲覧専用)
野球部 情報
管理人 / 2018-07-24 07:34:00 No.40757
浦和学院へ早大・小島から激励メール/南埼玉

第100回全国高校野球選手権大会南埼玉大会(23日、浦和学院17−5県川口、県営大宮)浦和学院・森監督に決勝前に激励メールが届いていた。『僕らは世界一になったので、がんばってください』。送り主は、2013年センバツ優勝時のエースで現早大主将の小島(おじま)和哉投手だった。大学日本代表の一員として出場していた、ハーレムベースボールウイーク(オランダ)の優勝報告を兼ねてのものだった。森監督は教え子からの激励に「(13年夏の)甲子園で小島を熱中症にさせて、負けてから5年ですね」と振り返っていた。

2018年7月24日 サンケイスポーツ掲載

Re: 野球部 情報
管理人 / 2018-07-24 07:53:00 No.40758
浦学、アツかった5年ぶりV!決勝史上最多17点で県川口を圧倒/南埼玉

第100回全国高校野球選手権大会(23日、県営大宮ほか)第100回全国高校野球選手権大会の地方大会は23日、4大会で決勝が行われ、南埼玉大会では、浦和学院が17−5で県川口を下して優勝。5年ぶり13度目の夏の甲子園出場を決めた。腰痛に苦しんだ主将の3番・蛭間(ひるま)拓哉外野手(3年)は3安打3打点で勝利に貢献。甲子園常連校も3年生部員にとっては、最初で最後の甲子園切符。2013年のセンバツ制覇に憧れて入学した現メンバーは、「目標は全国制覇」と力強く宣言した。

国内最高気温41・1度を記録した熊谷市から、南東に約34キロ離れた大宮市も午後1時には38・4度をマーク。浦和学院ナインは、その熱気以上の歓喜の輪を作った。二回に右越え3ランを放った主将の3番・蛭間は、堂々と胸を張った。

「ちょっと内(角)よりの真っすぐ。決勝戦で長打が打ててよかった。甲子園に出られなくて不安な時があったけど、『革命を起こす』と言って続けてきてよかった」

豪快な通算27号で、流れを完全に引き寄せ、19安打17得点の大勝を演出。前回、甲子園出場を果たした2013年の95回大会決勝のスコア(○16−1川越東)を上回り、決勝戦の最多得点を記録した。

強打の浦学にあって、史上初の“1年夏から4番”に座った逸材も甲子園は遠かった。昨夏の決勝で花咲徳栄に敗れるなど、これまで狙った春夏4度の甲子園出場機会をものにできなかった。腰痛で別メニューが多かった主将は、明るい雰囲気を失わないようにしながら振る舞い、最後の夏にかけてきた。

現3年生は、2013年のセンバツ優勝を見て野球部の門をたたいた。甲子園常連校だけに、「最低でも1年夏から3年夏までの5季中、3度の甲子園出場」を思い描いていた部員も多い。そんな中、甲子園に届かず、暑い夏と厳しい冬を過ごしてきた。その状況で、森監督の考えも変わりつつあった。

「もう甲子園に出られないのかと思ったことがある。新たに、選手に主体性を持て、脱体育会というか…。自分で考えてできるようにした」

軍隊並みに号令一つで強制的に全員が徹底する練習から方向転換。個々の能力にあった打ち方など、選手自ら練習メニューを提案し、選ぶようにするなどした。これが、各選手の自主性を伸ばした。この“革命”が、5年ぶりの夏の甲子園出場につながった。

「南埼玉代表として、目標の全国制覇をして(深紅の)優勝旗を持って帰るようにしたい」
 
蛭間が力強く宣言した。そして昨夏、埼玉代表の花咲徳栄(今回は北埼玉)が手にした優勝旗に熱い視線を注ぐ。浦学が、“2年連続”埼玉県勢Vに目標を定めた。 

★浦和学院OBの元ヤクルト・坂元弥太郎氏

「午後から野球スクールの指導があったので、九回表まで球場で応援していました。甲子園出場という歴史をつないでくれてうれしい。差し入れとしてバットとボールを送るので、大舞台でも躍進してほしい」

★蛭間 拓哉(ひるま・たくや)

2000(平成12)年9月8日生まれ、17歳。群馬県出身。相生小3年で軟式野球を始め、相生中時代は硬式の桜ボーイズで全国大会出場。浦和学院では1年夏に4番。高校通算27本塁打。1メートル74、78キロ。左投げ左打ち。

★浦和学院(うらわがくいん)

1978(昭和53)年に創立。普通科のみの私立共学校で生徒数は2914人(うち女子1431人)。野球部創部も78年で部員数は91人。5年ぶり13度目の出場(春は10度)。優勝は春1度。主なOBは鈴木健(元西武)、大竹寛(巨人)、菜々緒(女優)。所在地はさいたま市緑区代山172。石原正規校長。

2018年7月24日 サンケイスポーツ掲載

Re: 野球部 情報
管理人 / 2018-07-24 08:02:00 No.40759
浦和学院、5年ぶり13度目聖地!蛭間の3ランなど17点

南埼玉の決勝では、浦和学院が19安打17得点の猛攻で県川口に大勝。埼玉での決勝最多得点を更新し、夏の甲子園に5年ぶり13度目の出場を決めた。南神奈川では、横浜のプロ注目スラッガー・万波中正(まんなみ・ちゅうせい)右翼手(3年)が、横浜スタジアムのバックスクリーンを直撃する特大弾。一時、打撃不振に陥り、背番号13で今大会に臨んでいるが、完全復活をアピールした。京都では酷暑対策として異例の“昼休み“を導入。この日最後の第4試合が終了したのは午後10時半すぎだった。

頂点に上り詰めた瞬間、中堅から猛ダッシュした蛭間拓哉は、一番最後に歓喜の輪に加わった。「なかなか甲子園に行けなくて『行けるのかな』という不安しかなかった。それでも、信じてやってきて良かった」。1年から名門の4番を任され、最後の夏は主将。重圧を乗り越えて自身初の甲子園切符をつかみ、満面の笑みで汗を拭った。

勝負強さを発揮した。1点を勝ち越した直後の2回2死一、二塁。甘く入った直球を引っ張り、弾丸ライナーで右翼席へ。「一本打ちたいと思っていた。決勝で打てて良かった」。今夏1号となる高校通算27号3ランで主導権を握り、19安打17得点の圧勝劇へ導いた。

プロ注目右腕の“離脱”を救ったのも、主将の力が大きかった。1年冬。190センチ右腕・渡辺勇太朗の姿が消えた。初めて迎えた冬の厳しい練習に、不安を覚えていたという。関係者が埼玉県内の自宅を訪問。チームメートも、復帰を呼び掛けた。蛭間は「今はキツイけど、最後に笑える時が来る。つらいけど、今は頑張ろう、と伝えました」。約1か月後。右腕は、仲間たちの元へ帰ってきた。

2年連続で夏決勝の先発を務めた渡辺は、5球団スカウトが視察する中、8回途中5失点(自責1)と雪辱。右肘痛から復帰した最速146キロ右腕は「支えてくれた仲間たちに感謝の気持ちがある。(将来的には)155キロを出したい。やっぱりロマンというか、スピードがあったら、それだけ目立つので」と目標を掲げた。

浦和学院は今春、県大会で6連覇を達成。それでも、夏の聖地にたどり着かなかった先輩たちの悔しさも背負っている。侍ジャパン高校代表候補にも選出された主将は「しっかり調整して、全員でつないで点を取っていきたい」。100回目の夏に、新たな時代を切り開く。

2018年7月24日 スポーツ報知掲載

Re: 野球部 情報
管理人 / 2018-07-24 08:09:00 No.40760
浦和学院・渡辺 プロ注目大型右腕が3失点好投

プロ注目の最速146キロ右腕、渡辺は初回に失策絡みで2点を許しながらも、2回以降は140キロ前後の直球を軸に変化球を交えて試合をつくり、7回0/3を8安打3失点(自責点1)。

春季県大会では右肘痛でベンチから外れたが、4球団のスカウトが見守る中で最速143キロをマークした。1メートル90の背番号11は「小さい頃から浦和学院で甲子園に出るのが夢だった」と満面の笑みだった。

2018年7月24日 スポーツニッポン掲載

Re: 野球部 情報
管理人 / 2018-07-24 08:12:00 No.40761
浦和学院、決勝新17点V 蛭間「打った瞬間」弾丸3ラン

全国高校野球選手権地方大会は23日、22大会59試合が行われた。南埼玉大会では浦和学院が同県決勝の最多得点となる17得点で県川口を下し、5年ぶり13度目の甲子園出場を決めた。24日は27大会73試合が行われ、北埼玉など5大会で決勝が行われる。

国内最高41・1度を記録した熊谷から35キロ。大宮公園の右翼席に浦和学院の3番・蛭間の弾丸ライナーが突き刺さった。同点の2回。1点を勝ち越し、なおも2死一、二塁で内寄りの直球をフルスイングした。

「打った瞬間に行ったと思いました。一本打ちたいと思っていたので、決勝で打てて良かったです」

高校通算27号は今夏初アーチ。1年夏から4番を任された侍ジャパンU―18代表候補の一撃で、この回5点を奪うと、一気に流れを呼び、19安打で、埼玉大会決勝の最多記録となる17得点で県川口を圧倒。13年夏決勝で16―1で川越東を下した記録をさらに更新した。

5年ぶりの夏切符。群馬から入学した蛭間にとっては初めての聖地だ。春季大会では県6連覇も、夏は勝てなかった。「本当に甲子園に行けるのだろうか…」。不安を打破しようと動いた。11日の初戦突破後、ミーティングを開催。ナインは各自のウイークポイントを紙に記した。主将を務める蛭間も「常に冷静に」と書いた。そんな行動が、ナインの結束を固めた。

この日朝、森士(おさむ)監督の携帯電話にLINEのメッセージが届いた。2年生左腕として13年春のセンバツを制した小島(早大)からだ。侍ジャパン大学代表としてハーレム国際大会(オランダ)に参加し「僕たちは世界一になりました。頑張ってください」と激励された。14年夏は小島を擁しながら3回戦で県川口に敗退。「おまえの分もリベンジしてやる」と返事し有言実行した。

昨夏は花咲徳栄が埼玉勢初の全国制覇。蛭間は「悔しかったし自分たちもやってやるという思いにもなった」という。13度目の出場を決めた指揮官も「昨夏に続いて(埼玉に)大旗を持って帰りたい」と力を込めた。 

2018年7月24日 スポーツニッポン掲載

Re: 野球部 情報
管理人 / 2018-07-24 08:18:00 No.40762
浦学5年ぶり夏切符 プロ注目、蛭間の一発が猛爆火付け 6戦60点打線!

南埼玉大会では、浦和学院が夏5年ぶり13度目の出場を決めた。プロ注目の蛭間拓哉外野手(3年)が今夏1号を含む3安打3打点。19安打17得点の打線を引っ張った。

主砲の一発が猛攻の火をつけた。浦和学院が決勝戦では最多得点となる17点を挙げて県川口を圧倒した。二回に1点を勝ち越しなお2死一、二塁で3番・蛭間に打順が回ってきた。甘く入った直球を捉え、右翼席へ運ぶ3ラン。「決勝の舞台で打ててよかった」と高校通算27号で流れを呼び込んだ。

先発した右腕の渡辺勇太朗投手(3年)や左腕の佐野涼弥投手(3年)は下級生のころから経験豊富ということもあり、充実の投手陣に頼りがちのチームだった。

「野手が打っていこう」と主将の蛭間を中心に誓った今大会で、冬場から振り込みを増やして強化してきた成果が表れた。毎試合7点以上奪い、全6試合で60得点。胴上げで3度舞った森士(おさむ)監督(54)は「選手たちに感謝。打線が頑張った」とたたえた。

大舞台でも野手陣がカギとなる。強打を武器に昨夏県勢として初めて深紅の大優勝旗を手にした花咲徳栄に対し、「強い刺激を受けました」と指揮官。宿敵に負けてばかりはいられない。蛭間は「飛び抜けたバッターはいないので、1番から9番までつないでいきたい」と意気込んだ。勢いづいた強力打線で甲子園に乗り込む。

2018年7月24日 デイリースポーツ掲載

Re: 野球部 情報
管理人 / 2018-07-24 08:20:00 No.40763
浦和学院17点V!蛭間3ランで打線点火/南埼玉

熱い男が、ウラガクに5年ぶりの歓喜を呼び込んだ。浦和学院(南埼玉)は決勝で17得点と打線が爆発。2回、蛭間拓哉主将(3年)が高校通算27号の3ランを放ち、県川口の勢いを止めた。森士監督(54)も「甲子園に出られない悔しさが乗り移ったような1発だった」とたたえた。

しっかり軸足を残し、痛めている腰を切って飛ばした。打撃の型は巨人阿部と重なる。巨人OBでもある三浦貴コーチ(40)からは「阿部は変化球でも軸をまっすぐ残して打っているよ」とアドバイスを受けている。「最後にようやく力みが取れて打てました」と白い歯を見せて笑う姿も、巨人阿部と重なった。

勝つまで油断しなかった。8回、蛭間は自ら10点目のホームを踏むと、ベンチ裏で中前祐也遊撃手(2年)を呼んだ。この日、攻守にさえない後輩に「雑になってるよ。夏は1球で決まるんだから」と声をかけた。中前は「シャッフルできた」と頭の切り替えに成功、2点適時打を放った。

ベンチから、塁上から、センターから、ナインに声を飛ばす。怒らず、熱くアドバイスする。森監督も「最近の子にしては珍しいくらい」と蛭間のキャプテンシーを認める。個々の技量は全国トップ級の猛者集団。「まとめるの、本当に大変でした」と苦労を明かしたが、悲願の甲子園でそれも報われた。

この日、埼玉・熊谷市で国内観測史上最高の41・1度を記録。決勝が行われたさいたま市内も相当な熱気だったが、蛭間は「今までで一番涼しいくらいでしたよ」とどこ吹く風。暑い埼玉の熱いキャプテンが、甲子園に熱さをもたらす。

◆浦和学院
1978年(昭53)創立の私立校。生徒数2914人(女子1431人)。野球部創部は78年。部員数は96人。甲子園出場は春10度、夏は5年ぶり13度目。主なOBに鈴木健(元ヤクルト)大竹寛(巨人)ファッションモデルの菜々緒ら。所在地はさいたま市緑区代山172。石原正規校長。

◆Vへの足跡◆
2回戦7−0東野
3回戦11−0志木
4回戦7−3朝霞西
準々決勝11−4朝霞
準決勝7−0聖望学園
決勝17−5県川口

2018年7月24日 日刊スポーツ掲載

Re: 野球部 情報
管理人 / 2018-07-24 12:07:00 No.40767
浦和学院、V原動力は「徳栄に先越された」/南埼玉

「屈辱」から頂点へはい上がった。第100回全国高校野球(8月5日開幕、甲子園)南埼玉大会決勝戦が行われ、浦和学院が県川口を17−5で下し、5年ぶり13度目の甲子園出場を決めた。17得点は埼玉大会の決勝戦では史上最多得点。原点は昨年8月23日、ライバル・花咲徳栄(北埼玉=今日24日決勝)が優勝した甲子園決勝戦にあった。

歓喜の輪に向かい、センター深めに守っていた浦和学院・蛭間拓哉主将(3年)は走りだした。「つらかった。勝てて良かったな」とホッとしながら駆け、13秒後、19人の輪の中に両手を広げ、包み込むように抱きついた。優勝の実感がこみ上げた。

森士監督(54)は9回裏、ベンチからグラウンドへ向かう階段に塩をまいた。8回に5点、9回に4点。終盤の大量リードにも「先攻だから、点取らなきゃダメなんだよ!」と打撃陣を鼓舞し続けた。優勝の瞬間、ようやく重圧から解放されたかのように、両手を突き上げた。

全ては、昨年の8月23日から始まった。埼玉大会決勝で敗れた花咲徳栄が、甲子園決勝まで勝ち進んだ。合宿所の食堂で、部員全員でテレビ観戦した。「誰も話さず、声を出してはいけないような雰囲気でした」と矢野壱晟三塁手(3年)は振り返る。優勝の瞬間も、実況アナウンサーの声だけが食堂に響いた。

森監督も別室でテレビを見ていた。花咲徳栄の強さは十分知っていた。しかし。

「埼玉初の全国制覇を目指す…そんなこれまでの監督人生からすると、先にやりとげられてしまった。屈辱というか、ふがいないというか。とにかく、衝撃的でした。立ち上がれないんじゃないかというくらいでした」

力を振り絞り、強いまなざしの教え子たちに言葉を発した。「徳栄に先を越されたのが、一番悔しい。来年、絶対に甲子園で徳栄を倒して優勝するぞ!」。選手たちのほえるような「はい!」を信じ、猛練習を重ねてきた。

苦手な左腕対策を徹底し、一定の技術はついた。あとは気持ちだけ。今夏の初戦当日は早朝5時すぎからバットを振った。朝食前に、腹の底から声を出し「敵は我にあり!」と4度唱和。わがまま集団と呼ばれたチームも、ようやく1つになった。蛭間は「そういう意味でもホッとした感じです」と笑顔を見せた。

試合後は、部員と父母によるビクトリーロードを歩み、近くの大宮・氷川神社へ。県優勝のお礼参りと、甲子園優勝の必勝祈願をした。「もう2度と甲子園へ行けないかと思っていた。また新たなスタートです」と森監督。屈辱から始まったチームは、笑顔にあふれていた。

2018年7月24日 日刊スポーツ掲載

ADVENBBSの過去ログを表示しています。削除は管理者のみが可能です。