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無貌の天使(フェイスレス・エンジェル)2
ライオンのみさき / 2008-02-29 23:53:00 No.1162
「あるいは、使いようがあるかもしれんな……それほどの能力(ちから)の持ち主なら……」
 新入隊員が部屋を辞すると、ソファにかけたままのフェンリル司令は独りごちた。
「――何か、聞いているかね?」
 次のその言葉は、今度はもちろん今この部屋にいる彼以外の唯一の人物に対してのものだったが、姿勢もそのままで、視線を向けることすらしなかった。
 しかし、忠実な秘書官はすぐさま答えを返す。
「いえ、その件に関することはまだ耳にしておりません」
「ふむ……」
 軽く頷くと、ロイは再び呟くように言った。
「霊能局というところは――言わば、前時代の遺物であって、古い因習と旧弊な伝統・格式などといったものに縛られ、組織としての柔軟性・機敏な対応能力には欠けている……。だが、それだけに、内側に向かって凝縮し、外部と隔絶した閉鎖社会であり、外への情報遮断に関しては堅固なものを持っているとも言える……」
 声に出してはいるが、ロイの言葉は相手に話すというより、自分の考えをまとめ、さらに進めるためのものだった。
「しかし確かに、これだけのことになれば、全く隠しおおせるというものではない。おそらく、この半日内外には、こちらから特に調査を指示しなくとも、それなりの情報は集まってくるだろう。だが、それまでにも、霊能局はこの件について、自分たちに不都合な証拠の隠滅、事実の隠蔽、情報操作等の工作を進めることもまた間違いない」
 口にしている間に、状況はロイの頭の中で瞬く間に整理され、片づけられていく……。
 メティファは一言も口を差し挟まない。上司が今は自分の発言を求めていないことを知っていたから。場合によっては、特に指示がなくともその時なし得る最上の対応をすぐさま行うが、そうでなけれは、ただ静かに控え、決して邪魔にならない。必要なら、彼女は空気のような存在になることもできた。それこそが実務的な有能さと同じくらい、フェンリルの司令イグアナのロイの傍にいることのできる資格であったのかもしれない。
「つまり、この情報の価値は、内容じたいというより、その早さにある。――いずれ同じことを知るとしても、それが十数時間早ければ、意味合いは全く異なる。向こうの工作が進む前に、より多くの材料を集めることが可能だ。そうすれば、この先、霊能局と交渉するような事態となった際、手持ちのカードが多いだけ、有利になる」
 そのロイの言葉を受けて、メティファは初めて反応した。
「直ちに手配いたします。――他にご指示は?」
「チープサイドがこの件について、霊能局内部から確認を取ったルートも調べさせておいてくれたまえ。おそらくはあの男との個人的なつながりで、他の者が使えるようなものでもあるまいが……」
「承知いたしました」
 一礼すると、メティファは司令室を出て行った。
 ロイの知らなかった事実をつかんでいた者が存在したとしても、そう不思議はなかった。フェンリルは現在、天界で最高の情報機関だが――それは周囲の評価やロイ自身の自負を別として、全くの事実だった――、としても、天界で起きる出来事の全てを網羅しているわけではない。まして、初めから対象が確定していて、情報を収集する用意があったのならともかく、偶発的に起こる事件のことごとくを常に誰よりも早く知るというわけにはいかない。
 従って、チープサイドがこの情報をフェンリルより早く手にしたこと自体は、さして驚くには当たらない。それだけなら、偶然の要素もあって、あの男の能力をそう評価する理由にもならないのだった。だが、それを知った後、すくさま裏付けを取ることができたというのは、霊能局の内部にすら届く糸を持っているということを示しており、無視し得るものではなかった。そして、それよりさらに留意すべきなのは、あの男がこの情報の性質と価値とを完全に把握しているということだった。このタイミングでこちらに渡すことができなければ、この情報の価値は半減しただろうし、もしそうなら、あの男はこの情報を手土産にすることはやめていただろう。あの最後の言葉がそれを証している。――フェンリルの隊員の中でも、あれだけ“分かっている”者はそう多くはない。
「――」
 ロイは空席となった向かい側のソファにふと眼をやり、そして、動きを止めた。
 そこに掛けていた、たった今これほど強い印象を残したはずの男のイメージが判然としないことに気づいたのだった。
 ――イグアナのロイという人間は、ある意味できわめてデジタルな思考形態の持ち主で、実のところ、自分が特に必要を感じなければ、他人の顔や名前を記憶しないことも珍しくはない。
 それにしても、たった今まで対座して会話を交わしていた相手だった。それがこうまでその姿のイメージだけがすっぽりと抜け落ちてしまっているというのは、やはり普通ではなかった。
 異様な感覚……ロイはある人物と会った後にも、これと同じようなものを覚えることを思い起こした。
 それはひとりのメガミだったが、顔を合わせて話している時には何らおかしく思うこともないが、いったん眼の前からいなくなると、途端にその姿も声も薄い靄でもかかったかのごとくに、はっきりとは思い出せなくなってしまう。だが、そのメガミのそれは、特殊な事情による超自然的な“現象”――自分の意思で制御できないからには、能力とは呼べないだろう――であることも知っていた。
 そのメガミの場合のように、明確に異常現象として感じられるわけではないが、それと似通ったものをチープサイドがいなくなったあとにも覚えたのだった。けれど、そこには何らの超自然的な要素もなかった。むしろ能力というなら、明らかに自らそういうようにしているあの男の方だろう。だが、超能力などではない。それなのに、あのメガミの時と似たような感覚が残るとすれば、かえってよほどのことと言えた。しかもそれでいて、今回の会見に当たって、ことさらに何か構えていた気配もない。
(おそらく特別に何か考えなくとも、常に他人の印象に残らないよう振る舞っている。普段から、ごく自然に。あの男にとって、それは言わば第二の本能になっている、というところか……)
 ……思い出した。それも、ただ目立たないようひたすら地味に徹して、人の心に残らないというばかりではなかった。あるいは、逆に一見人の目に立つような真似をして、しかし、かえってそのことで人の注意をそらし、自分の印象を隠したりもする。
 たとえば、今日は服装も何も、すべていかにも特徴のないものだったが、初めて会った時にはそうではなかった。いささか品に欠けるほどに派手な柄もののジャケットを着ていた。そのままなら、どこにいても目立った。たとえ、何十人もの人の群れに紛れ込んだとしても、容易に見つけ出せたことだろう。
 だが、それは彼が目立っていたのではなく、服が目立っていただけなのだった。いったんそのジャケットを脱いでしまえば、それでもう何の特徴もなくなり、また、ジャケットにばかり眼を奪われていた分、もともと薄い彼自身の印象はほとんど残ってはおらず、さらに、ほんのわずかな変更――例えば、少し髪型でも変えたり、眼鏡をかけたりでもしようものなら、それだけでもう彼を見つけ出すことはほとんど不可能になっていただろうと予想される。
 そもそも、今回感じたように、あの顔立ちじたい、これといった、特に何からしいというような感じがしない。言うなれば……。

無貌の天使(フェイスレス・エンジェル)2
ライオンのみさき / 2008-02-29 23:56:00 No.1163
「――顔なき守護天使か……」
 ロイが呟きを洩らしたのと、メティファが再び部屋に入ってきたのとは同時だった。
「何でしょうか?」
 怪訝な顔をして、聞き返す。
「いや――」
 ロイは首を振ったが、
「……メティファ君。あのチープサイドという男について、君はどう思ったかね? ――能力などではなく、見た目の印象だが……」
 しかし、口に出してから、ロイは思い直した。他の人間であったなら、その口元には苦笑が浮かんでいたところかもしれない。
 余人はともかく、この秘書官に対しては、今の質問は意味をなさないものだった。なぜなら、この女性は異様なまでの記憶力の持ち主で、一度見聞きしたものは決して忘れることはないというほどだったのだから。それが彼女の能力だった。そういう相手には、自分がチープサイドに感じたのと同じような感覚は求めようがないだろう。
 だが、ロイに尋ねられたことには彼女はていねいに答えてくる。
「外見上、これと言って目立つ特徴は見当たらないと思います」
 さらに、この時はそれだけでなく、つけ加えられたものがあった。
「ですが、それだけに、守護天使としては、非常に稀有な例と言えるものかと考えます」
「うむ……」
 ロイは頷いた。メティファがロイと同じ感覚を持ちはしなかったとしても、その考えは彼の思索と一致していた。
 守護天使の外見は、一般にその前世である動物と主人の双方に関わった人物をモデルとするが、その際、その姿というものは、主人の記憶に残ったものなので、そこには意識的無意識なものによらず主人の嗜好というものが大きな影響を与えている。また、守護天使の側からも、自分の好みや主人に気に入られようとする意識が働いているために、そのモデルと完全に同一ということではなく、それを元にしながら、より印象的な姿として決定されるのが普通だった。それは主人と守護天使が異性の場合には特に顕著な傾向だが、同性であったとしても、本質的に変わりはない。
「男性同士でも、オリジナルの人物を土台に、自分の好ましいと思うような姿として深層意識にでもマスターが描いたものがまず元になり、さらにそれに守護天使自身の意識が反映されて外見が決まるはずです。とすれば、そうした外見にさしたる特徴もないなどということは、通常まずあり得ません」
「その通りだ。しかし、事実として、チープサイドの姿には、他と区別される特徴は異様なほど見当たらない。ということは――ごくごく特殊なケースだが、ああいう特徴のない顔立ちをこそよしとするような主人のはっきりした嗜好があり、チープサイド自身もまた、それを望んだのだと考えるほかない」
「彼のマスターは、いわゆる“情報屋”と呼ばれる人物です。そういう仕事に携わる人間として、人目に立たないことを何より得難い資質として称揚するような、普通にはない感覚があったのではないでしょうか」
 無論のことながら、今度の件の前に、チープサイドの経歴については調べ上げてあった。
「そういうことなのだろうな……」
 そう、あれもまた、諜報員と言うよりは情報屋だ。それも生まれながらの――転生した時からの、なるべくしてそうなった情報屋なのだ……。
 そしてまた、それこそがロイがチープサイドをフェンリルに迎える気になった最大の理由でもある。
 以前、ロイは人間界における調査・情報収集のため、地上に人間を構成員とした諜報組織を起こす可能性を検討したことがあった。それまでも裏社会の人間達やその組織を必要に応じて利用することはあった。だが、これはそうしたものとは根本的に違い、それらの顧客としてではなく、当の人間の構成員達にも組織を統轄するのが天界の者だということを知らせないまま、フェンリルのためだけの人間の諜報組織を作り上げてしまうというものだった。こうした発案に至ったのは、人間界のことを調べるには、人間達自身を使う方が有効である場面がやはり多いということ、地上においては人間の数の方が圧倒的に多いからというごく単純な理由による。
 しかし、言ってしまえば簡単なことのようだが、これはロイ以外の者にはなかなか持ち得ない発想だった。と言うのも、普通の守護天使や神格者にとっては、そのように人間を徹底的に利用する対象として見なすという視点に立つことじたいがはなはだ困難だったから。
 フェンリルの創設じたいに代表されるように、対呪詛悪魔に関するロイの発想や構想は、それまでの天界の指導者層の常識を遙かに越えた斬新で画期的なものが多かったが、これもまたその一つで、天界から人間界への影響の及ぼし方としても、これまでにない効果を持つものになるはずだった。――ところが、その計画を進めようとするうち、意外なことが分かった。
「よもや、それをすでに現実のものとし、しかも、長きに渡って大々的に運用していた守護天使が別にいようとは……」
 イギリスはロンドンの裏社会に、“情報屋”たちの有力なコネクションが存在することは、以前よりよく知られていた。しかも、その情報網はロンドンだけに留まらず、他の地域の同様のコネクションとやり取りすることで、ヨーロッパ全土、いや、世界的規模でのネットワークを形成してさえいた――しかし、フェンリルが自分達の諜報組織作りのための下調べの中で、そのロンドンのコネクションの中心的人物の一人が実は人間ではなく、守護天使であることが判明したのだった。
 それが雀のチープサイドの存在が浮かび上がった瞬間だった。
「しかし、彼は司令のように、自分でそうした発想を得、ネットワークを作り上げたわけではなく、すでにあったものをただ受け継いだに過ぎません」
 数十年にわたり、ロンドンの全ての情報屋達の総元締めだった一人の老人。それがチープサイドの主人に当たる人物で、まだ幼い少年時代から転生してそのそばにあったチープサイドは、周囲からは彼の息子と思われていた。その人物がロンドンの暗黒街の抗争に巻き込まれて命を落とした後、チープサイドは“父親”の地歩を“息子”として相続する形で、その二代目となっていたのだった。
 それを述べたメティファのこの発言はことさらロイの味方をしたわけではなく、ましてや追従などではなく、事実をそのまま指摘しただけのことだった。だが、それに対するロイの返答はさらに徹底して現実的だった。 
「どのようにして手にしたかは重要ではない。重要なのは、その価値を知り、有効に使えているかどうかだけだ。その点、あの男は明らかにそれを知り尽くし、そして、充分以上活用している。だが、天界の多くの者には、そうしたことはほとんど理解されまい。――DFでは、あの男を使いきれなかった所以だ」
 チープサイドの存在を知り、素性を調べたところ、この守護天使は人間界でそういう独自の立場を持ちつつ、同時に天界ではDFに所属しているということが分かった。
 だが、ロイの眼から見ると、DFでは他に類のないこの特異な存在を活かしているとは言い難かった。それどころか、様々な呪詛悪魔達のグループの中にさえ、自分の地上のネットワークを通じてコネクションを持つらしいこの男を警戒し、持て余しているようにも見えた。
 そういったことを掴んだ後、ロイは密かに部下をやって、チープサイドと接触させた。そして、当人との様々なやり取りの末、内外への幾多の交渉・工作を経て、今日このようにDFからフェンリルへの雀のチープサイドの移籍が正式に決定する運びとなったのだった。

無貌の天使(フェイスレス・エンジェル)2
ライオンのみさき / 2008-02-29 23:57:00 No.1164
「それにしても、こちらがそれなりに手間をかけたとは言え、あの男の握っているものをもう少しでも認識できていれば、そう簡単に手放そうとするはずもないが……話にならんな。やはり、今のDFには、少なくとも、上層部には人はいない。むしろ諜報ということに関するかぎり、あの男のほうが遙かによく分かっている。自身単独で情報を収集するばかりでなく、他者が集めたものを統括する立場にあることにもよるのだろうが……」
「それではやはり、ただの隊員ではなく、諜報技術の教官などもお任じになりますか?」
「――いや……」
 チープサイドを招くに当たって、そういったことも検討されていた。だが、ロイの反応は否定的だった。と言うよりむしろ、今回あの男をよく知ることによって、かえって否定の意思が固まったようだった。
「ああした駒は、一つあればいい」
 フェンリルという組織で、ロイは部下の中に自分に対して秘かに批判的な、さらには反抗的な意思を隠し持つ者が少なからず存在するのを知っていたが、だが、たとえ内心で何を考えようと、彼らがフェンリルの任務内容、また、その実行段階での調査・探索・諜報・情報処理等に関しての技術・方法について、フェンリル内でロイが作り定めた以外の方式を知らず、従ってロイのやり方に沿って行動する以上、結果的にはロイの意図した範囲の外へ出ることはそうない。そうである限り、ロイは彼らをその意思とは関係なく自分の駒として見なすことができた。
 ところが、チープサイドは、少なくとも諜報については、全く別系統の独自の方式を所有していた。――とは言え、そのことだけでは大した問題とはならない。それがあの男一人だけなら、チープサイド個人の他の者にはない能力というに過ぎないからだ。
 しかしながら、あの男が諜報部門の教官となれば、その教えによってこれまでのロイの方式とは異なるやり方を持つ者が増えることになる。だが、それでもまだ単に技術面のことで、それも諜報という限られた範囲のことでしかない。それだけでロイの制御下から抜け出すような者が多く出るようなことはあり得ず、あるいはまた、そのことからチープサイドがフェンリル内で大きな勢力を築いていくというようなことも考えられなかった。そうなるには、あの男にはあるものが決定的に欠けていた――むしろ、あの男にだけは、それがないと言うべきか。広く一般に認められる分かりやすい個性というものが……。大衆の心理には、一面ひどく単純な部分がある。ああまで外見的に目立たず、集団の中に紛れてしまうような者の周りには、人は集まりにくい。
 従って、たとえチープサイドの方式がある程度フェンリル内に広まったとしても、フェンリルという組織全体が何らかの影響を受けるような事態にはなり得ようがないはずだった。――しかし、ロイはおそらくは完璧主義の一種の潔癖性から、そうしたことを好まなかった。
 また逆に言えば、そうした別個の方法を持つ者をチープサイドだけに留めておくなら、他にはない特徴を持つがゆえに多少貴重ではあっても、ロイにとって、あの男もまた単なる駒の一つということになるのだった。
 しかしもちろん、彼が関わる地上の情報ネットワークについては、また別の話になる。 
「ところで、あの男のネットワークを我々の側に取り込むという工作については、どうなっているかね?」
 ロイはメティファに問いかけた。
 独自の諜報組織を作るという計画は、チープサイドのネットワークの存在を知ってから破棄されていた。全く別個に新しいものを一から作り上げようとしても、後発の立場では既存のものに対して不利は明らかで、実効を上げられるまでにもっていくには手間がかかり過ぎることが容易に予想されたので――。
 と言うよりは、方針の変更だった。すでにあれだけのものがあるのだから、それを利用しない手はない。
 そのための方法は二つ考えられた。一つは、チープサイドを窓口として使うこと。そしてもう一つは、ネットワーク自体を、全体あるいはその一部なりとも、フェンリルの管理下に置くことだった。その際には、チープサイドの存在はネットワーク利用に特に必要はなくなる。
 実のところ、あのネットワークを手にできるものなら、逆にチープサイド自身など、この際、切ってしまってもいっこう構わない。確かにあの男は単独の諜報員としても優秀と言っていいが、だが、所詮は個人の力であり、仮に別の一人で同等の働きを期待するのが無理だったとしても、何人か割り当てれば補いはつくことだった。
 それより、あの男の存在がフェンリルがネットワークを取り込む上で障害になるというのなら、邪魔物という側面の方が拡大される。
 チープサイド個人と人間界の情報ネットワーク――どちらが有用かなど比較するまでもない。だから、ロイの言う“工作”とは、必要とあれば、チープサイド排除の可能性すら含むものだった。チープサイドと彼の情報ネットワークの存在を知ってから、チープサイド自身のヘッドハンティングと平行して、そうした計画も同時に立てられていたのだった。 
 だが、メティファは眼鏡の奥の美しい大きな眼を伏せた。
「現在の所、はかばかしい成果は上がっておりません。チープサイド以外のネットワークの核になる主要な人物達までは辿り着けないでいますし――またたとえ、接触できたとしても、彼に知られないまま、そうした人物たちと交渉を重ねるのは困難かと思われます。第一、末端の者にもなかなかこちらを信用させることができません。お金をかける用意もあるのですが、それだけでは」
 ――だろうな……。
 期待を外れた様子はロイは示さなかった。もともとそうしたことを表に出すことは少ないが、この場合には半ば予想済みのことらしかった。 
「ああいう種類の人間というものは、もともと用心深い上に、よそ者にはとりわけ警戒心が強いものだ。正体を判然とさせられないフェンリルの工作員では、交渉もままなるまい。そして、こちらの正体を明かせない以上、信用させて少しずつ中枢に近づいていくというわけにはいかん。ある程度の規模のものを言わば力尽くで一挙に手にするしかない――それには、もっと時間も手間もかかる……」
「はい」
「また、あの男なら、あのネットワークの存在が自分の最大の売り物であると同時に、自身の身を危うくしかねない諸刃の剣でもあることなど重々承知しているだろう。であるなら、フェンリルに入るにあたって、その辺りの対策に怠りはあるまい。少なくとも、しばらくは無理だ」
「そうですね」
「それなら、当面は、あの男を通じて、ネットワークをせいぜい活用させてもらうことにする。当初の予定通り」
「了解いたしました」
 メティファは頷いたが、ロイはさらにつけ加えた。
「だが、我々の側に取り込む工作は現段階では無理して進めなくても構わないが、今のうちからネットワークへの独自のルートは確保しておくように。それは必要だ。我々の意思とは関係なく、不慮の事故や敵との戦闘であの男が死んだりした場合、すぐに使えなくなるというのでは困る。現時点ではあの男を通して使った方が他にもいろいろと有用な点もあろうが、それができなくなった時のことも考えに入れておかなくてはならない」
 不確定要素が多く、確実な予測が立てられない場合でも、結果がどう転んだとしても最終的には損害を被らないよう、事前に二重三重の手を打っておく――ロイのいつものやり方だった。
 他にもいくつかの指示を出し、メティファが引き取ると、ロイは自分のデスクに戻った。
 山積みされた書類の形で具象化された厖大な案件の処理にかかる。それらに対する多種多様な思考や思惑に紛れ、数分後には、その頭から雀の守護天使のことも霊能局の巫女のことも、すでにすっかり追い払われていた……。

意外×2
ライオンのみさき / 2008-02-29 23:58:00 No.1165
 こんばんは。ライオンのみさきです。
 『無貌の天使(フェイスレス・エンジェル)』の二話めをお届けいたします。

 ――ですけど、お読みいただいて、もうお分かりのことでしょうけれど……今回、主役のはずのチップさんは、登場しておりません!!(爆) ちょっと、意表を突いてしまいました(笑)。

チップ「 ・ ・ ・ ・ 」

 あ、チップさん……。

チップ「 ・ ・ ・ ・ 」

 ……あの、どうなさいました? ――ええと、おこらないで下さいね。さっきはああ申しましたけど、それは冗談で、もちろんわざとやったわけではなくて……ロイ司令とメティファさんの会話だけで、ずい分長くなってしまったので、今回は登場していただく場面までいかなかったというだけなんですから……。

マーク「チップ! ねえ、チップったら……!!」

 あ、マークさん――どうしたんでしょう、チップさん……。

マーク「――だめだ、ショックのあまり、固まっちゃってる……」
 
 え……? あ、あの、そんなに、ショックだったんでしょうか?

マーク「そりゃ、そうだよ。せっかくの初主役のお話で、内心張り切ってたんだから」

 そ、そうですか……。

マーク「それなのに、いくら何でもこれはないんじゃないかな、みさきちゃん。ちょっとひど過ぎるって、僕も思うよ」

 ――え……え……?! (――マ、マークさんに、おこられちゃった ・ ・ ・ ・ )

マーク「作者さんなんだから、ちゃんとキャラの気持ちも考えてくれないと」

 そ、そうですね……(ま、まさか、マークさんに意見されてしまうようなことがあるなんて ・ ・ ・ ・ )

マーク「今回はもうしょうがないけど、次は頼むね、ほんとに」

 は、はい。じ、次回はチップさん、大活躍ですから――【小声】きっと……。

ああああ…というセリフ
ノエルザブレイヴ / 2008-03-09 19:56:00 No.1168
さすがチップ君は顔が無い、顔が無いから出番も無い(笑)。
…というジョークはさて置きまして。

ご主人様の跡を継いだ守護天使、というのはなかなか新しい発想だと思います。どういう経緯で二人が知り合ったのかが今度は気になるところではありますが。
しかし、ご主人様の跡を継いだとはいえ己の固めてきた地盤がある、情報業としての流儀がある、というのは彼の揺ぎ無きアイデンティティでもあると思われ、そういう意味では「自分が無さ過ぎる」アズマ嬢とはまた違った「扱いづらさ」も抱えていると思われます。そういう「扱いづらい」タイプはロイ氏(←「管理野球」という言葉が凄く似合いそう、そして冴え渡るデリカシーの無いトーク)にはやっぱり耐えられないのだろうな、とはいつも思うところであります。

それから、上記のことがチップ君が「意図的に目立たない」自分を演出している理由の説明にもなっている、というのは相変わらず巧いな、と思わされたところです。それはみさきさんと私の言わば「ステイヤー(重厚なスタミナを持ち長距離を考えて耐えて勝つ)」と「スプリンター(素軽いスピードに任せて突っ走る)」的な執筆傾向の違いでもあると思っています。
というわけでというわけでもないのですが、チップ君の私が思うキャッチコピーみたいな物は「霧に潜む男」だったりするわけです。


…ところで、チップ君の見た目上の物理的な特徴(「意図的に目立たない」というのは「心理的な特徴」であると思われます)ってやはりアングロサクソン系のそれなんでしょうかね。

Re: 無貌の天使(フェイスレス・エンジェル)2
エマ / 2008-05-18 16:18:00 No.1187
こんばんは、感想遅れましてすみません。

ロイによる霊能局の内部状況の推測から始まりましたが、いよいよ両組織の対決の予兆を感じさせますね。今回の一件で起きた情報の収集と隠蔽、すでに戦いは始まったといってもいいかもしれません。
「この情報の価値は内容よりも早さにある」というロイの判断や、必要なとき以外、決して口を挟まないメティファさんなど、フェンリル最上層部の計算高さ、洗練さが分かりますね。(逆に、霊能局の上層部の様子も私が書ければ、対比できて面白いのでしょうが・・・)。
チップさんが最良のタイミングで情報を持ってこれる、情報の価値を真に理解できる者であり、またロイの記憶からすらも印象を消してしまえるという、特異な能力の持ち主であることがうまく説明されていますね。さりげなくむにたんの事にも言及されていて、ファンにはたまらないです(笑)でも、うまくむにたんの印象の薄さの原因とうまく対比させていますね。単なるサービスに留まらず、チップさんの説明にうまく活用するとは・・・さすがだw
今回は派手なジャケットを来て、それがある種注意をそらす事に利用されていたわけですが、実際犯罪の現場でもよく使われる手口ですね。強盗などでやたら特徴的なマスクや服装をして犯行に及ぶと、大抵の目撃者は取り調べに対して興奮気味にそういう特徴ばかり述べるのですけど、そんな衣装犯行後にはすぐに捨てられてしまいますから、結局なんの手がかりにもならないのですよね。
メティファさんに聞こうとして、ロイが思い直すところもよかったです。いくら印象を残さない事に長けていても、メティファさんの一度見たことは決して忘れないという能力までは欺けない、ということでしょうか。メティファさんのこの特徴、先天的なものなのか、彼女が主人と別れて、ロイに従うようになってから獲得したものなのかがちょっと気になるところです。
守護天使の容姿が、主人に受け入れられたいという一心で、オリジナルの人物よりも美人になったり、より主人好みの容姿に近づくという設定はたしかみさきさんが始めにSSに出されたと記憶しているのですけど、チップさんはその点でも特異な事情を持っているという事ですね。このオリジナルよりも容姿が色づけされるという設定、面白いので、私のアズマとカムドの構想にも早速活用させて頂いています。それが出せるのは相当先ですがw
で、彼と彼の主人の素性もすごいですね。ヨーロッパだけでなく、今や世界規模のネットワークを形成していた、となると、DFではなくフェンリルが彼を利用したいと思うのも頷けます。そのうち、その情報屋ネットワークを舞台にしたSSとかも書けそうで面白いですね。個人的には、一人のトップが統括可能でなおかつ全世界の情報網を築くというのは難しいんでないのとかリアルに考えてしまうのですが、まぁそこは創作ですし細かいことですね。
それよりも、DFがその体質から彼を使いこなせなかったとか、チップを諜報面の教官にすることをロイが好まない理由とか、彼を排除してネットワークを我がものにしてしまう計画とか、かなり細かく説明がされていて、意外とみさきさんって組織論のような事も結構書けてしまうのだなぁと驚きました。今までキャラクターの内面の細部を描き出すSSが多かったので・・・。
ロイの完璧主義や常に二重、三重の手を打つ周到さなど、ロイのスタイルについて書かれていたのも新鮮でした。ダイダロスさんのイメージ通りなのかは分かりませんが、私個人としてはロイのイメージにぴったりだと思います。

■霊能局について補足
ロイの推測のうち、霊能局が伝統や格式を重んじ、閉鎖的であるというのはあたっています。しかし、組織の柔軟性や機敏な対応能力に欠けているという点は、武人と巫女たちには当てはまりません。霊能局は長年の歴史で外部との戦闘や内部抗争が耐えなかったため、不測の事態には実は彼らは慣れています。まぁそこは、DFヘの蔑視と同様の、ロイの偏見であるという解釈としても良いかもしれませんね。
チープさんが霊能局の内部に内通者を確保しているというのも、どうでしょう。霊能局は特殊な組織で、天界の法に関係なく、局内の違反者を独自のやり方で罰することができるので、内通者は最悪粛正(つまり処刑)されてしまいます。元々外部への警戒心が強く、末端の人間でも懐柔させるのが難しいのはチップさんのネットワークと同様なので・・・。
なので、内通者が居るというより、チップさんが霊能局の人間として成り済まして、世間知らずの巫女を上手く騙してさりげなく情報を引き出したという方が自然かもしれません。

それにしても、チップさん・・・あれだけフィーチャーされたというのに、そういえば本人一回も出なかったですね(笑)
ううむ、さすがだ・・・作者さんからも書かれる事を忘れさせるとは・・・(って、前にもやったな、このネタw)

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