EMASTATION BBS
新規
過去
ヘルプ
管理
戻る
ADVENBBSの過去ログを表示しています(閲覧専用)
盛夏の祝福 5
作:文叔(ぶんしゅく) 協力:ライオンのみさき /
2005-09-04 00:46:00
No.684
「ただいまっと……」
みさきの卒業式から帰ってきた清水は、この日のために用意しておいた取って置きのブランデーを取り出し、
一人静かに祝杯を挙げようと、スーツを脱いでネクタイをはずしただけの姿でソファに腰かけた。
みさきとは式のあと、学校で少し顔をあわせて自分は先に帰るつもりだったが、
当のみさきが「兄さん、今夜の夕食はなにがいいですか?」と、そのまま一緒に帰ってこようとするので、
「最後なんだから今日は友達とゆっくり別れを惜しんでおいで」と無理矢理友達のところへ押しやった。
ちなみにこの「兄さん」という外での呼び方を決めるとき、清水は、
「みさきとは十五近く離れてるのに『兄さん』はあつかましいかなあ、『お父さん』の方がいいかなあ」
などと少し真剣に悩んだのだが、「ご主人さまはお若いですからお父さんなんて呼べません」
とみさきが笑って言ってくれたので、好意に甘えることにしたのである。
「まったくあいつは……今日みたいな日までああだもんな……ありがたい話ではあるけどね……」
あたたかな想いを混ぜた苦笑でブランデーの瓶をかたむけ、グラスを手に取ると、ゆっくり、深くソファの背にもたれる。
「では……あとでもう一度、みさきと一緒に乾杯するとして……いまはおれだけで……」
と、グラスを掲げて乾杯の仕草を取ろうとした瞬間、
「ただいま戻りましたー」と玄関からみさきの声がしたので、思わず清水はずっこけそうになった。
「みさき…… 今日はさすがに友達と一緒にいないといけないって言ったのに……」
卒業証書を入れた筒だけを持ち、
いつものブレザーの胸に小さな造花をつけているみさきがリビングへ入ってきたところへ、清水は少し渋面を作って言った。
が、みさきも困惑を乗せた苦笑を返す。
「わたしもそのつもりだったんですけど……その、みんなが早くご主人さまのところへ帰りたいんでしょうって……」
これは皮肉や嫌味ではなく、
みさきが養父を心から慕っていることを知っている友達が、
今日みたいな特別な日には、やっぱり「兄さん」と一緒にいたいだろうと気を使ってくれたのだ。
「その代わり卒業旅行ではみさきちゃんを独り占めさせてね」
と、笑って背を押して、彼女たちはみさきを追い返したのである。
「……そうか、いい友達を持ったな、みさき」
それを聞き、さすがにまた苦笑いをした清水は、みさきの手をやさしく引いて自分の隣りに座らせた。
「卒業おめでとう、みさき。たった二年の高校生活だったけど、楽しかったかな」
グラスをテーブルに置き、やさしく尋ねる清水に、みさきは満面の笑みでうなずく。
「はい、とってもとっても楽しかったです。これも全部ご主人さまのおかげです。これからはそのご恩をお返しするためにも、がんばりますね」
「そうか、ありがとう。でも今日はみさきが主役だ」
やさしくみさきの髪を撫でると立ち上がって冷蔵庫からジュースを出し、
「あ、わたしが……」と立とうとするみさきを制してグラスに注ぎ、それをソファの背越しに彼女に手渡して、
自分も手を伸ばしてブランデーが入ったグラスをテーブルから取り上げると、もう一度祝いの言葉をかけた。
「卒業おめでとう、みさき」
「ありがとうございます、ご主人さま」
笑顔を交わし、澄んだ音をさせながらグラスをあわせて乾杯する二人だった。
みさきは学校を卒業してからは、一日中、嬉々として家のことをするようになった。
学校に通ってたときより、むしろいまの方が活き活きとしていて、
「♪うれしいな〜、うれしいな〜、ご主人さまの、た、め、に〜 一日全部使えます〜」
などと、もう卒業して一年以上経っているのにもかかわらず、
こんな即興の歌を歌いながら家中をくるくると動きまわり、掃除洗濯はもちろん、
納屋や押入れ、物置等の整理、庭の草むしりや手入れ、場合によっては模様替えなど、
すべての仕事終わっても、わざわざ別の仕事を探し出して働き続け、
清水が「いいからちょっと休みなさい」と苦笑まじりに休憩させるまで動くのをやめようとしないのだ。
ついでに清水は「みさきは歌のセンスはあまりないみたいだな」と内心で苦笑したりもしている。
それはともかく、そういうみさきだけに、
「いいかい、十時半と三時には、なにをしていても一旦やめて休憩を最低三十分は取るんだよ。お昼にはもちろんちゃんとご飯を食べること。それも一時間はたっぷりかけなさい」
と、わざわざ釘を刺してから出かけるのが出勤前の清水の習いになってしまった。
「はい、わかりました」
とみさきは答え、ご主人さまの命令だけに必ず守るのだが、
本当はご主人さまがいない時間こそ、休まず身体を動かしていたい。
「だって、ご主人さまいなくて寂しいんだもの……」
それはやはりみさきたち守護天使にとって、かなりのものなのだ。
が、七月某日のその日は、少し様相が違っていた。清水の会社から自宅に電話があったのだ。
「はい、清水でございます………あ、ご主人さま! どうなさったんですか」
パッと明るい顔になるみさき。だがそのすぐあと、ちょっと心配になる。
清水は仕事を家に持ち帰ることがまったくなく、
朝に家を出てから帰宅するまでみさきに連絡をしてくることもまれだった。
たまに「今日は外で食事をしよう」と電話をしてくることはあるが、
それもだいたいは朝にそう言い置いてから出勤する。
みさきが先に食事を用意してしまわないようにである。
だからみさきは突然の清水からの電話に少し驚いて、「なにかあったのかしら」と不安になってしまった。
たしかになにかあったから清水は電話をしてきたのだが、だがそれはみさきが心配するようなことではなかった。
「みさき、すまないんだけどおれの机の上にある書類袋、こっちまで持ってきてくれないか。今日は必要ないかと思ってたんだけど、急に要るようになってね。いまおれはここを動けなくて、かといって誰かを取りにやらせるのもね」
清水は社長だが、これは世襲でのことで、また年齢も若く、
人望という点で社員に認められているかいまひとつ自信が持てずにいる。
実際は社長に就任してから業績は、急成長とまではいかなくても安定しており、
また社の将来への展望もきちんとしていて、そのことを社員全員に浸透するように気を使っているので、
清水自身が考えるほどに彼は周囲から軽んじられてはいなかった。
むしろグループ内の次代のエースと目されているのだが、そこまでは清水は自分を買いかぶっていない。
「わかりました、それじゃすぐにうかがいます」
「うん、すまない、頼む。道、わかるか? もしわからなかったらタクシー使ってかまわないし……」
「大丈夫です、わかります。それじゃすぐにうかがいますね」
そう言って電話を切ると、みさきは清水の部屋がある二階へ軽い足音をさせて駆けあがり、
机の上に置いてあった書類袋を手に取ると、リビングへ降り、財布を手に玄関へ行き、靴を履こうとしてはたと気づいた。
「さすがにこれじゃまずいよね」
手軽なブラウスとスカート姿の自分にぺろりと舌を出すと、
みさきは軽い音と煙をあげて自分の服をシックなワンピースに変化させる。
「こういうとき守護天使だと便利だね」
笑ってそう独りごちて、みさきは家を飛び出した。
盛夏の祝福 6
作:文叔(ぶんしゅく) 協力:ライオンのみさき /
2005-09-04 00:46:00
No.685
清水の会社は、じつはそれほど家から離れていない。
電車で駅ふたつ分で、その気になれば歩いてでも行ける距離である。
清水は自転車で通いたいくらいなのだが、
周囲の人間たちが「あまり社長の威儀が軽いと社員が不安になる」と言われ、不本意ながら車で通勤している。
そして意外なことながら、みさきは清水の会社に行ったことがなかった。
清水はみさきに余計な心配をかけまいと、
家庭には仕事を持ち込まないようにしているためで、今回のことは本当にめずらしいのだ。
電車でふたつ目の駅に着き、みさきは目的のビルを目ざす。
「着いた……けど………」
駅から二分も歩かない場所にある目的地に着いたみさきは、そのビルの威容に思わず口を開けて見上げてしまった。
新宿などにある超巨大ビルには当然及ばないが、
洗練されたデザインを持つ長方形を横にしたようなそのビルは、充分に大企業のそれと知れる。
「ご主人さま……………こんなすごい会社の社長さん……だったんだ……」
家にいるときの清水は、妹として、娘としてのみさきに様々なことをしてくれる。
そのことに感謝が絶えないみさきだが、とにかく家でのご主人さまはごく普通の兄であり父である。
だから「ご主人さまは社長さんでえらい」と漠然とはみさきも考えていたのだが、
ここまでのものとはさすがに想像していなかった。
とはいえ、これは清水の持ちビルというわけではなく、グループ内で作った最も新しいビルで、
その中にはいくつかグループ内の会社があり、清水が社長を勤める会社もそのひとつというだけにすぎない。
またグループだけがこのビルすべてを使っているわけではなく、
かなりのフロアをテナントとして他の企業などに貸しているので、
ビルの大きさほどに清水は大会社の社長というわけではないのだ。
もっとも、それでもたいしたものだが。
「……………」
しかしそういうことは知らされてなく、また知識もないみさきは、
なんだか急にご主人さまが遠い人に感じられ、寂しさと不安からしばしそこで立ち尽くしてしまった。
だが怪訝そうに自分の脇を通り過ぎるサラリーマンやOLの視線に我に返り、
あわてて自動ドアをくぐって玄関ロビーに入る。
おずおずといった感じで大きな玄関ロビーを通り、
自分より明らかに綺麗な(客観的に見ればみさきの方が上)受付嬢に気後れしながらも、みさきは彼女に用向きを伝えた。
「あの……シミズプライマリーの清水社長さんにお届け物があるんですが…」
「はい、お約束はございますか?」
「は、はい、大丈夫です」
「さようでございますか、それではお名前をうかがってもよろしいでしょうか」
「はい、清水みさきです」
「かしこまりました、少々お待ちください」
微笑を絶やさない受付嬢の完璧に近い応対に、みさきはまた気後れして落ち込んでしまったが、
受付嬢の方もみさきのかわいらしさに驚いており、
みさきが去ったあとに一緒にいたもう一人の受付嬢と
「いまの娘、すっごくかわいかったねー!」と小さな声ではしゃぎあうことになる。
それはそれとして、内線電話で連絡を取っていた受付嬢は受話器を置くと、
「すぐに迎えにいらっしゃるとのことです、しばらくこちらでお待ちいただけますか?」
と、笑顔でみさきに告げた。
「あ、はい、わかりました、ありがとうございます」
「ご主人さま来てくれるんだ」とホッとしたみさきは、もちろん快諾して受付の脇に立って清水を待った。
約二分後、清水が足早にやってきてくれたのを見て、みさきはさらにホッとした。
が、清水は一人ではなく、一緒に来たのがスーツのよく似合う美女だったことがその安堵感を少し曇らせる。
「ごめんな、みさき、ありがとう」
だが清水はそんなみさきの想いには気づかず、すまなそうな、うれしそうな笑顔でみさきに対した。
「い、いえ、こんなこと全然……あ、これです」
と、みさきはバッグに大切に入れておいた書類袋を清水に渡す。
「ああ、これだこれだ。ほんとにありがとうな、みさき」
ともう一度礼を言うと清水はその場で袋を開け、
何枚かある書類を調べ「ああこれだこれだ」と中の数枚を抜き取ると、横にいる女性に指し示しながら、
「ここのこの部分をさっき指示したとおりに修正して、それとこっちはこのままで大丈夫。あとこれとこれについては吉岡さんと山室さんに見せればわかると思うから」
と、きびきびと指示を与える。
その清水の姿はみさきがはじめて見るもので、家にいるときには決して見せない凛としたものが表情にはあり、
みさきは少し見とれてしまった。
が、隣りにいる女性が視界に入ると、つい気持ちに薄い雲が湧くのを感じてもしまう。
「………とりあえずこれを先に頼む。おれもすぐに行くから」
と女性に指示すると、彼女は一礼して小走りにエレベーターへ向かってゆく。
それを見送ってから、清水はいつもの表情に戻ってみさきに向かう。
「すまなかったな、本当に。なにか家でしてたんじゃないのか」
「いえ、そんなことないです。それに兄さんのご用でしたらいつでも」
「そうか、それならよかった。ほんとだったらこのまま食事かなにかに連れてって礼をするところなんだが……」
言いながら清水は申し訳なさそうな表情をし、みさきはあわてて明るい笑顔を作った。
「そんな、兄さんがお忙しいのわかってますから。これからすぐに帰ります」
「そうか、すまないな。それじゃ気をつけてな。ああそれから今夜はすこし遅くなるかもしれないからそのときは先に休んでなさい」
「はい、わかりました。それじゃあ」
と、最後の指示を守るかどうか自分でもわからないがそう答え、
ぺこりと頭を下げるとみさきは玄関の自動ドアへ向かって歩き始めた。
ドアを抜けるとき、もう一度後ろを振り向いてみたが、そこにはもう清水はいなかった。
清水の会社から出たみさきは、駅近くにあったブティックに寄ってみた。
普段は守護天使の能力もあってあまり服など買わないが、清水は気を使ってたまに服を買いに連れて行ってくれる。
みさきくらいの年代の少女たちで多少のにぎわいがある店内で、
彼女は適当に服を選ぶと店員に「試着させてください」とことわってから試着室へ入った。
しかし選んできた服はハンガーにかけたまま、みさきは、ぽんっと守護天使の能力で、
選んできたのよりずっと大人っぽい、さっき清水と一緒にいた女性が着ていたようなスーツに服を変えた。
「…………やっぱり全然似合わないよね……」
しばらく鏡に写った自分のその姿を見ていたみさきは、ほうっとため息をつく。
たしかにみさきは類まれな美少女で、どんな服でもよく似合うが、
多少童顔なので、全然とは言わないまでもこの手の服はあまり似合わない。
そのまま服を元に戻し、店員に断ってから店を出た。
電車に乗ろうとして気が変わったみさきは、午後も遅く、夕方に近い家への道のりを、とぼとぼと歩きはじめる。
歩きながらもさっきの清水と女性との対話が目に何度も浮かんでしまう。
「ご主人さまのあんな顔……はじめて見た……」
相手の能力や人格に対する信頼あってこその厳しいあの表情。
自分に向けてくれる温顔ややさしさがご主人さまのすべてだと思っていたみさきには、いささかショックだった。
「わたし……まだまだ全然ご主人さまに信頼されてないんだ……」
それは少し違うのだが、みさきの誤解も無理からぬことだった。
そしてもうひとつ、いままで薄々ながら感じていたご主人さまへのもうひとつの感情を、
清水の周りには自分以外の女性もいるのだという事実をあらためて知ったことで強く自覚してしまい、みさきはさらに戸惑った。
「でも………それって……だめだよね…… だって…わたし……守護天使だし……全然子供だもん…… それに……ご主人さまには……奥さまがいるし……」
だがその想いをみさきは必死で否定して抑え込む。
妻を亡くしたときの清水を憶えているみさきには、自分の想いを素直に表すことはできなかった。
「…………よし!」
頭の中でぐるぐると様々な想いがめぐり、混沌としてきたところでみさきは軽く自分の頬を叩き、大きく息をついた。
「わたしは守護天使でご主人さまをお守りするためにやってきたんだから、いまはそれをしっかりやってればいいの! うじうじ悩まない! よし決まり!」
強いて自分を発奮させると、みさきは今日の夕食のために近所の商店街に向かった。
Re: 盛夏の祝福 5
YM3 /
2005-09-05 17:12:00
No.687
いい、いい・・・いいですね!
みさきさんのご主人様に尽くしたい思いがとても溢れていますよー。
無理をしなくても、背伸びをしなくてもいいんだ、と慰めてあげたいです・・・
Re: 盛夏の祝福 5
エマ /
2005-10-03 21:17:00
No.730
こんばんは。
みさきちゃん、卒業式の日ですら友達と居るよりご主人様と居たいと言うのが…なんなんでしょうかねぇ。まさに守護天使の鏡(?)とでもいうのか。天使のしっぽでは第一期あたりからもう守護天使たちはご主人様と過ごす以外に、個人の時間の過ごし方や趣味のようなものを見つけていた記憶がありますが。それと違って、今のみさきちゃんは本当にご主人様の事しか頭にないので、それが一途とも言え、またある意味での脆さを孕んでいるようにも感じます。
表でのご主人様の呼び方はやはり「お兄さん」系が定番なんでしょうか。Chu!にあった「先生」とか「コーチ」でも良いような気がするんですが、さすがにデートとかしている時にそれはマズイですかね(笑) いや、むしろ第二期(新婚生活編?)では「あなた」よりもそっち系で(ry
あと、なんですかね・・・ブランデーを飲むとこがありましたが、酔いどれサキさん的なイベントを期待してたんですがどーも何もない感じで、エマさんちょっとつまらなー
・・・
いかんいかん、なんか最近私テンションがおかしいので…頭冷やせオレorz
でも、二人でグラスをあわせて乾杯、というのはなんだか素敵なシーンだな、思いました。歳は互いに結構離れていますし、ご主人様と守護天使という関係ではありますが・・・。
歌のセンスについては…でもああいう即興に出る素直で飾り気のない感じの歌詞に、みさきちゃんの性格が現れている感じですね。
ご主人様の会社で、受付やら清水さんと話していた女性の、「大人」の雰囲気に不安を覚えたり、自分も服を変えて真似してみたり、年頃・・・なんていうのは陳腐な言い方になってしまいますが、やはり大人で社会性もある主人と、一途だが世間知らずでまだ子どもの守護天使、一種の見えない壁のような物ですが、みさきちゃん当の本人からすると、今は本当に分厚いものに感じて居るわけですね。そうした悩みや戸惑いがとてもうまく書けていて、読んでいて楽しかったです。
最後の方では、ついにご主人様への新たな感情を自覚し始めてきたようで・・・。これからですね。一層面白くなるのは(笑)
では次の感想も、できるだけ早く着けられるよう、頑張ります(^^;
ADVENBBSの過去ログを表示しています。削除は管理者のみが可能です。
みさきの卒業式から帰ってきた清水は、この日のために用意しておいた取って置きのブランデーを取り出し、
一人静かに祝杯を挙げようと、スーツを脱いでネクタイをはずしただけの姿でソファに腰かけた。
みさきとは式のあと、学校で少し顔をあわせて自分は先に帰るつもりだったが、
当のみさきが「兄さん、今夜の夕食はなにがいいですか?」と、そのまま一緒に帰ってこようとするので、
「最後なんだから今日は友達とゆっくり別れを惜しんでおいで」と無理矢理友達のところへ押しやった。
ちなみにこの「兄さん」という外での呼び方を決めるとき、清水は、
「みさきとは十五近く離れてるのに『兄さん』はあつかましいかなあ、『お父さん』の方がいいかなあ」
などと少し真剣に悩んだのだが、「ご主人さまはお若いですからお父さんなんて呼べません」
とみさきが笑って言ってくれたので、好意に甘えることにしたのである。
「まったくあいつは……今日みたいな日までああだもんな……ありがたい話ではあるけどね……」
あたたかな想いを混ぜた苦笑でブランデーの瓶をかたむけ、グラスを手に取ると、ゆっくり、深くソファの背にもたれる。
「では……あとでもう一度、みさきと一緒に乾杯するとして……いまはおれだけで……」
と、グラスを掲げて乾杯の仕草を取ろうとした瞬間、
「ただいま戻りましたー」と玄関からみさきの声がしたので、思わず清水はずっこけそうになった。
「みさき…… 今日はさすがに友達と一緒にいないといけないって言ったのに……」
卒業証書を入れた筒だけを持ち、
いつものブレザーの胸に小さな造花をつけているみさきがリビングへ入ってきたところへ、清水は少し渋面を作って言った。
が、みさきも困惑を乗せた苦笑を返す。
「わたしもそのつもりだったんですけど……その、みんなが早くご主人さまのところへ帰りたいんでしょうって……」
これは皮肉や嫌味ではなく、
みさきが養父を心から慕っていることを知っている友達が、
今日みたいな特別な日には、やっぱり「兄さん」と一緒にいたいだろうと気を使ってくれたのだ。
「その代わり卒業旅行ではみさきちゃんを独り占めさせてね」
と、笑って背を押して、彼女たちはみさきを追い返したのである。
「……そうか、いい友達を持ったな、みさき」
それを聞き、さすがにまた苦笑いをした清水は、みさきの手をやさしく引いて自分の隣りに座らせた。
「卒業おめでとう、みさき。たった二年の高校生活だったけど、楽しかったかな」
グラスをテーブルに置き、やさしく尋ねる清水に、みさきは満面の笑みでうなずく。
「はい、とってもとっても楽しかったです。これも全部ご主人さまのおかげです。これからはそのご恩をお返しするためにも、がんばりますね」
「そうか、ありがとう。でも今日はみさきが主役だ」
やさしくみさきの髪を撫でると立ち上がって冷蔵庫からジュースを出し、
「あ、わたしが……」と立とうとするみさきを制してグラスに注ぎ、それをソファの背越しに彼女に手渡して、
自分も手を伸ばしてブランデーが入ったグラスをテーブルから取り上げると、もう一度祝いの言葉をかけた。
「卒業おめでとう、みさき」
「ありがとうございます、ご主人さま」
笑顔を交わし、澄んだ音をさせながらグラスをあわせて乾杯する二人だった。
みさきは学校を卒業してからは、一日中、嬉々として家のことをするようになった。
学校に通ってたときより、むしろいまの方が活き活きとしていて、
「♪うれしいな〜、うれしいな〜、ご主人さまの、た、め、に〜 一日全部使えます〜」
などと、もう卒業して一年以上経っているのにもかかわらず、
こんな即興の歌を歌いながら家中をくるくると動きまわり、掃除洗濯はもちろん、
納屋や押入れ、物置等の整理、庭の草むしりや手入れ、場合によっては模様替えなど、
すべての仕事終わっても、わざわざ別の仕事を探し出して働き続け、
清水が「いいからちょっと休みなさい」と苦笑まじりに休憩させるまで動くのをやめようとしないのだ。
ついでに清水は「みさきは歌のセンスはあまりないみたいだな」と内心で苦笑したりもしている。
それはともかく、そういうみさきだけに、
「いいかい、十時半と三時には、なにをしていても一旦やめて休憩を最低三十分は取るんだよ。お昼にはもちろんちゃんとご飯を食べること。それも一時間はたっぷりかけなさい」
と、わざわざ釘を刺してから出かけるのが出勤前の清水の習いになってしまった。
「はい、わかりました」
とみさきは答え、ご主人さまの命令だけに必ず守るのだが、
本当はご主人さまがいない時間こそ、休まず身体を動かしていたい。
「だって、ご主人さまいなくて寂しいんだもの……」
それはやはりみさきたち守護天使にとって、かなりのものなのだ。
が、七月某日のその日は、少し様相が違っていた。清水の会社から自宅に電話があったのだ。
「はい、清水でございます………あ、ご主人さま! どうなさったんですか」
パッと明るい顔になるみさき。だがそのすぐあと、ちょっと心配になる。
清水は仕事を家に持ち帰ることがまったくなく、
朝に家を出てから帰宅するまでみさきに連絡をしてくることもまれだった。
たまに「今日は外で食事をしよう」と電話をしてくることはあるが、
それもだいたいは朝にそう言い置いてから出勤する。
みさきが先に食事を用意してしまわないようにである。
だからみさきは突然の清水からの電話に少し驚いて、「なにかあったのかしら」と不安になってしまった。
たしかになにかあったから清水は電話をしてきたのだが、だがそれはみさきが心配するようなことではなかった。
「みさき、すまないんだけどおれの机の上にある書類袋、こっちまで持ってきてくれないか。今日は必要ないかと思ってたんだけど、急に要るようになってね。いまおれはここを動けなくて、かといって誰かを取りにやらせるのもね」
清水は社長だが、これは世襲でのことで、また年齢も若く、
人望という点で社員に認められているかいまひとつ自信が持てずにいる。
実際は社長に就任してから業績は、急成長とまではいかなくても安定しており、
また社の将来への展望もきちんとしていて、そのことを社員全員に浸透するように気を使っているので、
清水自身が考えるほどに彼は周囲から軽んじられてはいなかった。
むしろグループ内の次代のエースと目されているのだが、そこまでは清水は自分を買いかぶっていない。
「わかりました、それじゃすぐにうかがいます」
「うん、すまない、頼む。道、わかるか? もしわからなかったらタクシー使ってかまわないし……」
「大丈夫です、わかります。それじゃすぐにうかがいますね」
そう言って電話を切ると、みさきは清水の部屋がある二階へ軽い足音をさせて駆けあがり、
机の上に置いてあった書類袋を手に取ると、リビングへ降り、財布を手に玄関へ行き、靴を履こうとしてはたと気づいた。
「さすがにこれじゃまずいよね」
手軽なブラウスとスカート姿の自分にぺろりと舌を出すと、
みさきは軽い音と煙をあげて自分の服をシックなワンピースに変化させる。
「こういうとき守護天使だと便利だね」
笑ってそう独りごちて、みさきは家を飛び出した。