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盛夏の祝福 10
作:文叔(ぶんしゅく) 協力:ライオンのみさき / 2005-09-16 09:27:00 No.701
陽炎(かげろう)が立ち昇るような暑い墓地は、山中でも見晴らしのいい場所にある。
休日だけに半袖のシャツにスラックスという軽装だが、暑さもさほど気にならない。
火をつけた線香もそろそろ燃え尽きようかというほどの時間、
清水はほとんど身じろぎもせず、墓石に向かってしゃがんでいた。
「どうしたもんかな、瑞穂……」
時折口にする言葉はこれだけで、
出口の見つからない迷路に迷い込んで途方に暮れたような口調が彼の苦悩の深さをあらわしている。
「それが奥方のお名前か」
と、突然背後から声をかけられ、しかしその声の気格のせいか驚きは覚えず、清水はゆっくりと振り向いた。
「あなたは……」
振り向いた先に立っている青衣を着た青年は、その清水の質問にすぐには答えず、
まずは清水の隣りにしゃがんで手を合わせ、しばらく祈りを捧げてから目を開け、答えた。
「お前の守護天使の関係者……人間界風に言えば、少し違うが上司というところか」
「みさきの……」
「ライオンのみさきは悩んでいる。お前のことで」
「…………」
「お前にも苦悩があるのだろうが、お前の苦悩の深さは、そのままみさきのそれになる。それが守護天使と主人の関係というものだ」
責めるではなく、諭すでもない、厚みと深みのあるゴウの言に、清水は自省の想いが心に染みてくるのを感じた。
このとき清水もまた、みさきと同じくゴウの存在を当たり前のように受け入れている。
守護天使の主人となった人は、ごく自然に超常的な存在を受け入れる素地をその心に蘇らせるのだ。
「申し訳ありません……」
「よかったら話してみんか、おれに」
墓石の前に並んでしゃがみ、前を向いたまま話すゴウと清水。
ゴウはみさきのときと同じように、強いて話させようとはしない。
だがそばにいる者は、ゴウに感じる広さから、安心して口を開くことができる。
「……ここに眠る人のほかに、好きな人ができたのです」
みさきの予想は的中し、しかし少しはずれていた。それをゴウは正確に修正する。
「相手はみさきだな」
「はい……」
二人の会話はごく自然な流れのまま、何事もなかったように重要な場所を通り過ぎ、続く。
「みさきは……ぼくの養女です。そのつもりでこの三年、一緒に生活してきました。いつかは彼女がいい相手を自分で見つけ、あるいはぼくが見つけてきて、幸せに添い遂げさせてあげたいと、本当に思っていたのですが……いつの間にか……」
「そうか……」
その清水の想いもまた自然な流れであり、ゴウにとっては非難の対象にすらならない。
「みさきはずっと、とてもよくしてくれています。もし彼女がやってきてくれなかったら、ぼくは妻を亡くした衝撃から一生立ち直れなかったかもしれない……ぼくはそれくらい妻を愛していました」
「…………」
ゴウは口を閉ざした。もううながさなくても、彼は話す。
「去るもの日々に疎しとは言います。ぼくもただの人間である以上、そういう風に心ができているのでしょう。ですがみさきが来てくれなかったら廃人になっていたであろうぼくが、そこから救われた途端妻のことをなかったようにして、恩人であるみさきを手にしてしまうことが許されるでしょうか。みさきが手に入れるであろう他の幸福を踏みにじって」
時折吹く風は、涼しさより温さを二人の頬に与え、木々の梢をかすかに揺らす。
「守護天使にとってはぼくら主人のもとで生き、死んでゆくのがもっとも幸福なのかもしれません。ではみさきの恩に報いるにはそうするのが一番いいかもしれない。ですがそれは、ぼくにとってもあまりにも幸福すぎるんです。妻はこの墓の下で一人さびしく過ごしているのに、ぼくは妻とみさき、二人の女性の幸福を独り占めにして生き切る。許されることなのでしょうか」
ゴウに話しているのか、それとも他の誰かに訴えているのか、あるいは自分自身に語りかけているのか、清水の語り口は熱さを増す。
「ぼくの心はもう固まっています。ですがそれを許し、それに殉じることが、どうしてもできないのです。みさきにいらない不安を与えていることはわかっているのですが、どうしても前に進めないのです……」
強い日差しが墓石を灼き、桶の中の水はすでにぬるくなっている。
その暑さ以外のものに熱くなっていた清水の心は、口を閉じることによってやや温度を下げた。


「……許しが欲しいか? みさきと一緒になりたいという」
清水が口を閉ざしてから少しして、ゴウが尋ねる。
「……そう…ですね…… でも……その許しをくれる相手とは、もう話はできませんから…」
ゴウの問いに清水は答え、また口を閉ざし、眼前の墓石を悲しげに見る。
「ならば、もし奥方から許しがもらえたら、しっかりとみさきを受け止めるか?」
「……ええ。それができるのならその場ででも。でも……」
「わかった、では許しを請うといい」
清水の言葉を遮るようにゴウはゆっくり立ち上がると、後ろを振り向きつつ空を見上げる。
それを見た清水が、少しいぶかしげにゴウのあとを追って立ち上がった途端、周囲から陽光の明るさだけを残して暑熱が引いた。
「え………?」
夏の明るさの中に初秋のような涼やかさが吹く不思議な空間に清水は戸惑いの声を漏らし、
次の瞬間、空からゆっくりと舞い降りてくるものに声を失った。
清水の表現力では「ひらひらとした」「聖なる」「天使のような」としか言えないような薄い若草色の衣裳をまとった人物。
だがその衣裳より、だんだんと近づいてくるがまだはっきりと見えないその人物――女性の顔が清水の声を奪い、
それが返ってきたのは、清水から少し離れた小道に彼女が降り立ったときだった。
「瑞……穂………」
やわらかな長い髪と女性としては高い背と細い肢体、
そして澄むように整ったその顔は、まぎれもなく清水の亡妻、瑞穂だった。
「瑞穂……瑞穂なんだな……?」
偽者、幽霊。そんな考えが頭をよぎったが、理屈を越えて彼女が本物であることを直感した清水は、
よろめくように一歩を踏み出し、そのままだんだんと足を速め、死んだはずの妻に走り寄る。
「瑞穂……瑞穂!」
喜色を顔に浮き上がらせながら迫ってくる清水に、
女性――瑞穂は片手をゆっくりとあげ――それを握り込んで拳骨を作ると、いきなり伸び上がって彼の頭を「がこん!」と殴りつけた。
思わず足を踏ん張り身体をかがめて頭を押さえる清水。
「――――ってええぇっ! なにすんだ瑞穂!」
「うるさい! まったくいい年した男がウジウジウジウジと。上から見てて情けなくなったわよ、あたしは!」
殴られた頭に手をやったまま立ち上がって憤然とする清水に、
瑞穂は両手を腰にあてて自分より長身の夫を下から怒鳴りつける。
そんな瑞穂を清水はしばらくにらみつけながら見下ろし……大きく息を吐くと、殴られた場所を掌で撫でながら苦笑した。
「どうやら本物の瑞穂らしいな、全然変わってない」
「そうよ、幽霊だけど本物の、あんたの奥さん清水瑞穂よ」
清水の苦笑にあわせて、こちらも表情をゆるめると、幽霊にしては精気にあふれた笑顔を瑞穂は見せた。

盛夏の祝福 11
作:文叔(ぶんしゅく) 協力:ライオンのみさき / 2005-09-16 09:30:00 No.702


二人が一向に感動的ではない、それでいて真情にあふれた再会をおこなっている中、
もう一人、天から舞い降りてきた美女がゴウの隣りに降り立った。
「手間をかけたな、メガミ」
「いいえ、守護天使の幸福のためですから、これはわたくしの本業です。ゴウどのこそお手数をおかけしました」
隣りに立つメガミ――ヘビのユキへあたたかな笑顔を向けるゴウへ、ユキもやわらかな笑みで応える。
ゴウはみさきから話を聞きながら、清水がなにについて悩んでいるのか、だいたいの見当がついていた。
だからそれを解消するために、みさきの話が終わったあとの腕を組んでの黙考中に、
聖獣にしかないテレパシーのようなものでユキへ連絡を取り、瑞穂を連れてきてもらうように頼んでおいたのだ。
「いや、おれの方こそ出過ぎた真似だったかもしれんな。原則からははずれるだろう」
「さようですね。ですが今回は他の守護天使たちと事情がすこし違いますから、構わないでしょう」
原則として、メガミといえどできるだけ守護天使とその主人にかかわることはせず、
二人の間になにか問題が起きても、その解決は彼女たちの自主性に任せることになってはいるのだが、
清水のように妻と死別をしたような特殊な主人の場合はメガミの助けも容認されることがある。
「そうか、それならよいのだが…… しかし思ったよりずっと早く見つかったな」
瑞穂のことである。
いくらメガミとはいえ、死後の世界にいる人間の数の多さを考えれば、
清水の告白の最中にユキから「これから瑞穂を連れてゆく」との旨がテレパシーで送られてきたのには、さすがにゴウも驚いた。
「ええ、なにしろ探す必要がありませんでしたから」
ユキが少しおかしそうに答える中、二度となかったはずの夫婦の会話は再開されていた。


「……やっぱり幽霊なのか」
「うん、そう。だからごめんね、すぐ帰らなくちゃいけなくて」
「いや、仕方ないさ。また会えただけでもありがたく思わなくちゃな」
「うん。それでええと………ああ、みさきちゃん、こっちこっち! 出てきていいよ!」
「え、みさき?」
瑞穂が周囲を見まわして、墓から少し離れた場所にある大木に向かって手招きするのを見て、
驚いたように清水もそちらへ顔を向ける。
と、その幹の影から、様々な感情と困惑にどういう顔をしていいかわからないといった風情のみさきが出てきた。
墓からは死角になり、それでいて墓近くの会話は聞こえるその場所にいるようゴウに言わていたのだが、
清水の口から好きな人がいるとのことをはっきりと聞かされ心が凍結したと思った瞬間、
その相手が自分だと、あまりにも思いもよらないことを言われて、凍結した心が別の意味で固まり、
さらにそのあとの清水の苦悩の理由をどう考えていいのかわからず、そうこうしているうちに今度は瑞穂が天から降りてきた。
ほんの数分の間に起こったこれらのことはみさきの対応力や許容量をはるかに越えており、
思考が完全に停止したところに瑞穂から呼ばれたため、こんな表情になっているのだ。
「みさき……いたのか……」
驚きを収め、みさきが出てきた場所からさっきまでの自分とゴウの会話が聞かれていたことを悟った清水は、
これも少しどうしていいかわからない表情になった。
「ご主人さま……」
「みさき……その……その、ええとな? その…………ぐぼっ!」
と、なにか言おうとしてなにを言っていいかわからない清水の鳩尾(みぞおち)に、隣りに立つ瑞穂が思い切り肘を入れる。
「いいからあんたはちょっと黙ってて。どうせなにも言えないに決まってるんだから」
鳩尾を押さえて苦悶する清水を放っておくと、瑞穂はいままでにないやさしげな表情でみさきに歩み寄り、
主人の亡妻に対しての表情の選択にも困った彼女の両肩に、そっと両手を乗せる。
「ごめんね、みさきちゃん。あんなのの世話をさせちゃって……」
「い、いえ、そんな……その、全然、わたし……」
「今度のことでもねえ、あたしはいいかげん腹を立ててるんだけどね、まったく。あいつは自分の奥さんが、夫が幸福になるのをとがめるような女だと思ってるのよ、あんなことで悩むってことは。失礼よね、ほんとに」
「え……?」
横目にまだ苦悶している清水をあきれ顔で見る瑞穂の声音と瞳に、それ以外のものも感じたみさきは彼女をじっと見る。
「妻の心夫知らずというかねえ。だいたいあなたをあいつの元へ送ったのだって、あたしだっていうのに」
「え!?」
表情をやわらかなものに戻しながら、みさきの視線もやわらかく受け、
瑞穂はさらに意外なことを言い、思わずみさきも声をあげる。
「そうなのよ、あそこにいるメガミさまに、あたしが頼んだの」
にっこり笑ってみさきの驚きを受けた瑞穂は、少し離れた場所でゴウと並んで立っているユキへ視線を向ける。

「なるほど、そういうことか」
それを聞いたゴウが得心したようにうなずく。
原則として、前世の動物の死から守護天使として生まれ変わった瞬間が0歳となり、それからの年数がその天使の年齢となる。
だがみさきの年齢は、それにしては少し若い。
そのことをゴウは少し疑問に思っていたのだが、ようやく謎が解けた。
「みさきは宝玉になっていた時間が数年あったのだな」
「ええ、そうです」
守護天使は全員が主人のもとへ転生できるわけではない。
主人に最低限の扶養能力がない場合、あるいは結婚した場合などがそれである。
そして主人のもとへ帰れない守護天使はその寂しさに耐えきれるものではなく、
メガミによって身体を宝玉としてもらい、意識と肉体を封じ込める。
みさきも清水の結婚により彼のもとへ帰れなくなったとき、宝玉となってその心を閉じた。
それは仮死と同じで、宝玉状態の守護天使は年を取らない。
それがゆえに目覚めたときのみさきは、本来の年齢より少し若かったのだ。
また、瑞穂がこれほど早くに見つかった理由もこれでわかる。
もともとメガミと瑞穂は互いを知っていたのだ。


盛夏の祝福 12
作:文叔(ぶんしゅく) 協力:ライオンのみさき / 2005-09-16 09:31:00 No.703


「死んじゃってあの世に行っちゃったあたしも、そこではじめて守護天使のことを知ったの。それでちょっと調べたわ、あいつにも守護天使がいないかどうか」
みさきの肩にやさしく手を乗せたまま、瑞穂は笑顔で話しつづける。
「そしたらいたじゃない、あなたみたいに素敵な子が。だからメガミさまにお願いしたの。宝玉になってるこの子を起こしてあげて、もしこの子自身も行きたいって言ってくれたら、あいつの元へ送ってあげてくださいって。それであたしの変わりにあいつを元気づけてあげてくださいって」
「…………」
少し口が開いてしまうほどに驚くみさきと、ようやく痛みが引いた清水も似たような表情で瑞穂の話を聞いている。
「本当だったらあたしみたいな前妻や前夫が許可しなかったら、夫や妻と死別したご主人さまには送られないものらしいんだけどね。あたしはそんなに心の狭い女じゃありませんから、こころよく送り出しました」
笑顔でちょっと胸を張る瑞穂。
「そう……だったんです……か………」
驚きが引いてゆくと、みさきの心には様々な想いが流れ込んできた。
そのほとんどはあたたかなものだったが、中に少しだけある違和なものがその表情を曇らせる。
「すいません……奥さま……」
「なにが?」
曇り顔をうつむかせて謝るみさきに、瑞穂はきょとんとした顔を向ける。
「わたし……なにも知らなくて……それどころか奥さまの場所を取っちゃうような真似をしちゃってるし……奥さまが死んじゃったのは奥さまのせいじゃなくて……それだけでもつらいのに……ご主人さままでわたしが……ごめんなさい……」
「………かわいい!」
「…え、きゃあ!」
憂い顔をうつむけるみさきをしばらくじっと見ていた瑞穂は、耐え切れないとばかりに彼女をぎゅっと抱きしめた。
「いい子、いい子、ほんとにいい子、みさきちゃんは! あんな朴念仁にあずけとくのもったいないわあ! あたしのとこ来ない? あいつよりずっと優遇するわよお!」
「え、え、え、あ、あ、あの、あの、あの、奥さま? 奥さま?」
とろけるような笑顔の瑞穂に抱きしめられたまま、ぶんぶんと振り回されるみさきはまともに声も出ない。
と、突然ぴたりと動きを止める。
「………でもそういうことじゃないわよね。みさきちゃんはあいつのところにいるのが一番幸せなんだから。あたしがメガミさまにお願いしたことを転生するみさきちゃんに教えなかったのは、変な負い目を持ってほしくなかったからなの。知ってたら気にするだろうなって思ったから。いまみたいにね」
振り回すのをやめ、腕を放し、真剣さがこもる笑顔になると瑞穂はそう言い、夫に顔を向けた。
「でも裏目に出たわねえ、こんな甲斐性無しのところに行くんだから、先に言っとくべきだったわよ、まったく。そんなわけで、あんたはあたしに気兼ねする必要は全然ないの。わかった?」
「ああ、わかった」
あまりにも変わっていない妻の様子に苦笑していた清水も、すこし真剣な笑顔でうなずく。
「すまなかったな、死んだあとにまで気を使わせて……」
「そうよ、ほんとに。だからあたしの好意を無にしないようにね」
憎まれ口を叩きながら清水に向き直ると、今度は夫の肩に両手を乗せ、瑞穂は笑顔で見上げる。
「……なんてね。ほんとはあたしの罪滅ぼしもあるから、恩に着せるのは勝手が過ぎるね」
見つめあう瞳と声に、相手への真摯な想いがあふれてくる。
「ごめんね……先に……それもこんなに早く死んじゃって……」
「……気にするなよ。みさきも言ってたように、お前の責任じゃない」
「でも……」
「こっちこそすまない。上から見ててあんまりにも放っておけなかったんだろう? おれのこと…… 情けない夫で悪かった」
みさきが来てくれるまでの自分のことを思い出す清水は、こちらも素直に謝った。
「ううん……あれはあれで、ちょっとうれしかったから。そう感じちゃったことも罪だね、あたしの」
舌を出して肩をすくめながら笑う瑞穂に、清水もほがらかな笑顔を向け、
しばらく互いの瞳を見つめていた夫婦は……強く抱きしめあった。
「……大好き。大好きだったわ、秋人。もう一度だけ、ちゃんと言いたかった……」
「おれもだ、瑞穂……愛してる……」
濡れる瞳を閉じてきつく相手を抱き、ささやくように最後の想いを伝えあう。
「…………」
それを見るみさきの心は、自分でも信じられないほどに澄んでいた。


盛夏の祝福 13
作:文叔(ぶんしゅく) 協力:ライオンのみさき / 2005-09-16 09:32:00 No.704


長いようで短い抱擁を終えた夫婦は、ゆっくりと互いの身体を離した。
それを見たユキは、静かに瑞穂へ歩み寄った。
「……瑞穂さん、そろそろ……」
「はい、メガミさま」
かすかににじんだ涙を指でぬぐい、またさっきまでの笑顔に戻った瑞穂はもう一度みさきの肩に手をかけた。
「あいつのこと、これからもよろしくね、みさきちゃん。あたしの分まで」
「……はい、奥さま、必ず。この身に変えてもご主人さまはお守りします」
みさきの心からの宣言に、彼女の髪をやさしく梳くように撫で、瑞穂は夫にももう一度笑顔を向ける。
「あんたはみさきちゃんのこと大切にするのよ。あたしの分まで」
「ああ、わかった」
やわらかさの中にもみさきに劣らぬ真摯な想いを声に乗せ、清水もうなずく。
それを見て安心したようにうなずき返した瑞穂は、ゆっくりとメガミの隣りに立った。
「それでは行きましょうか、瑞穂さん」
「はい」
「元気でな、瑞穂」
「奥さま……」
瑞穂を見送るために彼女の近くへ歩み寄り、期せずして並んで立つみさきと清水も別れの言葉と想いを告げる。
「うん、ありがとう。二人とも次に再会するのはなるべくゆっくりにしてよね。すぐ来ちゃだめよ」
笑って手を振る瑞穂の身体が、メガミに連れられ宙に浮かんでゆく。
それを追うように二、三歩進んだ二人は見上げながら手を振る。
「さよなら、またな、瑞穂」
「奥さま! 本当にありがとうございました! またきっとお会いしましょう!」
「うん、楽しみにしてるね! 二人とも、元気でね!」
手を振りながら天に還ってゆく瑞穂の身体はだんだんと小さくなり、ついに雲間に消えた。


しばらく瑞穂たちが消えた雲を見上げていたみさきは、ふいに大切なことを思い出した。
「…………そうだ、ゴウさま!」
あわてて周囲を見回すと、ゴウが墓地の階段を降り、歩み去ってゆくのが見える。
「ゴウさま!」
急いで呼び止めるみさきに、振り向いたゴウはやさしげな笑顔を見せた。
「幸せになれ、みさき。それが聖獣としてのおれからの命令だ」
「は、はい! ゴウさま、本当にありがとうございました!」
「礼には及ばん。一飯の恩を返しただけなのだからな」
ゴウの笑顔と言に極まったように、涙がみさきの瞳にあふれる。
「ありがとうございました」
そのみさきの肩を抱くようにやさしく手を乗せ、清水も礼を言う。
その清水に対しては、ゴウはべつのことを命令した。
「お前はさっきの自分の言、守れよ」
笑ってそう言うと、二人に背を見せ、ゴウは今度こそ本当に歩み去った。


さきほどまでの夢のような世界が消え、いつの間にか暑熱も戻ってきた墓地で、二人はしばらくたたずんでいた。
と、涙ぐんでいたみさきがようやく落ち着きを取り戻し、ふと清水に尋ねた。
「ご主人さま、いまゴウさまがおっしゃってたことって、なんですか?」
「ん? ああ、『さっきの言』っていうやつか」
みさきの肩を抱いたまま、笑顔で清水は答える。
「はい、それです」
「でもお前、おれとあの人との会話は聞いてたんじゃないのか? その中にあったんだけど…」
「そ、その、あれってじつは、あんまり頭に入ってなくて……」
最初の「ご主人さまに好きな女の人がいる」「それは自分」の段階で、ほとんど彼女の思考は止まっていた。
だから清水が瑞穂のことで負い目を持っているという話は、
だいたいの内容は理解できたのだが、こまかいところはほとんど憶えていない。
「なるほど、そうだったのか」
「はい…… それでなんなんです、ご主人さま?」
笑う清水を、自分も恥ずかしげに笑いながらみさきは見上げ、
彼は、笑みを残しながらも真剣な表情でゴウの命令に服した。
「結婚してくれ、みさき」
「……………え!?」
清水の言葉が頭と心に届くまで三拍ほど置いて、みさきは「ぼん」と顔中を赤らめた。
「さっきの言っていうのはね、瑞穂が許してくれたなら、その場でみさきをしっかり受け止めるっていうことなんだ。だから……」
同じ表情のまま、赤面して固まるみさきに向きなおり、
さっきの瑞穂のように彼女の両肩に両手を乗せ、見下ろしながら、
清水はもう一度、彼にとって人生で二度目の求婚をくりかえした。
「結婚してくれないか、みさき。おれはお前の知ってるとおりの男だけど、それでもよかったら、いつまでも一緒にいてほしい」
「……………………」
「………だめか?」
あまりにもみさきが黙っているので、さすがに清水も不安になり、そう質(ただ)した。
それにハッとしたみさきは、いままでこれほどあわてたことはないというほどにあわてて口を開く。
「ち、ち、ち、違います! そ、その、あんまり、その、すごく、その、びっくりして、その、う、うれしくて、だ、だから、その、言葉が、で、出てこなく、て、だ、だ、だ、だから、だから、だから!」
顔だけでなく体中を真っ赤にして、どもりながら気持ちを並べ立てるみさきに、清水はほっと笑って彼女を抱きしめた。
「あ……………」
体内の機能がすべて暴走してるような想いを味わっていたみさきの身体が、急速に弛緩する。
ゆるみすぎて膝から力が抜けて座り込みそうになり、あわててみさきも清水に抱きつく。
「あ………」
もちろんそれもはじめての行為で、みさきはまた赤面し、不安げに清水の胸から彼の顔を見上げる。
そこには、いままでみさきが見たこともないほど、あたたかでやさしげなご主人さまの顔があった。
「ご主人……さま……」
「それじゃ結婚してくれるね、みさき……」
「はい………はい………ご主人さま……喜んで………」
あまりの幸福に半ば放心していたみさきは、
ほとんど無意識に発した自分の言葉が耳に届いたことで、はじめてすべてを実感した。
そしてそのことにみるみる涙を浮かべると、
清水の胸に顔をうずめ、強く抱きつき、彼の腕の中で大きな声を放って泣き始めた。


盛夏の山に響くその泣き声は、山中のすべての動物の心にあたたかく響き、
一人の守護天使の幸福をいつまでも祝福しつづけた……



                                          おわり

Re: 盛夏の祝福
文叔(ぶんしゅく) / 2005-09-16 09:38:00 No.705
とりあえずこんな感じで(笑)。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
それからみさきさんも「ライオンのみさき」ちゃんをいろいろ勝手に使わせてもらって、ありがとうございました(照)。

Re: 盛夏の祝福 10
エマ / 2005-10-22 20:03:00 No.746
こんばんは。感想、遅れてしまいまして申し訳ありません。

真夏の祝福、ついにラストですね。(盛夏って「せいか」って読むんだと今知りました/爆)
奥さんの眠る墓地で、複雑な思いで気持ちを洩らす清水さん。頭では分かっているが感情が割り切れないわけで、人間が(そして守護天使も)ときおり遭遇する辛さでもあります。尤も私は人をそうさせてしまう世のタブーだの常識だの、それらが抱えている矛盾性にばかり目が向いてしまいますけど。

ゴウ兄さん、人の心を掴む術を知って居るのか、それとも彼の広さから人の方が自然に心を開いてしまうのが分からないんですが、そこが妙に羨ましく感じました。この話の本筋ではないでしょうが。

本来養女としてみていた清水さんと、そして主人は主人だと初めは考えていたみさきちゃん、互いに男女として意識し始めていったわけで、やはり異性同士だと、そういうふうになっていくものなのでしょうか。色々あるようにも思いますが。でも互いに好きなら問題はないですね。

許しが欲しいか? 欲しい、「では許しを請うといい」のくだりは少し痛快さを覚えました。ゴウ兄さんカッコイイなぁw
瑞穂さんがなんというか桃華ちゃん並に豪快というか天真爛漫な人というのが多分渡し含め皆の予想を裏切りましたが、純情なみさきちゃんと良い対比にはなっていますね。個人的にはここまで正反対にしなくても、瑞穂さんも落ち着いた感じの女性にしても良かったような気はしましたが。

メガミ様との会話で、守護天使の世界の原則についての設定が出ていましたが、守護天使の仕事がうまく回っていくため、また人間界との調和という意味では、なかなかバランスの取れた原則に思えます。もちろん、エマステ的にはある程度曖昧さをもうけるつもりですので、作者さんによって守護天使界の決まりとかはその作品内で好きに決めてしまって良いと思いますが。

みさきちゃんは瑞穂さんに声を掛けられるまでずっと隠れていたわけですが、のぞき見していたみさきちゃん視点で会話が展開されていくシーンでもう一度プレイしてみるのも面白いと思います。もちろん小説の形では難しいですが。
みさきちゃんを送ったのが実は瑞穂さんだったなど、色々と種明かしが後半でされていますね。表のキャラクターの描写もしかり、裏の設定もしっかり考えておられる事が伺える力作だと思いますが、若干、せっかくの感動のシーンが種明かしの説明の分量で殺されてしまったのが残念でした。ちょっと触れる位で、それほど緻密に解説する必要はなかったかもしれません。

とはいえ、清水さんと瑞穂さんが互いの愛を確かめ合うシーンや、去り際のセリフなど、とにかく最後までカッコよくキメたゴウ兄さん(笑) そして新たな気持ちでプロポーズする清水さんに、嬉しさに身を震わせるみさきちゃん。ここらへんはもう十二分に楽しめました。三拍ほど置いてから「ぼん」と赤くなるとこらへんとか、かわいいやねw


まとめますと・・・凄く良かった! 文兄ぃ!w
また気が向いたらちょこちょこ書いて投げてくださるときっとみんなしっぽ振って喜ぶと思いますので、どうぞよろしく(笑)
まぁそうでなくとも、たまに掲示板やらチャットででも、みんなの作品やキャラに何か言ってくださると、うれしゅう思います。またいつでも遊びにいらしてください♪

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