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白鷺、羽ばたく 最終回
原案:K−クリスタル 文:ライオンのみさき /
2006-07-13 23:11:00
No.923
(――いかん……)
ワイルドは思った。ある意味で、彼は窮地に立たされていた。サキに負けるというようなことではない。そこまでは、まだいかない。しかし、同時に、
(このままでは――つかまえきれん、か……)
それも確かなようだった。
今の状態では――どんなに追いつめても、最後の最後でサキを捉えられない。……いや、純粋に彼の力に不可能なのではなかった。完全な戦闘態勢でかかれば、もうあと一段踏み込ことはできる。そうすれば――だが、それはすでに……
(訓練とは言えんな)
そう、それは本当に相手を倒すつもりになるということだった。そして、彼がその気になった時、手の中の武器が刃のないものだなどということは、もはやさして安全の保証とはならない。
しかし、さらなる問題は、それは重々承知しながら、彼の中になおそれでも、そちらへ向かおうとする衝動もまた生まれて来つつあるということだった。
何の遠慮もなく、思うさまやり合ってみたい――冷静、虚無的、無感情を絵に描いたようなこの男が自分の中に、そうした欲求が抑えがたく頭を擡げかけているのを確かに感じていた。ただの訓練、それもたかが駆け出しの新人のはずの、この少女を相手に……。それほどに、白鷺のサキの才能と可能性はワイルドを魅していた。
――だが、それがこの上なく危険なことであるのは言うまでもない。間違っても、たとえ一瞬でも、その衝動に身を委ねるわけにはいかなかった。
そしてまた、自覚する。そうしたものを抑えながらであることが自分の動作をまたわずかに鈍らせてもいるのだと……。
(……仕方あるまい)
今のこの状態で、体術だけではむりだ――そう、認めた。
打ち合っている中で機を窺うと、ワイルドは滑るようにやや後ろへ下がり、サキと距離を取った。警戒したサキはすぐには追わず、様子を見てその場に留まる。
ワイルドは動かない。胸の前でベノムを交差させるように構えて、ただその場に、ただ静かに立っている。特に何の変化もあるようには見えない……。
が、瞬間、相手の周りを覆う空気ががらりと変わっていることにサキは気づいた。つい先ほどまであれほど感じていた、こちらを息苦しくさせるようなプレッシャーがすっかり消えている。
そればかりではない。
何と言うのか、眼の前にいる男の存在自体、不意に希薄になってしまったようだった。姿が見えなくなったというわけではなかった。見えている。今までと変わらず――だが、気を抜けば、仮にいったん眼を離しでもしようものなら、そのままその場にいるままで、見失ってしまいそうな……ほんの一言しか口を開きはしなかったものの、あれほどの強い存在感を有していたこの相手がそんなまるで実体のない、あやふやな存在になってしまったかのように感じられた。
そして――
「あ……?」
サキは呆然とした。
するすると、いつか近づいていたワイルドがさらに前へ進むと同時に放った前蹴りで、剣を持つ手首を下から蹴り上げられ、続いて、蟷螂が折りたたんだ前脚を一瞬伸ばして獲物を捕らえるように、二本のベノムで剣をからめ取られていた……。
「!? サキ……なんで、よけなかったんだ……?」
レオンも、呆気に取られたように呟いた。
サキはよけなかった。いや、正しくは、彼女の身体が“動かなかった”。これまではワイルドの攻撃に対して身体が自動的に動いていたのが、今度だけはなぜか彼女の身体はぴくりとも動くことがなかったのだった。
セリーナには分かった。
(お見事……! 極限まで神経の研ぎ澄まされた今のサキなら、ほんの微かな殺気――いえ、攻撃の気配だけでも、それを契機として反応できたはず……けれど今、そのサキに、そうしたわずかなきっかけさえ全く与えなかった……)
ノワールもまた……しかし、そのことによる彼女の称讃は、むしろサキの方へと向けられていた。
(今のワイルド、本気の本気だった……。ほんとすごいわ、あの子――彼にあそこまでさせるなんて……)
ワイルドがすと、近づいた時と同じように後ろへ退がる。一瞬遅れて、からんという乾いた音が闘技場の上に響く。サキの持っていた剣が床に落ちて転がった音だった。
サキは信じがたい思いで、半ば虚ろな眼でそれを追ったが、
「そこまで!!」
模擬戦の終了を宣言したクリムの声に、はっと我に返った。
「ま、待って……! 私は、まだ……」
「サキ、これは訓練よ。試合でもなくて、ただの模擬戦」
「い、いえ、私は……」
「――ええ、分かってる。目先の勝ち負けなんかにこだわっているわけではなくて、もっと自分の力を試してみたいという気持ちなんだということは……。だけど、今日はとりあえず、ここまでよ。今までやってきたことからだって、あなたにはもう充分得るものがあったはず……今のところは、それで充分でしょう?」
「で、でも……」
少し微笑んで言うクリムになおも言い募ろうとするサキを、セリーナが横から遮った。
「クリムの言うことを聞きなさい、サキ」
そして、何でもないようにつけ加える。
「それに、自覚はないかもしれないけど、あなたも、もう限界よ」
「え……? ――あ……」
そう言われたことが合図になったかのように、体から急に力が抜け、サキはその場にへなへなと座り込んでしまった。
「サキ!!」
レオンが闘技場の上へ跳び上がり、駈け寄っていく。
それに一瞥だけくれると引き上げてきたワイルドに、タオルが手渡された。
「お疲れさま」
ノワールだった。無言で受けとる彼に、やや小声で、続けて尋ねる。
「彼女……どう思って?」
ワイルドはふと考える眼をした。
「“ダイヤの原石”――」
セリーナが彼女もまた声を低くして、口を挟んだ。
「初めてサキと手合わせした時、わたくしはそう感じたわ」
「……ふむ」
「ああ、まさしくぴったりかもね――よく聞く表現だけど」
首肯したらしいワイルドにノワールも頷いたが、すると、彼は首を横に振って、
「いや、ただの陳腐な譬えというわけでもない」
「え? ――ああ……」
一瞬戸惑ったが、気がついた。最高の宝石としての価値と稀少性をあの少女の戦いに関する天稟に譬えているだけでなく、地上で最も硬い物質でありながら脆くもあるというその性質から、彼女の持つ危うさのようなものまで言っている言葉なのだと……。
(なるほど――うん、でも、ワイルドにそんなふうに思わせるなんて、ちょっと妬けるわね……)
「それで、ワイルド。あなたにお願いがあるの」
セリーナがもう二、三歩近寄り、ちらりとサキの方に眼をやって――レオンが一緒にいて、助け起こしてやっていた――さらに声を潜めて、言った。
「その原石を磨く手伝いをしてほしいの」
「……」
「あなたと、ほんの数十分手合わせをしてもらっただけで、サキはあれだけの進歩を遂げたわ。まるで、生まれ変わったみたいに……。だから、この先も、今のような実戦形式だけでなく、他にもいろいろと教えてあげてほしいの。――もちろん、わたくしはわたくしで続けるけれど」
(セリーナ……)
黙って聞いていたクリムはセリーナを見直した。今回のようなイレギュラーな形での訓練相手ということならともかく、そのようなことまで他人に頼むというのは、責任感の強いセリーナにしては意外なことに思われた。それだけ、1人でサキを教えることに限界を感じ始めているのかもしれなかったが、それにしても、そうしたことを他人に明らかにするのは、彼女のプライドからすると抵抗を覚えそうなものだった。――だが、そういったことより、あのサキの可能性を伸ばしてやりたいという、そちらの気持ちの方が今のセリーナにはずっと強いということなのだろう。
(本当に、かわいくなっているようね、あの子のこと……)
先ほどの眼を潤ませていたことと言い、クリムは得心した。できる限り短期間でサキの戦闘訓練を終わらせるというのは、疑いなくフェンリル上層部――と言うより、ロイ司令から特に厳命されたことなのだろう。そして、その裏には、サキを一度堕天させ、彼女の悲劇を招いた元凶でもある呪詛悪魔オラクル討伐の駒にサキを使おうという意図があるのもまた間違いない。しかし、そうした任務を実行する中で、それに外れはしないものの、セリーナのサキに向ける気持ちには、任務だからという以上のものが確かにある。
(――でも、それがサキ本人には分かってもらえていないとなると、セリーナも可哀想なものだけど……)
クリムは同情的な視線を送ったが、当のセリーナは気づくこともなく、ワイルドを見つめていた。
白鷺、羽ばたく 最終回
原案:K−クリスタル 文:ライオンのみさき /
2006-07-13 23:13:00
No.924
ワイルドは即答しなかった。それは彼にはごく普通の反応とも思われたが、すぐに返事を返さなかったのは、実は常の寡黙のゆえばかりではない。
ややあって、ワイルドはようやく言葉を発した。
「……柄じゃないな」
そんな理由なら、改めて考えてみるまでもなく分かっていたはずで、それなのに、答えるのに時間を要したのは、それでもあえてセリーナの申し出を一度は検討してみたからだった。それはワイルドがそれだけサキの素質とその可能性に惹かれた証しでもあった。
けれども、その結果は、やはり自分ではその任に堪えないという答えを彼は出していた。
「また今のような相手をしてやることはできる――だが、俺には彼女を育ててやることはできん」
これは、何も卑下ではなかった。
「いや、俺に限らず……現時点で、彼女より強い者、戦う技術に秀れた者はまだ幾人もいるだろう。――しかし、それだけではだめだ」
“ダイヤの原石”の価値を認めたからこそ――
「彼女の才能は、でか過ぎる。俺が少しつついただけで、これだ。この先も、どこがどう伸びるか見当もつかない……。彼女を教えるのは、そういう彼女の全体が追える者でなければな……そうでなければ、かえって彼女の可能性によけいな枠をはめることにもなりかねん」
だから、サキに対する関心がないというのではなく、むしろ逆だったために、依頼を断りながら、彼としては滅多にないほど多弁に、また気を入れた話し方にもなってもいた。――後ろで、クリムとノワールが密かに顔を見合わせるくらいに。
「それだけの広い視野の持ち主でもなければ、やはり彼女を初めから見ていて、誰よりよく分かっている君が教えてやる方がいい」
「でも、それでは……」
言いかけるセリーナに、今度はクリムが
「いいえ、ワイルドの言う通りよ。――さっきのことだって、今まであなたが教え導く中で、彼女の中にだんだん育まれていたものが今日たまたまワイルドという別の刺激に遭って芽を吹いたと、そういうことなのよ。これまであの子を育ててきたあなたのやり方に間違いはなかったと、わたしも思うわ」
セリーナは少し口を噤んだ。相手の言葉に納得するものがあったからだが、それでも胸を重くする不安は別だった。
「でも、今まではそうだとしても……これまでのわたくしのやり方が間違ってはいなかったとしても、この先は……あれだけの資質を見せたサキをどう教えるべきなのか、自信がなくなりそうで……」
「それはそうよね……最終的には自分で判断するのだとしても、それでも、迷って他の人の考えも聞きたい時だってあるわよね」
ノワールがそう言うと、クリムも少し考えながら、
「まあ、わたし達でも、参考意見ぐらいなら、言えるでしょうけど……」
しかし、難しい顔になって、
「でも……そうね。個々のことに関してはともかく、ワイルドの言うように、あの子の全体を考えてあげるとなると……」
「俺の知る範囲では――親父さんぐらいだな」
クリムの言葉に続けるようにして、ワイルドが再び口を開いた。その持ち出された人物に、セリーナはぴくんと反応した。
「覇王武蔵先生……! ――そうか……あなたは、最後の直弟子の1人だったわね」
土佐犬の覇王武蔵――仮にも戦いに関わる守護天使で、その名を知らない者はいない。まして、フェンリルのメンバーであってみれば、組織の設立にも大きく関与したという人物なだけになおさら――だが、その実体に関しては、もうかなり以前に組織を離れたこともあって、セリーナを含め現在の若い隊員で実際に知る者は少なく、半ば伝説の存在と化している。
「押しかけていって、少し見てもらっただけだが――俺には大きな意味があった。彼女なら、さらに得るところは大きいだろう」
セリーナは熱心に頷いたが、続けられた言葉に眉を曇らせた。
「ただ俺が行ったのは、フェンリルに入る前のことだ。彼女には、難しいな」
「あ――そうね……」
覇王武蔵とフェンリルの司令たるロイとの間には、複雑な事情が存在していた。かつては盟友とも言える間柄だったようだが、その詳しい事情は不分明ながらも、今では敵対とまではいかなくともすっかり疎遠になっており、フェンリルの現隊員が現在では組織外の人間である彼のもとへ教えを受けに行くというのは、はばかられるものがあった。
「でも、そうだ――それなら、武蔵先生の他にも、あともう1人はいるんじゃない? できそうな人が……」
クリムが言い、意味ありげにちらりとセリーナの顔を見た。
「それは、あなたの方が詳しいでしょう?」
「……ええ」
セリーナは頷いた。それは、実はもうとうに考えていたことだった。だが、覇王武蔵の場合とはまた違って、実行に移しにくい理由があった。それは外的要因ではなく、むしろ彼女個人の内面的な気持ちの問題に根ざすところが大きかったのだったが……。
「あの……」
ややためらうような声に気がつくと、レオンと一緒にサキが近づいてきていた。こちらが話し込んでいることに、しばらく声をかけるのを遠慮していたようだ。
「今日は……どうも、ありがとう……ございました」
『プアゾン』の3人全員にまず言ってから、そして、特にワイルドに向かって、
「本当に、いろいろ……勉強になりました……」
もういつも通りの寡黙に戻っていた相手は、ただ軽く頷くだけで応えたが、ひと言だけつけ加えた。
「――続きは、いずれな」
「ええ……」
疲労の影の濃いサキの顔だったが、その言葉を聞いた時、緑の瞳に生気が灯った。それから、彼女は頭を下げた。
「ちょっと待ちなさい! ワイルドにばかり、いいところは持っていかせられないわ!! この次には、わたしが相手をさせてもらうから」
クリムが口を挟んできた。冗談めかした口調だったが、すぐ真剣な表情になり、
「サキ、あなたの回避の仕方、見切りの正確さと動作じたいの速さは充分すぎるほどだけれど、まだ動きの出が――つまり、危険の察知はまだ若干遅いわ。それでは、近くにいる敵の攻撃は避けられても、遠間からの不意の攻撃には対応できない……」
と突然、クリムの腕が何か動いた――と思うと、サキの横の1メートルほど離れた足下の床が熾が爆ぜるような音を立てた。手にした鞭をクリムがふるったのだったが、その巨大な針のような先端は、一瞬でサキのすぐ近くに表れ、また次の一瞬で、再びクリムの元へと帰っていた。
眼を見張るサキに、クリムは美しくも凄絶な笑みを浮かべて、
「数メートル距離を置いての攻撃なら、ワイルドよりわたしの鞭の方が速いわ。今のあなたでは、まだこれはよけきれないはず――2週間、あげる。もっと鍛えて、より完全なものにしていらっしゃい」
緊張した面持ちで頷くサキに、続いてノワールが
「それじゃ、その次はわたしね……。ワイルドが最後にやった以外にも、気配を消して攻撃する方法というのは、いくらもあるの――だから、あなたもただ身体任せなんていうんじゃなくて、自分の意思でもコントロールできるようにならないとね……」
片目をつぶって笑いかけながら――クリムよりはやさしい笑顔だったが、しかし同時に、まっすぐそろえた指の先端のつけ爪を瞬時に20センチあまりも伸ばし、また引っ込ませることを繰り返してみせた。一見すると、マニキュアされた色も形も、いかにも女性らしくきれいな爪――だが、危険きわまりない兇器でもあることをサキは知った。
「クリムの後、また時間を置いて、それをわたしが試してあげる」
サキは再び真面目な表情で頷いたが、傍にいたレオンはたまりかねたようだった。
「なあ、もうそのくらいにしておいてくれ。サキは疲れてる……。休息が必要だ」
あら、という表情にクリムとノワールはなる。しかし、当のサキは、
「いいの、レオン……平気だから……」
と言いかけ、だが、
「あ……」
「サキ? ほら、言わないことじゃない!」
よろけたのをレオンが慌てて手を差し伸べ、支えてくれようとするのをサキは再び手で制した。
「大丈夫……」
が、助けを断りながら、レオンに向けたサキの表情は笑みを浮かべこそはしていなかったものの、すっかり和らいでいた。そして、小さく呟いた。
「……ありがとう」
白鷺、羽ばたく 最終回
原案:K−クリスタル 文:ライオンのみさき /
2006-07-13 23:14:00
No.925
――そういった様子を横目で一度見やって、セリーナはさりげなく一人、その場から離れ、模擬戦闘場の出口へと向かった。また鬼コーチの仮面を被らなくてはならない。だが、今サキのそばにいては、それができそうになかったから。
レオンに任せておけば、あとは心配いらない。そして、『プアゾン』の3人は、サキがフェンリルに入って、自分達以外で初めて触れた人達だった。まだ仲間とまでは言えなくとも、ああいった輪の中に入ることは、サキのこれからを考えれば有益なはずだった。
……しかし、そこに自分はまだ混ざるわけにはいかない。
もちろん、正直さびしい気持ちはする。
(貧乏くじね……)
通路の中ほどにさしかかった時、重いため息が口から自然に発せられていた。
その時、耳にある物音が入ってきた。自分の後を追って走ってきた足音――そして、声……。
「待って――あの……セリーナ」
セリーナは足を止めた。彼女の方から、呼びかけてきたのは、いったいどれくらいぶりのことだったろう。
振り返る。
普段の凍りついた無表情の美貌ではなく、やや上気した顔のサキがそこにいた。頬を染めていたのは、走ってきたからだったのかもしれない。けれど、彼女は眼を合わせないようにして、どこかはにかむように続けた。
「あなたにも――いえ……あの人達より、先に……まず、あなたにこそ……言うべきだったんだわ。その……お礼を……」
眼を見張って、セリーナをサキを見つめる。
「ごめんなさい……本当は、今じゃなく、もっとずっと前に……でも、私は何も分からなくて……子どもで……それと、ばかで……でも、今日やっと分かった……あなたの私にしてくれていたこと……」
途切れ途切れの、しかし、いつになく懸命に重ねる言葉から、サキの真摯さが伝わってきた。
「まだ、全然だめなのは……分かっているわ。あの人、すごく強かった……。たぶん、他の二人も……今の私なんか、本当はまだまだ足下にも及ばない……。でも……それでも、戦えた――あなたが……今まで、鍛えてくれたから……ありがとう、セリーナ」
「サキ……」
セリーナの唇がその名を紡いだ時、サキはそれまで半ばそむけていた顔をまともに相手に向けた。
緑の眼が輝いていた。そこには、これまでのサキにはなかった強い意志の光があった。
「私……もっと、強くなれる? あの人達みたいに――そして……」
瞳がまっすぐ見つめてくる。
「あなたのように」
「……ええ――もちろん」
セリーナは微笑んだ。
(――この人は……)
こんなにもきれいで、やさしい表情を浮かべる人だったのか――サキは初めて気がついて、驚かされたような気がしていた。いや、彼女がセリーナを本当に見たのは、事実、この時が初めてだったのかもしれなかった。
「あなたは強くなれるわ。わたくしと同じ……いいえ、あなたなら、きっと――わたくしよりも、ずっとね」
セリーナはうれしかった。サキが心を開いてくれたこと――そのこと自体もだが、そう仕向けたとは言え、これまで敵意を向けていた自分に対して、その意図を理解し、心を開いてみせたのは、サキの心の中の凍りついたものが少しは融けたこと、そして、彼女の精神的な成長を意味するものだったから。それがサキ自身のためにうれしかったのだった。そして、それは先ほど抱いた懸念を拭い去ることにもなった。
(大丈夫なのね……。この子は、ちゃんとやっていける。伸びていける――わたくしの手の届かないところに達したとしても、その後は、もう1人で……)
だから、せめてそれまでは、自分がこの少女を高みへ上らせるための踏み台になることにも不服はない。
(でも、ただの鬼コーチ役だけはもう、どうやらお役ご免ね……。これからは、もっと違った――そうでないと、これからのサキを教えることはできない……)
「サキ、いい? 明日からさっそく、今日のことを元に新しい訓練を始めるわ」
「ええ……!」
再び厳しく改まったセリーナの言葉に、真剣に応えるサキ。そこにはもはや、セリーナへの負の感情はなかった。代わりにあるのは、強い信頼――
今のサキは信じている。この女性――セリーナの示してくれる道こそが今の自分にとっての正しい道なのだと……。そして、彼女は自らの意思でその道を――また、さらにその先へまでも進んでいくことを決意していた。
一度は最愛の主人と自らの血に純白の羽を紅く染め、地に墜ちた白鷺……だが、癒しようのない深い傷をいまだ胸の奥に隠しながらも、再び翔び立つその日は近い……!
白鷺、羽ばたく ―― 完
ついに、完結
ライオンのみさき /
2006-07-13 23:17:00
No.926
とうとう、終わりました……。
ずい分、長い間続けてまいりましたこのお話も、今回でようやく最終回を迎えることができました。
――少し前、見返してみましたら、第一回を投稿したのは2004年の7月14日のことでしたから、ちょうどまるまる2年かかったことになります。まさかこんなにかかるとは、自分でも思ってはいませんでした……。いえ、クリスさまから最初に原案を見せていただいたのは、さらにずっと前ですので、このお話に関わっていた期間を言うなら、またもっと長い時間だったわけです。
もちろん、その間ずっとこればかりをやっていたわけではありませんけど――それに、実はかかった時間の割には、すべてを合わせても、それほど長編という長さの作品でもありませんし……。要するに、わたしがやることが遅くて、こんなにかかってしまったということだと思います ・ ・ ・ ・ (汗)。
でも、それでも、これだけかかって、このぐらいのお話をやっとまとめられたに過ぎないにしても、こうして最後まで続けられて無事結末に至りましたことは、わたしとしましては素直にうれしくて、感慨もひとしおです。
自分のではない人様のキャラクターばかりを動かして、他の方がお考えになったストーリーを元にして、そして、内容はというと戦いが中心のお話(模擬戦ではありますけど、一応) ――と、わたしにとっては、今までにない新しいことにいろいろと挑戦したお話でもありました。長い間には、難しいことがたくさんあってなかなか進められなかったり、本当に完成できるのか途中で不安になったこともありましたけど、今となってはいい思い出です。
ご自分のキャラクターを快くお貸し下さったダイダロスさま、クリスさま、大切なキャラクターの方達をお借りして――その魅力を活かしてうまく扱えたのかどうか、また、作者さまのイメージを傷つけたり、くずしたりすることがなかったかどうかなどの不安なものもあるのですけれど――どうも、ありがとうございました。また、クリスさまにはすばらしい原案をお作り下さって、わたしにこのお話を書いてみようという気を起こさせて下さったことにも感謝しております。
そして、連載とはとても言えないほどに間が空いて、また不定期だったものを辛抱強く待って読んでくださり、ご感想をつけて下さったり、また、参考になるご意見を下さったり、何よりいろいろと励まして下ったエマさまはじめ、ノエルさま、兄貴さま、竜人さま、YM3さま、功坂さま、K'SARSさま、舞羽さま、みるくさま、文叔さま、八咫烏さま……他にも多くの皆さま方、本当にありがとうございました。心より、お礼申し上げます。
Re: 白鷺、羽ばたく 最終回
文叔(ぶんしゅく) /
2006-07-24 12:50:00
No.931
どうもおひさしぶりです。
完結したんですね、おめでとうございます、おつかれさまでした(笑)。
全部読ませてもらいました。ただ感想はまた今度(汗)。
ちょっとどう書こうか悩んでるもので(汗)。
でも「読みましたよー」という報告くらいはあった方がいいだろうなと思って(笑)。
それではまたー。
Re: 白鷺、羽ばたく 最終回
ダイダロス /
2006-07-25 00:49:00
No.932
「白鷺、羽ばたく」の完結、おめでとうございます!
そして、お疲れ様でした。
一通り読んで感じたのは「サキは愛されているキャラだな〜」という事です。
プアゾンの面々は、サキの事を気にかけてくれていますし、それはセリーナも同様。レオンに至っては、言うまでも無いでしょう。ただ、サキはまだそこまで察するだけの余裕はありませんけど。(苦笑)
ただ、当初は憎んでさえいたセリーナに対し、その厳しい訓練が愛情から来る物だと気が付いた事こそが、サキの最大の成長かもしれませんね。
模擬戦についてですが、最後のワイルドさんの攻撃によって、あっさりと片が付いてしまいましたが、この時点のサキの経験・力量からすると、妥当な所でしょうね。
この時点のサキでは、それまでのパターンをガラリを変えられてしまうと、それに上手く対応できないですね。経験が圧倒的に不足していますので。
まあ、個人的には、ちょっと物足りない気もしますが。(笑)
みさきさんによって描かれる「プアゾンによるサキの訓練」は一応これで終わりでしょうけど、果たしてこの後、セリーナはどのような訓練をしたのか、作者としても大変に興味がありますね。
武蔵の親方に軽くあしらわれるサキというもの見てみたい気もします。
↓こんな感じで。
--------------
鋭い金属音が轟くと同時に、サキの表情が驚愕に彩られる。
サキの全身全霊を込めた斬撃を、片手で構えた太刀で防いでいたのだ。
「ふむ、あ奴の言う通り、中々良い太刀筋をしておる。じゃが……」
それまでの飄々とした口調と表情から、凄まじい形相へと変貌した相手に、言い知れぬプレッシャーを受けたサキは、咄嗟に間合いを取ろうとするが、それは一足遅かった。
「喝!!!!」
相手、『覇王武蔵』の一喝だけで、サキは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。咄嗟に受身を取ってダメージを最小限に留めたものの、一瞬息が詰まる。
「……まだまだ、じゃな」
とは言ったものの、直ぐに起き上がり、全く戦意の衰えない視線で得物を構える19歳の少女に対し、見所がありそうな弟子に向けるのと同じ視線を向けていた。
--------------
それと、『もう一人の心当たり』である『レディ・サラ』に頼む事に、セリーナの気が引けてるのには理由があります。「レディ・サラなら、自分よりずっと簡単にサキに心を開かせて、自分より短期間でその実力を伸ばす事ができるのではないか」と、セリーナが思っていた為です。
しかし、実際の所は、サキとの間に信頼関係を築くのは、いくら『パーフェクト・レディ』の異名を持つサラであっても容易ではなかったと思われます。
『サキがレディ・サラに師事していたら』という命題、それは関係者に大きな可能性を期待させる物でした……遂にその可能性は可能性のままに終わってしまいましたが。
最後はちょっとしたネタバレになってしまいましたが、ともかく、完結、お疲れ様でした。
そして、僕のオリキャラを、ここまで丁寧に掘り下げて下さって、本当にありがとうございました。
Re: 白鷺、羽ばたく 最終回
エマ /
2006-07-29 18:44:00
No.935
白鷺、はばたく。ついに最終回ですね。
サキさんが窮地に追い込まれるたびに潜在力を引き出し、始め全く歯が立たなかったワイルドさんを徐々に追いつめていく様子は、想像すると凄い事ですね。今はこうして数週間おきに話をぶつ切りで読んでいるからそれ程でもないものの、後で一度全話通して読むとその勢いがまた改めて実感できるのかもしれません。
さて、ワイルドさん、あの勢いだともしかして負けちゃうんじゃないノー?とか思ってたんですが、さすがにそこまでは行きませんかw 最後の壁は厚いですね。いったん攻撃をやめ、存在を希薄にさせるって、これはやはりワイルドさんが意識的にやっているんでしょうか。いきなりの変化に、サキさんは追従できなかったようですね。相手を惑わせるような大きなスタイルの変化をやってのける点もワイルドさんの強さでしょうか。これは経験というよりも、サキさんの性格的になかなか対応が難しいのかもしれません。
サキさんにとっては、あと少しというところであっけなく武器を取られてしまい、不満のようですね。勝負というものは一瞬で決まるもの、という考えでは、そういうのもありなのかもしれません。でも読者としては、前回でかなり期待が高まっていただけに、やはりちょっと物足りないところはあったかも(笑)
ダイヤの原石、という表現、確かにサキさんにはしっくりくると私も思います。それでもなんか歯が浮くような表現な気はしますけど、ワイルドさんが言うとそれも許されるのでしょうか(笑)
セリーナさんが、教官としてのプライドを捨ててでもワイルドに頼むところは、どうなんでしょう。私のイメージにはあまりあわないのですが、サキを思えばこそ、なんでしょうか。柄になく不安を漏らしたりもするし、なんだか本編のセリーナさんよりずっと人間味が感じられて、私にとっては新鮮ですね。
ワイルドさんが武蔵おやぶんの弟子だったというのは初耳です。みんなで他のキャラについて共通の話題を持っていたりして、なんだかエマステのフェンリル系?の人間関係もいつの間にやらこんなに豊かになったんだなぁと、管理人エマさんとしてはちょっと嬉しくなりました(笑)ノエルラント系とどっこいの大きさですかね。
なんかー、ワイルドさんからクリムさんからノワールさんから、もうサキさんすっかり人気者ですがw なんていうんでしょうか。プアゾンのみなさん、今まではちょっとまだつかみ所のない感じでしたが、この「白鷺、はばたく」のお陰でどんな方々なのかかなり分かってきて、キャラが立ってきましたね。自分ではなく、みさきさんにここまでうまく書かせるとは……。これも、クリスさんの巧妙な計略と見たエマさんであるww
最後、サキさん、あんなに素直にセリーナさんにお礼を言えちゃって……。最初はどうなるのだろうと予想がつきませんでしたが、とてもさわやかな終わり方を迎えましたね。人物間のやりとりも人情的な面がよく見られましたし、フェンリルの真剣な話ですが、良い意味でみさきさんらしい作品になったような気がします。
私とかが書くと、かなり違った雰囲気になりそうですけどねw
それにしても、第一回はもう二年前の出来事なんですね。私もそんなに昔とは思いませんでした。ということは当然、プアゾンのみなさんが誕生したのも、2年以上前ということになりますから、年月の経つ速さを感じますね。
これだけの大作を、しっかり完成させたことは、本当に凄い事だと思います。お疲れさまでした。やったね!!
もう一人の心当たり、サラさんだったんですね。ダイダロスさんのレスがあるまで気づきませんでした(笑)
最近、なかなかエマステのキャラクターやSSを見直す暇がなくて、常連さんならきっと見当が付くような事に気づかないヘタレな管理人になりつつありますがw、気を引き締めなければいけませんね。
私も、AS外伝は今年中には完結させたいですね。白鷺、はばたくが2年前だとすると、もうこれは何年前になるんだ??(笑)
大団円
K−クリスタル /
2006-07-31 02:04:00
No.943
チャットではすぐチョクにお祝い云わせていただきましたが、
ヤッパ、ココけーじ板でもちゃんといっとくべきだよね
とか云っても、文叔さんとダイダロスさんダケでなく、
急にペースあげたエマさんにまでに先こされちまいましたが・・・
ソレで、カンソーでつ
ゼンタイとーしてのカンソーは、文叔のダンナとイッショで、
検討ののち、アトでマタ改めてともおもうとりますが、
最終回のぶんチューシンに、今回は
――イヤ、ゼンタイのも下みたいには、遅れないよーにしますんで・・・たぶんw
ソレにしても、まことおつかれさまでした
2年かー・・・ソンナになるんだ ながいよねー・・・w
ソシテ、ソノながくつづけたハナシのしめくくりが
どーゆーまとめ方になるか、前回のアトから僕もイロイロ考えてましたが、
おもったよりかズット、正統的かつ感動のラストでしたね
読んだアトでは、もーコレしかないともおもえるよーなきれいな終わり方でした
だから、原案としては、コチラこそお礼をもーしあげないと――
ホント僕の好きカッテやりたいほーだいな原案を
ココまでていねいにひとつのハナシにしてくれて、まったく感謝してます
僕よりサキに『プアゾン』のれんちゅーを
ココまでフカく掘りさげて描きこんでくれたことにもねー
・・・ムシロ、姉さんがかいてくれたカタチで、僕もあらたに
コノ3人のイメージがツヨくかたまったきたってトコもあります
遅まきながら、上や下のアズマたんとのハナシで
ハジメテ本格的にクリム姐さんかいてて、フト気がつくと、
逆に僕のが姉さんの影響受けてるやんかー! なんておもって
ヤバいやん、コレってどーよとか、チトあせってみたり・・・w
・・・ダカラ、エマさんが邪推するよーな僕の計略ナンカでは、
ケッシテないのである!!w
あと、ワイルドの兄貴とおやっさんとのカンケーとかは、
ハナシの案のナカにはいってたワケではなくて、
たしかナンかでチョットだけ話したコトがあった
てーどだったとおもうケド・・・
ソレもハナシの中にいれて、またサラさんとの比較もからめて、
キッチリと組み込んでる、なんてートコはまたミゴトですなw
ダイダロスさんがレスでつけていられるハナシにも、
ちらとそのコト出てますが・・・
そー、こーやってダイダロスさんにおやっさんをかいてもらったのは、
思わぬプレゼントで、うれしーです ありがとーございましたー♪
――けどそーいえば、このハナシは前からメールで、
ナンドか、てーあんしてもらってましたよねー
コレまでは、マダいまいちピンとこず、ハンノーできなかったんですが・・・
シカシ、コンカイのコノ具体的なエピソードで、おもいついたモノがー!!
くわえて姉さんが今回のハナシでかんがえてくれた状況を逆に利用した、
モノすっごくおもろいコトもーーー!!!w
・・・うん、コレはほんとエラいウケる、まちがいない!!ww
「白鷺・・・」も、こーしてミゴト完結したワケで、
ちょーどそのアトのハナシとして、考えられますしね
今度、メールしますー♪
・・・イヤ、ナンかダイダロスさんあてのコメントがはいっちゃいましたが・・・
姉さんに、サイゴにもーいちど、いわせてください
「白鷺、羽ばたく」、
完結、オメデトー!!
そして、
ありがとおぉぉー!!!
Re: 白鷺、羽ばたく 最終回
みるく /
2006-09-05 17:33:00
No.969
完結おめでとうございます。
読ませていただきましたとはとても言えないので、見つめさせて頂いた程度ですが、本当におめでとう♪
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ワイルドは思った。ある意味で、彼は窮地に立たされていた。サキに負けるというようなことではない。そこまでは、まだいかない。しかし、同時に、
(このままでは――つかまえきれん、か……)
それも確かなようだった。
今の状態では――どんなに追いつめても、最後の最後でサキを捉えられない。……いや、純粋に彼の力に不可能なのではなかった。完全な戦闘態勢でかかれば、もうあと一段踏み込ことはできる。そうすれば――だが、それはすでに……
(訓練とは言えんな)
そう、それは本当に相手を倒すつもりになるということだった。そして、彼がその気になった時、手の中の武器が刃のないものだなどということは、もはやさして安全の保証とはならない。
しかし、さらなる問題は、それは重々承知しながら、彼の中になおそれでも、そちらへ向かおうとする衝動もまた生まれて来つつあるということだった。
何の遠慮もなく、思うさまやり合ってみたい――冷静、虚無的、無感情を絵に描いたようなこの男が自分の中に、そうした欲求が抑えがたく頭を擡げかけているのを確かに感じていた。ただの訓練、それもたかが駆け出しの新人のはずの、この少女を相手に……。それほどに、白鷺のサキの才能と可能性はワイルドを魅していた。
――だが、それがこの上なく危険なことであるのは言うまでもない。間違っても、たとえ一瞬でも、その衝動に身を委ねるわけにはいかなかった。
そしてまた、自覚する。そうしたものを抑えながらであることが自分の動作をまたわずかに鈍らせてもいるのだと……。
(……仕方あるまい)
今のこの状態で、体術だけではむりだ――そう、認めた。
打ち合っている中で機を窺うと、ワイルドは滑るようにやや後ろへ下がり、サキと距離を取った。警戒したサキはすぐには追わず、様子を見てその場に留まる。
ワイルドは動かない。胸の前でベノムを交差させるように構えて、ただその場に、ただ静かに立っている。特に何の変化もあるようには見えない……。
が、瞬間、相手の周りを覆う空気ががらりと変わっていることにサキは気づいた。つい先ほどまであれほど感じていた、こちらを息苦しくさせるようなプレッシャーがすっかり消えている。
そればかりではない。
何と言うのか、眼の前にいる男の存在自体、不意に希薄になってしまったようだった。姿が見えなくなったというわけではなかった。見えている。今までと変わらず――だが、気を抜けば、仮にいったん眼を離しでもしようものなら、そのままその場にいるままで、見失ってしまいそうな……ほんの一言しか口を開きはしなかったものの、あれほどの強い存在感を有していたこの相手がそんなまるで実体のない、あやふやな存在になってしまったかのように感じられた。
そして――
「あ……?」
サキは呆然とした。
するすると、いつか近づいていたワイルドがさらに前へ進むと同時に放った前蹴りで、剣を持つ手首を下から蹴り上げられ、続いて、蟷螂が折りたたんだ前脚を一瞬伸ばして獲物を捕らえるように、二本のベノムで剣をからめ取られていた……。
「!? サキ……なんで、よけなかったんだ……?」
レオンも、呆気に取られたように呟いた。
サキはよけなかった。いや、正しくは、彼女の身体が“動かなかった”。これまではワイルドの攻撃に対して身体が自動的に動いていたのが、今度だけはなぜか彼女の身体はぴくりとも動くことがなかったのだった。
セリーナには分かった。
(お見事……! 極限まで神経の研ぎ澄まされた今のサキなら、ほんの微かな殺気――いえ、攻撃の気配だけでも、それを契機として反応できたはず……けれど今、そのサキに、そうしたわずかなきっかけさえ全く与えなかった……)
ノワールもまた……しかし、そのことによる彼女の称讃は、むしろサキの方へと向けられていた。
(今のワイルド、本気の本気だった……。ほんとすごいわ、あの子――彼にあそこまでさせるなんて……)
ワイルドがすと、近づいた時と同じように後ろへ退がる。一瞬遅れて、からんという乾いた音が闘技場の上に響く。サキの持っていた剣が床に落ちて転がった音だった。
サキは信じがたい思いで、半ば虚ろな眼でそれを追ったが、
「そこまで!!」
模擬戦の終了を宣言したクリムの声に、はっと我に返った。
「ま、待って……! 私は、まだ……」
「サキ、これは訓練よ。試合でもなくて、ただの模擬戦」
「い、いえ、私は……」
「――ええ、分かってる。目先の勝ち負けなんかにこだわっているわけではなくて、もっと自分の力を試してみたいという気持ちなんだということは……。だけど、今日はとりあえず、ここまでよ。今までやってきたことからだって、あなたにはもう充分得るものがあったはず……今のところは、それで充分でしょう?」
「で、でも……」
少し微笑んで言うクリムになおも言い募ろうとするサキを、セリーナが横から遮った。
「クリムの言うことを聞きなさい、サキ」
そして、何でもないようにつけ加える。
「それに、自覚はないかもしれないけど、あなたも、もう限界よ」
「え……? ――あ……」
そう言われたことが合図になったかのように、体から急に力が抜け、サキはその場にへなへなと座り込んでしまった。
「サキ!!」
レオンが闘技場の上へ跳び上がり、駈け寄っていく。
それに一瞥だけくれると引き上げてきたワイルドに、タオルが手渡された。
「お疲れさま」
ノワールだった。無言で受けとる彼に、やや小声で、続けて尋ねる。
「彼女……どう思って?」
ワイルドはふと考える眼をした。
「“ダイヤの原石”――」
セリーナが彼女もまた声を低くして、口を挟んだ。
「初めてサキと手合わせした時、わたくしはそう感じたわ」
「……ふむ」
「ああ、まさしくぴったりかもね――よく聞く表現だけど」
首肯したらしいワイルドにノワールも頷いたが、すると、彼は首を横に振って、
「いや、ただの陳腐な譬えというわけでもない」
「え? ――ああ……」
一瞬戸惑ったが、気がついた。最高の宝石としての価値と稀少性をあの少女の戦いに関する天稟に譬えているだけでなく、地上で最も硬い物質でありながら脆くもあるというその性質から、彼女の持つ危うさのようなものまで言っている言葉なのだと……。
(なるほど――うん、でも、ワイルドにそんなふうに思わせるなんて、ちょっと妬けるわね……)
「それで、ワイルド。あなたにお願いがあるの」
セリーナがもう二、三歩近寄り、ちらりとサキの方に眼をやって――レオンが一緒にいて、助け起こしてやっていた――さらに声を潜めて、言った。
「その原石を磨く手伝いをしてほしいの」
「……」
「あなたと、ほんの数十分手合わせをしてもらっただけで、サキはあれだけの進歩を遂げたわ。まるで、生まれ変わったみたいに……。だから、この先も、今のような実戦形式だけでなく、他にもいろいろと教えてあげてほしいの。――もちろん、わたくしはわたくしで続けるけれど」
(セリーナ……)
黙って聞いていたクリムはセリーナを見直した。今回のようなイレギュラーな形での訓練相手ということならともかく、そのようなことまで他人に頼むというのは、責任感の強いセリーナにしては意外なことに思われた。それだけ、1人でサキを教えることに限界を感じ始めているのかもしれなかったが、それにしても、そうしたことを他人に明らかにするのは、彼女のプライドからすると抵抗を覚えそうなものだった。――だが、そういったことより、あのサキの可能性を伸ばしてやりたいという、そちらの気持ちの方が今のセリーナにはずっと強いということなのだろう。
(本当に、かわいくなっているようね、あの子のこと……)
先ほどの眼を潤ませていたことと言い、クリムは得心した。できる限り短期間でサキの戦闘訓練を終わらせるというのは、疑いなくフェンリル上層部――と言うより、ロイ司令から特に厳命されたことなのだろう。そして、その裏には、サキを一度堕天させ、彼女の悲劇を招いた元凶でもある呪詛悪魔オラクル討伐の駒にサキを使おうという意図があるのもまた間違いない。しかし、そうした任務を実行する中で、それに外れはしないものの、セリーナのサキに向ける気持ちには、任務だからという以上のものが確かにある。
(――でも、それがサキ本人には分かってもらえていないとなると、セリーナも可哀想なものだけど……)
クリムは同情的な視線を送ったが、当のセリーナは気づくこともなく、ワイルドを見つめていた。