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やっと85年春を更新しました。
杜都
◆584cff
/
2025-10-24 13:01:35
No.11975
こんにちは いろいろ面倒な仕事が多く 更新できなかったのですが やっと 1985年の春を書きました。 帝京対伊野商の試合は解説が尾藤監督だったのですが そのなかで前田監督と尾藤監督の野球に対する考え方の違いが出てきて面白かったです。
尾藤監督はどちらかというと 投手力や守りを重視する守りの野球だったのに対して 前田監督はバッティングマシーンを利用して攻撃力を強化する方に力をいれていたんだなあ と感じましたが 前田監督は池田の蔦監督に影響を受けたということなのでそのあと指導方針を変えたのかもしれないです。 箕島の野球は柔で 池田の野球は剛というのはつとに知られていますが・・・・前田監督は伊野の渡辺投手から5点を取れると考えていたのは ずいぶん大風呂敷を広げたもんだなあ と当時は思っていました。 智弁和歌山の高嶋監督はチーム作りに尾藤監督の箕島の野球をモデルにしていたという話を聞いたのは意外でした。智辯和歌山というとどうしても攻撃野球が売りだと思っていたのですが そういえば智弁和歌山もいわれてみれ守備力や投手力で接戦に持ち込んで試合をものにすることもあるなあ と思いました。
http://small23.stars.ne.jp/content/ba...
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ミラクル3
◆58d95f
/
2025-10-24 19:50:24
No.11978
こんばんは、杜都さん。お仕事、お疲れ様です。
私は、まだ85年はアップしていませんでして…。
85年の選抜大会の最大のサプライズは、最強PLが四国の片田舎のチームの伊野商に敗れたことですね。
その試合では渡辺投手の剛速球が圧巻でしたけど、桑田投手の出来が悪く、また珍しく守備も乱れるというPLらしくない試合でした。
私は、決勝戦もNHKで観ていました。解説者が誰だったかは思い出せないです。
前田監督は渡辺投手を甘く見ていたのですね。確かに、当時のチームは打力があるチームでしたが。
決勝戦は、トップの河田選手がいきなり3塁打を打ったのに無得点だったことが大きく響きました。
高嶋監督が智弁和歌山に赴任したての頃、箕島に練習試合を申し込んでいたのは、尾藤野球を参考にしたからだったわけですね。
智弁和歌山は打撃のチームのイメージが強いですが、守備が良いチームが多く、守備の破綻で負けた試合はないように思います。
それでは、この辺で失礼します。85年の高知予選は凄まじくレベルが高かったですね。
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杜都
◆584cff
/
2025-10-24 22:18:53
No.11981
こんばんは お気遣いありがとうございます
NHKは 全国で見れますが 近畿と徳島だとMBSを好んで見る人もいます 何と言っても解説が尾藤さんが呼ばれることが多いからです。NHKは松永怜一氏ではないかと思います
伊野商はノーマークでしたし、前田監督は当時まだ無名だった渡辺投手の快投を前に、その実力を見誤ったのかと思います。だから試合前は5点の勝負になるといったのだと
ご指摘のように1番のセンターの選手が3塁打を打ったあと ファストゴロ 三振 ショーゴロで 0点に抑えられたのが痛かったですね。 自分は、帝京は渡辺投手から3点取れれば万々歳だと感じました。 前田監督は ウチはマシーンで140㎞の速球は打つ練習をしてきたので 渡辺投手から5点は取れると言ったらしいです。しかし、1回が0点で終わった時に しまった とんでもないことを言った と思ったかもしれないです
前田監督は83年の選抜で池田に大敗した後 池田の蔦監督に教え受けに徳島の池田町まで行った(何かの雑誌で読みました 記憶違いだったらすみません)らしく その後の指導方針に大きな影響を受けたと言っていました。
高嶋監督が練習試合を箕島に申し込んだのはご指摘の通りだと思います。そして、智辯和歌山がまだ無名だったころ 選手に大敗を経験させるために徳島へいって池田高校と練習試合をさせたというのも、何かの番組で観たことがあります。
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ミラクル3
◆58d95f
/
2025-10-25 13:25:41
No.11982
こんにちは、杜都さん。
関東ではMBSが映りませんので、NHKで観ていました。伊野商-帝京の解説者が松永怜一氏だったどうかは今一つ記憶にないです。
渡辺投手は好投手の1人との評判でしたが、PL戦の快投を見て、とんでもないピッチャーだと思ったものです。
PL戦の投球を見ても5点勝負と思ったのは、前田監督はよほど自分のチームの打力に自信を持っていたか、PL戦で渡辺投手が疲弊したと思ったかのどちらかのように思います。
帝京が初回に先制していれば、試合は全く違う展開になったと思われます。初回で打順が上位でしたのでスクイズは考えなかったのでしょうね。
前田監督が池田町まで出向いて蔦監督に師事したことは、私も何かの雑誌で読みました。以降、選手にウェートトレーニングでみっちり鍛えたそうです。
尾藤監督も蔦監督も懐が深いですね。新興チームの練習試合の申し入れを受け入れるのですから。高嶋監督は特に尾藤監督に感謝していました。
それでは、この辺で失礼します。伊野商-帝京は球場全体が伊野商びいきでしたね。
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尾藤監督はどちらかというと 投手力や守りを重視する守りの野球だったのに対して 前田監督はバッティングマシーンを利用して攻撃力を強化する方に力をいれていたんだなあ と感じましたが 前田監督は池田の蔦監督に影響を受けたということなのでそのあと指導方針を変えたのかもしれないです。 箕島の野球は柔で 池田の野球は剛というのはつとに知られていますが・・・・前田監督は伊野の渡辺投手から5点を取れると考えていたのは ずいぶん大風呂敷を広げたもんだなあ と当時は思っていました。 智弁和歌山の高嶋監督はチーム作りに尾藤監督の箕島の野球をモデルにしていたという話を聞いたのは意外でした。智辯和歌山というとどうしても攻撃野球が売りだと思っていたのですが そういえば智弁和歌山もいわれてみれ守備力や投手力で接戦に持ち込んで試合をものにすることもあるなあ と思いました。
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