おどるポンポコリン
てんのすけ / 2026-02-16 13:45:52 No.12311
ミラクル3さん、こんにちは。
今週は何だか落ち着かないですね…ー。ー;

さて、昨日たまたま「NHKのど自慢」を見ていたら、
何とゲストが「B.B.クィーンズ」。今も活動してたことに驚きました。
で、今さら何を歌うのかと思ってたら、
「ちびまる子ちゃん」で一世風靡した「おどるポンポコリン」^^;

私は当時、吹奏楽をやっていたので、この曲を何度演奏したことか…
あまりの懐かしさと同時に、91年のセンバツを思い出したのは私だけでしょう。^^;

この曲にあわせて、あのイチローが開会式で行進してたんですよねー。
その愛工大名電は、初戦で松商学園に1点差で敗れました。

ちなみに、この91年の夏の大会を甲子園で生観戦された方が言ってましたが、
当時の「松商フィーバー」がものすごかったらしいです。
終戦記念日に行われた2回戦の八幡商との試合、アイドル並みの人気だった
上田投手への大声援が凄まじく、試合よりそれが一番印象に残ったそうです。

ミラクル3@管理者 / 2026-02-16 18:14:53 No.12312
 こんばんは、てんのすけさん。

 20日の金曜日に高野連が7回制を正式発表することを恐れていまして、私も落ち着かない日々を過ごしています。

 「おどるポンポコリン」、懐かしいですね。「おどるポンポコリン」といえば、私も91年の選抜大会を思い出します。

 それにしましても、B.B.クィーンズは息が長いですね。「おどるポンポコリン」しかB.B.クィーンズの歌は知らないですけど。

 イチローは松商学園戦で最後のバッターだったのですね。しかも、ツーアウト1、2塁で凡退しました。ただ、この試合は仕事でライブで観戦していないです。

 91年夏は、「松商フィーバー」が凄まじかったのを覚えています。選抜での大躍進で夏は優勝候補の一角でした。さして強敵と目されていなかった星稜に負けたのは意外でしたね。選抜で1番を打っていた強打の荒井選手の不在が痛かったです。

 上田投手は今でいうイケメンで、選抜大会で大活躍しましたから、アイドル並みの人気だったのは尤もでした。地元長野ではヒーロー中のヒーローだったそうです。

 それでは、この辺で失礼します。金曜日が来るのが怖いです。

奈良の虎ファン◆45539e / 2026-02-16 23:19:22 No.12313
てんのすけ様、ミラクル3様おじゃまいたします。

91年春の松商学園、懐かしいですね。
二回戦では上田投手が谷口投手と投げ合い天理を完封しました。

準々決勝は現地観戦しました。
松商学園対大阪桐蔭が最も面白い試合でした。(市川対桐生第一も面白い試合でした。)

上田投手が大阪桐蔭打線も完封しました。
大阪桐蔭も萩原選手、井上選手らを擁する強力打線でしたが…。

上田投手はさらに準決勝の国士舘も完封し、間違いなくこの大会のヒーローだったと思います。

ミラクル3@管理者 / 2026-02-17 19:23:38 No.12314
 こんばんは、奈良の虎ファンさん。

 91年の選抜大会の上田投手は見事なピッチングでしたね。天理、大阪桐蔭、国士館と、優勝候補の強力打線を連続完封しました。

 天理戦は仕事でライブ観戦できませんで、帰宅してから録画したのを見ようと思ったのですが、「天理、敗れる」という情報が仕事中にもたらされ、吐いた記憶があります。

 準々決勝の大阪桐蔭戦は、「さすがに大阪桐蔭には負けるだろう」との予想でしたが、その予想も外れました。夏に大阪桐蔭打線と上田投手の再戦を見たかったです。

 決勝戦の広陵戦では上田投手に余力はなく、最後は外野に入っていた上田投手の拙守でサヨナラ負けになりましたが、まさに上田投手の大会でしたね。

 それでは、この辺で失礼します。市川旋風も懐かしいです。

白道 / 2026-02-17 21:48:17 No.12315
あとわずかで二十日、気分が落ちますね・・・。
年末からずっとこんな調子です。やる気が起きませんわ。

現実逃避に恰好のネタ、というわけで91年の松商学園に飛びつきました。
当時私は若手のリーマンでしたが、毎日があまりの面白くなさと自分の無力さに辟易していました。言うまでもなくそれは今に至ります。別に学生時代が面白かったわけではないのですが・・・・。

でっ、そんなある春の夜、突然電話が鳴ります。当然固定電話です。
誰かと何かと思ったら、大学の長野出身の友人でした。
いきなり、
「凄いだろ!」
「えっ・・・・、ああ、松商か・・・。そういえば明日決勝だな。」
「長野は凄いことになってるらしい。」
「へぇ・・・・。」

そいつは私が野球オタであることを覚えていて、それで電話を掛けてきたようでした。
特に野球好きというわけではなかったのですが、確か高校時代にボートでIHに出場経験のある男でしたから、まぁスポーツ全般について興味があったのでしょうね。

「今よぉ、長野は一つになってる!」
ご存知のように、旧松本県と長野県の仲は最悪。それが一つって、川上と別所が仲直りするようなもの。そんな話ありえるのかと思いましたね。

後に知り合った長野出身の同僚に、あの年の松商について訊ねた時、
「長野オリンピックより盛り上がった」
そう即答したので、事実だったと思われます。

結果、センバツは準優勝。その勢いで春の北信越も勝ち上がるのですが、決勝では松井にホームランを打たれて星稜に負けるのですよね。
なので夏の甲子園、準々決勝の組み合わせを見た時、嫌な予感がしました。

贔屓目抜きで、あの年の松商学園が混ざりっ気のない純粋なフィーバー(しご)の最後のように思います。
松坂フィーバーやハンカチも、メディアの推しがあった、というと僻みでしょうか。

松商の夏の甲子園初戦、確か第一試合でした。朝八時なのに、一塁側だったと記憶していますが、アルプスはすでにフルハウス。地元から五千人以上が押しかけ、千人が徹夜したとか。
ミラクル3様ご指摘のように切り込み隊長荒井を欠いてはいましたが、替わりにトップに据えた二村が、満員御礼を応援席に伝えるかのような先頭打者ホームラン!!
あのアルプスが崩れ落ちるかと思いましたよ、ええ。

白道 / 2026-02-17 22:09:23 No.12316
待ちかねた夏祭りが遂に始まったぜ、そんな感じでした。
まだ初回だというのに嗚咽し始めたおじさんおばさん、上田目当ての女の子もつられて悲鳴を上げながら泣き出して、いやぁ、甲子園って凄いな、あらためてそう思ったものです。

思い返すにあの年の松商のメンバー、味があって良かった。
長身の二刀流で、今風に言えばちょっと大谷の入った上田をメインに、 主将辻や荒井に二村・・・・。プロはおろか大学や社会人で活躍するような選手もいませんでしたが、雰囲気や風格があった。観客動員はあの夏の大会が、以降、四半世紀にわたりトップであり続けたと思います。

甲子園はお国自慢であり、町おこしであり、お祭りだと思っています。それをこの時代に再現できるかと言われると無理かもしれない。でも野球オタとしてはワンチャンあると思いたいのです。
でもそれは9回制というドラマあってのもの。
あの年のセンバツ、松商は初戦イチローのいた名電、二回戦は大会NO. 1投手谷口の天理、準々決勝は夏の覇者大阪桐蔭を、それぞれ僅差で制し勝ち抜けます。次の国士舘も含めて、すべて琴光喜的にはハンディを打たれる側でした。
このスリリングな勝ち上がりも、9イニングを戦ったからこそ。だから長野の市井の人たちの心をつかんだと思う。
もし7イニングになら、すべての注目はイケメン好投手上田に集まり、辻や荒井、二村の存在が浮かび上がることはなかったのでは? 皮肉にも打線が振るったのは決勝だけでしたよね。もしかすると77春の中村山沖のような語られ方しかしなかったかも。近年であれば阿南光の吉岡的な。上田の26イニング無失点というのもあったし。
二十四の瞳を落とすつもりはありません。ただあの年の松商は、多くの選手に見せ場があってその姿や輪郭が胸に迫って来て、だから特別だった。でもくどいようですが7回制であったなら、上田のワンマンチームとしてわれわれの記憶に刻まれることになったかもしれない、つまりはそういうことなのです。

9イニングが紡ぐドラマを、高校野球という原石を輝かせる光を、 どうして大切にしないのでしょう・・・・?
なんの権限があって、高野連はそれを人々から奪うのでしょう?
私には永遠に理解できません!!!

奈良の虎ファン◆45539e / 2026-02-17 23:39:58 No.12317
ミラクル3様、御返信ありがとうございます。

上田投手は、イチロー投手・谷口投手・和田投手・菊池投手に投げ勝ち、決勝の広陵戦はは明らかに疲労している感がありましたね。

市川の樋渡投手も準決勝の広陵戦では疲労している感がありました。市川はそれほど打力がなく、接戦が続いた影響があったのでしょうか…。

広陵の小土居投手・塩崎投手は、個々の力こそ前述の投手達程ではないように思いましたが、やはり複数投手が居ることが大きいと感じました。

松商学園の夏の戦いでは、四日市工戦が印象に残っています。

延長戦で、上田投手が井手元投手から押し出しデッドボールを受けサヨナラ勝ちしました。

準々決勝の星稜戦では、四日市工戦の延長戦の疲労と、右腕にデッドボールを受けた影響があったのでしょうか?

星稜に勝てれば、準決勝は大阪桐蔭との再戦だったのですが…。

長年、強豪校による戦いを楽しませていただきましたが、昨年の広陵、最近では日大三で不祥事が発覚し、今後高校野球を観戦する際には、常にこの2校のことが頭から離れなさそうです。  

もうこれからは、強豪校の監督が、あたかも野球の技術より人間教育を重視しているかのような発言をするのはリスクが高すぎると思います。

ミラクル3@管理者 / 2026-02-18 19:07:13 No.12318
 こんばんは、白道さん。

 20日の高野連の発表が迫り、私も憂鬱です。特にここ数日は気分が悪いです。

 実は私も現実逃避をしていまして、図書館で朝日新聞の高校野球の記事をコピーしたものを何度も読み返しています。

 91年の長野県における松商フィーバーは、私の認識以上だったのですね。

 松商学園といえば、76年から80年まで5年連続で夏大会で初戦敗退、しかもそのうち4試合が完封負けという黒歴史がありますので、より盛り上がったと思われます。

 旧松本県と長野県の仲の悪さは有名ですが、それが一体となるほどだったのですね。そして、それほど高校野球ファンでない長野の方も興奮されていたのですね。「長野オリンピックより盛り上がった」というのもわかりますね。

 91年の星稜は2年生の松井選手はまま注目されていましたが、優勝候補ではありませんでした。ですので、春に負けていたといっても、私は松商学園が星稜にまた負けるとは思ってはいませんでした。

 横浜と早実は都会のチームですから、松商学園のフィーバーとは色合いが違ったですね。私は、斎藤が当時から好きでなかったですので割と冷めていました。

 夏も春の再現を期待したファンがそれほどいたわけですね。それにしましても、その盛況ぶりは正にフィーバーですね。

 二村選手は荒井選手の代役を見事に果たしました。二村選手の先頭打者ホームランでの大盛り上がりは今も覚えています。

 それでは、一旦、失礼します。

ミラクル3@管理者 / 2026-02-18 19:24:34 No.12319
 こんばんは、白道さん。

 アルプススタンドの熱狂は画面越しにも伝わってきました。先頭打者ホームランは、春の再現を期待する地元ファンには刺激が強すぎましたね。

 当時の松商学園は濃いメンバーでした。中でも上田選手は別格でしたね。名前は失念しましたが、選抜で4番を打っていた選手が夏はスタメンではなかった記憶があります。

 観客動員数は長らく1991年がトップでしたか。私は1983年だと思っていました。

 松商学園フィーバーをはじめ、甲子園の名勝負は9回制だからこそ生まれました。

 9回制でなかったら、不利と目された試合を松商学園が4つ勝った試合も色褪せたものとなったのは間違いないです。8回まで勝っている高校を応援しているファンには、最後の1回の緊張感はたまりませんから。

 松商学園の春の4試合を例に出されての7回制の否定には本当に唸らされました。7回制にしたら、そうした球史を冒涜することにもなります。高野連は球史に挑戦する覚悟があるのでしょうか?

 7回制になったらワンマンチームが優勝する可能性が出てくるかもしれませんね。そうした面からも、7回制は9回制とは別の競技になります。

 高野連は全てを台無しにするというのですね。しかし、ファンの訴えなど、「ただ黙殺するのみ」というのは許されません。

 それでは、この辺で失礼します。高野連に球児から2イニングを奪う権利は絶対にないです。

ミラクル3@管理者 / 2026-02-18 19:44:21 No.12321
 こんばんは、奈良の虎ファンさん。

 こちらこそ、書き込みいただきまして、ありがとうございます。

 上田投手は格上のチームばかり相手の4試合を1人で投げ、全て接戦でしたから、決勝戦は余力が残っていませんでしたね。2人の好投手としぶとい打線の広陵も強敵でした。

 樋渡投手の広陵戦でアップアップ感がありました。僅差の試合をものにしてきましたが、やはり投手のワンマンチームでは優勝は難しいということでしたね。

 小土居投手、塩崎投手はこじんまりとした投手で、大量失点しないのが強みでした。複数投手の強みで、再試合となった三田学園戦をものにしました。

 3回戦の四日市工戦が延長17回だったことで、上田選手をはじめ選手が疲弊した感がありました。押し出しデッドボールのシーンでは思わず声が出ました。

 上田投手はデッドボールの影響があったと思います。受けたのは右腕でしたし。

 大阪桐蔭との再戦になっていたとしたら、今度は大阪桐蔭が勝っていたと思います。星稜戦での背尾投手は素晴らしい出来でしたし。

 広陵と日大三の不祥事には考えさせられますね。水島新司氏が、「野球をする人に悪い人はいない」と、土佐丸高校が敗退して宿舎を去る時に宿舎の主人に言わせていますが、それは絵空事ですね。

 強豪校の監督が人間教育を重視すると言いましても、こういう事件がありますと鼻白んでしまいます。

 それでは、この辺で失礼します。91年から30年以上だったとは信じられないです。

奈良の虎ファン◆45539e / 2026-02-19 00:44:10 No.12324
ミラクル3様、再度の御返信ありがとうございます。

おっしゃいますように広陵は、初戦の三田学園戦が再試合でしたね。三田学園は後に近鉄入りした岡本投手でしたか…。

小土居・塩崎投手は確かに大崩れがなかったですね。現地観戦した鹿児島実戦も確か2失点ぐらいだったように思います。

鹿児島実は俣瀬・味園・下薗・竹脇の各選手らが居て強力打線だったと思いますが…。

大阪桐蔭は、大まかには春は和田投手、夏は背尾投手が好調だったように思います。

星稜戦は萩原選手の本塁打もあったように思います。

91年当時、私はまだ大学生でした。
本当に月日が経つのは早いですね。

土佐丸高校は試合中にラフプレーをしていましたが、現実の世界では広陵のようにグラウンド外で危険な行為が行われているケースが多いですね。

ラフプレーではありませんが、昨夏の甲子園で、当たっていない投球に対し打者が勝手に右足のカバーを外して一塁へ行くと球審がデッドボールの判定をするという誤審がありました。

さらにこのチームの別の打者は空振り三振をした際、しきりにファールチップをアピールしていました。非常に見苦しい行為でした。これは認められませんでしたが…。

このチームでは、人間教育ではなく勝つためなら他人を欺く行為を徹底して行うよう指導がなされているように「見えました」。

ただこのような勝利至上主義が甲子園で名勝負を繰り広げ、何度も優勝することにつながっているとも思いますので、明らかに勝利至上主義と人間教育は相反するもので、つくづく高校野球は難しいものだと今さらながら感じています。

ミラクル3@管理者 / 2026-02-19 14:24:37 No.12330
 こんにちは、奈良の虎ファンさん。

 三田学園のエースはアンダーハンドの岡本投手で、打線は左のクリーンアップが強力でして、広陵戦は岡本投手の好投で、8回表まで3-1でリードしていたと思います。しかし、8回裏に小柄な8番バッターの下松選手に痛恨の同点ホームランを打たれ、そこで試合が中止になったと記憶しています。

 再試合では岡本投手が力尽きました。広陵は2人の好投手がいることが勝因でしたね。

 小土居投手は2回戦の春日部共栄戦でも好投しました。春日部共栄は高い勝率を誇る隠れ優勝候補でしたが、試合内容は完敗でした。強力打線だった鹿児島実戦も広陵の快勝でしたね。

 大阪桐蔭の2人の投手は、ご指摘の出来でしたね。夏の和田投手は全体に不調でした。

 星稜戦ので萩原選手のホームランは甘いスローカーブを打ったもので、山口投手が「投げてはいけない球だった」と言っていたそうです。

 91年から35年ですか。本当に光陰矢の如しですね。

 土佐丸高校のように試合中にラフプレーをする高校はまずないですが、ラウンド外で危険な行為を行う高校は広陵だけではないはずです。

 昨夏でそんなプレーがありましたか。球審はごまかされたわけですが、そのチームのその2つの行為は感心できないです。、そのチームがどのチームかはわからないですけど、指導者に問題があると思います。

 勝利至上主義の高校が勝ち上がるのが常とは言えます。東東京の某高校はかつては勝利至上主義を前面に打ち出し、95年の夏はラフプレーが問題になりました。

 それでは、この辺で失礼します。人間教育は難しい課題ですね。

奈良の虎ファン◆45539e / 2026-02-20 00:15:31 No.12332
ミラクル3様、こんばんは。

下松選手…懐かしいですね。
そして2回戦で対戦した春日部共栄が高勝率だったことも思い出しました。

萩原選手が打ったスローカーブは高めに浮いてしまったのですね。

その他では、春に箕島が出場、夏は大野倫投手が肘痛に耐えながらという過酷な状況の中で投げ続けたことなど、91年は春夏共に話題性がある年でした。

おどるポンポコリンと無関係な書き込みを続けてしまい失礼しましたが、お付き合いいただきましてありがとうございました。

ミラクル3◆58d95f / 2026-02-20 20:42:31 No.12337
 こんばんは、奈良の虎ファンさん。

 下松選手は決勝戦でも活躍したように思います。その辺の記憶は曖昧ですけど。

 原―原バッテリーの春日部共栄は、栖原、城石、橿淵選手らタレント軍団で、新チーム結成以来、ほとんど負けたことがないチームでした。ですので、夏の大会の初戦で佐賀学園にサヨナラ負けを喫した際は吐いたものです。

 萩原選手が打ったスローカーブは高めの甘い球でした。配球ミスだったですね。

 箕島は選抜では大阪桐蔭に逆転負けを喫しました。夏の予選では、初戦で新興の智弁和歌山に負けたと記憶しています。

 大野倫投手の連投は、今ならドクターストップが掛かる無理な連投でした。決勝戦は限界を遥かに超えていましたね。

 それでは、この辺で失礼します。こちらこそ、懐かしい思い出をありがとうございました。

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