渡辺監督
トントン / 2026-08-17 18:24:19 No.13035
 横浜高校の渡辺元監督がお亡くなりになりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 小倉元部長とのコンビで、横浜高校黄金時代を築かれました。私立でも、明徳の某M氏や帝京のM氏と違って、好きな監督でした。73年選抜で初優勝。80年愛甲で夏初優勝。98年には松坂を中心に春夏連覇、無敗チームをつくりあげました。
 元日本ハム監督の土橋氏によく似ておられた?

 渡辺監督といえば、私は愛甲でも松坂でもなく、松坂の2コ上のエース丹波投手が試合前日になくなって、涙を流されて秋の大会の試合を辞退しようとされましたが、丹波のお母様に励まされ、出場され、センバツに出られた?のが印象的です。昭和の名監督はあらかたおられなくなり、寂しいかぎりです。
 改めて、お悔やみ申し上げます。

ミラクル3@管理者 / 2026-08-17 18:54:26 No.13036
 こんばんは、トントンさん。

 渡辺元監督が亡くなられたことを先ほど知りました、ご冥福をお祈り申し上げます。

 73年選抜大会で優勝した時は、まだ28歳という若さでした。新婚なのに選手を何人か自宅に下宿させていたそうです。

 渡辺監督で最も印象に残っているのは、愛甲投手が3年の夏に優勝宣言して甲子園に乗り込んで来たことです。

 98年の松坂投手のチームは国体を含めて公式戦無敗で、正に空前前後の記録でした。

 丹波投手のエピソードはいつくか知っていますけど、どのエピソードを聞いても悲しさでいっぱいになったものです。渡辺監督も小倉部長も、「自分が変わったやりたい」と号泣したと聞きました。

 失礼しました。

トントン / 2026-08-18 06:18:25 No.13039
 またまた、箕島がらみになりますが。
80年夏。横浜が愛甲投手擁して優勝したとき、準々決勝は箕島ー横浜戦でした。

 箕島は春夏連覇の翌年。前年に比べて明らかに戦力がダウンしていて、センバツを逃しました。が、夏は前年レフトでレギュラーだった左腕宮本が急成長。春と違って、全員で優勝旗を返しにいく、という目標を達成しました。
 あとはオマケだと思っていたのですが、都立の雄、国立に苦戦しながらも勝って、2回戦センバツを制した中西擁する高知商業。ほとんどの人は高知商有利。私は日程が開いたので5人ほどで甲子園に行きました。珍しく先攻になった箕島が初回から速攻。1,2,3回で1点ずつとり、中西攻略、主導権を握りました。宮本は飛ばしに飛ばして高知商を零封。9回にはダメ押しの2点を入れて、終わってみれば5-0のぐうの音も言わさぬ完勝!現地で見ていても、箕島の捨て身の気魄が伝わってきました。自分より格上を相手にする時、尾藤監督は、帰り支度の荷物を整理させた上で、「失うものは何もない。思い切りぶつかれ!」とゲキを飛ばします。53年春のPL戦もそうでしたが、こうなると箕島は強かった。もっとも、3年後、吉井の箕島は津野の高知商に完膚なきまでにリベンジされますが。吉井は津野に満塁ホームランを打たれました。
 
 三回戦美濃加茂を破ってベスト8。横浜戦は明らかに横浜優位。宮本も疲れからか、今度は1回から3回まで横浜に1点ずつ取られました。ずるずるいくところですが、ここから箕島は粘って5、6回に1点ずつ取り、9回もランナーを出して、あわや、と言うところまで追い込み、2ー3で敗れました。翌日の朝日新聞には「7安打で14安打の横浜に1点差の勝負に持ち込んだ辺り、箕島の面目躍如たるものがあった。尾藤監督は大会前『高知商、横浜と当たって華々しく散りたい』と言っていた。箕島はまさに華々しく散った」とありました。渡辺監督はインタビューで「箕島の底力。尾藤さんの人間力をヒシヒシと感じた」とおっしゃっていました。珍しく、箕島に勝った相手の監督を好きになりました。

 今日、智弁和歌山は華々しく散れるでしょうか、、、?

 奈良虎さん。私も天理ー智弁和歌山はカンベンしてほしいです。

奈良の虎ファン◆45539e / 2026-08-18 18:15:15 No.13040
トントン様、こんばんは。

智弁和歌山と天理は、確かこれまで甲子園で対戦はなかったですね。

智弁学園は2002年夏と2021年夏の両方智弁和歌山に完敗でした。

近畿大会を含め、公式戦で奈良県勢が智弁和歌山に勝った試合があったかどうかを思いだせません。もしかしたら一勝もしていないのかも知れません。

天理の4強入りは予想以上です。

智弁和歌山対横浜戦については、今日織田投手が完投しましたので、横浜の先発投手が誰になるのかがやはり気になるところです。

1980年夏に箕島が国立・高知商・美濃加茂・横浜と戦った話が懐かしいです。

豪快 / 2026-08-18 19:31:17 No.13042
こんばんは

横浜の渡辺監督がなくなったのはヤフーニュースで知りました
渡辺監督はいうまでもなく少年院のようだった横浜高校を強くした監督です。
マジで生徒にこ、ろされると思ったことが何度もあったのは有名な話です。
昭和のころはそんな学校ばかりでした。渡辺監督としてみれば孫と一緒に甲子園出れたのは最高の思い出だったのではないでしょうか。他の監督ではこんなことはなかったはずです

トントンさんのいう
>尾藤監督は大会前『高知商、横浜と当たって華々しく散りたい』と言っていた。箕島はまさ
>に華々しく散った」とありました。渡辺監督はインタビューで「箕島の底力。尾藤さんの人
>間力をヒシヒシと感じた」とおっしゃっていました。珍しく、箕島に勝った相手の監督を好
>きになりました。

これを現代風にやっているのが仙台育英の須江監督ですね。
ただ、須江監督はいちいちうざいだけだと思います。1試合ごとに会社の宣伝をしてくるとは

ミラクル3@管理者 / 2026-08-18 20:23:48 No.13046
 こんばんは、トントンさん。

 80年の箕島ー高知商、箕島ー横浜はよく覚えています。

 高知商戦は、朝日の予想では、「意外な大差になる」とのことでした。初戦の国立戦を見たら、そういう予想になったのは当然だったと思います。

 78年春のPL戦も尾藤監督はそうして臨んだのですか。それは知らなかったです。

 遥かに格上だった高知商に快勝し、勝ち目のない横浜に最後まで食らいついたのが当時の箕島ですすね。

 83年の箕島は高知商戦で途中に戦意喪失になり、84年の箕島は守備の破綻から取手二に大逆転負けしました。いずれのチームも大型チームだったのですが。

 渡辺監督はインタビューでそんなことを言っていたのですか。尾藤監督は対戦相手の監督を魅了する不思議な力がありましたね。

 それでは、この辺で失礼します。智弁和歌山ー横浜は縺れるような気がします。

トントン / 2026-08-18 21:13:44 No.13049
 奈良虎さん、こんばんは。天理、智弁和歌山、ともに勝ちましたね。準決勝で当たらなくて良かったです。
(決勝で当たらなかったら、どっちかが準決で負ける、ということですが、、、)

 奈良虎さんとは違って、私は紀和大会の最後の方を見ましたが、和歌山が勝ったのをみたことがありません。私は、72年から見ていますが、記録を見ても、
70年、センバツ優勝した箕島が田原農業?に勝ったのを最後に
71年○郡山ー市和歌山商✖︎
72年○天理ー桐蔭(旧和歌山中)✖︎
73年 記念大会
74年○郡山ー向陽(旧海草中、母校)✖︎
75年○天理ー伊都✖︎
76年○天理ー箕島✖︎
77年○智弁ー田辺✖︎
  最後まで勝てず、6連敗で終わりました。特に天理に3回も負けた!

 子ども心に「和歌山は弱い。天理に負けてばっかり」と植え付けられました。なので、奈良虎さんには申し訳ないですが、私は天理は苦手です。

 紀和大会の関係か、甲子園では
77春○箕島ー智弁✖︎
02夏○智弁和歌山ー智弁✖︎
22夏○智弁和歌山ー智弁✖︎
の3回しか対戦がないはずです。

私は、和歌山勢が天理に勝てる気がしません。だから、正直、決勝で天理とあたってほしくないです。すみません。


トントン / 2026-08-18 21:28:22 No.13050
 豪快さん、こんばんは。
 横浜は確かにそういう話を聞きましたね。初優勝した73年春は江川フィーバーて日本中が大騒ぎしていた年。実際には夏に優勝する広島商を横浜が破って優勝した、と記憶しています。当時の2年生エース永川さんもすでにお亡くなりになっておられます。

 渡辺監督は、監督になった当時教員てはなかったが、勉強されて社会科の教員免許を取得して、教員になられた努力家でもありましたね。

 須江監督の選手への労りは見ていて伝わってきます。小学生の娘さんがチアガールに混ざってチアのユニを着て踊っていました。微笑ましかったです。
 蔦監督や高嶋監督は剛の監督。尾藤監督や木内監督、そして須江さんは柔の監督でしたが、渡辺さんはどうだったでしょう?私は、剛の部分は小倉部長に任せて、柔の部分を担当されたように思います。

 高嶋さんのお孫さんは優勝しましたが、その時はすでに監督は中谷さんでした。

 現智弁和歌山の中谷さんは剛か柔か、さっぱりわかりません。

最大1000文字まで(残り1000文字)。省略不可。日本語必須。HTMLタグ不可。誹謗中傷や個人情報、宣伝URLは即削除されます。
最大10文字まで。省略可能。
半角英数字(8文字まで)を入れることで、書き込みの削除ができるほか、名前の後ろに任意のコードが付きなりすましを防止できます。省略可能。