今日の日記より
奈良の虎ファン◆745673 / 2024-04-27 23:41:25 No.9980
ミラクル3様、こんばんは。

本日の日記を拝見しました。

荒木大輔投手を筆頭に、名前を挙げておられた選手は、確かに高校野球をそれほど熱心に観ておられない人でも知っている選手ですね。
 
荒木大輔投手が、激戦区から5回全て甲子園への出場を果たしたことは、当時ものすごい快挙と感じていました。

日記に記載しておられますように、東邦坂本投手が、2年春以降一度も出場できなかったことから、連続出場というのは簡単なことではないと子供心に感じておりましたので。

5回全てエースとして出場する投手など今後二度と現れないだろうと当時は思っていたのですが…。

一年先輩の芳賀誠投手は2年生で背番号1でしたが、事実上のエースは背番号11の荒木投手で、芳賀誠投手の登板機会はそれほど多くなかったように記憶しております。

外野手の芳賀功選手とは双子の兄弟だったでしょうか?

横浜高校戦では、無失点記録がストップした荒木投手に代わって芳賀投手がマウンドにのぼり、愛甲投手が早めに降板してマウンドにのぼっていた川戸投手と投げ合いました。

エースの陰に隠れるような存在であった投手同士が決勝で投げ合うのは当時珍しかったことから、ドラマを見るような感覚で観戦していました。

荒木投手の印象が強烈であるため、早稲田実業といえば「東東京」代表と今でもつい勘違いすることがあります。

私はこのゴールデンウィーク中に出かける予定が何もありませんので、過去の高校野球を振り返るくせがまた出てしまいそうです。

ミラクル3◆58d95f / 2024-04-28 13:38:55 No.9981
 こんにちは、奈良の虎ファンさん。日記をお読み下さり、ありがとうございます。

 昭和でいえば50年代は高校野球が最も熱気があり、誰もが知っているようなスターが何人も生まれました。

 荒木大輔が5回全て甲子園に出場したのは偉業そのものです。高2秋の準決勝の日大二戦、高3夏の修徳戦は実に際どい試合でしたけど。

 坂本投手は高2の夏に決勝戦に進出していますが、それ以外は早期に敗退しています。高2夏の決勝戦の相手は、山中、栗岡選手らを擁した中京でしたから相手が悪かったです。

 5回全てエースとして出場したのは、高校野球を見始めて以来、荒木が最初でした。あれだけ注目を浴びた中での出場ですから大したものだと思っています。

 荒木が1年時は芳賀誠投手がエースで、芳賀誠投手も好投手でしたので、荒木に出番はないはずでした。それが練習中にデッドボールを受けたことで投げられなくなり、荒木にお鉢が回ってきたのです。

 80年の夏の甲子園では、芳賀誠投手は2回戦の東宇治戦の3分1イニングと決勝戦の横浜戦の4イニングだけの登板でした。

 81年は2回戦の鳥取西戦の1イニングだけでしたが、報徳学園戦の延長戦から賀誠投手をマウンドに送るべきだったと思っています。同点にされて荒木が明らかに気落ちしていましたし、芳賀誠投手は好調でしたから。

 芳賀功選手とは双子の兄弟で、確か芳賀誠投手の方が兄だったと思います。

 横浜とは大会前に練習試合をしており、その試合で芳賀誠投手が好投していたそうです。甲子園での横浜戦でも好投しましたが、愛甲選手のイレギュラーヒットによるタイムリーは不運でした。

 当時はエースが絶対的存在でしたから、夏の大会の決勝戦で控え投手が投げ合うのは珍しかったですね。その2人が素晴らしいピッチングを展開しました。

 私も早実は西東京に組み込まれたからしばらく東東京の結果を最初にチェックしていました。帝京、二松学舎、関東一、修徳らが東東京のライバルでした。

 今はYouTubeなどで過去の高校野球を見られるのがいいですね。つい最近も83年選抜の池田-明徳をフルに見ました。

 それでは、この辺で失礼します。NHK・BSに、「懐かしの高校野球」として、当時の試合を特集して欲しいです。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-04-29 15:55:59 No.9982
ミラクル3様、御返信いただきましてありがとうございました。

日大二と修徳に苦戦した内容は「高校野球マニア」のページで拝見しました。

日大二は82年夏の二回戦で池田を苦しめたことが印象に残っています。左打者3人のクリーンアップ、リリーフした左腕田辺投手について記憶しています。

82年春に二松学舎が準優勝していますが、夏の都大会決勝では修徳が早稲田実業と激闘を繰り広げたとのことで、東と西に分けているにもかかわらず、本当に東京は激戦区だと思います。
 
数日前の日記に二部制への移行に伴い32校になった場合の案を記載しておられましたが、東京は二校を維持するのが妥当でしょうね。一校に減らしますとあまりにも激戦になりすぎますので。

個人的に紀和大会はどきどきしますが、ミラクル3様案にアヤがつく都道府県はないように思います。

芳賀誠投手から荒木大輔投手にエースの座が移った原因がデッドボールとは…。
あらためてデッドボールは怖いと感じます。

横浜との決勝戦での好投により苦労が報われたのでしょうか。

78年夏の中京高校は強かったですね。エースは武藤投手でしたか…。
天理が三試合連続完封勝利のあと準々決勝で対戦しましたが、あっさり敗れました。

そして準決勝でのPL対中京は、いまだに語り継がれる試合となりました。
 
本当に昭和50年代の高校野球は名勝負・名選手が多い時代だったと思います。

早稲田実業はその後も、斎藤佑樹投手・清宮幸太郎選手らの名選手を輩出していますが、思い入れやインパクトという点で荒木投手に勝る選手はいないと個人的には思っています。

ミラクル3様が「高校野球マニアのページ  82年夏」において、荒木投手に御礼の言葉を述べておられます箇所に感動しました。
 
私もNHK・BSで荒木投手の五季にわたる活躍を放送して欲しいです。

ミラクル3◆58d95f / 2024-04-29 20:15:56 No.9983
 こんばんは、奈良の虎ファンさん。こちらこそ、書き込み、ありがとうございます。

 「高校野球マニア」のページをお読み下さり、ありがとうございます。

 修徳戦はテレビで観ていましたが、実に際どい試合でした。9回表の黒柳選手の一世一代のファインプレーが特に印象に残っています。

 82年の日大二は左のクリーアップを中心した打撃が売り物で、投手力に難がありました。ところが池田戦ではリリーフに出た左腕の田辺投手が好投し、池田に冷や汗を掻かせました。田辺投手の同点としてしまった暴投が惜しまれます。

 二松学舎戦が大一番になると思っていましたが、二松学舎は早実と戦う前に姿を消しました。修徳とは秋季都大会でも対決していまして、その時は2-0で早実が勝ちました。

 夏の大会の参加校を32校にする場合は、東京は2校が妥当だと考えました。東西東京の参加校は合わせて約250校ですので。

 アヤがつく都道府県がないようで良かったです。紀和大会は、天理、智弁学園、智弁和歌山らの中で1校だけになりますから厳しいですね。

 芳賀誠投手が受けたデッドボールですけど、それで当面は投球が不可能になり、チームに衝撃が走ったそうです。水野投手が沖元投手から受けたデッドボールもそうでしたが、デッドボールは本当に怖いですね。

 横浜高校戦の芳賀誠投手の出来は良かったですね。投げたくてウズウズしていたと思います。

 78年の中京は打撃を前面に押し出した強力なチームでした。選抜大会は不可解な出場停止になりましたが、出場していたら優勝候補筆頭だったそうです。天理には練習試合で1-2で負けていたそうですが、夏の大会では苦手のアンダーハンドの中西投手を打ち崩し、5-2での快勝でした。

 PL-中京はYouTubeで何度も見ました。9回裏の西田選手は三塁でアウトに見えますが…。

 荒木は何と言いましても5期連続出場を成し遂げましたから。その辺が斎藤佑樹や清宮との違いですね。

 荒木の3年間は、私にとっても最高の3年間でした。今も彼が野球の仕事に携わっているのが嬉しいです。

 それでは、この辺で失礼します。NHK・BSで荒木特集をして欲しいですね。

白道 / 2024-04-30 19:43:33 No.9988
 奈良の虎ファン様、ミラクル3様、横から失礼いたします。
 荒木大輔は別格。あれほどRawlings のグラブの似合った高校生はいまい、そして二度と出ないでしょう!
 一年の夏、マウンド上の彼を観て、
 「ロ・・、 ロッ、 ロ一・ ・ ・ ・」
 SSKがせいぜいの当時中三の私は二の句が出ませんでした。

 私の子供の頃はボーイズやシニアはまだ主流ではなく、リトルリーグが全盛。「リトルの団ちゃん」もそれなりの人気だったため、調布リトルでワールドリーグを制し世界一となった凄い投手がいる、という噂は関西でも不気味に轟いており、それが荒木でした。
 荒木が通ると風が起こった、対戦した知り合いがしみじみそう語っておりました。育ちの良さと謙虚さを併せ持つ稀有な方だと思います。Youtube を観てもそれが伝わってきますね。
早実の教育方針や環境も良かったのだと思います。

 KKも凄かったのですが、二人は高一の秋の段階ですでにプロのようで、そのへんの二軍選手よりもマスコミズレもファンズレもしていてそうです。逆にそうでなければプロで170勝したり500発打つのも無理なのかもしれませんね。

 「大ちゃんフィーバー」はやはり他の甲子園アイドルとは異質、特別なものだったのではないでしょうか? 一年夏の衝撃的なデビュー。悲劇性と憂いの伴ったルックス、甲子園皆勤と実力もあった。そして早実ブランド、どうでもええのですがRawlings のグラブ・・・・。 周囲に黙っておけという方が無理でした。
 先鋭化した女子高生が学生服を手に入れてそれを着込み教室に入って一緒に授業を受けたと聞いています。逆に迷惑を掛けないよう、練習や試合には常にいて、遠くでそっと見守る型も多かったそうです。戸川京子が有名ですね。
 プロ入りの年、まだ十代の初々しい荒木に初勝利を献上したのはわがダメトラでした。槇原の筆おろしもそつなくこなし、当時、「ルートコ阪神」の名を欲しいままにしていたものです。

ミラクル3◆58d95f / 2024-04-30 22:22:12 No.9991
 こんばんは、白道さん。

 不覚にも荒木大輔が使用していたグラブを知りませんでした。なにせ、荒木で優勝することのみを願っていましたものでして。

 「調布リトルで名を馳せた凄い1年生が入学した」とは聞いていました。ですけど、安定感抜群の芳賀誠投手がエースとして君臨していましたので、その1年生に出番はないと思っていました。

 それが芳賀誠投手の怪我でお鉢が回ってきて、あの快挙ですから、わからないものです。

 荒木にオーラがあったことは確かです。地下鉄の中や校内で見たことがありますが、別格の風格でした。

 早実が男子校だったのも荒木には幸いしたと思います。今のような共学でしたら、とんでもないことになっていたでしょうね。

 こう言っては何ですけど、KKは人格面に問題があったと思います。中村監督が2人をキャプテンにしなかったのも尤もだと思ったものです。

 「大ちゃんフィーバー」は社会現象でした。5期連続出場という実力、どうしても甲子園で優勝できなかった悲劇性も人気に拍車を掛けたことは確かですね。

 一緒に授業を受けた女子高生がいたというのは初耳です。そんなことが可能だったとは信じられないです。

 遠くでそっと見守る型…これぞ、明子姉ちゃんですね。そちらの方が遥かに好感が持てます。

 荒木の初勝利の試合は千葉テレビで観ました。大杉選手がホームランを打って阪神に2-1で勝ったのですが、セーブを挙げた尾花投手が心底疲れたそうです。

 当時の阪神はダメトラでした。それでも優勝は2年後でしたね。

 それでは、この辺で失礼します。「大ちゃんフィーバー」も伝説ですね。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-04-30 23:05:55 No.9994
白道様、こんばんは。

荒木投手が使用しているグラブのメーカーは知りませんでした。
お教えいただきありがとうございます。

今でこそ小学生が硬式でプレーすることは珍しくないですが、荒木投手はその先駆者のような存在だったのでしょうか。

どうしても大旗には手が届きませんでしたが、敗れた試合の後でも相手を称えるコメントをするなど爽やかな印象でした。

女性からの爆発的な人気があったのは…当然でしょうね。

阪神戦がプロ初勝利で、尾花投手との継投だったことも記憶しています。

確かに阪神は槇原投手にも甲子園でプロ初勝利を献上していますね。
延長戦の末の1−0でしたか…?

この時にはのちのバックスクリーン3連発を全く予想出来ませんでした。

桑田投手の新人時代、後楽園球場で抑えられた試合でもプロ初勝利を献上したのでしょうか?

プロ初勝利を献上するのは阪神の専売特許という感がありますね。

ミラクル3@管理者 / 2024-04-30 23:20:36 No.9995
 こんばんは、奈良の虎ファンさん。横レス、失礼します。

 早実の野球部には硬式球を使っていたシニアリーグ出身者が多かったようです。

 まさに、「どうしても大旗には手が届きませんでした」ね。2年の選抜以降の4回は、いずれも優勝候補だったのですが…。

 早実で荒木大輔の悪口を言っていた人はいません。私も女性だったら大ファンになっていたはずです。

 荒木がプロ1年目で阪神戦に勝利した際、安藤監督が「絶句」と言っていました。阪神ファンには悪いですけど、それを聞いて爆笑したものです。

 槇原投手の甲子園でもプロ初勝利の試合は徹マンで見ていませんでした。延長戦の末の1-0だったことは後で知りました。
 
 桑田投手のプロ初勝利も阪神戦だったように思います。阪神も初物に弱かったようです。

 バックスクリーン3連発はライブで見ていました。その試合は9回表に山本投手が2発食らって、危うくバックスクリーン3連発をフイにするところでした。

 それでは、この辺で失礼します。阪神が抜け出しそうですね。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-04-30 23:30:51 No.9996
ミラクル3様、こんばんは。

78年夏は天理−郡山の奈良大会決勝を現地観戦しました。

選抜出場した郡山を天理が延長戦で降し、一県一代表になった年の代表校となりました。

二回戦の相手が南陽工に決まったとき、津田恒実投手を攻略するのは至難の業とおもいましたが、若井選手の本塁打により1−0で勝利しました。

中京は選抜辞退し、刈谷が代替出場しましたね。

私が初めて「報知高校野球」を買った大会でした。

夏に出場した中京はやはり強かったですね。

東京は250校も参加しているのですね。
やはり二校が妥当だと思います。

和歌山と奈良の参加校数の合計は80校ぐらいでしょうか…。

一県一代表になって、必ず地元の代表校を見られる楽しみはありますが、各地区の参加校数と代表校とのバランスは一県一代表以前の方がとれていたのかも知れません。

天理や智弁学園が、智弁和歌山などと紀和大会を戦うところを見てみたいですが、やはり緊張しますね。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-04-30 23:58:31 No.9997
ミラクル3様、ありがとうございます。

確かに2年春以降は常に優勝候補でしたね。

また夏の大会は、早稲田実業に勝った高校がいずれも優勝しています。

荒木投手は、天狗になっても全然おかしくない環境に居たと思うのですが…。

安藤監督を始めとして、チーム関係者やファンなど多数の人が「絶句」した試合でした。本当に阪神はどこか間が抜けています。

槇原投手に抑えられた試合は中学校の修学旅行先で観ていました。現地のテレビが0−0の時点で放送終了してしまいました。

おっしゃいますようにバックスクリーン3連発の試合は最後危なかったですね。
つい忘れがちになります。
 
今季の(昨季もですが)阪神は強さを感じませんが、苦しい試合を勝ち又は引き分けに持ち込むことがしばしばあり、しぶとく戦っているような感じです。

まだ激しい順位の変動があるかも知れませんが、抜け出してくれると嬉しいです。

ミラクル3@管理者 / 2024-05-01 10:40:50 No.9999
 おはようございます、奈良の虎ファンさん。

 78年夏の奈良大会の決勝戦は天理−郡山だったのですね。

 78年が一県一代表でなかったら、紀和大会で箕島-天理が行われたわけですか。アンダーハンド同士の投げ合いは接戦になったでしょうね。

 若井選手の本塁打ですけど、カーブを打ったホームランでして、以来、津田投手は速球勝負を心掛けるようになったそうです。

 選抜大会での中京の出場辞退は理不尽極まるものでした。刈谷高校のナインは戦いづらかったと思います。

 私も、78年の夏から「報知高校野球」を買い始めました。創刊間もない頃でしたね。

 78年の中京は強かったですね。3回戦の箕島戦ですけど、栗岡選手の8回の打席で石井毅投手をリリーフに送っていればと、箕島には惜しまれた試合でした。

 東京は人口が多いですから…。250校で1校はさすがに厳しいですね。

 和歌山と奈良の参加校数の合計は80校ほどですか。それで紀和大会が行われたわけですね。

 一県一代表以前の時代は、滋賀県からなかなか甲子園に出られないなど、不遇をかこった県がありました。日程面で厳しいですけど、一県一代表が理想的だと思っています。

 天理、智弁学園、智弁和歌山が争うことになったら厳しいですね。2021年は智弁学園-智弁和歌山が甲子園大会の決勝戦でしたし。

 それでは、この辺で失礼します。77年の紀和大会は実にもったいなかったです。

ミラクル3@管理者 / 2024-05-01 10:48:42 No.10000
 おはようございます、奈良の虎ファンさん。こちらこそ、書き込み、ありがとうございます。

 2年春以降は常に優勝候補で、2年春はどの新聞も早実を優勝候補筆頭としていました。それがまさかの初戦敗退でした。

 夏の大会は早実が勝った高校が全て優勝していますので、80年以外は籤運が悪かったと言えると思います。

 荒木が天狗になっていたら、あれほどのフィーバーにはならなかったでしょうね。謙虚な性格も人気の一因でした。

 その「絶句」した試合ですけど、ハラハラしながら見ていました。阪神には悪夢のような試合でしたね。

 当時は最終盤の一番いいところでテレビ中継が終わりましたから、その後はラジオで聴き入っていたものです。主にTBSのエキサイトナイターを聴いていました。

 バックスクリーン3連発の試合は最後は冷や冷やものでした。最後に中畑選手が力んでくれた助かりました。

 昨シーズンから阪神は際どい試合をものにしていますね。打ち勝つ野球のスタイルではないですので、今後も接戦の試合が続くでしょうね。

 それでは、この辺で失礼します。マスコミは阪神の連覇を口にし出しましたね。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-05-02 00:03:55 No.10002
ミラクル3様、こんばんは。

77年紀和大会は箕島−智弁学園になる可能性が高いと予想していたのですが…。
78年なら箕島−天理は面白い試合になった可能性がありますね。79年は力の差が大きいですが…。  

若井選手が打ったのはカーブだったのですね。値千金の一打でした。

「報知高校野球」は78年春に初めて買ったあと、81年春久しぶりに購入し、以後はほぼ毎号買っています。

あるとき実家が手狭になり、大部分を古本屋さんに売ってしまった事が残念です。

中京の栗岡選手は中日に行きましたでしょうか…?
記憶に自信がありませんが…。

昔は理不尽な出場辞退が珍しくなかったような印象があります。78年春に中京が辞退した理由は知らないのですが。

滋賀県勢は甲子園で勝てるようになるまで苦労しましたね。79年夏の比叡山が滋賀県勢初の8強入りだったでしょうか?

翌80年夏も瀬田工業が4強入りしましたが。

滋賀県勢初の全国制覇が実現するのはいつだろうと考えることがあります。
近年の近江の活躍などから、近づいてきているようにも思いますが。

確かに一県一代表でなくなると極端に出場できなくなる県が出来てしまうかも知れません。

2021年夏の決勝は、西村王雅投手と小畠一心投手が疲労していたのか、最初から最後まで智弁和歌山ペースでした。

阪神の試合に前川右京選手が出場しているのを見ると、この大会を思い出します。

ミラクル3@管理者 / 2024-05-02 10:43:46 No.10003
 おはようございます、奈良の虎ファンさん。

 私も77年の紀和大会の決勝戦は箕島-智弁学園になると思っていました。新チーム最初の練習試合では智弁学園が4-1、選抜では箕島が2-0で勝っていましたので、どちらが勝つか、注目していたのですが…。箕島は、コレラ騒動に巻き込まれて練習不足だっったのが痛かったですね。

 78年は箕島打線が不振でしたから、ロースコアの接戦になったでしょうね。79年は6-2くらいで箕島が勝ったのではと思います。

 若井選手が2年生の8番バッターだったということで、津田投手が甘く見たようです。南陽工は津田投手のワンマンチームに近かったですので、その1点が致命傷になりました。

 私も「報知高校野球」をしばらく買い続けてのですが、引っ越しやら何やらで行方不明になったのが痛恨です。

 中京の栗岡選手は中日に入団したと記憶しています。「ポパイ」と呼ばれ期待されたのですが、プロでは活躍できませんでした。

 78年の中京の出場時代は最も理不尽なものの1つでした。修学旅行に行っていた自校の学生がケンカをしたことで出場停止になったのです。その修学旅行には野球部員が行っていなかったのにも関わらずでした。

 長らく京滋大会が行わてきて、滋賀県勢は平安など京都勢に勝てず、甲子園出場するのもままならない時代が続きました。それで79年夏の比叡山まで滋賀勢は甲子園で勝つことができませんでした。

 瀬田工の4強入りは多分に籤運に恵まれてのものでした。3回戦で高山投手の秋田商に勝ったのは意外だったです。

 近年来、近江が力をつけてきましたね。山田投手の2022年のチームは優勝のチャンスだったのですが。

 2021年夏の決勝戦は両チームに体力面で大きな差がありますた。智弁学園は6試合目、智弁和歌山は4試合目でしたから。

 前川投手は選抜大会では力みであまり打てませんでしたが、夏の大会では活躍したと記憶しています。

 それでは、この辺で失礼します。今は春季大会の真っ最中ですね。

白道 / 2024-05-02 19:31:31 No.10005
 ミラクル3様
「一緒に授業を受けた女子高生がいたというのは初耳です。そんなことが可能だったとは信じられないです。」
 詳細はこちらに書かれております。
https://www.nikkansports.com/premium/...

 時代も良かったのでしょうが、早実の懐の深さを感じます。

「阪神が抜け出しそうですね。」
「マスコミは阪神の連覇を口にし出しましたね。」
 履正社の井上広大がファームで一塁を守り始めました。もし噂されている大山の下半身の状態が思わしくない場合、井上へのスイッチが上手く行けば、その限りにおいては抜けるかもしれませんね。あくまで希望ですが。
 ただ夏ごろまではダンゴが良いですね。どこのファンも楽しめるので。

 奈良の虎ファン様
「桑田投手の新人時代、後楽園球場で抑えられた試合でもプロ初勝利を献上したのでしょうか?」
 桑田もうちが男にしました。
 その試合で某主力選手にインコース高めのビンボールを投げて起こしにかかったため、打席でのけぞってそれを避けることと相成りました。
 試合後、激怒したその某主力選手が吐いた、”桑田を大阪には住めなくさせたる!” は後世に語り継がれる迷言の一つですね。
 因みにその某主力選手とは、現・・・(以下自粛)。

白道 / 2024-05-02 20:34:27 No.10007
続きです

「試合の後でも相手を称えるコメントをするなど爽やかな印象でした。」
 荒木の人となりを語る上で、一番のストロングポイントはまさにそこです。
「翌80年夏も瀬田工業が4強入りしましたが。」
 80年の夏、早実と準決勝で対戦した瀬田工業の主力捕手Kは、その秋ドラフト外で阪神に入団するのですが、直後に発売された「月刊ベースボール」の入団選手一覧の選手紹介文章のなかで、Kについて語っているのが当時まだ高一の荒木でした。
 恐らく記者が無理くりお願いして喋らせたものを記事にしたのでしょう。しかしその内容は、Kがいかに凄い打者であるかと持ち上げながら投手目線で丁寧に語っており、大した選手でもないのにと一阪神ファンとして逆に恐縮したのを覚えております。

ミラクル3@管理者 / 2024-05-02 20:35:12 No.10008
 こんばんは、白道さん。

 記事のご紹介、ありがとうございます。

 記事を読んで、ほのぼのとした思いになりました。その女子高生には一生の思い出になったでしょうけど、そのことを友人らに言っても誰にも信じてもらえなかったと思います。

 早実は男子校ならでの校風でした。イジメなどもなく、雰囲気は良かったです。

 履正社OBの井上選手がファームで一塁を守り始めたのですか。履正社時代は外野手だったですけど、外野は人材が豊富ですから。

 これは大山選手がFA移籍した場合のことも見据えてのことだと思います。

 私も混セの方を楽しみたいです。CS制度がありますが、やはり優勝争いが激しい方が見応えがあります。

 それでは、この辺で失礼します。荒木の談話には実感がこもっていますね。

白道 / 2024-05-02 21:12:58 No.10009
 スイマセン、また続きです・・・・NGワードに引っ掛かりました。小出しに投稿申し訳ございません

 阪神に入団した瀬田工のKは、結局まったく芽が出ず三年で〇ビ。ブルペン捕手も一年で辞めた後、突如セリーグの審判に化けました(なぜパリーグじゃダメだったのだろう?)。

白道 / 2024-05-02 21:21:56 No.10010
 彼は〇遇で終わった現役時代の憂さを晴らすために審判になったようなコンプレックスの塊で、登用後しばらくは大人しかったのですが五年目あたりから本性を現し、特にミスターの目の前で一茂を退場させたことで夢を叶えると暴走は激化。不可解な判定を連発。結果、監督や選手に蹴りを入れられたり突き飛ばされたり、ベンチ前から投手にボールを投げつけられたこともありました。

白道 / 2024-05-02 21:24:27 No.10011
 また古巣阪神戦のジャッジは特に酷く、暗黒期、たたでさえ弱いというのに主審がKでは勝てっこないやろ、そうわれわれを嘆かせたものです。因みにあだ名は狂犬野〇でした。
 情けも過ぐれば仇となる
 荒木の厚意が無為に帰したと思うと残念です。

白道 / 2024-05-02 21:28:33 No.10012
「小学生が硬式~荒木投手はその先駆者のような存在だったのでしょうか。」
 東京や関東の事情は詳しく存じ上げていないのですが、当時は学校の拘束力が強く、リトルは小六で切り上げて中学への入学と同時に部活で野球部(軟式or準硬式)に入るのが関西では普通でした。
 荒木は中ーまで調布リトル、中二から調布シニアで硬式を手にするようになったと思います。仰るように今の流れの先駆者的存在ですね。

 東京は戦後間もなくから先進的な地域なので、部活よりも課外活動を優先しても特に問題がなかったのかもしれません。
 世界の王も中学時代は卓球部で、野球は墨田区の仲間たちとチームを作って続けていました。これは ”世界の王が中学時代に所属した部活名をすべて挙げよ?" というクイズとしてよく出されます。結局、二年次に野球部を復活させてそこへ入部したので答えとしては、卓球、野球、それと陸上が正解です、なんのこっちゃ。

 荒木は軟式を早々に切り上げ硬式と親しんだ点でもエポックメイキングな投手でした。昨今、軟式が球児としての成長の一過程から抜け落ちるようになり始めて久しく、それは義務教育である中学の野球部への在籍を軽んじるものではありますが、平成後半からこの国の野球レベルが急激に向上した点に間違いなく寄与している、そこに疑いはありません。
 反面、かって確実にあったものがなくなった、という現象も生んでいます。

白道 / 2024-05-02 21:33:33 No.10013
 ここからは荒木から逸れて恐縮ですが、またヘンタイ的なネタを私の思い込みも含めて書かせていただきます。
 軟式が全盛の昭和四十、五十年代、変化球と言えばいわゆる懸河のドロップが代名詞でした。投げ方はいわゆるオイチョと言われ、手首を捻って親指で弾いて回転させるタイプ。握力が強い子などは軟らかいボールを変形させて握りつぶすように投げていました。われわれの世代ではY校の三浦がその典型ですね。
 ところが今は親指と人差し指、もしくは中指の間で抜く、握りとしてはスライダーの作りから双方の指をボールの両端に寄せたような感じで、決して手首で捻らず、小指から打者に向けて投げ込むイメージで腕の振りはほぼストレートと同じであるためそれが主流となったように思うのです。つまりオイチョで投げる投手は滅多にいなくなった・・・・ ?

 これは小学生次から硬式を扱うようになった賜物なのか弊害なのかよく判らんのですが、NPBの放送の解説でも、カーブと言ってみたり大きい方のスライダーと言ってみたり歯切れが悪いですね。放送的には間違いなく弊害です。
 堀内は嫌な〇でしたがカーブは間違いなく一級品でした。ああいう懸河のドロップを、われわれはお目にかかれないのか、少し寂しいというのが本音です。
 このあたりの変化球事情について詳しい方に教えを請いたいものです。

 長文、分割投稿、読みにくくしてスイマセンでした!

ミラクル3@管理者 / 2024-05-02 23:21:58 No.10014
 こんばんは、白道さん。NGワードでご迷惑をお掛けしまして、申し訳ございません。

 阪神に入団した瀬田工のKですけど、貧打の瀬田工で6番でしたので、プロ入りと知った時は驚いたものです。

 阪神OBがセ・リーグの審判を務めますと私情が入りますので、なぜセ・リーグの審判として採用されたのか、ナゾですね。

 ガルベスにボールを投げつけられたことは知っていましたが、そこまで暴走したとは知りませんでした。当時は読売びいきの審判にばかり目に行っていましたので。

 阪神をあえなく解雇されたので、恨み骨髄だったのでしょうね。やはり同じリーグの審判に登用してはダメですね。

 「荒木は中ーまで調布リトル、中二から調布シニアで硬式を手にするようになったと思います」…確か、そのように聞いています。早実には、そうした経緯を経た選手が多かったですね。

 子供の頃に「王選手物語」を読みましたが、王さんが卓球部と陸上部に属していたことは書かれていませんでした。初めて、そのことを知ったしだいです。

 今は中学の野球部で活躍しても、強豪校に評価されない時代になったように思います。早くから硬式と親しんだ選手が日本の野球のレベルを上げていることは、私も間違いないと思います。「かつて確実にあったもの」とは、中学での野球部で仲間と楽しみを共有することでしょうか?

 昭和50年代の朝日新聞の記者座談会を読みますと、縦に落ちるカーブを操るピッチャーが高く評価されています。横浜商の三浦投手はその代表例で、「相変わらずカーブは鋭い。池田も苦しむよ」との発言があります。

 今は縦のカーブを決め球にするピッチャーは激減しました。「オイチョで投げる投手は滅多にいなくなった」ということでしょうね。

 野球中継を見ていますと、瞬時に球種が表示されますが、大きなカーブが縦のスライダーと表示されることが多いように思います。解説者でも両者の区別はつかないようですね。

 堀内投手のいわゆるドロップの大きさも伝説になっていますね。歴代でも最高の落ち方と評価されているようです。

 私も「見る野球」ですので、詳しくはわからないのが正直なところです。ダルビッシュ投手の「変化球バイブル」を読んでも理解できないと思われます。

 それでは、この辺で失礼します。書き込み、ありがとうございました。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-05-03 19:13:46 No.10015
ミラクル3様、こんばんは。

コレラ騒動、子供の時に聞いたのを思い出しました。

昔は野球部員以外の生徒が起こした事件により出場辞退になるケースがありましたね。あまりに気の毒です。最近は改善されているような感じですが。

近江の山田選手は本当に大黒柱という感じでしたね。加えて2001年の竹内投手・島脇投手・清水投手のように、複数投手が揃えばチャンスが来るかも知れませんね。

前川右京選手が夏には1番又は3番を打って活躍し、楽しませていただきました。
今、この書き込みの途中でレフトの守備につきました。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-05-03 19:34:35 No.10016
白道様、こんばんは。

桑田投手との対戦では、最初甲子園でバースに加えてゲイルまで本塁打を放ち大量得点したにもかかわらず、次に後楽園で抑え込まれたのでしたね。

元阪神の選手である審判には苦しめられていますね。K審判以外にもいるような感じもします。

個人的には、いつの日か人間が判定しなくなる日が来てほしいです。

堀内恒夫投手、三浦将明投手の縦のカーブはすごかったです。個人的には、工藤公康投手も高校時代にはカーブピッチャーのイメージでみていました。

まだ体が出来ていない小学生のうちから硬式でプレーすると故障しやすくなると昔はよく言われましたが、もうそんな話も聞かなくなったように思います。

ミラクル3@管理者 / 2024-05-03 19:54:42 No.10017
 こんばんは、奈良の虎ファンさん。

 コレラ騒動は和歌山市で起こったと記憶しています。それで箕島が練習できず、打線が調子を落としてしまい、和歌山大会の決勝戦で田辺に0-2で負けてしまいました。

 昔は野球部員以外の生徒が起こした事件のほか、前監督や野球部副部長など野球分の関係者の暴力事件などでも出場停止になりました。最近は、そのようなことで原因で出場停止になることはなくなりましたけど、かつては理不尽な出場停止が多かったです。

 近江の山田投手は、ピッチャーで4番、なおかつキャプテンでした。現在では、そういう選手は少なくなりましたね。

 2001年の近江はやや打力不足でした。それを3投手のリレーで補かった感があります。

 前川右京選手は2021年の夏は活躍しましたね。2021年の智弁学園はタレントが揃っていましたので、前川選手が1番に入ってもチームが機能しました。

 それでは、この辺で失礼します。今日の阪神は厳しい展開ですので、もう見るのを止めています。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-05-03 20:12:20 No.10019
ミラクル3様

初回でゲームが壊れてしまいました…。

ミラクル3@管理者 / 2024-05-03 21:43:58 No.10021
 こんばんは、奈良の虎ファンさん。

 1回裏はツーアウトランナーなしからの4失点でしたので悔やまれますね。

 2回裏で1-6になった時点で見るのを止めました。最後は3点差まで迫ったようですが、1、2回の失点が致命的でしたね。

 明日、明後日に期待しましょう。

 失礼しました。

トントン◆5fef1b / 2024-05-04 03:58:56 No.10022
 奈良虎さん、ミラクル師匠。こんばんは。

 子供の頃の印象は強烈です。和歌山は紀和大会に絶対に奈良に勝てない、と、今も思い込んでいます。甲子園で勝てない以上に紀和大会で奈良に勝てない。私が高校野球を見始めた72年から奈良に全敗です。記録を見れば、センバツ初優勝した70年の箕島が御所に5-4で勝ったのが最後らしい。天理、郡山、智弁。特に天理。絶対に勝てない。10回したら20回負ける、それくらい勝てない、と今でも思っています。大人たちが「奈良には楽勝」と言っているのが、どうにもこうにも不思議でしかたありませんでした。今も。私の夏の選手権よりセンバツ好きは、和歌山が夏の甲子園に出れないのも大きな一因です。
和歌山はずっと弱いです。今も。田辺、耐久の例を出すまでもなく。なのに「野球王国」?和歌山中、海草中、箕島、智弁和歌山が、高校野球を支えるような活躍をしたから、高野連も明らかに和歌山贔屓。もしくは和歌山ファン。田辺を含め、21世紀枠で向陽、海南、桐蔭と4校も出しています。おまけに今年の応援で最優秀賞が耐久。優秀賞が田辺。笑ってしまいます。おそらく、内容、レベルは滋賀県と同じくらい。でもたまたま、滋賀からは和歌山中や海草中、それに箕島が出なかっただけ。たまたま。でも瀬田工業も甲西も夏のベスト4の後が続かなかったですね。とくに甲西の奥村監督は、ベスト4時「ひげのゲンさん」と親しまれたのに、、、。「高校野球近畿特集」で特集されていました。当時の選手たちから持ち上げられてはいましたが、私は「あの時だけやん」とあまり高評価はできませんでした。最近は滋賀は近江ですね。

ミラクル3@管理者 / 2024-05-04 08:04:37 No.10023
 おはようございます、トントンさん。

 紀和大会といえば、私も奈良代表が常に勝っているというイメージでした。

 それだけに、77年は智弁学園-箕島という対決になることを楽しみにしていたのですが…。

 70年の箕島が御所に5-4で勝ったのが最後というのは知りませんでした。選抜で優勝したのに、紀和大会では際どい試合だったのですね。

 紀和大会は、常に天理が優勝していたという記憶です。ですので、77年に智弁学園が天理に3-0と完勝したのは意外でした。

 高野連が和歌山贔屓なのは確かですね。今年の選抜大会も和歌山勢が21世紀枠で選ばれましたし。

 前にも書きましたけど、応援団賞は廃止すべきです。何をもって優劣をつけるのか、ファジーですから。

 言っては悪いですけど、瀬田工と甲西のベスト4は、たぶんにフロックでした。ともに準決勝で大敗していますし。

 近年の滋賀は近江の1強ですね。林-有馬のバッテリー、チームの大黒柱柱だった山田選手は強烈なインパクトを残しました。

 それでは、この辺で失礼します。77年の智弁学園は強かったですね。

トントン◆5fef1b / 2024-05-04 09:11:58 No.10024
 ミラクル師匠。おはようございます。

 郡山は長いこと森本達郎監督でした。71年夏、紀和大会で、市和商を破って甲子園ベスト4が最高成績。74年も紀和で向陽を破って甲子園ベスト8。もっと目立っていい監督なのに、なぜか地味でした。大分津久見の小嶋仁八郎監督、銚子商業の斎藤監督、の方が目立っていました。がんばっておられましたが、天理に押され気味でした。そこに割って入ったのが、若き高嶋仁監督率いる智弁学園!熱血すぎて、選手たちが練習ボイコット。辞めようと思っていたところ、当時の理事長の提案で、選手と話し合いがもたれ、そこで高嶋さんが、甲子園、打倒天理にかける思いを語り、選手たちも納得して練習についていった、とか。そこで監督辞めてたら、後の智弁和歌山での活躍もなかった、ということです。

77年、念願の打倒天理を果たし、紀和で田辺!に勝って甲子園を決めたとき、前出の理事長の提案で、優勝旗をもって、紀三井寺球場に近い智弁和歌山建設予定地?建設現場?で並んで記念写真を撮った、とか。理事長曰く「ここで天下を獲るんや!」(高嶋氏談)
 ということは、理事長は奈良智弁で天下をとることは諦めていた?

 一般的に既成の組織を格上げするより、新規に立ち上げた組織をトップにもっていく方がやりやすい、ということでしょうか?

白道 / 2024-05-04 20:49:25 No.10025
 奈良のトラファン様 
「桑田投手との対戦では、最初甲子園でバースに加えてゲイルまで本塁打を放ち大量得点したにもかかわらず、次に後楽園で抑え込まれたのでしたね。」
 桑田の初登板を巡っては二つ小ネタがございまして、一つはゲイルが桑田のカーブを投げる際の癖を見抜いて見事に狙い撃ち、バースにそれを教えて、今度はバースがストレートを確信して流し打った?と思います。しかし桑田は次回登板ではそれを直して対応、お見事でした。
 二つ目は開幕前に桑田の初登板は読売グループで独占放送すると王監督に口頭で了解を得ていたのに、突如甲子園の阪神戦、朝日放送の試合で先発させてしまった、という話。現場を預かる王さんとすれば致し方なしなのですが、務台さんからすれば約束は守って欲しかった、となる。後々までネチネチ言われ、王さんが読売Gを見切る要因の一つになったとか。

 ミラクル3様
「「かつて確実にあったもの」とは、中学での野球部で仲間と楽しみを共有することでしょうか?」
 判り難い文章、申し訳ございません。”かつて確実にあったもの” とは懸河のドロップです。
 仮説ありきの内容で恐縮なのですが、おいちょのカーブの投げ方と、軟式ボールはワンセットなのでは、そう睨んでいます。
 ここに集う方の多くは「ドカベン」を読まれていると思うので、クリーンハイスクールの影丸がボールを親指と人差し指で弾いてボールを軽々と浮かす描写があったのを覚えていませんでしょうか? あの指の使い方がおいちょのカーブの基本の指の使い方かと。子供の頃、握力自慢の友人がよくやっていました。実際に良いカーブを投げていたものです。
 ただあれを硬式ボールで、しかも高々と上げるのは難しい。重さも違うし柔らかい軟式を力任せにやるというわけにはいかず、縫い目にしっかりと指先をかけて力の加減などはセンスも要ると思われます。
 もう少しおいちょカーブについて掘り下げると、みなさんも”おいちょかぶ”で遊んだことがあると思うのですが、大きめの座布団を囲んで、銘々順番が来たら手元の札なりカードを座布団に投げる、その際の肘から上の動きがまさにおいちょカーブの投げ方、というわけです。
 どうでもええ話を長々とスイマセン、続きます

白道 / 2024-05-04 21:16:38 No.10026
 私が知りうる限りですが、Y高の三浦、名電の工藤のカーブは間違いない。阪急の星野も、”打者に大きなスローカーブを投げる際は、手の甲を打者に向けて投げていた” と言っているので同様でしょうね。今中は星野のカーブを完コピしたそうなので恐らく間違いない。
 つまり昭和後半から平成前半のカーブの使い手はおいちょ投げが多かった、恐らく。

 では今世紀入ってからはどうかというと、出色のカーブの持ち主西武→楽天の岸。彼のカーブは親指と人差し指、もしくは中指との間で抜く投げ方ですね。
 そして令和に入ってから点検するに、ほぼおいちょのカーブの使い手はいなくなったように思います。今日も菅野が先ほどまで投げていましたが、今年はスライダーの曲がりが良いと放送でも言われており、一頃ならあれはカーブと言われるべき曲がり幅ですね。そして非常に効果的に配球され阪神打線をおさえています。つまり懸河のドロップはもういらない、そういうことなのでしょう。

 まぁどうでも良いヘンタイの領域の話なのですが、早期に硬式に馴染む球児が増えるにつけて、軟式野球経験者は減り、そして球種にもその影響が出る・・・・。
 野球の進化を一つの現象として、それを指差して確認できることを良しとする反面、では江川のカーブは果たしてどうだったのか、そんな風に感じるG/W中日でございます。

 江川の夏の初戦、対柳川戦の試合がyoutubeに上がっていましたのでご報告いたします。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-05-04 23:33:09 No.10027
トントン様、こんばんは。

おっしゃいますように、天理が台頭してから紀和大会は奈良県勢が勝つようになっていますね。

私は最後の二年間しか知りません。

奈良県勢は86年夏に天理が優勝するまで全国制覇がなく、常に和歌山県勢の後塵を拝している感覚でおりましたので、実に以外な結果です。

年輩の方々は、天理が台頭する以前の、「和歌山>奈良」の力関係から「奈良には楽勝」とおっしゃっていたのかなと推察します。

郡山も森本達幸監督時代には、天理・智弁学園に次ぐチームでした。おっしゃいますように森本監督就任後71年夏に4強入りし、74年夏、78年春、82年春、98年春に8強入りしています。

夏の県大会で天理に勝てなかったため、出場回数はそれほど多くなかったですが。

近年は、奈良大付や高田商が、天理・智弁学園に次ぐ勢力になっています。

たらればの話に意味はありませんが、紀和大会が78年の第60回記念大会のあと、79年以降も続いていたとしますと圧倒的に「和歌山>奈良」である年が多かったように思います。

甲子園での結果をそのまま紀和大会にあてはめた場合ですが。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-05-05 00:07:07 No.10028
こんばんは、白道様。

ゲイルにはあまり打撃が良いイメージがなかったので、桑田投手は打たれたことにより癖があると気づいたのでしょうか?

一試合で癖をなおしてきた桑田投手はさすがです。

球団上層部の人にすれば、どうしても大物新人投手のデビューは本拠地で、と考えるのでしょうね。

それにもかかわらず、わざわざ甲子園でデビューさせた理由は何だったのでしょうか?

86年の読売投手陣が手薄になっていたような記憶はないのですが、実際はそうでもなかったのでしょうか?

それとも、あくまで桑田投手の調子により、デビューのタイミングが決まったのでしょうか?

クエスチョンマークが続きすいません。

興味深いエピソードをお教えいただきましてありがとうございます。

話は変わりますが、今季の阪神打線は勝負強い打撃をする選手が森下ぐらいで、投手陣に負担がかかっていますので、シーズンが進んで疲労が蓄積してきたらどうなるか非常に心配です。

ミラクル3@管理者 / 2024-05-05 13:14:26 No.10030
 こんにちは、トントンさん。返信が遅れまして、大変申し訳ありません。

 71年の郡山の甲子園ベスト4は知りませんでした。74年の甲子園ベスト8は記憶にあるかどうか、微妙なところです。

 郡山の森本監督といえば、97年の選抜大会で9回裏にショートの逆転サヨナラエラーで負けた際に、「タイムは攻撃で3回、守備で3回ではなく、全体で6回にして欲しい」と発言していたのを覚えています。

 また、どうしても天理の壁を破れなかったイメージがあります。甲子園での勝利インタビューなどを聞くと、「この監督はよく野球を知っているな」と思ったものです。

 若き高嶋監督にそんなエピソードがあるとは知りませんでした。打倒・天理がなされたのは、77年の奈良大会の準々決勝でした。高嶋監督にとって会心の試合だったですね。智弁和歌山では、厳し過ぎる練習を課さなかったと思われます。

 77年は、智弁学園、天理、箕島の甲子園で優勝が狙える3校が凌ぎを削る大会でしたので、理事長の喜びの一入だったでしょうね。甲子園では初戦から小松投手の星稜と当たるなど、籤運が悪かったのが惜しまれます。

 家庭教師をやっている人に話を聞いたところ、「できる生徒をよりできるようにするより、できない生徒をできるようにする方が簡単だ」と言っていました。

 それでは、この辺で失礼します。予選での天理-智弁学園では、77年が最も印象に残っています。

ミラクル3@管理者 / 2024-05-05 13:34:12 No.10031
 こんにちは、白道さん。返信が遅れまして、大変申し訳ありません。

 ”かつて確実にあったもの” とは懸河のドロップ”でしたか。すいません、勘違いしていました。

 影丸のその描写は23巻だったでしょうか? 柔道で鍛えた影丸の握力ならではだったわけですね。ただ、影丸はストレート1本で勝負しました。

 確かに、硬式球では難しいでしょうね。私は軟式球でもできないです。

 草野球でピッチャーをやったことがあるのですが、カーブは投げられませんでした。不器用だったことに加え、おいちょかぶで遊んだことがなかったからだと思われます。

 甲子園の投手で懸河のドロップといえば、私も右腕では横浜商の三浦投手、左腕では名古屋電気の工藤投手を真っ先に思い出します。三浦投手がプロで活躍できなかった理由は未だにわからないです。

 岸投手のカーブにはイチロー選手も刮目していて、2009年のWBCの投手陣に岸投手を入れるように言っていたそうです。

 今のプロ野球でおいちょのカーブの使い手は絶滅危惧種になったわけですか。菅野投手も投げてないですね。菅野投手の決め球はスライダーですし。

 江川投手のカーブも凄かったそうですね。高校時代のカーブの切れは堀内投手に匹敵すると評されました。

 動画のご紹介、ありがとうございます。この動画の存在は知っていまして、フルにではないですけど、見たことがあります。惜しむらくはバックネットからの映像ということですね。

 夏の江川投手は、選抜の時に比較して凄みがなくなっていたとの評価です。江川投手は最高の出来だったのは高2秋の関東大会で、そのピッチングは伝説になっています。

 それでは、この辺で失礼します。ドジャースの山本由伸投手はカーブを操っていますね。

白道 / 2024-05-08 19:01:51 No.10041
 返信が遅れてスイマセン。

 奈良の虎フアン様
「それにもかかわらず、わざわざ甲子園でデビューさせた理由は何だったのでしょうか?」
 そこは不明です・・・・。ブルペンの桑田が絶好調でコーチが進言したのかもしれませんね。

「今季の阪神打線は勝負強い打撃をする選手が森下ぐらい」
 森下は勝負強いのもありますが、相模時代から試合の終盤で異様に強かった印象があります。大学一年の春に代表に選ばれた際、カープ二軍との壮行試合を現地観戦したのですが、その三打席目と四打席目、二本ホームランを打ちました。いずれもツーストライクを早々に取られた後、ファールで粘ってから打っており、これは間違いなくやると確信したものです。絶対に競合指名になるといろんなところで言い散らかしてしまった関係で、 ドラフト前のあまりの評価の低さに吐きました。
 ルックスも味があり、ああいう腹の座った良い意味でポジティブなア〇はどこの球団でも需要が高いはずで、願わくば巨人にお薦めと手を合わせていましたが、結果としてうちに決まった時は悶絶しました。

「投手陣に負担がかかっていますので、シーズンが進んで疲労が蓄積してきたらどうなるか
非常に心配」
 投手陣には既に去年の疲労の色も見えますね。こういう時こそ新戦力の台頭が待たれます。
 及川が一押しです!

白道 / 2024-05-08 19:19:02 No.10042
 ミラクル3様
 
 まずは江川の動画でスレを汚してしまいスイマセン。高校時代の江川のセンターからの動画、一度でいいから拝んでみたいものです。

「ドジャースの山本由伸投手はカーブを操っています」
 さすがお目が高い。私の仮説の出口は山本由のカーブで、そこを結論にしようと思っておりました。
 山本由のカーブはおいちょの名残をとどめながらも手首を立てて、小指から投げ込むスタイル。細かく言えば、中指を縫い目に掛けて、おいちょのように手首を捻り親指で弾きながら抜く。まさにおいちょの進化系のような感じです。

 上で書き込んだように、花札やトランプで手元の札を手前の座布団に投げ込むマネをしていただければ判ると思うのですが、どうしても手首が寝てしまうのですよね。これでカーブを投げるとその瞬間に打者にバレるリスクがある。
 また肘から先の使い方が明らかに他の球種とは異なるので、カーブを投げた次に投げるストレートの制球が甘くなる。池田の山口が何度も言った「カーブの後のストレート!」このセオリーの背景はまさにそこだと思います。
 山本由のカーブはそういう点で次のボールへの影響も少なく、曲がり幅やブレーキもあるので、次世代標準になるかもしれません。

 山本由は今日も勝ち星を挙げましたね。あのカーブは右打者の力ウント球として有効に配されているように見受けます。左打者へのスプリットがもう少しシュート気味に落ち出せば、夏までは順調に勝利を重ねるのではないでしょうか。
 問題は野球の質が変わる9月以降ですね。去年もシーズン100勝以上のチームが早々にポストシーズンで敗退しています。ドジャースが秋にどのような野球をするのか、今からヘンタイとしては楽しみです。

ミラクル3◆58d95f / 2024-05-08 22:18:19 No.10043
 こんばんは、 白道さん。いえいえ、書き込み、ありがとうございます。

 高校時代の江川投手のセンターからの動画はまずないでしょうねぇ。あったらお宝映像もいいところですけど。

 山本由伸投手は、カーブをそのようにして投げているのですか。メジャーではカーブが打者の目先を変える変化球と聞いたことがあります。

 手首が寝てしまうと打者にカーブとわかるというのは、素人の私にもわかるように思います。球種がわかれば痛打されるのは自明ですね。

 「カーブの後のストレート!」と池田の山口選手が最初に言ったのは日大二戦の後ですね。相手は左腕の田辺投手でした。

 今日の山本由伸投手のカーブも曲がり幅とブレーキがありました。カーブが決め球となっているのは大きな強みですね。

 左打者へのスプリットが甘いのですか。それには気がつきませんでした。

 ドジャースのポストシーズン進出はまず間違いないでしょうね。ただ、ポストシーズンは一発勝負みたいなもので、ワイルドカードで進出したチームが快進撃をすることもよくあります。昨年のポストシーズンは波乱の連続でした。

 それでは、この辺で失礼します。ポストシーズンの緊迫感が好きです。

奈良の虎ファン◆745673 / 2024-05-08 23:13:39 No.10044
白道様、こんばんは。

桑田投手の1年目、後楽園でプロ初勝利を献上した時点では、この年2勝止まりとは思いませんでした。  

森下の試合終盤での活躍は高校時代からだったのですね。
高校時代によく名前を聞く選手でした。

大学時のドラフトでは外れ1位でした。
読売が浅野選手のクジを引き当てましたね。

ここまではクジに外れたのが吉と出ていますが、今後浅野選手が大成する可能性もあると思います。

高卒選手は泣かず飛ばずになることもありますが、スケールの大きな選手に大成することがよくありますので。

藤原選手・辰己選手を外して近本指名になったときと少しだけ状況が似ているなと感じています。
 
但し打線強化のためには、高卒選手のなかで中軸を打てる選手が必要とも思います。
特に鍵を握るのは前川右京・井上広大でしょうか。
 
森下の後ろを誰に打たせるか難しいところですね。

大山・佐藤輝・ノイジーが勝負弱さを露呈したり、不調が続いたりしていますので。

確かに及川の復活が待たれますね。
桐敷・島本らが登板過多により、怪我や不調に見舞われないか心配しています。

いつも私の知らない話をお教えいただきありがとうございます。

トントン◆5fef1b / 2024-05-15 23:38:03 No.10045
 素朴な疑問です。

 桑田は空前絶後の高校野球での甲子園で20勝投手。天才投手と言われました。プロに入っても順調にはいきましたが、結局は一度もシーズン20勝をあげたことはないし、通算200勝にも達していません。体格には恵まれていた、とは言えないのは差し引くとして、NPBを代表するピッチャー、とは言えない、と思います。現実に2年連続20勝した斎藤雅樹の方がプロでの実績は上でしょう。プロとはそれだけ厳しい世界、と言ってしまえばそれまで、ですが、プロで桑田より実績をあげたピッチャーは一人の例外もなく、全員、高校での実績は桑田より下です。単純に、どういうことでしょう?
高校野球とはそんなもん、極めた、としても、たいしたことないもん、なのでしょうか?

 

ミラクル3◆58d95f / 2024-05-16 20:43:29 No.10046
 こんばんは、トントンさん。

 桑田投手は「天才野球少年」と言われ、バッティングや守備のセンスも抜群で、「ショートとしても大成していたはず」との評がありますね。

 プロ入り後はピッチャーに専念し、それなりに活躍しましたが、球史に残るような記録も記憶も残せませんでした。怪我の影響もあったことで200勝に到達しなかったのは仕方ないと思いますが、20勝を挙げたシーズンがなかったのは不思議です。

 桑田投手の高校時代の実績が図抜けていたのは、84年、85年のPL学園が最強チームだったことによるからなのは間違いないです。桑田投手が他の学校の投手だったら、あれだけの実績を挙げられなかったと思われます。

 とは言いましても、高校時代の桑田投手がピッチャーとしてずば抜けていたことは確かです。特に高2夏の享栄戦のピッチングが凄かったですね。

 それでは、この辺で失礼します。84年、85年のPLは、KK以外も役者揃いでした。

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