懐かしい32年前
てんてん / 2024-08-18 17:57:22 No.10417
ミラクル3さん。こんにちは。

大社旋風、すごいことになってますが、この大社高校、実に32年ぶりの甲子園。
その32年前(平成4年)の大社って、どんな感じだったかな?
あまり印象にないぞーってことで、当時の熱闘甲子園を改めて見てみました。

大社は第7日と遅い登場で(あの有名な星稜・松井選手への5打席連続敬遠と同じ日に試合があったんですね…)、その日の第1試合の常総学院、3年生がなぜか主将1人だけのチーム(何があった?)だったりと、いろいろと懐かしいですww

で、その大社高校は、その日の第2試合で、宇都宮南5-3大社でした。
第3試合(星稜ー明徳)が強烈すぎて、大社と宇都宮南の試合は、やっぱりほとんど印象に残ってない… 当時ミラクル3さんは、すでに社会人だと思いますが、その日は観戦されました?

大社と言えば昭和60年の開幕試合で、延長戦でホームラン打たれて負けた試合の方が印象に残ってます。youtubeにその試合がアップされてるので、少し見てみましたが、対戦相手の旭川竜谷の応援団が、なかなかイカツいリーゼント応援団で、時代を感じましたww

それでは、明日は準々決勝です。甲子園期間中は仕事なんかしませんww

ミラクル3◆58d95f / 2024-08-18 20:39:34 No.10421
 こんばんは、てんてんさん。

 32年前の大社は全く記憶にないのが正直なところです。教えて下さり、ありがとうございます。

 第7日は49番目の高校が登場する日で、その年は明徳義塾が49番目の高校でした。抽選で星稜と当たるだろうと思った馬淵監督は、その間、松井対策を練ったのでしょうけど、後年、若気の至りだったと後悔したそうです。

 3年生が主将1人だけだったとは、何か事情があったのかもしれないですね。

 「宇都宮南5-3大社」でしたか。言われてみましても、明徳義塾-星稜で怒りまくっていましたので、全く思い出せないです。既に社会人でしたが、その日は確か日曜日でライブ観戦していたのですが。

 大社の昭和60年の開幕試合は、ある程度ですけど記憶にあります。旭川竜谷の応援団はコワモテだったのですね。

 それでは、この辺で失礼します。私も甲子園期間中は仕事をしません。

白道 / 2024-08-19 22:31:43 No.10430
 てんてん様
 ミラクル3様
 今日も痺れる試合が続きましたね。

 さて、平成四年の夏の大会について、
 「その日の第1試合の常総学院、3年生がなぜか主将1人だけのチーム(何があった?)」
 「3年生が主将1人だけだったとは、何か事情があったのかもしれないですね。」

 これは聞いた話でソースはないのですが、ここでしかできない内容でもあり書かせていただきます。
 あの年の常総のエースは二年生の倉(東洋大⇒東芝)でした。速球投手ではなく、センス溢れる左腕。昭和の高校野球指導者が好みそうなタイプ。つまり勝ち続けられる投手。
 木内さんは入学時からこの子で全国制覇を狙っていました。当然、三ヵ年計画発動。取手二の石田世代よろしくあからさまに下級生重視のチームを作り、それは上級生に屈辱でしかなく反発や葛藤があった挙句、ご指摘の通り三年生で背番号をもらったのは主将一人となった。
 後世まで禍根を残した星稜-明徳の日の第一試合目、常総は佐世保実業に延長サヨナラで負けます。がっ、木内さん、そこは織り込んでいたことでしょう。敗因自体は試合中に捕手が怪我をして病院に搬送されるという不運もあってのもので、下級生ばかりでも実力の程は証明されたのだから。
 勝負の翌年の夏、結果ベスト4で終わり木内さんの胸中はいくばくか、積ませた経験値から優勝する力はあっただけに。

 振り返るに92年8月16日。実は二つの勝利至上主義が甲子園に訪れたが、後に語り継がれたのは明徳だけでした。

 多くの方が忌み嫌う帝京の元監督前田某。実は彼は常に二番煎じの男でした。マッチョな選手の育成は蔦池田を、そして上級生を蔑ろにしたり、度が越した三ヵ年計画は木内さんのやり口をマネたのです、多分。

 木内さんがあそこまで三年生をコケにしても騒がれなかったのだから、しめしめこれぐらいは大丈夫であの95年を迎えたのではないか。
 戦い方の汚さもあってあれこれ非難を浴びた末の優勝でしたが、本人からすれば、俺は木内さんをマネただけ、木内さんの方がよっぽど、ぐらいの感覚しかなかったのかもしれません。

白道 / 2024-08-19 22:53:15 No.10431
 前田某は先々週発売された「Number」 の中で、ヒールという立場で特集されていますね。
 われわれが愛した旧き良き高校野球、それに終止符を打ったものは ”P L” と “やまびこ打線”だと思っています。前者は完全無欠の私立強豪校として、後者は猛打の野球の祖として、一つの時代に区切りをつけたが、そこにもう一つ “木内野球” の存在もあったのではないかと私は睨んでいます。特にそのチームを運営する“やり口”が。

 木内さんはご存じのように取手二から新設の常総に引き抜かれます。しかもあのタイミングで。
 確かに取手二の木内さんの扱い方は酷かった、転身は致し方ないこと。木内さんを責めるのはお門違いでしょう。
 80年代中盤、高校野球人気が加速し環境が高度化するその裏で、次第に公立高校野球部は機能不全に陥ったようでした。用務員のおっちゃんから、後の副校長へ転身していく木内さんの生き様が皮肉にもそれを語るのです。
 木内さんが常総に移られたのは本人にとっても幸せなことであったし、その後も人気者の名物監督であり続け、平成の高校野球には欠かせない存在でした。

 私はといえば90年代の高校野球、松坂横浜出現までを暗黒時代と呼んでいます。勝利至上主義は受け入れられなくもないが、三年生を蔑ろにしたり、三ヵ年計画が透けて見えるチームには心が響かなかった。声と態度がデカいだけの三年生のプレーを追う方が気持ちは入ったし、同じ見え透いているのならば、思い出代打からのヘッドスライディングの方が断然魅力的であったから。
 平成も終わりの頃からそういう選手や光景をチラホラお目に掛れる機会が増えた気がして、個人的にはホッとしています。
 しかしながら今大会でも、エラーをしでかした三年生が即交代させられるという場面があった。元ヘボ球児としては胸が締め付けられました。親だってスタンドにいるだろうに。使った監督にも問題はあるだろと。
 その後彼が試合に出る気配はなかった。今日、終盤代打で三振して彼の高校野球は終わったが、少しだけ救われた気がしました。
 その一方で「エラーは全員のエラー」という監督もいる。甲子園の女神ががどちらに微笑むかは言うまでもありません。

白道 / 2024-08-19 23:35:10 No.10434
 また長々と書いてしまいスイマセン。
 高校野球を巡り腹立たしいことがあって、あれこれ思い出されてついつい長くなってしまいました。

 先に挙げた雑誌「Number」の高校野球特集号、読まれた方も多いと思います。表紙が根尾と吉田という、発売日の前週に共に滅多打ちを喰らった二人というのは一種のアクシデントでしょうから仕方ないとして、中身は目次を目にするだけでガッカリという代物。そこで読むのも買うのも辞めにしていました。
 だというのに、呪われたことに今日の昼休み、時間が余ったので不覚にもコンビニで立ち読みしてしまったのです・・・・。

 正直、雑誌の限界を強く感じました。そこについては業界に長く在籍されたミラクル3様の前であれこれ語るのは憚れるのですが、まず立浪、清原にPLを語らせるのはもうんざりです。また大阪桐蔭を藤浪、根尾、藤原という、プロで通用しなかった三人に託するというのも凄い冒険だと感じました。

 それ以上に腹が立ったのは、かっての名将たちに発言の場を与えたことです。好き勝手とは言いませんが、言い訳や嘘に終始しており、われわれオタクが一瞥するだけで見抜けるものばかり。
 例えば中村氏が、自分は寮生活にはノータッチだったと言うに及んでは、開いた口が塞がりません。球道即人道とどの口が言うのか?多くの選手たちが地獄と呪い救いの手を差し伸べていたであろうに、彼はそれらをすべて見ない振りをしたのでしょうね。校内で亡くなった方まで出しておいて・・・・。
 高嶋氏は、自分が甲子園で怒ったのは一度だけだと文中で語っています。この掲示板に集う方なら、楽勝で指折り数えられるのではないか?
 前田氏も負けずにこう語っています。「勝たなければ意味がないことがある(確かそんな感じのこと)」。馬淵さんもよく似たことを言ってますな。まぁ言いたいことは判ります。しかし、彼らが90年代の甲子園を間違いなくつまらなくしたことだけはビンビン伝わってきました。

 つくづくゲンダイや元PL、大阪桐蔭のYoutuberたちの語る高校野球の方が、なんぼかマシだと思います。少し残念です。

 以上、分割、長文たいへん失礼いたしました!

ミラクル3◆58d95f / 2024-08-19 23:37:08 No.10435
 こんばんは、 白道さん。

 今日は特に第1試合と第2試合が痺れました。

 なるほど。そういう事情があったのですか。初めて真相を知りました。

 83年の選抜大会の取手二も2年生主体で臨み、初戦で泉州高校に敗れましたが、2年生は貴重な経験をし、翌年の夏に結実しました。

 93年の常総学院のベスト4ですけど、倉投手が限界でした。2回戦で事実上の決勝戦とも目された近大付と当たり、3回戦でこれも強敵の鹿児島商工と2試合をこなしましたので。

 帝京の元監督・前田某氏が常に二番煎じの男との言説には御意です。前田某氏は3年生を切り捨てることが往々にしてありました。

 95年の夏の前田某氏は勝利至上主義に徹していました。一監督があそこまで非難されたことはなかったですけど、本人は痛痒を感じていなかったかもしれないですね。

 それでは、この辺で失礼します。前田某氏の解説はけっこう聞かせます。

ミラクル3◆58d95f / 2024-08-19 23:50:41 No.10436
 こんばんは、 白道さん。

 すいません、「Number」の高校野球特集号は読んでいないです。

 木内元監督はヒール扱いですか。毀誉褒貶の激しい人だったことは確かですね。

 私も90年代の高校野球は、98年までの間は暗黒時代と思っています。

 白道さんのような深い見識はなかったですけど、ワクワク感みたいなものがなかったです。それもありまして、不埒をことをやってしまい、何とか高校野球に興味を繋いだしだいです。

 エラーをしでかした3年生が即交代させられるという場面…。智弁学園の小坂監督がレフトの選手にしたのをはっきり覚えています。

 その選手は相当傷ついたはずです。ベンチに引き下がる時の心境は如何ばかりだったでしょうか? その選手が代打で出たことには気がつきませんでした。

 「エラーは全員のエラー」は素晴らしい方針ですね。そういうチームには勝ち進んで欲しいです。

 それでは、この辺で失礼します。残り2日になってしまいましたね。

ミラクル3◆58d95f / 2024-08-19 23:59:37 No.10437
 こんばんは、 白道さん。

 「Number」の高校野球特集号の中身はだいだい想像がつきました。

 表紙がその2人という時点で読む気が失せたでしょうね。

 立浪、清原にPLを語らせる…。何回か読みましたが、食傷気味になりました。

 藤浪、根尾、藤原の3人はプロで通用せずに終わりそうですね。

 かつての名将達のその発言には、正直、呆れてものが言えないです。やはり読まなくて正解でした。

 ゲンダイの高校野球関連の記事は読ませます。出場校の監督の痛いところを突くインタビューにはハラハラしますけど。

 大阪桐蔭のYoutubeですか。機会があれば視聴したいと思います。

 それでは、この辺で失礼します。短い返信になりまして申し訳ございません。

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